2017-06

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秋空の下ひとり思い出し怒りするカナ

「意思決定ロンダリング」という造語をしている人がいて、これはかなり笑えたので記事にしよう。この方はビジネス上のコンサルティング業をなさっているらしいのだが、もっと身近でもよく見かける光景だ。

これこれのテーマで、何とカニを決めるために会議をします。

と明確に告知して招集かけているというのに、まったくの手ぶら、ノーアイデアで、しかも会議開始時間になってから「あー時間か、しょーがねーなー」というかんじで腰を上げて会議室まで移動してきて、「で、何がはじまるの?」みたいにフンフンと聞いている人、というのは別に珍しい存在ではない。私はそういうタイプは意思決定メンバーとしては想定せずに以後、業務を続行することにしている。

どうしてかというと、その手の人だからといって直ちに無能というわけでもないだろうが、人の時間も自分の時間も大切にしないうえに、様子見をしておいてもっともよさげな立ち位置をさがす(立場で意見を決める、という東大話法)、あるいは人に企画をさせておいて自分はダメ出しに徹する、みたいな人を意思決定チームに入れても疲れるだけだからだ。
そしてその手の人は信念みたいなもんはあんまりないため、こちらで一通り進めておいて、「なにか不都合ありましたら伺いますわよ」とじゃっかん目に力を入れてすごんで見せれば「いえ文句などあるはずもございません」とおとなしく黙るのが定石だからだ。すなわち、意見を事前に汲もうとすること自体が誤った手順といえよう。

先日、職場の先輩に「○○(私の上司)さんて、上から来たメールをそのまま私に転送して、本人の文章は1行もなしなんですよ」と愚痴ったところ、「上と同じこと言う人って、存在自体要らないよねアハハ〜」とナイスカバーしていただいたのだが、本当にその通りだなと思ううち、教育委員会とか校長っていう職種の人々はなんかしらないけど「上と同じこと言う人」だらけなんじゃないかと思えてきた。金太郎飴みたいに「社会教育法12条がぁ」と言いやがって、こちらの日本語はさっぱり理解できないようなヤカラがどっさりで、そんな紙にかいてあるパターン読み上げるだけだったら「問い合わせ対応」じゃないだろ!と思うのだが!? 自分で動けないのもええかげんにせんかい!
あれ?頭に来過ぎて話がそれた。この連休中、「石巻市立大川小学校『事故検証委員会』を検証する」という憤死しそうな本を読んでいたため、やたらめったら腹が立つ。

ちょっとおちついて話を戻そう。

ずいぶん昔のことだが私のPTA嫌いをかなり決定的にした、とある委員会活動があった。
その一環でとある「茶話会企画」をしたのであるが、これの事前ミーティングが酷かった。
「働いているので、土日やメール対応でも良ければ」と断った上で、私は委員を引き受けたのであるが、いざ稼働しはじめてから「土日は子供の野球があるから無理」と言い出す人がいて、他の主婦の方々も「そうよね、できれば平日のほうが…」と同調し、結局私が何度も遅刻早退をして合わせる結果となった。
もうそれは仕方がないが、こちらがギリギリの時間でやっていることを、説明してもおもんぱかっていただけず、開始時刻に15〜20分遅れて来るのは普通、「今日は天気が悪いからやめよっか〜」とドタキャンしたり、とにかく何をやるにも「温度差」がきつく、本当に辛かった。

「この日は何と何を1時間半で決めるために集まるので、大まかでいいのでこの件とこの件の素案を各自つくってきて、ぶつけて調整しましょう」と言うと、「了解でーす」と返事は返ってくるものの、当日は全員手ぶら。「どーぅする〜?なにからすればいいんだっけ」と言う人はまだましな方で、こっちが何もしないと家庭の話、子供の病気の話、他のお母さんの噂、とえんえんと続いていく。

しょうがないので私が持参したプランで「これでいいってことで進めていいんですか?」と言うと、「う−−−−−ん、どうしよ−−−−−う」とまじまじとプランを見つめ、ある箇所を指さして「ここはさぁ、ちょっと○○さんにダメって言われるかも…」と突然、委員会メンバーではない人の意向の忖度をし出す。
なんだとー? 意思決定するために集まってるのが委員会だろー? そいつの意向が関係あるんだったら最初からメンバーにしてここに呼べや!! と心の中煮えたぎる。

諮っても諮ってもぐにゅぐにゅと手応えがないため、「じゃあ、このプランで進めますよ? 次回までにAさんはXをやる、BさんはYをやる、私はZを作っておく、でいいですか?」と断行しようとすると、「えーーちょっ、ちょっと待ってよ…。私、もうちょっと考えてみるから。△△さんにも聞いてみたいし」
だーーかーーらーー、△△さんが意思決定に必要なら、最初から呼ぶか、このミーティングやるって告知してんだから事前に聞いてくりゃあいいだろ!? あんたは今日、なにしにここに来たんだぁ〜〜〜〜〜〜!
と脳血管の状態が心配な私をよそに、去年はお菓子がどんなのが出たとかぺちゃくちゃと始まる。
だいたいなんでそんなに二言目には「去年は、去年は」って去年に合わせようとするんだろう? 出席メンバーも完全に入れ替わってるのに、もはや去年関係ないじゃん???
とそのままストレートに口に出して言うと、「そういうわけにも行かないよ、いろいろあって…」と言う。
だから、いろいろあるんならそのいろいろをここで共有しなきゃ集まってる意味ないのに、なんで自分だけでしまってるわけ? 

………などと、「協議しての意思決定」とはほど遠い状態が続き、「ミーティングやりました」という実績だけが残る。

ちなみに、その委員会で結局どのように具体的なことが決定されていったかというと、何をいつまでにみたいな計画に沿ってなにかを決めたり実行していく、ということがまったくなく、集まって「ウーンどうしよう」の繰り返しをし、いくつか提案をしても、YesでもNoでもAnotherでもなく「ウーン」がつづいて時間切れの解散となり、何日かたってから突然Aさんが「私、すっごくいいもの見つけたの!」とか言ってきてとうとうとその良さを陶酔して語るので結局それに決定したりとか、「もう1回○○さんに聞いてみたら、××しなくてもいいんだって!」などとそれまでの前提が全部ひっくり返るような話を持ってきたりとか、などの手法であった。
つまり、ほとんどのコトが「根拠もそろわず死ぬほどウダウダしたあと、疲れはててもういいやと見切り発車的にそれに決まる」か、「誰かが突如後出ししてきた話でそれまでの鉛筆書きプランが一気に塗りつぶされる」みたいな意思決定プロセスを経て決められていったのであった。

そしてこれが「協議しての意思決定」てことになっちゃうんだもんなぁ。
ホントにロンダリングとゆーか、「もーいーよ勝手にしろよ」みたいになったものが、少なくとも参加した私の責任に帰すというトリック。

まーそもそもこの委員会にかぎらず、PTA自体が上下命令系統のない任意団体なわけなのだ。
だからそういう顛末になるのは当たり前。そこに乗り込んで効率的に進めようなんてする私がバカなだけ。世間知らずはこっちであった。

しかしながら侮れないのは会員でいるかぎり、PTAが非常識なことすれば、イコール私がやってるも同然になっちゃうわけなのだ。
委任状だらけの総会でロンダリングされて、一部の人間の決めたことを私の意思って事にされてもたまりません。そんな恐ろしい仕組みから抜けてほっとしてますわ今は。やーほんと。

熊本PTA裁判意見書

さいきんみょうに業界では、熊本PTA裁判に送った意見書をアップロードするのがはやっているみたいなので、私もここはひとつ流行の波に乗り、開示しておくこととした。
まるおさんやmoepapaさんという錚々たる重鎮のみなさまの後に続いて、というかドサクサにまぎれて、かかる中学生の作文のような意見書をわざわざ掲載するというのも相当なアレであるが、まあこのような過疎ブログのすみっこにアップしておいたからといって誰かに迷惑がかかるものでもなかろうし、すでにブログ参加者から中二病認定されてたようだったのでこれは実態にピッタリ、ということで問題ないであろう。


<意見書>

①PTAへの事実上の強制加入を許してはいけない、ということについての意見をお話しします。

 現在国内の多くのPTAにおいては、強制というよりは、入学・転入手続きにまぎれていつのまにか加入ということにさせられている、という実態が多いことが問題だと思います。
 強制というからには、「いやだと言ったのに無理矢理加入させられた」というような態様が必要かと思いますが、現在、日本で多くとられているPTA加入形態というのは、そもそも「いやだと言うかどうか」選択する機会がまったく会員対象者(保護者・教師など)側に与えられないことが問題といえ、「事実上の」強制加入といえるでしょう。

 子どもを入学させるとき、保護者は、学校側の沢山の指示に従う必要があります。
 提出物は何日までに出して下さい、保護者会は何日の何時からです、こういう持ち物は持たせてはいけません、いついつ何円の集金があります。等々。
 これらの指示の中に、「PTA会費はいついつまでです」という指示が紛れ込んでいても、保護者側は、それは学校教育上の指示とは別の任意団体会費であり、そもそも加入するかしないか自体を選択可能なものだということを見分けることは実質上不可能です。

 もし、保護者側の自覚によって、任意団体であることをみずから調査し、加入するかどうかの対応を取る責任があるのであれば、責任ある保護者は、
「ハンカチとティッシュを持たせろというのは強制ですか勧奨ですか? 強制であるならそれは、どういう根拠法によりますか?」
「朝8時15分までに登校せよという命令の合理的な根拠を示して下さい。また遅刻した場合のペナルティ権が担任にあるのは学校教育法の何条にもとづきますか。そのペナルティを児童または保護者は拒否することは可能ですか」
など、収拾もつかない話がはじまるにちがいありません。
 そのようなことをいちいち追及せず、包括的な信頼のもとに学校の指示に従うことで秩序を保っているのが「入学手続き」です。
 そのような状態の時に、本来任意加入である団体の入会手続きをまぎれこませることは、卑怯な契約方法以外の何ものでもないでしょう。

 「任意団体なのだから加入の可否は自己責任で確認可能」という主張の中には、入学や転入時の保護者と学校の力関係  つまり、それらの手続き上ではとにかくスムーズに進めることが求められるのであり、保護者側に反論や疑問をはさむ余地など事実上与えられていないし、それを前提に入学手続きというのは進められている  という状況の理解が抜け落ちております。

<入学手続きの一環であるかのように見せかけ、錯誤のうちにPTA入会させる例>
 ・東京都立高校の入学案内パンフレットの例です。
IMG_1330.jpg


②PTAが配布した冊子を受け取ったことが加入の申し込みになるか

 受け取り=申し込み、というのは私人間で締結されうるルールではあるものの、社会通念上一般なものではありません。ほかにそのような契約形態(パンフレット類を受け取った行為により契約の効力が始まる)は思い付きません。ですので受け取り=申し込み、というルール自体に、当事者の片方から異議が申し立てられている以上、もう片方が契約成立を主張する為には、受け取りの事実の証明以前に、受け取り=申し込み、というルールに合意したという証拠の提示が必須となるのは当然と考えます。

③PTA活動に参加したことでPTA会員を承諾したことになるか

 PTA活動は多岐にわたりますが、例として本の読み聞かせ・祭りボランティア・立哨当番など、もともと地域の非保護者や健全育成委員会の会員、あるいは児童そのものが手伝い参加するなど、PTA非会員が多く参加する行事もたくさんあります。活動に参加したら自動的にPTA会員となるなどという主張は、会則にもないルールであり主張の根拠自体がありませんし、②と同様、合意の証拠がなく契約の事実形成上大きな欠陥があります。


以 上

働く と 子育て のこと

まるおさんにツイッターを紹介されて見様見真似でやり始め、いまだに何を押せばどうなるのか機能もいまひとつわかっていない私であるが、私がリツイートしたみやっぺさんという大学生のかたに質問をされている。

返事をしようかなと思うものの、ツイッターはいっぺんにちょっとしか投稿できないので、もともと話の長い私にとって、ぶつぶつ切りながらいっぱい投稿するのもなかなかキツイのである。

というわけでこちらに書くことにした。

会話の流れとしては、

>みやっぺさん
働く女性にとって、子育てを一人でやるのは難しい現状。しかし祖父母に頼り過ぎになってしまうのは子育てが各家庭で充分にできる仕組みができてないから。

この現実をどう考えるのか。
http://digital.asahi.com/articles/ASH7F3T7RH7FUTFL001.html


>ぶきぶき(←あ、これ私です)
なんで女性は働いてても一人で子育てが前提→大変だから祖父母頼み、になるのか 真 剣 に 分からない。


>み
こんにちは!女性の方ですか!!
働く女性の子育てがどうあるべきか意見をお聞きしたいです


>ぶ
こんにちは。私で分かる事でしたら御質問どうぞ。


>み
ありがとうございます!働くと子育てを両立するのはやはり難しいのが現状なのでしょうか…(._.)
私は自分の両親含め、周囲の方々の助けが両立においていちばん重要になってくると思うのですが、どうお考えですか?


>ぶ
「両立」とはどのような状態をさすのでしょうか?

