2018-06

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たのしかったね?運動会

最近ではなぜか運動会は秋ではなくGWと夏休みの間に行われるのが主流になっているようだ。
三多摩小学校・中学校も、この時期に続けざまに行われ、なかなかに楽しいながらも忙しい週末続きであった。

小学校は、お決まりの徒競走のほかは、ちょっとひねったレクリエーション系の競技やかわいい演技などで、バラエティに富んでいるが、中学校のほうは、100m走・60m走・1000m走・二人三脚・全員リレー・部活対抗リレー・選抜リレーと、とにかく走ってばっかである。
鈍足王かつマスゲーム系も大嫌いだった子どもの頃の私にとって、運動会は何が楽しいのかさっぱりわからないイベントだったが、うちの子たちはあまり嫌がることもなくそこそこ楽しんでる様子なのは助かっている。

だが中学校の全員リレーで、ふと見ると泣いている女の子がいた。
めがねをはずして泣きながら、とぼとぼと歩いてゆっくりとトラックをまわっている。
まわりにはどんどん追い抜かれ、次の走者はバトンタッチラインでじりじりしながら待っている。
観客は、何が起きたのかよくわからないままに、ガンバレガンバレもう少しだよと声をかけている。
あと3メートルぐらいでラインに到着するというのに、ついに女の子は棒立ちになってしまった。
しゃくりあげはいっそう大きくなり、先生が走って励ましに行く。
観客の声援もいっそう大きくなる。
そのあいだに、さっき追い抜かれたクラスの選手が1周してまた迫ってくる。
女の子は、どうにかこうにか踏み出し、数歩あるいてやっとバトンを渡した。
ふらふらとフィールドに戻っても泣きやむことはなく、丸くうずくまってカメラマンのおじさんに慰められていた。

女の子がどういう経緯でそうなってしまったのかはわからない。
私が見た時には泣いていたので、もしかしてその直前にころんでショックで泣いてしまったのかもしれないが、特にひざや体操着がひどく汚れているということもなかった。
だから、何か精神的な・感情的な理由で泣いていたように見えた。
走ること自体が大嫌いだったのかも知れないし、観客の前で体操着で走るというのが苦痛だったのかも知れないし、全員リレーという状況がプレッシャーでたまらなかったのかもしれない。

あの女の子がそうだと断言するわけではないが、そういう感情のコントロールにちょっと困難さを抱えている子というのは、私の経験上で言うと2〜3%くらいはいる。
クラスに1人は、いるというような体感数字である。

もしどうしてもリレーをすることが苦しくてたまらない子がいる時、公教育が、そういう子の居場所を用意できないとしたら。体育祭に無理矢理出させて、泣かせることしかできないとしたら。これは非常に問題ではなかろうかと、私は思うのだ。
体育祭は、授業の一環ではあろうが、人生をトータルで見た時、それは単なる体育のお祭りという位置づけでしかない。やらないと命にかかわるわけでもないし、何かの価値を決めるわけでもない。現に、いま現在私と交流のある職場の人、ママ友達、近所の人、その他友人知人、だれひとりとして私の鈍足で迷惑をかけている人はいないし、そもそも自虐ギャグで言わない限りはだーれも知ることにもならない。知ったところで、どうでもいいはずだ。
体育祭に1人や2人出なかろうが、どうしても嫌な子がリレーを抜けて点数集計係になろうが、お祭りとしてなんの差し支えもないことは間違いない。

