2017-08

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僕の心はモンスター

人間の中には、制御しがたい魔物がいくつか有って、生きるとは迷惑な他人や理不尽な環境とのたたかいというよりも、もはやその自分の中の魔物とのたたかいに終始するだけではかない一生などあっという間に終わってしまうのではないかと思っている。

魔物にはいろんな種類が有るのだが、その中でも倫理エゴというのはなかなか手ごわいものだよなあと思ったりする今日この頃。

私はおもに布おむつで子供を育てた。理由としては、私自身が肌に「化繊類」があたるのが嫌いであるため、「どう考えても木棉のほうが気持ちいいだろう」という憶測からである。これが正しかったのかどうかはさっぱりわからない。子供に「布と紙どっちが良かったと思う?」と聞いてみたところで、もはや「なにそれ覚えてない」としか返ってこないのは自明である。

そして、布おむつで子供を育てることを是とする人々の団体に一時加わっていたこともあったのだが、なにか合わないものを感じいつしか退会してしまった。なにがどう合わなかったのか、当時は自分でもよくわからなかったのであるが、今にして振り返ると、おむつの種類を私はただ単に「こっちがいい」と選択していただけなのに比べて、そこにいた多くの方々が「布おむつを使うことは善である」と、おむつの種類を「倫理」視していた点に合わなさを感じていたように思う。

知人に、子供を3人産んで、しかし料理が嫌いなため子供の食事というものをほとんど作らないお母さんがいる。同じ敷地内に実家があるので、親(子供達にとっては祖父母)が毎日食事を作るのだということだ。じゃあみんなで実家にちゃっかり押しかけてごちそうになってるのかと思いきや、子供だけを実家に行かせ、自分は面倒なので適当に缶ビールとつまみとかで済ませているらしい。夫の食事はどうなってるのかまでは聞かなかったが…。
なんにも悪いことではない。誰が食事を作ろうが、誰がどこで食べようがそのファミリーの勝手だ。
なのに、私はその話を第三者から聞いたときに、うっかり「何のために産んだのかしら」と言ってしまったのである。
私自身が食事を作って子供に食べさせるのが嫌いではない、というかむしろ好んで一生懸命やってるクチなので、もし自分が「子供の食事を一切作る必要がないし作りたくもない」という話になってしまったら「じゃなんで産んだの」みたいな極端な答えが出てきてしまうわけだ。言うまでもなく子供は「飯を食わせる」ために産むわけではない。それは頭ではわかっている。
子どもを産んだんなら、ごはん食べさせてやれよ〜と思うのは、親が子供にちゃんと食べさせることが倫理であると勝手に考えている私の「倫理エゴ」であり、知人のファミリーはだれも困っていないのだから何ら問題はないのである。
でも、なにかっていうと頭を出すのだよね倫理エゴっていうものは。それは、頭で考える道理判断とは別に、人の業として勝手に生まれてきてしまうものらしい。
アサツー・ディ・ケイの出した本で各家庭の食事をリアルにレポートしたものがあってタイトルは失念したが、そのひどさに暗澹としたものだけれど、その“暗澹”じたいも単なる私のエゴといえばエゴなんだろう。
いや、食事がひどくなり文化がすたれる、というのはエゴではなく、本当に文化の危機だとは思うのだが(そしてその見地からその本はしっかり書かれており著者の「倫理エゴ」を発表しただけの本では全く無い)、私の「暗澹」の感情にそんな高遠な検討も統計も含まれているわけもなく、ただたんに「とんでもないわぁ、あんなもので食事にするなんて…」という程度の感想でしかないからだ。

それでも、私が布おむつを使いながらも布おむつ礼賛運動に別に興味がなかったのと同じように、同じ国文化を共有していても、なかなか倫理観まで簡単に共有することはできないものだ。逆に、倫理観という個人固有のものが、簡単にぬりこめられてしまうような社会というのは、戦中ニッポンのような怖さも併せ持っていると言える。そのような当たり前のことを、少なくとも頭の理屈の中だけでもいいから、しっかりと認識しないと、多様化してゆく社会は非常に生きにくいものになってしまうかもしれない。

以前ぴーなっつさんに教えていただいた「PTA倫理的義務論」も、単なる個人の倫理エゴの拡大解釈であろうが、問題はこれを(言葉は違えど)唱える人口が、少なくとも現時点で手は日本国内にとても多いという点である。
私が、つい「何のために産んだの」と言ってしまうのと同じように、倫理エゴは道理を超えて人の心を支配しがちなものである。
コンサバに「PTAは任意加入で入退会自由」とゆるぎない正論を言ってみたところで蛙の面にションベンなのは、そういう理由なのであり、完全にアプローチの方向がずれちゃってると感じる論戦がネットのあちこちでなくならない原因でもあると思う。