それはともかく、自分の両親を含めた周囲の方々に助けてもらうことが(両立、はさておき)自分の子育てに重要だ、とはいちども考えたことがなかったですね。
あ、保育園は別です。保育園はないと働けませんので。(1/2)

周囲の方々とは、これまたよくわかりませんが、たとえば近所の方とか、そういうことですか?(2/2)


>み

子育てって予想もつかないことが多いと思って、例えば小さい頃は夜泣きがひどかったり熱を出したりした時などは両立が大変だと思うのですが、それは職場の雰囲気とか自分の意思などでどうにかなるものなのでしょうか…(._.)(1/2)

そうです!近所や保育施設・サービス、自治体など地域の受け入れる環境が整っていたら1人で抱え込むお母さんも減るのかなと思いました。(2/2)


となっている。

1/2への回答を考えてみた。
まず夜泣きと熱は問題がまったく異なるので夜泣きを先に言うと、夜泣きというのは子供にもよるがかなり多くの割合で0歳児で集中的におこるものである。そして、夜泣き問題は当たり前であるが夜寝てるときにおこるので、保育サービスの有り無しとはまったく関係がない。
そもそも夜泣きのどこが問題なのかというと、子供には何の問題もなく、親が熟睡できないことだけが問題なわけである。
夜泣きを静めるためには、ゆすったり、抱っこしたり、夜の外気にあてたり、暖めたり冷やしたり、いろいろあると思う。昔、欧米人と結婚してあっちに移り住んだ知人に「そんなの静かになるまでほっとくに限るわよ」と言われ腰をぬかしたが、まぁそういうふうに、極端に言えばほっといても死ぬわけではないということだ。よって赤ん坊本人にとってはさして問題ではない。

親が眠れないことが主問題であるので、たとえばの話、119番に電話すれば夜泣きストップ隊がうかがって赤ちゃんをゆすります! みたいな自治体サービスがはじまったとしても、そんなものを利用する人は少ないだろう。着替えてお礼も言わなきゃいけないし、よけい眠れないじゃんね。

ようするに夜泣き問題というのは「朝、眠いけど働きに行かなきゃいけない問題」なのであって、それって結局スケジューリングの問題だから、「子育て問題」なのかというのもちょっと微妙かなという気はする。
夜泣きするかどうかというのも子どもによってものすごく違うしね。
人生にはいろんなことがおこって、時にはあまりよく眠れないような一時期もあって、そういうのをいろいろ乗り越えてみんな働きに来てるんで、特にそこだけ「子育てしてて夜泣きするかもしれないから会社や社会は何か考えて!」というのもどういうもんなんだかな、という気がするのだ。

自分に限って言えば、はっきり言って、会社で働くってのは子育て労働の10倍楽なんで、昼間保育園でみてもらえて会社に行かせてもらえるなら、夜泣きあけにその子やきょうだいの育児を1日自分でやるより全然らくなのだ。赤ちゃん1人なのか、上の子も居るのかでもかなりちがうけど。育児中って、なぜか意外と睡眠時間こま切れでもけっこういけるし。
昼間保育園で見てもらえる、以上に、特に「働く女性」だからといって夜泣きに対して何をして欲しいの?と思うのが正直なところである。
有職無職関係なく、「夜泣きの翌日、育児中の親が子どもを数時間預けて眠れる施設」をつくろうという話ならまだ分かるが。

次に「熱」について話すが、「熱」というか「病気」についての話になるが、子どもが病気なら仕事を休まなきゃいけないのはしょうがないだろう。自分が病気の時は働きにいけないのと同じように、子どもが病気でも働きにいけない。これは自分の意志とは関係ない。それを前提にしたとき、「休みにくい職場」より「そういう理由であれば休みやすい職場」が多くなったほうが、子供を持っていても働こうという人が増えるよね、という理由から、政府はいわゆる「くるみん」制度だとかをやっているわけである。
国の方向はそういう整備であり、休みやすいというのは自分も休めるわけだからいいと思うが、祖父母や近所や保育所の受け入れ体制があったほうがいい→つまり子どもが病気でも親は働きに行け、という話だと方向は全く逆になる。
子どもが病気なら親が休めばいい話、というか病気の子どもは近所なんかに預けられたくないだろうまずもって。そもそも、病気の子どもを近所をはじめとする「非保護者」が受け入れる、というプラン自体、現実的なものには思えないが…。
なんだか三丁目の夕日臭いというか、政府が大好きな「絆」や「自治」や「地域協働」の画餅で子育て社会を作ろうとしているようにも思え、そんなものが理想的に稼働するようならPTAでこんなにもめないんだよ!とちょっと毒づいてみたりしたくなったのであった。

隣に不審者が居る時代なのに、私は近所に病気の子供を預けて会社に行こうとは思わないなあ…。
それで会社に行けなくて、「辞めろ」って言われたら仕方ないじゃん。人生山あり谷ありだよ。と思うくらいなのだが、いまは政府が「そんなことで辞めろって言っちゃいけません」という方向でととのえようとしてるみたいなので、それはいいことだなと思う。

そもそも、子育て専用施設であるはずの保育園が、「病気の子どもは預かれません」という基準を何十年も緩和できていないわけで、それなのに「熱を出す子ども」のサポートとして近所や祖父母を想定しちゃえというのもずいぶん乱暴な話ではあろう。

どっちにしろ子育てなんてのは単なる生活の一部であり、別にうやうやしくたてまつられるほどの特別大事業ではない。周囲の人には周囲の人の生活があるのに、「周囲の人の協力が不可欠」なものを勝手に始めちゃいかんだろう。と思いませんか?
PTAでもそうだが、「協力が不可欠」と言ってくるわりには、活動内容はこちらになんの断りもないけど…? と思う私はなんかヘンなのだろうか。

夜泣きや熱のサポート、についての話は以上なのだが、そもそもなんでみやっぺさんをリツイートしようと思ったかというと、理由は全然別のところにある。なぜ、大学生みたいな「もっとも頭が柔らかく先入観がないはずの」若者が、
>働く女性にとって、子育てを一人でやるのは難しい現状。
などということを言うような教育になってるのかな?と思ったからである。
なんだかしらないけれど、父親の存在が全然想定されていないというか、子育ては女性の仕事であり、女性が働くって事は、子育てと仕事と両方一人でやることになるから大変だよねえ、という話をしているように聞こえたので、なんでやねんと思ったからなのだ。

まあツイートは文字数制限があるから、全然そんなつもりがない発言なのであれば大変失礼したと思うが、文字列を見るかぎりではそれがみやっぺさんの中での想定である、というふうにしか受け止められなかったのであった。

続「非加入届」の迷走

今回は、前記事でTsuさんからいただいたコメントへの返信記事として、意思確認書式についてちょっと触れてみたい。
元コメントは、

ぶきゃこさん

個人的に
「入会届・退会届と意思確認書」
についてのお考えを聞いてみたいと思いましたので
新たに記事UPしていただきたいなーと思いました。

本来的には毎年入会希望届が配布されるのは理想ですが
1回きりの意思確認書提出だけでいいのか、
いくら入退会自由と言っても
「いつでも退会できますよー」
的な
退会希望届も配布されるべきだと私は考えているのですがー
| 2015-06-05 23:09 | Tsu

すいません

入退会自由(と明言?公言?する)なら尚更、
入会希望届とセットで退会希望届も配布されるべき
でしたー
| 2015-06-05 23:26 | Tsu


というコメントであった。

結論を先に言ってしまうような形になるが、私が今まで見た中で一番まともだと思ったのが、識名小PTAの入退会申込書である。
作りっぱなしではなく検討が加えられていると見え、今年度は改訂が入っている。

入会申込書の大きな変更点としては、昨年度はいきなり「趣旨に賛同し申し込みます」であった入会文言が、前提となる趣旨の表記がなされるようになった。
なるほど、「入会当時に共有されていた活動趣旨」が、あとから確認出来なくなるかもしれないから、趣旨とは何かが申込書類上で明確であるのは大変良い。
また、毎年申込書をとることにしたらしく、新規と継続のチェック欄が設けられた。
たしかに、毎年総会をしてその年の活動方針を決めるという活動スタイルであれば、毎年申込書をとるのがスジといえばスジであろう。

私は、人数が増えると回収作業なども大変になるので、最初の申込の時に自動継続にも同意してもらえればラクなんじゃないかなと思うのであるが…。
退会がいつでも気軽に出来るのであれば、自動継続に問題があるとは思えない。

ただ、幽霊会員が増えると管理業務(たとえばメール送信エラーの確認とか)だけが大変になるという面もあるから、毎年会員を洗い直すのもいいのかもしれない。
自動継続だと、卒業や転出会員をふるい落とす手間も出てくるし。
だったらいっそ毎年申込書を取った方が、余計なこと考えなくていいかも。

ただそうなると、
「既会員の方は継続または退会届のいずれかの提出をお願いいたします。」
というのがちょっとロジカルエラーのような気もしないでもない。

継続したい人は継続届けを出す、のであればそれ以外の人は継続されないのであり、1年満了をもって活動を終えたい人は何もしなくて良いのではないだろうか?
満了時以外にあえて退会をしたいときに出すのが退会届であろう。

逆パターンで言えば、自動継続があらかじめ了解されていることが前提となるが、満了時をもって退会したい人は退会届を出す。それ以外の人は退会意志がないものと見做し自動継続されるため、何も出さなくて良い。
これもオーケー。

しかし、満了時に継続または退会届のいずれかを出さなければならない、ということであれば、何も出さない人の取り扱いが不明である。
どうするんだろ?

退会届についても、少しずつ文言改訂等が入っており、退会受領後の通知方法や連絡先の掲載がなされるなど、よりわかりやすく親切になった感がある。
こまかい点だが、退会理由の1つ「参加しても楽しくない」が、「参加しても楽しくなかった」に訂正されており、よりリアルな感じの感想となった。

「参加しても楽しくない」
って言われると、そうか、そういう人もいるかもな…という気になるだけだが、
「参加しても楽しくなかった」
って言われると、なんかガーン!!そこまでハッキリ言わなくてもしくしく…;_; という気持ちになってしまうのはどうしてなんでしょうね。

まぁ普通の人は、たとえそう思っててもここにはチェックはつけないかなぁ〜?

Tsuさんのご意見としては

入退会自由(と明言?公言?する)なら尚更、
入会希望届とセットで退会希望届も配布されるべき

ということであったが、私としては、入会届→未入会者、退会届→会員、と配布先が違うため、どちらも整えた上で、いつでもダウンロードできる状態にしておいてくれる識名小PTAのやりかたがいいなあと思うのである。

話は脱線していってしまうが、毎年度はじめに学校が保護者に出させるかずかずの提出物も、学校HPにアップロードしてほしいのだよね、私は…。
元ファイルを提供してくれれば、入力しといて保存しとけば毎年すぐ出せる。
紙で配ってくるから膨大な手書き作業をしなきゃいけないし、紙無くしたってさわぎにもなるし…

どーせ、子供のためなのにそれくらいの労力イヤがる方がおかしいとか、紙なくすほうが悪いにきまってるとかって話になるんでしょーっ。はいはいそうですよどーせそうですよー、ぷんぷんっ。

よそ様のブログのコメント欄を勝手にぐだぐだと続けるぞ作戦

ブログ「シングルパパは元PTA会長」の「非会員を守る風土作り・・・」という記事には大量のコメントが寄せられているが、その後半部分No.164あたりから「元市内の小学校PTA会長」という方が登場して、いくつかのコメントを寄せている。

私はこの「元市内の小学校PTA会長」という方(長いので、以後、元さんとさせていただく)の語る内容にいくつか違和感を覚え、自分もコメントを入れようと思っていたのだが、日常の忙しさに紛れているうちに、「もうコメントをしないでほしい」とのブログ主の意向も表明されたため、記事としてまとめて書くことにした。

おのえクンのような突き抜けキャラのおちゃめさとは違い、元さんは現状に疑問を持ち自分なりの改革をしている、という意味で、より真剣にその発言には耳を傾けては見たのだが、どうにも「???」がなくならないのだ。

まず、札苗小の保護者と思われる人からの「いやと断れず辛かった」というコメントを受けて、

声なき声を本来PTA会長であったmoepapaさんがくみ取らなければならなかったのではないでしょうか(コメント164)

と言っているが、ちょっち待って欲しい。それを言っている本人のPTAは自動加入なのである。「声なき声」を勝手に「加入承諾」に読み替えることを自動加入と言い、どの口が「声なき声をくみ取れ」と言えるのかかなり疑問である。

自動加入と言っても十分な説明がなされ強要もなく和気靄々としているPTAもあるのだろう。任意加入と言っても三多摩中PTAのように「卒業記念品は会員子弟のノベルティ」と言ってのけるPTAもある。自動加入PTA=悪組織、任意加入PTA=善組織といちがいに単純化するつもりはないが、少なくとも自動加入させていた親玉が「声なき声を拾え」は吹き出す。

「入会自由でない(何も行動しない人は自動入会させられている)」「PTA会費納入に際し本人意思を確認しない」札苗小PTAは入退会自由のPTAと言えるのでしょうか(コメント164)