中学生が自殺をすると学校は「そんな予兆はなかった、まったく気づかなかった」と必ず言うが、自殺というのは極端な大事故であり、ほんとうは前兆となる小事故ならたくさん起きているはずなのである。小事故だからと無視し、圧力をかけて同一色にぬりこめるしか能のない教育であれば、大事故に至っても「気づきませんでした」としかいえないのは当然である。
少なくとも、死んでしまいたいくらいリレーが嫌な子、というのは絶対に実在する。そのような子が、「嫌です」と言う機会が与えられ、その代わりに体育祭でどんなふうに参加出来るかを考えることができ、それが可能であれば受け入れられる教育のあり方であって欲しいと私は思う。
もちろん、嫌なことから逃げさせるだけが教育ではない。乗り越えられると信じたら、励まし、勇気づけ、取り組ませるのも教育だ。
しかし、大勢の観客の前で大泣きになってしまい、リレーなのに立ち止まってしまうということは、本人だってショックにちがいない。いくら観客に大声援をもらっても、それが本人に充実感を与え成長の糧にしていけているとは、とうてい思えず、彼女はなにか大きく傷ついているようにしか見えなかった。自分が「リレーなんて大嫌い」組だからかもしれないが、胸が痛んだ。
叱咤激励し本人のためにやらせているつもりでも、死に追い込んでしまうことだってある。中学生以上ともなれば、本人に主張できる機会を与え、それに耳を傾けて行くことはとても大切なことだと思う。思春期の子どもが、「社会というものは、思っていることをそのまま主張など、とうていできない場所なのだ」と考えるようになるとしたら、それは教育の失敗だと、私は思っているのだ。

※本当に予兆をキャッチすることが難しい自殺というのもあると私は考えており、この記事は「学校は生徒の自殺を防げるはずだ」という主張ではありません。

「ところで最後に私どもからのお願いなんですが…」

たぶん5〜6年前からの話ではないかと思うのだが、4月の保護者会などで担任や校長から保護者に対して、タイトルのような前置きで釘を刺されるようになったことがある。
それは、「子供さんの前で教師の悪口を言わないで欲しい」という旨である。

曰く、あなたがたから見て私たち(教師)や学校の方針というものは、気に入らないこともあるかもしれない。私たちも完全な人間ではないので、欠点もある。しかし、それに対する不満や批判を子供の前で漏らすことは、子供と私たちの信頼関係を崩すことになる。教育に支障が出る。私たちは尊敬され、信頼される必要がある。よって、そのようなことを言うのはやめてもらいたい。

一見、もっともらしい話ではあるが、これほど他人や社会、子供をナメた話はないのではないかと思う。
子供の教育の最たる責任者は親である。信頼されなければ教育が成り立たないのは親も同じだ。しかし「子供に私の悪口を言わないでください」と近所や親戚に頼んで回る親がいるだろうか。そんな口止めして回っていることがわかれば子供に呆れられ笑われるのではないだろうか。ろくな教育できていない私が言うのもなんだが、教育など人間の裸の姿そのままでぶつかるしかないものだろう。
いろいろな考え方をする人がいるのが社会である。いかなる生き方をしたって批判されるときはされるのが人間だ。親と教師で視点も立場も違うのも当然。親に批判されたからとたちまち子供の信頼が揺らぐような教育であれば、それはそれまでの質だったというべきではないだろうか。
親の考え方を知り、教師の考え方を知る。学校や学校以外の社会について、成り立ちやそこに流れる思想や相互の関係を知っていく。自分の環境を知り、そこから自分の頭で判断し考える練習をしていく。それこそが子供が教育を受ける権利であるし、「学校と家庭の連携」というなら、そういう多様性の中で子どもが守られ、育てられていくことを保証すべきだろう。

私の目から見て、今の学校教育や体制にはいろんなウソやごまかしがぬりこめられている。ウソだから全部悪だというつもりもないが、ウソはウソだ。なんで私までその茶番劇の片棒をかつがなければならないのかさっぱりわからない。おかしいと思えばおかしいと言うだけの話である。何も、だからといって学校つぶれろとか、教師やめろとかいう話でもない。なぜ私たち親が、学校にとって都合のいい考え方に合わせ、態度を揃えなければならないのかわからない。

子供が学校に対する信頼を失って困るのは、学校よりもむしろ親である。こちらは一生の責任を負っていくのだ。だから、必要以上に教師をこきおろし悪口を吹き込む親などそうそういるものではないだろう。そんなことするのはただのバカである。そんなことすらわからず、みっともなく「悪口言わないでくださいね」と頼んでくる校長や教師にはウンザリだ。なぜか最近、学年はじめや入学時に必ずといっていいほどそういうバカなフレーズが聞かれるようになったのは、教委の指導なのであろうか? 本当に下らないことである。

学校って支えなきゃいけないもの?