彼らは自分たちの倫理観を共有しない「非会員」に怒りを感じる、というだけのきわめてシンプルな話でしかないわけさ。

5月のなっとう

冷蔵庫の中から賞味期限2013.5.30のなっとうが発見されるという事態に対して、なにかこう「ああ、それはぶきゃこさん悪くないわよね〜」とか「うんうんそれは誰でもあることよ仕方ない」などという支援コメントがもらえそうな理由付けを探してみたのだが、あいにく作文能力の限界を迎えそんな言い訳があるはずもないのであった。
自分で自分にドン引きであるが、やっちまったものは仕方がない。

エクセルで計算してみると256日超過している。
畑をたがやし大豆に水をやって育ててくださった農家の皆さん、なっとう菌を植え付けあたたかく発酵させてくださった工場のおじさん、なっとうのために保冷剤まで用意して東京のはずれの我が家の玄関先まで届けてくださった生協のお兄さん、がたの気持ちを256日間も無にし続けてしまったかと思うと涙がるる止まらない。
とてもじゃないがそのままゴミ箱に捨てることなどできないので、ためしにフィルムをはがしてみた。そしたらなんか全然フハイ臭がしないのよね。というか、熟成された味噌のような、なにやらかすかなアルコール香とともに、ねっとりと誘われるようなコクの感じられる香りがする。
むしろ何か、風薫る5月の明るい陽射しがさわやかになっとうパックの中からさしこんでくるような、ほかっとした魅惑の発酵香なのであった。
なっとうよ、ああ5月のなっとうよ。よくぞここまで我が家の荒あらしい冷蔵庫消費に耐え、同僚のなっとうが次々に連れ去られ消費される中、ひそやかにつめたい冷蔵庫の奥で、愚直に発酵を続けていてくれたものだなあ。古文で言うと、くれにけり。あゝ。

愚言はさておきかき混ぜてみる。やや粘りがなくなっているようだ。もはや生なっとうというよりも骨董品、歴史モノのカテゴリーに入ってきているのだろう。豆の表面に白っぽい麹の花?のようなものがポツポツと咲いて、控え目ながら高級貴重品の風格すらある。「糀」とはよく書いたものだ。

しょうしょう腹を壊したところでどのみち老い先もたいして無いので、思いきってあつあつご飯にのせてぱくりと食べてみた。

うっ…。
うっ、ま〜い!
なんだこれは!
瞬間的に、海原雄山の顔になった私。ぬおおおっ。

なんかねぇあの、世界何大チンミって感じですなこれは。深〜いコク、失われていない豆の香り、口の中で爆発するアミノ酸(? よくしらんけど)、まろやかでほどよい塩味。地酒の蔵元で吟醸酒の酒粕をかじらせてもらった時のような、噛めば噛むほど芳醇にふくらむ発酵香…。

これはホントにチンミ。折しも、ちょっと前にフォアグラ食べたんですが、この5月なっとうに比べると、たんなるアブラレバー野郎ですなあれは。5月なっとうの圧倒的勝利。驚きの珍味、いやあうまかった。ぺろぺろ。

※私もつくろうと思ってる読者の方へ…(えっ、いない?^_^;)

ええと実は同じロットのが2個あって、片方は、フタ材のフィルムが一部やぶれていたので、豆が黒くなっていて食べられませんでした。
だから、密封型のカップ納豆とかじゃないとだめですたぶん。包装の甘いものは、雑菌が入って普通にくさると思います。はい。

クリックしてはいけません

最近、変なメールがじゃんじゃん来るようになってしまって悩んでいる。
子供が多いとそれぞれの関係でつきあいも多く、私のメアドなんてものはあっちゃこっちゃでダダ漏れなんだろうが、いちいち拒否設定するのも手間がかかるしもう、やだなあ。