いや、これはこれなりに、この文章単独でなら一理はあるとは思うのだが、元さんが言っちゃだめでしょ。
あんのじょう、moepapaさんから「あなたが会長だったPTAは自動入会で委員会制でしょ」と至極当然のツッコミを受けているが、

会員から大きな不満はでませんでしたよ。その前提でPTAを設立しましたから。(コメント168)

との謎の反論をしている。
「その前提でPTAを設立した」という言い分自体に疑問があるが、それは後述するとして、
大きな不満は出なかった、というのは小さな不満はあったということだろうか。
過去記事「新説!?登場」のなかで、まるおさん宛てにコメントした通り、私はPTAの強要がおもてだって行われて、はっきり嫌がる人とドンガラガッシャンやるようなケースは意外と(特に都市部では)少なく、「ちょっと説得すればしぶしぶ応じるようなタイプの人」「意思を問わなければ順応するようなタイプの人」への無言の静かな圧力こそがPTA問題のむしろ大きい部分だと思っている。

「大きな不満は出ないからオーケー」という運営態度は、「子どものためだものしかたがない」と手伝いに応じながらもブログコメント欄を開放してはじめて不満をこぼしてくるようなタイプの人の声が聞けていない、という意味に限って言えば、元さんがサゲている札苗小PTAとまったく同列である。(もちろんそもそもの入会意思確認という意味ではまったく同列といえないが)

誤解があるといけないが、私は、「PTAは会員全員の声をしっかりくみ上げ、不満者の出ない運営をするべきだ」とはもともと思っていない。というか片手間の寄り集まりにそんなこと期待しないでくれやとすら思う。だから、「元さんだって聞けていないじゃないか」と元さんを非難したいと言うよりは、「小さな声が聞けていないじゃないか」と他のPTA会長を叱咤する元さんに「どれだけPTAを理想視してるの?」と違和感を覚えるのである。わかりにくいだろうか。

ちょっと脇道にそれるが、近年まれにみる素晴らしいインタビューだと思ったのが、川端裕人さんによる「PTAは加入率2割でも機能する」である。おのえクン(もはやすでにぶきゃこ非公認ゆるキャラになりつつあるな…)のインタビューは、あいまあいまにルーシーショウ(注)のような笑い声が脳内わき起こるという点でエンターテインメント性が素晴らしかったが、この川端さんのインタビューは中身がガチで素晴らしい。
ゆんたく会については、以前、福里さんからこういうのもあるよと教えてもらっていたのだが、「それこそ究極のPTAでしょ?」と長年希(ねが)ってきたズバリのものであった。日本は“文化的な国”であるはずなのに、なぜにこのような原始的なミーティングがしづらい状況にあるのか、不思議に思っていた。

元さんによる札苗小PTAへの不備指摘の違和感は、自PTAが「ゆんたく」的な機能を喪った団体である  つまり、意思の有無を問わずメンバーにして何かを課す団体であり、「不満が出るか出ないか」を強要度合のものさしにしている  にもかかわらず、「PTAは全会員のすべての意見を汲み上げ、耳を傾けるという(いわば)カスタマーサービスに怠りない団体であるべきなのだ」と高壇からお告げくだしてる感が満載な点だ。

ひきょうな手もこそくな手も無関心な人をまるめこむ手もまったくとらず普通に「入会申込書」をとり、あたう限りしっかり「ミーティング」をおこなっている識名小PTAの会長が「PTAはそんなにたいそうなものではない」という非常にまともなことを言っているのに引き比べると、自動加入させている団体の長が他の団体の長のCS不全を叱咤するなど「ナンダカ変だぞ」と首をひねらざるを得ない。

もともとPTAは(文科省参考規約に準ずる限りは)会員全員が平等な団体であり、意思決定は基本的に多数決で行っているはずである。PTA会長は団体の代表ではあるが、最終的に「お金を稼ぐ」ということを共通目的とし、最大限の利益を上げるために組織化し、上意下達のルールを設けている会社の社長とは違う。「PTA会長が会員の意向に反して運営」ということは(建前は)できない代わりに、一定割合の不満分子は必ず出る組織構造なのである。
不満分子がいることを「運営がちゃんと出来ていない証だ」とというのはまるで真逆の話であり、「不満を言う余地もなくさせている」自動加入PTAこそが大問題組織であろう。

PTAというのは会長という名の社長がおこなう事業組織なのだろうか? どう考えてもPTAというのは単なる集まりだし、単なる集まり程度との認識を会員が正しく共有することで健全性がたもたれるような気がしている。シロウトの事業ごっこは、やるなとは言わないが、勘違い暴走されるとハタ迷惑なものになるのだ。

このブログであまりPTAの違法性を語ることはないのだけれども、どっかよそで「違法性」にスポットをあてて語るとき、もっとも明確な法令違反は消費者契約法違反だと私は主張してきた。
しかしながらよく考えてみれば、事業者のくせに消費者契約法  つまり、契約においてフェアな説明をするという責任を果たす  を守れないというところを怒るよりは、そもそも事業者のフリをしとるのがインチキではないか、というところに問題の指摘ポイントを置き直したほうがいいのかもしれない、
そもそも、会員のほとんどが保有事業を「何のためにやってるのか」をよくわかっていない、会員それぞれが事業の目的や効果について我流の解釈を述べる、ような団体を事業者扱いすること自体に無理がある可能性もある。

話が抽象的すぎて、自分で書いてて退屈になってきたが、ようは
「会員から大きな不満はでていない」
ことは、なにも自慢するようなことでも、当該PTAの健全性を証明するようなことでもない。
ということを言いたかった。

そしてあんのじょう、
保護者は自動入会を前提にPTA設立総会で承認を受けました(コメント168)
自動入会を前提に会員の承認を得てPTAを設立した(コメント191)
という謎過ぎる自信がみちみちている。

実におかしなことであるが、自動入会を総会決議すること自体が反社会的であることが、素で分からない人がたくさんいるのである。
この元さん然り。あと、こないだブログを引用させていただいた田所永世さんの著書「PTAお役立ちハンドブック」のp.30にも、

PTAは)外部からの指示に従う必要はないのです。たとえば、文部科学省は、「PTAは原則として任意入会の組織である」と言っていますが、PTAの自治権を犯す(原文ママ)ことになってしまうため、個々のPTAに命令することまではできません。個々のPTAは独自の規約を持つ独立組織だからです。

という誤った記述がある。
文科省がPTAに「任意入会にしなさい」と命令しないのは、
・命令しなくてももとから任意入会である
・PTAは命令系統下にない
・社会教育法12条を一生懸命まもっている
・もともとカンケ〜ない
などの理由によるものであり、自治権を侵すからではない。強制入会が成り立たないのは憲法の定めであり、自治権がおよぶようなものではないんである。
東京都消費生活総合センターが出している「東京くらしねっと」という冊子の5月号に「身につけよう!契約の基礎知識」というめちゃくちゃわかりやすい特集があり、「なんだこんなのあるんだ税金はらっといてよかったな」と嬉しくなったのであるが、そのなかで、いわゆる「自治」についても解説がある。

なぜ、契約に法的な拘束力が認められるのでしょうか?「人が義務を負うのは自分の意思で望んだとき」という発想があるからです。これを「私的自治の原則」と言います。

このくらしねっとさんが言っている通り、あたりまえであるがPTAの自治権は、自分の意志で望んで会員になった時点以降に効力があるものであり、「保護者は全員会員な!」は自治権の範囲ではないのだ。

元さんのコメント191に

限られた状況下でより多くの方が満足できるよう常に努力をしていくべきと思います

とあるが、自動入会させたあげく「より多くの方が満足できるような運営」というのは、結局「少数派が満足できないような運営に巻き込まれている」ことに気がつかないのであろうか。「より多くの方が満足できるよう努力」ではなく、「より多く入会してもらえるような努力」ならわかるが。
少数派のリリースを許さないのに「多数が満足してるからオッケー」は、民主主義を多数決主義と履き違えている証拠であろう。

これに対し、moepapaさんから「自動入会の決議自体が個人の尊厳を尊重していないではないか」という反論がなされているが、
・司法家ではないのでコメントする気はない
・少なくとも会員から問題視されなかった
・法律家でない人からいわれる筋合いはない
などという、実に幼稚な反論となっている。

この主張で違法のそしりをまぬがれるのであれば、振り込め詐欺でバァちゃんをだましてるヤツを見つけて問責したとしても、
・司法家ではないのでコメントする気はない
・少なくともバァちゃんから問題視されなかった
・法律家でない人からいわれる筋合いはない
などとひらきなおられちゃう世の中になりそうな気がする。

※振り込め詐欺は刑事犯罪です、念のため

Think! PTA!で、ボケの花さんが、「PTAに法律を持ち出しても鼻でせせら笑うか異端児扱い」というせつないことを仰っておられるが、またここにもひとつ実例があるといえよう。

個人の尊厳を大切にされるなら入会届にしなかった理由は何なのでしょうか?(コメント202)

とmoepapaさんを問い詰めているが、よくもまあここまで目くそ鼻くそなことを偉そうにお叱りいただけるものであるなと思った。
札苗小PTAの非入会届について私が大いに疑問をもっているのは先日の記事にもかいた通りだが、だからといって自動入会の親玉が胸張って御指導くださるような筋合いでもないだろう。

コメント213あたりから、まるおさんが

「自動入会」の効力は、毎年毎年入ってくる新入生の保護者にも及ぶとお考えですか?
また、そもそも、設立時の総会に参加しなかった保護者もいると思いますが、それらの人も、総会の議決に拘束されるのでしょうか?


という、実に冷静に丁寧に質問を入れている。よかったぁ〜もう少しで、私がくちぎたなくノノシリはじめて、コメント欄全体を下品にしてしまうところであった。ふぅ、助かった…。
にもかかわらず、これへの回答は「荒らし行為」という「ハァ?」なものであり、加えて

PTA設立総会の要件を満たしたうえでの議決ですので拘束力はあると考えます。(コメント217)

という「???」なものであった。
そのうち、当該コメント欄はタオルが投げられ終了したが、私は今でも最後の謎を聞きたく思っている。

PTA設立総会の要件って、なに?
「何分の何以上の賛成があれば、自動入会PTAを設立する」
というような要件でもあったというのであろうか?

世の中には、「誰が決めたんだよ」といいたくなることを、突然ルールとして押しつけてくる人がいる。
PTA役員にもタイプ的に見かけることが多いような気がするが、
「これは、こういうことになってるんです!!」
みたいなことを突然言ってくる。
誰が決めたの?どこに書いてあるの?
と言っても、ひるむどころか「なんて屁理屈を言うんでしょうこのクレーマーは」みたいな失礼な目でこちらを見てきたりするのだ。

わるいが、PTAそのものが任意設立の組織なのに、「成立の要件」があること自体おかしいだろう。
どういう母数の、何分の何で成立するの?
それはいつの時点で、誰が採決するの?
誰がいつ、誰の同意で決めたんだよぉ〜そんなの。


(注)私が見ていたルーシーショウは再放送です、いいですね!!!

非言語系、最強!!

運動会の季節ですね〜〜。

ちまたで危険度が議論になっている「組体操」であるが、三多摩小学校では今年もとどこおりなく行われた。たしかにあぶないっちゃあぶないよな、あれ。うちの小学校の組体操のもっとも大技はピラミッドとタワーがそれぞれ4段であるが、いちおう教師がハラハラした顔で近くでつきそってはいる。今のところうちの小学校で事故は聞いたことがない(※)が、ま、なくても困らないといえば困らないんだから(ピラミッドやタワーは、体操演目のうちのほんの一部なので)そんなに重大事故が起きているのならとっとと止めても良かろうな。
まー4段くらいならそこまで「マジやめろ」と言いたくなったり「自分の子供は参加させないぞ!」と思うほど、見た目にはあぶないように見えないんだけれどもね…甘いのかな自分。

あの〜それよりもね、演目の中に肩車があるんだけどもね、そっちのほうがユラユラよたよたハラハラするのよ。別に大技でも何でもなくて、ふつうに1対1の肩車なんだけど、大柄な子を小柄な子が担がされ、地面に顔面から落ちたのを見たんですけど。あぶないだろも〜。

運痴の子もいるからねえ…と元祖運痴のワタシに肩を持たれてもうれしくもなんともないだろうが、やはり何ごとも全員強制参加というのは何かとゆがみが出るものである。

昨年、内田さんという大学院の准教授が危険性を警告していたヤフーの個人記事に付いているコメントを、なるほどなるほどと読んでいたのだが、まぁ典型的な意見のひとつに
そのうち、あれも危険だからダメ。これも危険だからダメ。ということになって、なにもできなくなりそう。
というのがあった。
類似のコメントに
危ないことをやって、何が危ないのか覚えていくものだ
というようなのもある。