Pフォーサーがよく使う、
「学校は、先生、保護者、地域で支えられている」
という表現について考えてみよう。
この物言いは、言葉として大変美しい響きがあり、これ自体に異を唱えるひとは少ないであろう。
私など軽薄であるから、油断していれば簡単に「うんうんそれはその通り」などと言いそうになる。
しかしながら、よくよく目を凝らしてこの物言いをみてみると、何かどこかがおかしいのではないかという気がしてくる。

子供はただ単に学校に通わせてカリキュラムを受講させるだけでは育たない。保護者が、スムーズに学校に通えるように物心両面から支援する必要があることは言うまでもないし、それは法律で義務づけられていることでもある。
地域の方々にも「未成熟な子供が毎日自力で学校に通っている」という状況を理解してもらう必要がある。何かやらかしても許せという意味ではないが、子供が多数通学したり放課後遊ぶことで迷惑もかけるのだから、継続的に情報提供し理解をお願いしていくことは必要だろう。

そういうことが言いたいのであれば、「子供は、学校、先生、保護者、地域で支える必要がある」という表現になろう。それぞれに役割があり、そのどれも不可欠なものなのである。
しかし、「学校は、先生、保護者、地域で支えられている」という表現には微妙な引っ掛かりを感じる。
学校というのは(今回公立という前提で話すが)、税金を資金とし、ある目的を遂行するためにそれ自体で完結した「閉じたスキーム」でなければならないはずだ。同じ税金を投入していながら、「こっちは保護者の協力が多いからAランクの教育水準、あっちは保護者が手伝わないからBランクの教育水準」ということがあっていいはずがない。
そういう意味で、「学校は保護者で支えられてます」と堂々と言っちゃうのはどうなんだ?と首をかしげるのである。
それを言う者が教師や校長であればなおさら、「なんか甘えてませんかぁ〜?こっちはこっちで仕事も親子の生活もありますよ?」と訊きたくなってしまう。

この記事は、保護者参加型の授業や行事を否定するものではない。
しかし、それらも強制的であるとか、割り振り当番的であるとか、保護者の参加がなくては成り立たないようなものであっては、本来ならないものだと思う。

また、「宿題の○つけ親にやらせないでよ!」とか、「ペットボトル3本持って来いとか前の晩に言わないでよ!」などということを主張しているわけでもないので、そこらへんはわかってちょーだいね。(揚げ足取られないようにするのも大変だ…)

五人組

太郎は今、学校で豊臣秀吉のあたりを習っているらしく、五人組についての子どもの感想が書かれたプリントを持ち帰ってきた。
なぜか太郎の答案はどっかいっちゃってて、同級生の女の子Aちゃんの感想が、模範解答という意味なのか単なる一例としてかはわからないが、コピーされてうちにも配布されてきた。
Aちゃんの感想
「年貢を納められない者や罪を犯す者が出ると共同で責任を負わなければいけないとあるけれども、何かつくる前に皆で注意書きをしたり、さぼっていたら注意をするなど工夫をすればいいと思う。」

私としては、やはりここは「そもそもそういうルールってどうなの?」という視点を持って欲しかったし、現代の憲法下で五人組的ルールづけが可能なのか、秀吉の時代と現代は何が違うのか、というところまで突っ込んで考えさせる授業をして欲しかったなぁと希望するところである。

五人組がどうやったらうまく運用できるか、というところを子どもに考えさせるか…うーん。
Aちゃんは本当に子どもらしい工夫で、素直な気持ちでそう書いたのであろうが、そこに別な視点を与える余裕のある授業がいいなぁ。