もっと集約すると
何事も経験
という5文字なのかもしれないこういう意見は。

PTA問題などでこの手の意見にはたくさん遭遇するが、
何事も経験
というようなことを言う人って、究極的には
早く話を終わりにしたい
のだろうなあと思う。

もともとの内田さんの記事は、リスク検証の結果、それと引き換えにするメリットを考えたらやめたほうがよいと結論を出したものであり、もちろん「危ないことは何でもかんでもやめた方がいい」などとはまったく述べられていない。
にもかかわらず、分析の不備を指摘したり、新たな視点からのメリットを提唱するなどの方法で反論を試みるわけでもなく、「そんなこと言ってたらきりがないだろう」ですませたがる人というのは、長い文章を読むのがめんどうくさい、または、はやく話を終わりにしたい、のだろうなあ。

内田さんに対して、私がいま、反対だ、とか、賛成だ、とかいうほどのものは何ももっていないのであるが、データをしらべて統計をとってこの記事を書くのに1時間や2時間じゃすまなかったであろうに、字も読みたくない人から「きりがない」で斬って捨てられるのは見ているだけでしのびない。

しかし、実社会においてはこのテの、「感覚派」とか「非言語派」とでも名付けたくなるようなひとびと−−苦労して論述しても「早く話を終わりにしたい」反応しかなく意見交換としては不全感の残るひとびと−−は、とてもたくさんいて、そのひとびととも共生しなければならないのもこれまた、現実社会であったりするのだ。そしてさらに厄介なことには、非言語派のかたがたは往々にして、言葉で論を組み立ててそのゆくえによってはいままでの結論にあいまいさが出るためいちいち振り返って首をかしげているような言語派よりもずっとずっとパワフルであったりもする。

本日から彗星のようにPTAネガキャンシンボルとしてきらきらと登場した感のある日P会長の発言にも、「共働きだから忙しいという理屈はよくわからない。うちも共働き」「いじめはちょっとぐらいのこととしか思わない」「陰口や無視も気にする必要はない」等々、「ああ、この人は話を早く終わりにしたいんだなあ」と思われる表現がいくつもあった。

このインタビューはあまりにキョーレツすぎてツイッターの反響もものすごく、せっかく、そのまえに識名小の福里さんやそのたいろいろな人から素晴らしい体験談や意見(除く千秋)を集めてシリーズ化出来たというのに、なんだかそういうお話が全部かすんでしまい、今までのすべてがおのえクンの前座みたいになっちゃったのであった。くっそー!おのえクンのものすごい人気が悔しいっ! 地団駄ドタドタ。くぅ〜。

もうここまで極悪なことをどうどうと言われると、私ごときが水鉄砲のごとくちょびちょびと読者5人ぐらいのブログで悪口を小出しにしてみても、カエルのションベンにツラというかもうそんな程度でとうていかなわない気がしておるところである。
おのえクンの発言の整合性を検証すれば論理的におかしいところはいくつもあり、3〜4本くらいはブログ記事がかけそうでもあるのだが、そんなことをしたって彼の存在感がミリほどもゆらぐわけではない。それほど非言語派というのはパワフルな「在るもの」であり、英語にしたら“I am.”なものを持っている。ちょっと前の記事にかいた「みの系」にも似てるな。

朝日の最終回は日P会長インタビューらしいということは聞いていたのだが、どうせ、
「もちろん周知のごとく任意加入でございます。えっ、強制的なことが行われている? そんなことがあってはならないとは思いますが、何かありましたらそのPTAの皆さんで話し合っていただいて…」
あたりの当たり障りないことで終わるだろうと思っていた私は、完全に意表をつかれ100対0くらい(何の点数だ)で敗退した気分なのである。

Think!PTA!掲示板にもちょこっと書いたが、振られたら完璧にボケてみせるというプロ意識がすごい。
今日から、おのえクンのことはPTA界の田中邦衛と呼ばせていただくことにした。

もう私自身はぐうの音も出ない脱力状態になってしまったので、あとは、この歴史的なインタビューをFJNさんがパロってくれるのを静かに待つ所存である。
…ていうか、すでに誰かがパロってつくったインタビューのように完成度が高いなこりゃ。


※私が三多摩小学校の組体操の事故について聞いたことがないのは、無事故ということではもちろんない。聞いたことがない理由は、ひとえに私が情報収集を怠っているからである。というのは、学校や教委が積極的にたよりやメールなどで事故報告をしてくることなどほぼ皆無であり(そんな報告があるとすればよっぽどの重大事故)、市民が学校で起きた事故について知るためには、教委の会議資料をちくいちダウンロードして読まなければならないからだ。日常、保護者同士の道端のうわさ話みたいなものにほとんど参加していない私は、「起きたらしい」レベルの話ですらあまりキャッチできないでいるのであった。トホホ。
ろくに読んでいない私がえらそうに説くのもなんであるが、よく「PTAに参加すれば学校や教育のことがよく分かる」などと言う人がいるけれども、居住地の教育委員会の議事録見たほうが、学校に行ってベルマークかぞえてるより何十倍もの情報が得られるので、PTAに参加したくとも難しい方や、PTA活動に熱心すぎて教育のことがわかんなくなっちゃってる方はご活用ください。いやまじで。

ひとりも漏らさずやらせないともったいない、ですか?

なんで僕が小学校PTA会長に?!という、2013年4月に始まり2014年7月を最新とする全32エントリのブログをみつけた。

最初の記事に、

私自身、ボランティアの
良い機会と思って引き受けます。
他人のためではなく自分のためです。

と書いた主は、半年ほど経つうちに、

PTAや地域活動などに関わると、
子供のためと言いながら、
自分の名誉のためにやっている大人が
非常に多いです。
PTA会長をやって、
それがよくわかりました。

などと毒づくようになり、
いちばん最後の記事では、

バカバカしいですね。無視して淡々とやるべきことを進めます。
いやぁしかし、PTA関係の人ってこんなんばっかり。やっぱりボランティアなんかより、本業が一番だなぁ、と、つくづく感じました。

と書いて終わっている。

うら悲しさが全身を包んだ。
このブログがうら悲しいというよりは、そうさせるPTAと、主の心境の推移が非常〜〜〜によくわかる自分自身がなんとなくうら悲しい。

私も会員時代は、メールでイヤな思いをいろいろとした。
委員会がなかなか終わらず、午後出勤に間に合わないので教室後方ドアから退出したところ、そのあと「委員会のあとにはベルマーク集計があるので、途中退席される場合は必ず事前に役員に言って下さい!」と委員全員にあてて当てこすられたこともあった。
そもそも委員会が9:00〜11:00としか聞いていないし、委員会自体も11時におわるような議事進行がされていないのだけれども…

あと、特に当てこすりというわけではないが、全員に対して「委員が欠席ということのないように願います」とか、「勝手に○○しないで下さい」とか、社会人としてどうよという不愉快な文面を何度か送られ、ほとほといやになった。

だから、この名も無き会長さんの心の移り変わりが、なんだかよくわかる気がしたのであった。

あと、「PTAのために仕事を休め」とは言えない小学校校長のホンネとタテマエという記事の中にある、

平日の午前中の会などは、仕事があるので断っているが、最近、校長や役員の教員からは、「休まないで出て欲しい」といった雰囲気が非常に漂っている。
そこで校長に、仕事を休んでPTAの仕事をやれってことですか?と言ったら、そうは言っていませんよ、と。

あー、ここめちゃくちゃよくわかるなぁ〜、と微笑んだ。

すごく昔のことになるが、いちばん最初に旗振り当番の説明をされたとき、8:00〜8:20と書いてあったので、「全員当番っていわれても、会社勤めの人はどうするんですか? 8:20に終えて次の人に旗を渡しに行って、それから出勤して間に合う会社ってよっぽど近くないと無理ですよね? 当番の日は仕事を休んだり遅刻しろってことですか?」とストレートにツッコんだことがあったからである。まさにこの会長さんと同じですね。
そしたらその当時の会長が、「休めだなんて、そういうわけでは…。でも皆さん、たまのことなので調整して下さってます。忙しいのはみな同じですので」
とかそういう返事でしたね。
「調整って? 休んだり遅刻したりする以外ないですよね? だから休んだり遅刻しろってことですよね?」
と追及すると、
「しろ、とは言ってません。どうしても難しいのであれば他の日の方と交代していただければ…」
「平日イコール、全部出勤日という方は多いんじゃないですか?他の日と交代して済むような問題じゃないと思いますが。結局、こうやって一律全員当番にするというのは、休めとか遅刻しろと強制してるのと同じではないですか?」
「強制はしてません、ですから相談していただければと…」
「相談すれば、当番を抜いて別の係にしてもらえるんですか?」
「それはちょっと本部と相談しないとお答え出来ませんが、基本的にみなさん忙しい中、調整して1人1回ずつということでやってますのでご協力をお願い出来れば…」

みたいな、きりもないやりとりがあったことを思い出す。
言ってることとやってることが違う、というか、当番を指示しているくせに、どうしても「強制」というわけではございません、みたいな変なにょろにょろしたものがあるのだ。
他の人はどうですかなどと一言も聞いていないのに、「みな同じ」「みな同じ」を繰り返す。

強制ではない、というのが本当なら、当番表の余白に
※あくまで自主活動なので、無理しなくてもけっこうです
くらいの一文を入れれば、こんなにツッコまれることもなかろうに、そういう表記は絶対にしないんだよね。
結局、やっぱり暗黙の強制。

うら悲しさとともに、ブログの会長さんはもともと、何か頼めば「私に出来ることなら」と引き受けてくれるようなかただったのに、だからこそ会長まで引き受けて下さったのに、最後はこんな「ボランティアなんかもううんざりだ、さぁ仕事仕事」みたいなことを書かせるに至るなんて、なんともったいないことかと思う。

前記事にものせた田所さんのブログのインタビュー記事で、会長Sさんが、
活動希望票を提出してこない家庭はただ届いていないか忘れているだけなので、(再配布しないと)せっかくの「やる意思はある」方を漏らしてしまう事になるのでもったいない
というコメントをしていたが、活動をやりたい人が、年度初めの希望票が来ないことに気がつかない、あるいはもらっても提出しわすれる、ということがあるだろうか?と思う。
明らかに、消極的な証拠だろう。
そんな人たちをも引っ張り出さなきゃ「もったいない」というのが、「使えるものは大根のシッポまで使いましょう」的な動員側の論理かもしれないが、私の目から見ればそんな子ども名指しで見せしめ的に再配布されて、せっかく「いつか手が空いたら自ら手を上げてくれたかもしれない」人を「さっさと義務を終わらせて二度と関わりたくない」人に変質させてしまうほうがよっぽどもったいない、と感じる。
「あらーごめんなさい気がつかなかった。早く言ってくれれば良かったのに」という返事をしているだけで、本心は、子どもを特定されて督促されるくらいなら、としぶしぶ腰を上げているだけなのではないだろうか。
そのへんの皮膚感覚、感じ取れているかなSさんは…。

本日は、変質の実例、という意味の記録として貴重だと思ったので、ブログをひとつ紹介した。
ブログなど書かない、おおぜいの名も無き保護者の失望の歴史に手を合わせつつ…。

新説!?登場

田所永世さんのブログに掲載されているこの記事がおもしろかった。
千葉県のPTA会長Sさんへのインタビューであり、こういうのはなかなか読めないので興味深い。
インタビューといってもウンウン傾聴するだけではなく、田所さんがプチバトってみたりしているところも盛り上げる。

Sさんはツイッターでいろいろ発信をされているとのことだが、私はツイッターをやらないのでその主張をはじめて読んだ。
特に目を引くのは「PTA管理組合説」であり、「自治会ではなく管理組合なのだから任意加入の説明はしない」という珍説である。

PTAが管理組合でないのは論を待たない(ちなみに自治会でもない)が、なぜ、どのような点が「管理組合に喩えても問題ない」とSさんが思ったのか、その根拠を述べてあると思われるのが

学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要があり、それは団地やマンションで共有部分の管理のために管理組合があって未入会や脱会ができない(区分所有法で定められています)のと同様

の部分である。
まず非常に問題なのが「学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要があ」るとの主張であるが、「学校に対して持つ責任」とは具体的にどういう責任なのであるかについてはまったく明確にされていない。
学校でちゃんと授業が行われるように、先生たちの勤怠管理をする責任だろうか?
校舎や校庭が危険な状態にならないように、池の柵を補修したり、割れた窓ガラスの交換費用を支払う責任?
自分の子供にきちんと持ち物を持たせ、時間通りに学校に行かせる責任?

田所さんはこの主張に対して「たしかにGHQ文書では〜」という話を持ち出し、あたかもその文書が「学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要がある」という命題への裏付けであるかのように話している。
そんな文書もあるのかも知らんけれども、それは、基本的理念の話なんではないだろうか? 
それをもって、「保護者は全員学校運営を手伝う責任がある」という解釈をすることができないのは当然だろう。
しかももともとのGHQ文書は、
学校の管理に関し、父兄及びその他の市民が責任を有している。
ということなのであるから、そのデンでいったら「その他の市民」もPTA加入して学校のお手伝いをする責任があるわな。

例えば、日本国憲法にこのような条文がある。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

この条文をもって、「だから国民はもともと権利を保持する不断の努力が必要。権利が侵害されたとしてもそれは自分の努力が足りないだけであって、警察や裁判所に訴えて守ってもらうものじゃないよ」という解釈をするようなものではないだろうか?