蛇足だが、Aちゃんのお母さんはPTAに熱心で何年も本部役員をやっている。
関係ないかもしれないけど。

電話連絡網というもの④

(つづき)
新年度、副校長が交替した。
するとその副校長の名で「連絡網についてのお知らせ」がきた。
内容は概ね、下記の通り。

連絡網が遅いというご意見や、連絡網の運用についてのご意見を前年度保護者の皆様よりいただきました。
電話にはスピードという点において短所があり、メールには確実性という点において短所があります。
それぞれの連絡方法の長所を生かす形として、今年度から次のように運用したいと思います。

(ここまでは、私も「おぅ!いいねいいね!」と思いながら、つづきを読んでいたのですが…)
つづき↓

●緊急で全児童に伝えるべき連絡
 →一斉送信メールとします。
●次の日までに学年児童に伝えるべき連絡
 →電話連絡のみとします。メールは発信しません。次の方につながらない場合は飛ばして次の方にかけ、つながらなかった人には何度かかけ直して、それでもつながらなければ学校に連絡してください。

はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ?

まっっっったく意味がわかりましぇん!
バカなんですか?
ほんとうに、思考回路が不明。
なんでその「理由」から、その「結論」になるの?
なんで、わざわざ「電話連絡のみ」とする必要があるの?
メールシステムすでにできてるんですよ?
メール発信って、そんなに面倒くさい一大事?

この話にはオチがある。

つい最近、会社PCに連絡網メールがきた。
業務中は携帯メールも見る暇がないことが多いため、本当の緊急連絡を見落とさないように、会社アドレスもいちおう受信設定している。
明日の予定だった遠足を○○日に延期するというものだった。

帰宅後、子どもが「お母さん、月子の遠足△△日に変更だって、連絡網の電話来たよ」と言う。
第1のツッコミ→子どもに連絡網回すなよ。
第2のツッコミ→△△日って、メール連絡と違うじゃん。

まあ、連絡網回してくれたお母さんに、まさかクレームは入れませんけどね。
誰も電話に出なかったら、その次の人にかけ直した上に私への再連絡も責任持たなければならないのだから、子どもだろうが犬だろうが、電話に出た人にまくしたてて終わりにしたい気持ちはわかる。
変更先の△△日というのも、どうせ子どもの聞き間違いか、伝言ゲームのどっかで変わったんだろうけど、後日プリントを確認すれば良い。まぁもともと年間予定表での遠足予備日が○○日だしメールの訂正連絡も来ていないから、○○日が正解だろうけど。

だから、別に大騒ぎはしないが…
ほらね、電話連絡網ってこうなるでしょ。
と、思った夜でした。

電話連絡網というもの③

担任からの回答は次のようなもの。

貴重なご意見ありがとうございます。職員会議等でご意見は管理職に伝えたいと思います。また、さらなるご意見があれば、管理職に直接お伝え頂ければ幸いです。

断っておくが、担任の先生は別に無責任とかひたすら保守的とかそういう方ではない。どちらかというと、学校内ではリベラルな方に属していると思う。
実際、この回答以上は出来ないのだと思う。校長には伝えるけど、断られたら終わりだから、ごめんね。という訳だ。
怠慢とまで罵られた割には、理性的な対応である。

しかし私ももう長期にわたって言い続けている。
その間、校長は交替して今が3人目であるが、連絡網は変わらない。
私が言ったせいではないだろうが、メール配信システムは数年前に一応出来た。
学校全体の連絡、学年ごとの連絡、それぞれの発信元アドレスから、登録した保護者にメールが来る。
しかし、頻度は少ない。その上、メール配信しているにもかかわらず、従来の方法で連絡網(用件を全部聞き取って伝える)が回ってくる。

新年度、この問題がどうなるか見てみようと思っていた。
ところが…
(つづく)