もともと日本は民主主義国家なのであるから、どんなバカな政治をされても究極的には「選んだアナタ(もしくは選挙に負けたアナタ)が悪いのよ」なのである。そういう意味で「自由と権利は国民の努力」なのであって、権利の行使に裁判所を使ってはならないという意味ではない(あたりまえだ)。

なんだかずいぶん回りくどくなってしまったが、そんなこと(=学校管理は保護者の責任)を言ったアメリカ人がどっかにいたからと言って、PTAの自動加入を正当化するのはこじつけすぎだろうどう考えても。としか思えない。
「牽強付会」ってこういう時に使うんでいいんだっけ?
どうでもいいけど「牽」って変換してもらわないと、紙とペン持たされても絶対自力で書けないぞ…

ま、
「学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要がある」の問題点指摘はここまで。

次は、じゃあ百万歩ゆずって、仮にそんな責任がある、としましょうや。
あるとしても、だからといって、

団地やマンションで共有部分の管理のために管理組合があって未入会や脱会ができない(区分所有法で定められています)のと同様

というのはこれまた飛躍もはなはだしいのだ。

Sさんが言うところの“共有部分の管理”とは何なのかが不明、という細かいところはさておいても、ともかくももっと大きい問題点を言えば、団地やマンションというのは、分譲するにあたって重要事項等説明というのが国家資格をもった人間によってなされることが義務付けられ、その中に管理組合規約についての説明も含まれるのである。
ごちゃごちゃと並べたが、ようは、「管理組合に入ってもらうよ、それでもいい人だけ契約してね!」という説明がかならずされているのである。

ところが公立学校に子どもを入学させた親、というのは、「PTAという名の管理組合に加入すること」を同意した上で自由意思で子どもを入学させているわけではない。
あたりまえだ。
義務で子どもを入学させているのに、“自称管理組合”PTAが「当然ですよね」と親を自動加入させ、反応が無いからと勝手に当番を割り振るなど、控えめに言っても“ならず者の行為”だろう。

いみじくも彼自身が語ったように、PTAとは各地でそれぞれ活動内容も異なり「同じあり方」が通用するようなものでもない、それこそ「任意の活動」をおこなう団体である。
公教育の水準担保は国や公共団体の責任下で行わなければならないものであり、そんな思い付きの素人団体に管理されるなど冗談ではないのだ。

意思を問わずに自動加入にし個人情報の流用を学校から受け、公教育の管理者を自称している時点で完全にケンカを売っているというのに、非加入者を「丁寧に説明してもどうしてもご理解いただけない方々」呼ばわりも酷くないですか。

本記事をひょっとしてSさんが読んだとして、
「問題点を指摘してくださってありがとうございます」という気持ち
になるかどうかは知らないけれども、やはり、「PTA管理組合説」などに疑問も持たないとすれば、非入会を選ぶような人々がなぜそうするのか、について理解するまでにはかなり遠い道のりがあるのではないか、と思われる。

また、同じ記事のなかに、田所さんによる
「PTAは入会が当たり前」という言葉も、「PTAは任意が当たり前」という言葉も、どちらも話し合いを拒否しているという意味では似ている
という言葉もある。
そこ、同列に並べますか?
「PTAは入会が当たり前」は個人の主義嗜好の域を出ないが、「PTAは任意が当たり前」はまぎれもない事実である。事実を述べた言葉のどこが、誰との「話し合い」を拒否している言葉なのか、こんど田所さんに尋ねてみようかなと思った。
少なくとも(PTAは任意を明言する責務があると思っている)私自身は、PTA関係者との話し合いを拒否された体験こそあれ、拒否した覚えはないのである。
むしろ、ムラ社会の住民にこれ以上何を言っても無駄、と判断した瞬間が、退会を決断した瞬間、だったのかもしれない。

PTA入会は任意が当たり前なのは、議論するようなことですらないだろう。S会長はP連に「利益と負担とのバランスが悪いと判断して」非加盟を決めた。利益と負担とのバランスが悪いと判断してPTAに加入しない親がいるかもしれないのに、「うちらは管理組合だから」との団体側の一方的な論理で任意加入の説明を故意にスキップするというのは、きちんと加盟申込書をとっているであろう上部団体よりも、申し訳ないがはるかにタチが悪いと言わざるを得ない。

PTA管理組合を法整備したいという考えには別に反対もしない。法整備に向けてがんばっていただけたら、それはそれでいいのではないかと思う。しかし現時点ではPTAは管理組合ではないし、一個人のドリーム、猫紫紺さんの言葉を借りれば単なる「拡大解釈」でしかないことを踏まえるべきである。
保護者のつながりが、ないよりあったほうがいい、というのは私も同意であるが、相互の意思を尊重する、というベースが欠けた発想で生まれた活動に本当の親睦があるだろうか?と疑問符をつけざるを得ない。
保護者全員のつながりがあった方がいい、という素朴な願いから生まれた「自動加入」であったとしても、そこから生まれたものがこんな惨状であるのは残念ながら事実なのである。
「現状うまく回っているPTA」の役員さんというのはよく、「そんな押しつけ合いはそこの民度の問題であって、PTAが悪いわけではない」という逃げ口上を使うが、これにたいする私の考え方は過去記事「システムか人か」で述べた。
いやしくも育児中の母親が「逃げるヤツ本当にムカツク」などのような罵り文句をオープン掲示板に書き込む心境になるというのは、義務と誤認させる自動加入PTAに大きな原因がある、と断言しても何ら言いすぎではないと私は思っている。

手伝いを指示するプリントを、来ない家庭の児童めがけて何度も再配布する、という行為に私は「親同士、仲良くしようよ」を感じない。
サイレントによるノーの意思表示、と、単に手紙が届いていない、の違いがわからないのは、「参加しません」の選択肢が無いとか、問い合わせ先の記載が無いとかの、PTA文書によくありがちな書式不備が原因なのではないだろうか?
手紙が届いていないかもしれないから再送付、という行為もそれ自体でちょっと奇妙な話である。子ども経由で手紙を渡す、という連絡方法に失敗しているのに、また同じ方法を取るというのは不思議な行動だと感じた。

親同士のつながり、を重視し活動目的ともしているのであれば、子ども経由でプリントを渡すしか連絡方法が無い、という状態がまずまっさきに改善されるべきなのではないかな〜という気もするのであった。

「非加入届」の迷走

ブログ「シングルパパは元PTA会長」で、札幌の中学校の「PTA非加入届」が話題になっている。

簡単に言うと、保護者向けに
「PTAには加入しません」
という申込書(?)を配布し、それを提出してこなかった家庭は会員と見做す、というやり方が「加入の意思確認をおこなった」といえるのか? という議論である。

「非加入届による意思確認」のどこが問題なのか、いちどハッキリさせたいと思っていた。

札幌のPTAの現実上の問題においては今のところ、諸事情でそうなってるのだと思うが、「非加入申し出による入会の意思確認」には契約行為として重大な欠陥が4つある。

ひとつは、非加入者を知るだけで加入者を判明させるためには、学校からの個人情報流用なしには成り立たないこと<個人情報の問題>
学校の個人情報提供行為を、なにかへりくつをつけて学校側は「OK」にしたとしても、保護者側の同意の証拠がどこにもない。

もうひとつは、「非加入申し出をしない=加入する」ルールであることを保護者が理解し同意した証拠がどこにもない<前提となるルール未合意の問題>
ブログ主であるmoepapaさんは、「2月の新入学の保護者ほぼ全員が参加する入学説明会の場」で説明をしていると言っているが、入学説明会に欠席する親は存在する。むしろ上にきょうだいがいれば、「仕事を休んでまで出るほどでは…」とスキップする家庭も多いのではないだろうか?
百歩ゆずって「全家庭」から出席しPTA会長の説明を聞いたとしても、「全員」とはだれなのか? 父母のどちらかがその意思確認システムを理解したらOKなのか? が明確でない。全家庭の全保護者がその説明を聞いて合意に至っているとはちょっと信じられないのである。

3つめに、「全員とは誰と誰と誰なのか」にも関連することだが、「非加入申し出をしないことにより加入したと見做される」のは、いったい誰なのかがまったく明確でないという問題がある<契約当事者不明の問題>
PTAが学校から児童単位の個人情報ときょうだい情報を得たとして、そして非加入申し出がなかったとして、いったいだれがPTAにたいして会費の支払いという債務を負うのか?
契約当事者が不明であれば、多くのPTAのうたう「会員は義務と権利を有する」という規約もまたいったい主語の「会員」とは何であるのか、わからなくなってくる。

最後の明らかな問題点は、「加入したくない人に個人情報を出させる暴力性」である<“非加入契約”の不条理>
当たり前だが、もともとPTAにそんな提出を求める権限などあるはずもない。
なぜ、学校に子どもを入学させた保護者は、「PTAに非加入の意思を持つかどうか」を検討し、それを提出しなければいけないのだろうか?

債務履行を求めるには、債権者側が債務の存在を証明する、のが民法の基本的な考え方である。
日本社会は、この「条理」によって成り立っている、といっても過言ではない。
債務がないことを証明しなさい、と契約関係のない人に求める行為自体、「不条理」「ゆえなき他者への権利侵害」そのものではないだろうか?
「非加入届」は、保護者に対していきなり「活動やらないならやらないと証しなさい!」と求めるものであり、道ばたで募金活動をしつつ、「募金は任意ですよ〜でも募金しない人は、募金しませんと届けを書いてくださいね〜じゃないと勝手にお財布からもらっちゃいますね〜だって届け出してないでしょ?」と言うような「社会条理をひっくり返す」ものなのである。

熊本PTA訴訟で争点になっていることとも関連するが、
「拒否しない限り同意とみなす」というルール(=私人間契約)には、当然ながらそのルールに合意しているという証拠が必要である。
そんなルールについての同意書を取り付けるくらいなら、最初から「加入申込書」にしたほうがよっぽど早いし、契約行為としても不備が無いのはいうまでもない。

札苗小PTAにおいても、「しっかり丁寧に説明がおこなわれ、趣旨を理解していない保護者はいない」のが本当ならば、書式を「加入申込書」にするだけのことが何故障害になるのか? が当然疑問視される。

また、札幌市PTA共済会が出せといっていたとウワサの「非加入申し出」リストなるものは、共済会が補償の範囲からはじくために苦肉の策で出させている書類であると思われ、なんの強制性もないものだ(逆にあったら大変)。
また、もし提出されるとしても、提出者は契約者であるPTA会長でなければならないのだから、そもそも「非加入申し出をしない人々の加入の意思」を確認する書類ではない。

へたな文章ではあったが、自分の力のおよぶかぎりで「非加入届による加入意思確認」の問題点を挙げてみた。
私は、今の段階では「札苗小・中PTAは非加入届をやめるべきだ」という意見を出すつもりも、「非加入届ではPTA改革とは言えない」と断じるつもりもない。
ただ、非加入届の受付を加入意思確認とするのは問題があるという考えを持っているので、その具体的な根拠を明確にいちど書いてみたいと思った。

PTAが「会員から会費を集め、その会計報告をする団体」であり続ける限り、会員の名簿管理が事務負荷となる…という言い訳は絶対にできないと思うのだ、どんなにめんどくさくても(実際にはそれほどの事務量ではないはずだが)。
名簿管理をしなければ会計処理が成り立たないのだから。

以前、「まるおの雑記帳」で、「だれから幾らPTA会費をもらっているかは、デリケートな個人情報のため学校関係者しか知らない」と発言した元PTA会長がいて驚愕したが、そのような滅茶苦茶な組織でない限りは、だれから会費をもらっているのかは管理する必要があり、それを「事務負荷」と呼ぶならば活動などできないはずなのだ。少なくとも建前上は。

大きな流れを予測すれば、PTAの任意性が世に定着していけば、児童を差別出来ない以上「会費」という概念にもクエスチョンマークがついてくるのは必然で、「寄付金運営」にシフトしていかざるを得ないのではないか…と見ているところである。

とはいうものの、少なくともマスコミがPTAの任意性を広めたいと思っているわけではない、ということだけは確かのようである。

タレントの千秋さんがPTA活動に加わった結果、「面白くなかったし、子どものためになっているとも感じなかった。」という感想とともに、このようなことを語っている。
仕事をしていることは、PTAをやらない言い訳にはならないと思う。「お母さん」であることはみんな同じだから。

このような発言を、「悪意なき無知」ととらえるべきなのか「無知が生んだ悪意」ととらえるべきなのか測りかねるが、タレントにこのような無神経な発言を「広報させる」新聞社と、「どうする?PTA 入退会は自由」というタイトルの記事を3年前に掲載した新聞社が同じというあたり、「新聞って売れればなんでもいいのかなァ」とため息を吐いてみたりもするのであった。

シュワシュワが美味い季節になりました

子どものころから、食品などについているラベルや菓子箱に入っているしおりを意味もなく熟読してしまうクセがある。
子ども時代からうん十年もたってしまった私であるが、先日もそのクセを踏襲し、子どもが飲み干したラムネのびんを熟読していたところ、

ご注意!!

と赤字で記載があった。「!!」だけがイタリック体になっているため、かなり注意をひきつけたい目的で書かれたことが推測された。
本文も「」で始まり、どうしても注意をひきつけたい意図がうかがえる。

★玉押しでビー玉を落とす前に万一、ビー玉が落ちていることがありましたら、ビー玉落ちです。

とのことであった。
この後には、「それは不良品なので返してね」みたいな説明がつづくのであるが、私はこの冒頭の1行の断罪ぶりに衝撃を受けたのであった。
「パパーッ、このラムネ、ビー玉おちちゃってるよ〜」
「うっ……そ、それは……!!」
「パパ、なあに?」
「そ、それは、『ビー玉落ち』だ……っ!!!」
「えっ……ビ、ビー玉落ちっ…? ひぃぃぃぃーーーーーっ!!!!」(←楳図かずお調の顔になる)
みたいなモノモノしい断定口調ではないか。
「ビー玉落ち」とあらためて命名すると、まるで「下手の中飛車」とか「タコ鳴きタコ待ちタコ和了」みたいな「だっせ〜なんでそんな初心者の失敗やらかすんだよ超絶だっせ〜」感がかもし出され、これはあってはならない大変なことが起きた的な効果が得られるのである。
欲を言えば、「ビー玉落ちです」のあとは、「。」じゃなくて「!!!」にしてほしかった。惜しかったハタ鉱泉株式会社。

とはいえ、彼ら製造部門も毎日大変なのであろう。毎週月曜日には「品質管理ミーティング」が朝8時から2F会議室でおこなわれ、前週からのビー玉落ち率改善差とか、今年度ビー玉落ち率月次推移とか、年度末ピー玉落ち率終息見込みとか、そんな資料とにらめっこしながら対策を練っているに違いない。
「おいどうしたんだ!先週のビー玉落ち率が0.04%も急上昇しているじゃないか!」
「す、すみません、4月からびん口部くびれ検品チームのリーダーがくじびきでPTA会長になったとかで、毎週1日くらいずつ工場を抜けるようになってしまい…その間はサブリーダーが監督しているので検査が甘い時間帯が発生し…」
「ばかっ、今年度のうちの工場は、工程ビー玉落ち率0.01%以下、市場ビー玉落ち率0.003%以下、ビー玉落ち総損失年間750万円以下死守というマイナス予算が組まれてるのに、こんなペースじゃ無理だろうっ!PTA会長なんかすぐに辞退させろ!」
「いやそれが、仕事は理由になりませんとからしく…」
「ふざけるなっ、製造部門の最重要指標であるビー玉落ち率とPTAとどっちが大事なんだあっ!こんなことではウチの業績もビー玉みたいにストーンと転げ落ちて(←社員頑張って苦笑)、トンボ飲料のマーケットはいつまでも攻撃出来ないぞおっ!また営業部の奴らに『売れるもん作ってもらわないとぉ〜』とかネチネチ言われたいのか!」
などという企業ドラマが繰り広げられているに違いない。知らんけど。

いや炭酸会社の内部抗争はどうでもいいのだが、私が感心したのは、どの業界にも専門用語があり、専門用語的に命名するとそれはなんだか非常に重要性をもちはじめるんだなあということであった。

PTA活動における「製品事故」とでも呼ぶべき会員間の強要や子どもへの差別、ひそひそ、ここのコメント45番のような理不尽な感情暴発などに対しては、PTAが団体活動をする上で責任を持って発生率を減らさなければならないものなのではないかと思うのだが、そういったことを監視する委員会も、「Pハラ発生件数」を集計し、コンプライアンス基準を定めて指導助言をおこなう機関もないのが痛い。
このさいハッキリいわしてもらうと、インターネットという身もふたもない情報交換網が発達して多くの人が「PTAってなんかおかしくね?」と言い合い始めているというのに、会員から¥を吸い上げ全国大会だかなんだかをやってる上部団体はいったい何をやっとるのか?と疑問に思うわけですよ。自分たちの営業成績にかかわることなのに、なんで「我が連合会に加盟している都道府県PTAは軒並みPハラ発生報告件数が1校あたり年間10件を下回っており、加盟してない野放しPTAとは違うんです!これも、我々が研究を重ねて情報交換を密におこない、連合意識を高めてコンプライアンス基準を守っているからなんです!」とか宣伝したらどうなんだろう、とか思うのだ。毎週月曜日にビー玉落ち率改善会議を重ねている民間会社(いや知らんけど…)とはずいぶんな違いではないか。

なんか、かぎりなく「黙っていても税金が自動的にいただける」国や自治体と同じニオイがするんだよねぇPTA上部団体って。
「任意加入団体」を土台にしてるのに高級ビルを所有してたりして、「来期いくらの収入になるのか何の保証もないのに随分よゆうだっぺな」という感想しか出てこない。
いくつか脱退されちったというニュースもあったことだし、ここらでひとつ「我々は実質強制加入もPハラもいっさい発生させないことを誓います!まんがいちそんなことがあったらこちらの『にっぴフリーダイヤル0120-うんたらかんたら』にすぐにおデンワください!」くらいのコマーシャルでも打ったらどうなんですかね〜金余ってんだろうし。

しまった、PTAを特に応援しているわけでもないのに、応援しているかのような作文になってしまった。。。
しかしまあ学校で活動している以上、せめてラムネ屋にはまけないくらいはがんばってほしい。

あまりに自信満々な人は学習団体に向かない…かもしれない。

自信満々な人、をときどき見かける。
自信があるのは良いことだ。私は、「自信がなさげなフリをしつつも陰で自己中なことを繰り返す人」が生理的に大嫌いだが、意味もなく自信満々な人は、それほど嫌いではない。
意味があって自信満々な人ももちろん嫌いではない。というか好きかもしれない。意味というのは中身というか実質のことだ。
中身のある人はいちいち自信のあるフリをしなくてもいいので、謙譲を美とする日本においてはむだに自信満々な人は少ないのだが。

で、ここにひとつの実感がある。
「従来型」PTA役員には、自信満々な人の出現率が一般より高いという実感である。
今月、従来型であるうちの小学校PTAからくばられた年度初めのお手紙に、
「各クラスにて保護者会で委員をお決めいただきます。」
という一文があるのも、その実感を裏付ける。
「なんで保護者会であんたがた団体の役職決めをせなあかんの?」という根源的な疑問はさておき、いま言いたいのはその「お決めいただきます」という文言自体である。
これは、ひじょうに「自信満々」といえるだろう。
命令系統で上位にいるわけでもないのに、突然電車のとなりの席の人に命令されたかのような、ハト豆状態に人をおちいらせる、「いただきます」。
ク…クルックー。クルックルックのボッポコポー。もう目を白黒。
「自信満々」が適切でなければ「無礼千万」と言ってもかまわないかもしれない。

このほかにも、「提出してください」「1家庭1回以上」「取り組んでいただきたい」などの文言がたくさん並ぶ。
問題なのは、この手紙がPTA会長発信の「保護者各位」であり、本文中にもたびたび「保護者の皆様は」が出てくることだ。
「会員各位」や「会員の皆様は」であれば、好きなだけ「いただきます」を連発して「いただいて」構わないが、保護者に向けて何言ってんの?つか誰あんた。と心の中で小声でつぶやいてしまう私であった(あっ、うっかりインターネットにも書いてしまった)。

PTAから離れても、自信満々な人はときどき見かける。
職場のAさん。
みのもんた的な情報をたくさん仕入れ、確信を持って断言する。
もちろん彼女だってはたらいているから昼日中の情報番組はなかなかみられないのだが、世の中には類似の番組がたくさんあるらしく、テレビにくわしくない私にはすべて「みの」と総称されている。
彼女にとって、根拠をしらべるとかっていう行動は最初からプログラムされていないので、ない。
彼女の感じる「信憑性」はみのによって高められ、ほぼ自動的に「事実」となる。
みのはすでに「結論」である。
だから、反証を出されるとちょっと都合が悪い。
だからそれは聞こえなかったことになったり、「へえ」といったん聞く様子を見せるものの「でもそう言ってた」で完了したりする。
みのの過大与信については無害なので放置されるが、業務上でもたまに「何を根拠に?」とたずねたくなることが起きる。
しかし自信満々である。
業務上のみのは「経験」である。
つまり、「前はこうで良かった」「何も問題だったことはない」である。
誤った手順でも、100回繰り返されて問題がなければ、正当な手順となる。
そこで苦情などが出れば、「正当な手順なのに苦情を言われて迷惑」となる。

「いただきます」満載のPTAのお手紙も、同様かもしれない。
私の記憶によればこの手紙はかつて、「PTA会員各位」であった。
私が脱会してから、「PTA会員・保護者の皆様」というフシギな宛先になった。
そしてそのあと、「保護者の皆様」になった。
しかし「いただきます」的な口調はまったく変わることがなかった。
PTA本部にとってはすでに、「100回繰り返された正当な手順」なんだろうなと思う。

このように謙虚さのかけらもみられない手紙を配ってくるひとびとというのは、素朴に考えれば本来、学習を目的とした団体にはそぐわないのではないか、という気もする。
大人が学び合い、こどもを大切にする、という崇高な理念の中に「手伝いは1家庭1回以上」という上から通知文がどういう具体行動として組み込まれているのか、PTA役員の中にひとりでも脳内消化出来ている人はいるのだろうか、と考える。
PTAを否定するわけにも行かなくて困っている、いろいろな選択肢の中から条件的に「入会する」「活動する」「協力する」「とりあえず在籍」をチョイスしている、という人ならたくさんいるだろう。
しかし積極的に肯定するモチベーションをしっかり持った人は、どのくらいいるんだろうなあと感じざるを得ない。
きっと「PTAありき」はすでにみのなんだろう。

自分の言動の根拠に「みの」しかないとき、それを突き崩そうとする他者は「脅威」となる。
話し合ったり学び合ったりする相手ではなくて、脅威となる。
だから、敵を倒したりやり過ごすために「常に壇上からのモノ言い」「わかりにくいとして無視」「反論出来る部分だけ語る」「屁理屈だけで執拗に言い返す」「言葉尻に極端に不寛容になり取れる揚げ足を探す」「代案を迫る」「突然“不快”や“悲しい”など感情表出」「明らかにみのが揺らぐような結論が出てしまう危険事実については“判断が難しい”などと濁す」などとなる。
もちろん、継続的にOLN話法を用いている様子も見られる。
敵を撃退することが目的化しているため、もともと何を話し合いたかったのか? は、どうでもよくなってしまう。
なぜなら、議論の行方や提供してもらった勉強材料によって、「みの」を揺らがせるつもりは最初からないからである。

私が、PTAの理念を現場で実現するのは、机上でそれを語っているみなさまがたが思っている以上に困難だ、と考えるのは、そういう自分の体験からなんですね。
民主的に話し合うことでなにかが前に進み、新鮮なアイディアが生まれ、参加者の考え方ややる気がリフレッシュされる。
なんてことは、強制参加させられてる状態では稀有ですよ。ケウ。
みのはみのなんだからぐたぐた言わずに、やらなきゃならないことを済ませたいの。要は、やらなきゃならないんでしょ? ですよ。

みの恐るべし。

レストランのハッピーバースデー

まー何であれ組織や団体という物は、どうしても個人の意思というのは多かれ少なかれ塗りつぶされるものであろう。
会社然り。あたりまえだが「そんなことやりたくありません」がそう簡単に通る場所ではない。
義務教育の学校然り。文科省がかってに決めたプログラムを、全員あまねく修了せよというのであるから、もともと個性の尊重とは相性のわるい場所といえよう。

前者は入る自由も出る自由もあるから(人間お金を稼がなきゃいけないので完全に自由とは言えないものの)、まぁ自己責任でがんばるしかない。
後者は、私のような人間は子供のころからキライであったのだが、やはり人間社会が規律を持ったものである以上子どもに教育は必要であるので、多少の強制と、それに相対するがまんはしょうがなかろう。もちろん改善の余地は多々あるのだが…。

前者は自由意思での所属、後者は義務としての所属、とわけられるわけだが、この中間に属する
「義務ではないものの意思に関わらずいつのまにか巻き込まれ、賛同をしないわけにはいかない局面に追い込まれる所属性」というものが人生の中でとつぜん浮上してくることがある。

たとえば、本記事のタイトルだ。
あなたが家族と一緒に、何週間も前から楽しみにしていた映画を封切り日に観にいき、帰りにレストランで感想を交わしながら、いま給仕されたばかりの湯気を立てるアルデンテのパスタに取り分け用のフォークをつきたてようとしたその時、館内の照明が落とされる。
2ブロックほど離れたテーブルに置かれたケーキのろうそくがともされ、