電話連絡網というもの②

学校から保護者に通知すべきことがあれば、それを正確かつすみやかに伝えるのは学校の仕事である。

アタリマエすぎて、わざわざ書くのも馬鹿みたいだが。

しかるになぜ、連絡網で急に伝達しなければならないほど重要な事項を、保護者同士の伝言ゲームにまかせているのか。

伝言ゲームとはそもそも先頭の人に文章を話し、それが末尾の人においてはどこまで内容がとんちんかんなものになってしまうかを皆で笑うゲームである。
自校の責任において発信すべき「緊急かつ重要な事項」の伝達が、なんで伝言ゲームなんですかぁぁぁぁぁぁ(かぁぁぁぁぁぁ)(かぁぁぁぁぁぁ)(かぁぁぁぁぁぁ)←こだま

「メールでは内容が誤って伝わる恐れがある」とは、何をどうしたらそういう発想になるのだろうか???まったく理解できない。もう謎としか言いようがない。

「メールは着信しなかったりエラーになる場合がある」とは、たしかにそのとおり。また、着信したとしても、必要なタイミングまでに保護者が読むとは限らない。
そこで、仕方がないと、学校の言うままに伝言ゲームを数年間やっていたわけだが…

昨年度、学校が取ったアンケートで、「連絡網が遅い」との意見が寄せられたという報せがあった。
登校前に知らなければならない情報(安全にかかわるもの)が、電話で伝えられたのが、子どもが出てしまった後だったというケースが、複数件発生したのである。

私はここぞとばかり、担任への連絡帳でこう書いた。

連絡は本来学校業務。しかし昔は、先生が朝から一軒一軒電話するわけにも行かなかったから、各家庭の協力で電話連絡網を回していた。しかし現代はメールや学校HPに掲示という伝達手段があるのに、いつまでも保護者に電話を回させているのはどういうわけか。先頭の1軒に電話をかければそれで伝達責任終わりという、ラクチンな方法に甘え、必要なタイミングまでに全員に連絡が行き渡ったかの確認もしないとはどういうことか。怠慢と言われても仕方がない。
メールの着信漏れ・認識漏れを防ぐため、「メール配信されてますので見てください」という内容を連絡網で至急回してくれ、というのならわかる。それなら用件をえんえんと書き取ってまた次に伝える現状より数段スピードアップするし、伝わる内容に格差がない。どうしても電話連絡網を使い続けるというなら、そのようにやり方を変えるべきではないか。

と。

担任から回答が来た。
(つづく)

電話連絡網というもの①

「電話連絡網」というシステムがある。
子どもを入学させるに当たってウチの連絡先を学校に聞かれるのはまあ、わかるのだが、この電話連絡網の配布によって、クラス全員の電話番号が公開されてしまう。
これはなぜ、必要なのか?

目的としては、学校からの連絡を各家庭に伝えるのに使われる。
曰く、「明日の午前中は台風接近の可能性があるので、保護者各自の判断で時間をずらして登校させても、遅刻にはしません」
曰く、「明日の遠足は中止になりました。弁当と水筒とランドセルを持ってきてください。ランドセルの中身はうんたらかんたら…」

以前は、「明日は○○セミナー(PTA主催)があります。△△先生の××についての、大変ためになるお話が聞けますので、お忙しい中おそれいりますが、できるだけご参加ください」などという内容も流れてきた。
私が速攻クレームを入れたのが関係あるのかは知らないが、その後そういった類いのものは流れてこなくなった。

私が最初の子どもを入学させた時、しょっぱなの保護者会で言ったのは「なぜ平成の今どき、保護者が電話で伝言ゲームをしなければならないのか?メール配信して欲しい」ということだ。
これに対して校長からすぐ、
①メールは着信しなかったり、エラーになる場合もある
②メールでは内容が誤解され、正確に伝わらないおそれがある(←???)
③メール発信する体制ができていない(できる先生がいない?)
④メールをしない保護者もいる
という説明があり、結局そのまま「電話連絡網」システムが今も変わっていない。

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プロフィール

ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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