♪ハッピーバースデートゥーユー

と手拍子がはじまる。
そして歌が終わった頃、ろうそくに顔を照らされた、全然見知らぬおじいさんが顔を紅潮させ、うれしそうにフーッと吹き消す。

♪パチパチパチ…

とレストランの客がみな拍手。

いや、いいんですけどね。
おめでたいですよ誕生日。
よかったね長生きして、おじいちゃん。

でもね、あたりまえだけどレストランって、いろんな人が来るんですよ。
うちみたいに、いまは映画の話をしていて、人の誕生日の話はしていない家族もいる。
パスタって茹で立ては1秒でも早く食べたほうがいいんだけど、それを目の前にして暗闇で手拍子をしなきゃいけないことを辛く思う家族もあるかもね。
でも、パスタをすぐ食べたいというリクエストが「身勝手」と思わされるような空気がレストランに流れちゃってるんだよね。

もしかしたら別なテープルでは、離婚したあとの養育権をどうするのか、料理にあまり手もつけずに話し合いをしてるのかもしれない。
ひょっとしたら別のテーブルでは、余命宣告された人が入院の前の晩、ささやかにポタージュを飲んでいるのかもしれない。
レストランはそういう場所。

誕生日はいいことだ。
誕生日はうれしいことだ。
誕生日を祝う人は、多いほうがいい。
しかしその一方で、大人なら、「居合わせた人のことにいっさい配慮なく、いきなり“お祝いよろしく!”と巻き込んでる」という認識も欲しい。
レストランでお祝いをやるなというつもりは毛頭ない、レストランでお祝いすることもあっていい。しかしここは自宅ではないんだけどね、ということも頭のどこかすみっこに置くのが「大人」なんだろうなあと思う。

リンクもさせていただいているThink!PTA!の掲示板の書き込みの一部に、地域自慢と思われる記述があった。
このトピの【4623】
不登校ゼロ、いじめなし、給食未納ゼロ、学力テスト県トップクラス、授業参観参加率8割以上、ガラスの予算を組まない(割られることがないため)、県警によると非行率最低水準の地域です。
という部分である。

この書き込みにたいする批判ではまったくなくて、「私の感覚・知覚」の説明をしているのだが、「不登校ゼロ」というひびきは肌に粟立つものがある。
不登校になることすら許されない空気、って怖く感じてしまうのである。

いじめなし、も怖い。
いじめゼロで、子どもは育つのだろうか?
いじめをしながら、子どもはやっていいこと、やってはならないことを学ぶのではないだろうか?(※)
教委に「いじめはありませーん」と報告出来れば、そりゃ晴天すみ渡ったごとくにスッキリさわやかな話だろうが、
「んなわけねーだろ」
という嗅覚をプロの教師が持てないというのは、なかなかに怖いことのような気がする。

※もちろん、学びの材料だからいじめをしてもいい、と言ってるわけではない。
 深刻ないじめはゼロのほうがいいに決まっている。
 しかし子ども(というか人間)が集団化すれば、現に普遍的にいじめはある。
 軽いいじめ行為を経験することで、その加害者のにがにがしさや被害者のつらさを学ぶ。
 程度問題もあるが、そうしないと学べない愚かさを人間は持っている、と思う。
 そんな馬鹿なことしなくても、最初からゼロなら一番いいじゃないか、と言われればそうかもしれないが、ちょっと現実的とは思えない。
 だから「いじめなし!」と断言する人は、ただ見えてないだけか、見ないことにしているだけ、の可能性がある。と言っているのである。

ましてや、保護者同士で交代で集金しあってるから給食費未納が無い、という状態はもはやホラーでしかないと私なんかは感じてしまうのだ。
誰の責任で集金してるのかわからない状態。
学校が欲しい金を、とつぜん集金して歩かされる理不尽さ。
保護者の相互監視。
怖い…。

さらにさらに授業参観率8割以上、というのもけっこう怖い。
参観しないという選択をするのは心理的に大変だろうなあと思うだけでなく、参観率ってどうやって算出してるんだ?という疑念もすぐにわく。
教師がカウンターをカチカチしながら授業してるんだろうか?
受付でクラス名簿に○をした数だろうか?
受付で○をつければ参観したことになるの?
きょうだいがいてあっちこっちのクラスに短時間ずつ行かざるを得ない人は、どういうふうに評価されるんだろう?
というかカウントされる、ということ自体が怖い…。

不登校の子がいないことも、いじめがないことも、給食費の未納がないことも、保護者がたくさん参観に来ることも、「いいことだよね!?」と言えばそうかもしれない。
しかしそのどこかに、レストランのお誕生会のような有無を言わさぬ暴力性がただよっていると感じてしまう。
ましてや投稿者のPTAが強制加入であると聞けば、もう心臓バクバクものなんだよねこりゃ。
「賛同しかねます」と個人が言うとしたら、いったい、どこでそんなチャンスが与えられるのであろうか?

こんなに「いいこと」に対してそう感じるなんて、私の感覚が、きっとよっぽどひねくれているのであろうなぁ〜。
こういう話を聞いてしまうと、「そんなに優良でもないごく並レベル」の今の土地で暮らしている自分に「たまたまだけどGJ!」と言いたい私なのであった。

人権侵害といわれてぎょっとしているコンサバのみなさまへ

「反省させると犯罪者になります」という本がかなりおもしろかった。そこに書いてあった主張に全面的に同意したわけではないが、「改悛の態度あり」による減刑を再犯者に対しても適用するのは明らかに論理的におかしな点があるのではないかと前から思っていた私は、我が意を得た記述も多々あり引き込まれて読み切った。

特に、犯罪加害者は被害者に対して怒りを感じているものだというレポートは事実だろうと思うし、彼らの頭の中は「被害者が○○したから自分は犯罪をさせられた」であり、犯罪はしてもいいことなのかどうかという根源的な是非は遠ざけられているというのは、身近な例に照らしても大変うなずける話なのである。

大事じゃないことを高らかに語ることで大事かつ不利益なこと覆い隠す手法、というのは世の中に蔓延していて、ヒトという生物をそういう視線から観察するのはとても興味深いことだと思っている。
グーグル翻訳に貼り付けてみるとこういうのは国際的にはTechnique to obscure thing to thing important and disadvantages to talk to loud that it's not importantというものらしい。ほんまかいな。通じるのか。ま、ホントの英語になってるのかどうかはしらんけどとりあえずこれをOLN話法としよう。

入学式で学校が保護者をPTAに“錯誤入会”させている、ということの是非を、管轄教委にたずねてみるといい。彼らは100%、「PTAがどんなに大切な団体でどう役立っているか」をうたってくる。これまで私の知るケースでは100%、である。PTAとはどんな団体ですか、など一言も聞いていないにもかかわらずだ。
うちの中坊ですら、正座をさせて
「教室でキャッチボールをしてもいいですか?」
と問い詰めれば、
「はい、ダメです!」
と明確に答える。
「保護者宛てのプリントはどうするんだった? 何枚もためてから丸めてバットにする?すぐ親に渡す?あれ、どっちだったかな?」
と凄めば、
「はい、すぐ親に渡します!」
と背筋を伸ばして答える。質問と答えが噛み合っていて実に気持ちよい。
(冒頭の本に書いてあった、百害あって一利なしの反省ロープレそのままですな…orz)

ところが、教委に「錯誤入会させても良いですか?」と聞くと、かならず「学校に通う児童・生徒が安全で楽しく幸せな学校生活が送れるよう保護者と教職員が共に考え連携・協力を図りながら組織している団体でありウンヌンカンヌン…」のごとく、ぬるぬるしたOLN話法をつかってきて胸クソ悪い事このうえない。

ま、教委は教委でそれがセオリー打法なのでやってるだけなのだろうが、保護者側も、コンサバか否かを問わず同じ論法に巻き込まれているのは非常によく見かけることなのだ。

例として、業界で有名なPTA漫画への感想としてこのようなブログ記事がある。
漫画に描かれているPTA活動と、自分のところの活動を比較したうえで、
彼女(ニコラさん)はPTA活動を苦痛にしているが(環境要因で言えばもっと大変なはずの)自分は大変でもなければ苦痛でもない。
それは、やり方に違いがあるはずだからだ。
最後は
「拝啓、たる野ニコラ様。PTAの問題点を考えてるけど飲み込んでる多くの皆様。
どう違うのか、もっと一緒に掘り下げませんか?」
と締められている。
つまり、「工夫次第でPTA活動は楽になるはず」と言っているのだ。
まぁ、そりゃそうだろうなあと思うものの…。

いやややや、ちょっ、ちょっと待って。
ニコラさんは、朝日新聞の記事を読んで驚いたくだりを見てもわかる通り、任意性を知らずに活動に巻き込まれているのである。
彼女の説明によれば、非正規の時給で月30万稼いでいるのであるから、どれほど余裕のない日常かは容易に想像がつきそうなのに、そんなところに「PTA活動」などというしょうもないものに「義務と誤認」させて巻き込んでいるわけである。
比べるまでもなく、問題点はひとつであり、「しなきゃいけないわけではない」ことを「しなきゃいけない」サギをしていることが大問題なのは明らかではないか。
そんな人に、PTAの改善を目指して、あっちのPTAとこっちのPTAを比較して掘り下げようとか言うのは、なんだかちょっとずれてないだろうか?
活動が多いとか少ないとか、内容の是非とか、子供のためになってるかどうかとかの話に持っていこうとするのは、OLN話法であり、後ろ暗い人の饒舌にすぎないのである(このブログ主が後ろ暗いと言っている訳ではなく、話法のはなし)。
「加わるかどうかの選択」を最初にさせてない、ということは「取るに足らない小さな問題」ではない。

PTA活動を「しょうもない」などと言ってまた無駄にコンサバをあおる私(笑)であったが、PTA自体がまったくの無駄だというわけではない。無駄だと切り捨てているわけではないのだが、ヒトというのは無限に活動出来るロボットではない。あたりまえだが生物としての個体であるから可動域の限界があるわけだ。数ある行動の中から選択して生きているのが人間なのに、その選択の機会をまず奪っておきながら、「できるかどうかの、あなたと私の比較」論をもってくるのはやはり異様だといわざるを得ない。

キャパ総量が100だとして、このお母さん(ニコラさん)はどうみても110、120やってる日常だ。
「たとえ効果がハッキリわからなくても、見守りしたほうがしないよりいいに決まってるでしょ!」「親ならみんなやる」みたいな論理で、PTA活動が「やるべきタスク」に自動的に上げられないのは当たり前だ。
数ある行動の中から、「PTAに参加しボランティア活動をする」という行動が「やるべきこと」に昇格する…つまりすでにキャパ比110のところで120、130こなせるようになるのは、その人自身にとってそれがそういう価値をもった時だけである。
その人にとっての価値がなければ、例えキャパ比90くらいの状態であってもそのうち0.1占有されるだけでも不快になるはずである。帰らない訪問販売セールスに1時間奪われたとして、「長い人生のなかでたったの1時間、怒るほどでもないわ。むしろ普段聞けないいい話が聞けて勉強になったわ」とニコニコしていられるのはかなりの胆力の人であろう。しかしコンサバの「たった年に1回の講演会のサクラがそこまで負担!?それなりにためになる話が聞けるしいいじゃない」というののしり文句を聞くと、彼女たちはそういう胆力の持ち主なんだろうなと思ったりもする。

そのように、時間に余裕があるなら少しくらいけずられたって問題ないはずだ、という理由づけによって、選択の機会を与えていない問題を過小評価する捉え方には根本的な誤りがあると思う。
よくある「PTAなんて専業主婦がやればいい」というモノ言いに対しても「違う違う」と私が思うのはそこである。

世の中に団体なんてものはたくさんある。
活動が大変な、入会したら寝る時間もけずらなければならなくなるような団体も、たくさんあるだろう。
しかし、そういう団体が「社会問題」となることはない。
まずは加わるかどうかの選択を各自がしているからだ。
そんな団体に向かって、活動が楽な別団体が、「もっと活動を楽にすればいいんじゃない?」とアドバイスしようというのもおかしな話だ。

PTA問題は、社会問題になっていると私は思っている。
なぜそんな問題になっているのか?といえば、「活動が大変だから」ではないのだ。
くりかえしになるが活動が大変な団体など、たくさんある。
「しっかり加入の意思を問わず、いつのまにか誤認加入させるような手法を取っているから」保護者社会の平和を乱しているのだ。
これが、OLNでない私の結論である。

読売新聞の発言小町「PTAを退会する保護者達」というトピックスは、
「PTAそのものの活動に、賛同できるか
きちんと確認をとるべきだと思います。
PTAの入会届と退会届があってもいいと思います。」
というトピックスであるにもかかわらず、
「今年度、PTAのある委員をやりました。
悪口等もなかったし、ママ友も増えたし、まるで部活のようで、とても楽しかったです。」
という回答がついている。
よく見かける光景といえばそうだが、うっかりすると巻き込まれそうなこの手の話法に注意したいものである。

【ずばぁっと検証】平成22年事務連絡まつり

業界(だから何の!)では有名な「平成22年度優良PTA文部科学大臣表彰についての文科省事務連絡」。

これは、PTAは任意加入であることを文科省が明言したものとして、画期的だと業界では賞賛された行政文書である。
このブログでもリンクさせてもらってるThink!PTA!でも、トップページに直貼りで特集を組んでいるくらい、重大事件視されている。
優良PTA文部科学大臣表彰新基準の周知状況

しかしながらよくよく検証してみると、この特集ページはちょっと盛り上がりすぎかもしれない可能性もある。
というのは、優良PTA文部科学大臣表彰の選考基準改定!!という見出しはついているものの、実情としては、表彰要項に添付されているお手紙の文言の中に、「任意加入を前提」という言葉が入っただけだからだ。実際の表彰要項が改定になったわけではない。

なおかつ、このページでは、
事務連絡は、市区町村のPTA選考の現場に伝わっているのだろうか?
という見出しで、その事務連絡の内容(=任意加入を前提、という文言)が市区町村レベルに降りていないことを問題としている、しかし……

まるおさんも、文科発「事務連絡」が都道府県教委に留め置かれていた!という記事で同じ指摘をし、都教委に掛け合って、都教委発の事務連絡を発信する約束を取り付けるという快挙を成し遂げている。ただしその後のレポートは見つけられなかったため、都教委発の事務連絡が実際にどのような文言であったのかはわからなかったが…(私の探し方がヘタなのかもしれない)。だがしかし……

マジメに考えてみると、この事務連絡なるものは、もちろん正式な文書ではあるものの、言ってみれば表彰要項の「送付状」であって、都道府県教委にあてたものである。であるからして、そのまま下(市区町村)へ転送されるべきものでは最初からない。もちろん「表彰の前提」は伝わらなければいけないだろうけれども。普通のビジネスでも、どこかから来た送付状をそのまま別のところに付けて送るというようなことをすれば、まあ内容にもよるがどちらかといえば非常識、な部類に入るだろう。

もし私が当時ツッコミを入れたとすれば、送付状の内容が末端まで伝わっていないじゃないか、という点を都道府県教委に問い詰めるよりも、任意加入が前提、といいながらもチラッと送付状の(普通は読み飛ばすような)前置き文内に書くだけで、かんじんの表彰要項にまったく反映されていないのは、言ってることとやってることが違うのではないか、という文科省本体に対する指摘のほうになったかもしれない。
しかし私は当時事務連絡のことなんか知らなかったし、もしその事務連絡のことを知っていたとしてもそこまでしようと言う頭もなかったし、まるおさんたちがそういう指摘をしていることももちろん知らなかった。私がPTAに退会届をたたきつけたのはもっとあとのことだから。
あ、もちろん、まるおさんも「優良PTA文科大臣表彰『被表彰候補団体調査票』」などの記事でそういう指摘(実際に反映させなきゃ意味ないだろう)は併せてしている。

何が言いたいかというと、送付状の文言はさておき、実際の表彰要項と調査票のほうが、現場に与える影響としては比較にならないくらい大きいということだ。
「任意加入を前提として表彰する」というのがホントのことならば、そんな重大な基準は送付状なんかじゃなくて表彰要項の一番上の、「1 趣旨」のところに表記されなければならない。もっと本気に、「任意加入が出来てなければ表彰しない」というのであれば、当然「2 表彰基準 (1)組織、運営」のところで箇条書きで入っていなければ、結局「言ってることとやってることが違う」のである。

業界ではほとんどの人がこの
(A)PTAが任意加入の団体であることを前提に、できる限り多くの保護者と教師が主体的にPTA活動に参加できるよう組織運営や活動内容の工夫をしている団体を適切に評価できるようにするもの
という一文を、
(B)任意加入の団体であることが優良PTAの前提である
と文科省は言っている、と解釈している。
その解釈は間違ってはいないだろうし、まるおさんはじめ疑問を持つ方々が文科省に個別に確認した結果、「そういう意図です」ということで裏を取っているのであろう。
しかし、すべての先入観をとっぱらってこの文章を読んでみたとき、
(A)=(B)
と解釈出来るか?
と言えば、正直けっこう無理があると言わざるを得ない。
むしろ素直に読めば、「PTAは任意加入なんだから、より多くの保護者が参加出来るような工夫をしてる団体が良いよね」と言っているように思えてならない。
つまり自動加入なら、参加が多いか少ないかを表彰基準にするのは理論上おかしいんだけれども、任意加入なんだから、「多いほうがグー」ってことで良いよね、という意味である、ととらえるほうがなんだかストレートに受け止められる気がするのである。

ちなみにこの表彰基準は調査票にどのように反映されているかというと、「会員の加入状況や多くの保護者や教師が参加できる組織づくりとその運営方法の工夫等」という記述式回答となっている。この部分と、あと少しのマイナーチェンジだけが22年度改定といえば、改定であるらしい(※)。つまりこの記述式回答で「会員の加入状況は100%」と記述すれば、「任意加入であるのは当然の前提として、それでも100%加入なのよね、スゴイでしょ」という報告に仕上がる、というからくりなのだ。
※なんで「らしい」かというと、22年度の表彰セット(要項と調査票)を入手出来ていないからである。まるおさんの記事と、平成21年度・26年度資料をもとに本記事はかかれているからだ。その流れを根拠に、「22年に基準の改定はされていない」と言っている。

まるおの雑記帳記事「今後、非任意加入を行っているPTAは『優良PTA』として表彰されるべきではない」によると、平成23年度の調査票には、それまであった加入方式の回答項目がなくなっているということが指摘されている。
これ(加入方法をたずねなくなったこと)を「改悪」と見ることもできよう。
横浜市のウェブサイトに「平成21年度優良PTA表彰候補団体 推薦にかかる資料」が掲載されているが、そこの調査票にはその項目(加入方式の回答項目)があったので、特に22年に新たに盛り込んだわけではなく、以前からあった項目のようである。
私が「22年度に表彰基準は改定されていない」と言っているのはそういう根拠もある。
細かいことを言えば、加入方法の回答項目が平成22年に消滅したのか、23年に消滅したのかは、上述した理由(現物が無い)で確認出来ていない。しかしどちらにしても調査票の改定であり、選考基準の改定ではない。実際に「任意加入を表彰の前提と」したことは、一度もないようなのだ。

なお併せてまるおさんによる「県から国にあげる段階の選出に際して『自動加入』のPTAは一応減点してきた昨年度までの選考」という記述もあったが、それまで減点していたという根拠を私は見つけられなかった。
先の横浜市の平成21年度資料にもそのような内容は盛り込まれていなかった。最終選考でそのような減点があるのであれば当然、市教委から各学校につたわらなければならないように思うが…これは後ほど、まるおさんにお尋ねしてみようと思っている。
余談であるが、この資料についていた記載例は、当然のごとく自動加入で100%という記載例になってて、わらかされました。

文科省は、クレーム避けのために単年度で送付状に「任意が前提ですよ〜」と宣言したのだろうか?
なぜ「単年度」と私が言うかというと、事務連絡での明言が確認出来ているのが22年度だけだからである。
さやさやさんから寄せられたコメントによって文科省から開示をもらったところ、26年度の送付状(通知)にはそんなハナシはみじんも書かれていなかった。

ここから先は私のかってな妄想であるが、ひょっとすると文科省としては、「任意加入は、前提でありあたりまえのこと。審査基準ではない。だから、任意かどうかを調査票で確認すること自体おかしい」という官庁にありがちなヘリクツ論法をつかい、22年に「前提ですからね」と都道府県向けに周知した後は、23年度に調査票からさっくり削除したのではないかという疑念が湧いてくるのだ。

文科省はもちろんのこと、どこの官署も学校長もPTAも、人事はくるくる変わる。どっかの単年度で送付状に「任意加入…前提…」ともやもやした一文が入っていたとしても、現在ではどこにもそういう趣旨の反映された通知文、表彰要項、調査票、および関係者の理解、どれもまったく存在していない、というのが現実的な結論になろう。

なので、ガーラさんがこの記事でコメントされている
「任意であることを前提に活動している団体が対象って
 いってませんでしたかぁ?!」
について文科省から返信が来ないのは、
「なんの話かわからないから」
だからだと思われます。
ちゃんちゃん(´Д`)

誰がはじめたこの行事orz

【閲読注意】この記事の中には、宮崎県の一部のかたがたにとっては不愉快かもしれない内容が含まれています



非会員という立場から好き放題モノを言っている以上、どこかにおかしなPTAがあったとしても揶揄はすまいと思っている。ほぼ騙すようにして入会させたり、非会員やその子どもを攻撃したりするようなPTAがあれば遠慮なくこきおろさせてもらっているが、外部に迷惑をかけることなく、会員同士で納得合意の上やっていることであれば、活動内容にいちいちツッコミを入れる筋合いもないと思うからだ。

だ、だが、いくらなんでもこれは…という記事を発見したので、さすがに物申させてもらいたい。

徹夜で制作、校庭に手作りスケートリンク 宮崎・都城

この記事タイトルを見ただけで、「ひょっとしてPTAが…」とイヤ〜な予感がし、記事本文を開いてみると、あんのじょう徹夜してるのは保護者であった。(正確には保護者「ら」)

都城市の吉之元小学校というところでは、スケートリンクを夜通しかかって手作りし、朝、子供らがスケート授業をするという恒例行事?があるらしい。
この記事はいわゆる「ほのぼの路線」だと思うのだが、私がやれと言われたら、ほのぼのどころの騒ぎではない。
どんな作業なのか詳細を知るために、吉之元小学校のHPを見に行ってみた。転載禁止とのことなので要点だけ書くと、夜中の11時から噴霧器でくり返し水を撒いて氷盤を作っていき、明け方までかかるという。
子どもたちの朝のスケート学習が終わるのは9時半くらいであり、そうまでして作ったリンクも、そのころには溶けてしまうとのこと。
となると、通常の始業時刻から考えて、長くても1時間ほどの子どものスケート遊びのために、親は徹夜させられることになる。

フフッ、ご冗談を…。
記事によると、これ作業したの、日曜の深夜から月曜にかけてだよ?
私がそんなんやれ言われたら、すいませんブチキレますが?
お仕事はどうすんのかなぁ?休むの?休むしかないよね寝てないんだもん。
スケートのあとの授業は誰が子ども見るの? 寝てない教師がやるの?
それともリンク作りは保護者だけですか?
夜中、保護者のいない子どもはどうするの? 子どもだけで寝かしとくの?

朝日新聞さん、それ、ほのぼの美談ですか??

もっと注意深く記事を読むと、さらにおどろくような一文が。
「全児童6人はスケート靴に履き替えて初滑り」
全児童6人?
何かの間違いかと思って関係資料を見ていくと、確かにそれはこの小学校の全校児童の数らしいのだ。

すると最大でも6世帯。
きょうだいなんかいた日には、悪くすると3〜4世帯しかない可能性も有る。
6人の子が1時間遊ぶために、そんな少数の親が徹夜でスケートリンク作り??

ちなみに小学校HPにはこのように書いてある。
アイススケートのできる「ふるさと」のよさを知り、感謝の気持ちを育み、楽しみながら体力つくりのできるアイススケート学習を吉之元小学校の伝統として、これからもしっかり引き継いでいきたい

アイススケートのできるふるさとって。。。
徹夜して作ってやっと朝1時間ばかしできる状態を、「アイススケートができる」って言う???
楽しみながら体力づくりって、1時間すっころびながらスケートをする南国の子どもたちのことだろうか? あ、ひょっとして親??
体力づくりが目的なら、普通にマラソンとかじゃなんでダメなの?
親もこれがあるから、宮崎なのに全員スケート靴買わされるんだよねきっと…
しっかり引き継いでいきたいって、校長アンタがひとりで引き継ぐときに言ってよ! って言っちゃいそう私がいたら…
ふぅ、ウチの子がこの小学校でなくてよかった。。。
もし私がいたら当然ビッグトラブルになってますわ。

ちなみにこのガクブルPTAは、直近で文科省から優良表彰されてるらしいです(注)

もひとつおまけに余計なことですが…。
「そんなにスケート場に困ってんのかいな」と思って探してみると、宮崎県にはえびの高原スケートリンクというのがありました。
この小学校からどのくらいかかるのかナビタイムで調べてみると、車で34分とのことです。
…………………近いじゃないかーーー!!!。
6人の子どもにそんなにスケートさせたいんなら、アタシがこんどの休みにウチの車で全員連れていくから! 8時間くらいイヤというほど滑らせてやるよ!!!
とか、叫びたくなったのでありました。

イヤ、いいんですよ。よそのPTAのことですから。
何しようが自由。
楽しそうにすべる子どもたち、いいじゃないですか。最高ですよ。

誰も強制されてなければ、の話ですが。。。

(注)以前から不思議に思っていたのであるが、優良PTA表彰というのは、各都道府県とか各団体が「もらったぞ」という資料はあれど、文科省側から「こいつらに与えたぞ」という資料がないのね。今回も、当該PTAが表彰されたという裏を取ろうとしたらえらい探させられてイラッとしたので文科省に直電したら、「そんな資料は出してないです。なんで要るんですか、なにに使うんですか」とぬかしやがりましたM田氏。あんたら税金で特定団体表彰してホテルとかで歓待してるくせに、国民にわかるようにせんかいや!みたいに優しく言うと、欲しければメールで送るとのこと。なんか嫌そうでした(あくまで主観)。

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Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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