こういうのね。


お客様
株式会社营团社サービスシステムをご利用いただき、ありがとうございます。
システムはお客様のアカウントが異常にログインされたことを感知しました。
下記のログイン時間を照らし合せてご本人様によるログインであるかどうかご確認お願いします。
ログイン地点 ログインIP ログイン時間
大阪 61.204.255.255 2014-01-18 04:25
ご本人によるログインでなければ、アカウントの安全に問題があると考えられます。
以下のURLをクリックし、画面の案内にそってパスワードの再設定を行ってアカウントを保護してください。
(URL記載)
(上記URLをクリックしてもページが開かないときはURLをコピーし、ご利用のウェブブラウザーのアドレス入力欄に貼り付けてお試しください)
もし、ご本人によるログインでしたら、お手数ですが本メールの破棄をお願いいたします。

ご意見やご要望

スクウェア·エニックス会社


スクウェア・エニックスから手紙が来るってなんじゃいな。私じまんじゃないが、ドラクエはIで挫折したぞ。何十年前か忘れたけど。理由は方向音痴なので、自由スクロール型のゲームはすぐに迷ってしまうのと、死んだ仲間を棺桶に入れて連れ回すのが怖すぎたからじゃあ。そんな私にエニックスが何の用じゃっ。株式か有限かくらい書けよ。
だいたい「ご意見やご要望」って書いておきながら、連絡先が全くないってどうなの。あんたらはPTAか!
それにしても营团社って何なんだろう。「これ送ってるの日本人か?」とこのときから疑い出した私。

あとショックだったのがこれ↓

************************************************************************
         三菱東京UFJ銀行Eメール配信サービス
************************************************************************

2014年「三菱東京UFJ銀行」のシステムセキュリティのアップグレードのため、貴様のアカウントの利用中止を避けるために、検証する必要があります。

以下のページより登録を続けてください。
(URL記載)
――Copyright(C)2014 The Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ,Ltd.All rights reserved――

ウウッ、天下の三菱銀行に「貴様」呼ばわりされてしまった…。財閥だからっていばってるわねえ。
まあそれだけじゃなく、何となく日本語全体に違和感があるわな〜。
自動翻訳機の日本語のようでもあり…幼児がムリに大人言葉つかってみたようでもあり…
あんたさては、日本語ネイティブじゃないだろう?
私、三菱東京のアカウントなんて持ってたっけ…?利用中止されてもどうでもいいんだけど…まぁいいや。
しかし「Eメール配信サービス」って、なんか古くさいよ?変えた方がいいと思う。

極め付けはこれ↓

こんにちは
弊社は最近システム アップデートをしております。
アップデートの途中で、本システムはこのユーザが長期的に登録することがないと検出いたしました。
ご協力をいただいて、下のURLをクリックして確認してお願いします。
(URL記載)
(このリンクをコピーしてお願いします、ページが開かない場合、このリンクをWebブラウザのアドレス入力欄にペーストしてお願いします)
ご協力ありがとうございます。
スクウェア·エニックス公司


最近アップデートしてるのよね〜。って主婦かアンタは! 法人がこんなメール送ってくるかよ。
「長期的に登録することがないと検出いたしました」って、だ〜か〜ら〜、日本語学校ちゃんと行きなさいっての!
それで法人格が「公司」って…orz

かなうことなら、こいつらを並べて正座させ、「日本人のフリしたいならもう少し身を入れて勉強しなさい!」と説教したい私であった。

人とつながるのは楽しいことだけど…

私が育った場所はすごいド田舎で、人付き合いを簡単に断るなんて〜ことは、発想としてナイところだったんですね。そういう場所で生まれ育った母は、「私は ど ん な 人 と も 仲良くやって行ける自信がある」なんて言ってたわけ日ごろから。
でもね〜〜こう言っちゃあ母にも悪いんだけど、それは「こらえてただけ」だったりするわけですね。そういうことが今はよくわかる。

「どんな人とも仲良く」なんて、ありえないと私は思っとるわけです。
じっさい私にも仲良い人とか、それほどでもない人とか、どちらでもない人とか、こっちは何ともないけどあっちからやたらにつんけんしてくる人とか、こっちが敬遠してなるべく御免こうむりたい人とか、まあそれはいろいろあるわけで、それはけっこう人の社会では普通のありさまなんじゃないかなと思うわけ。

うちの小学校PTAっていうのはクラス委員を絶対選ばなくちゃならなくって、それで選ばれたら、年度内に最低1回は親睦会を開催する義務があるってことになってるんです。
なんか聞いただけで疲れそうなんだけど、「親睦会開きたい場合は予算がこれこれ出ますよ」でいいのに、なんで親睦が義務になっちゃうのかなあと。

もっと原点に返って「親睦」という現象をよく考えてみると、人と人とが仲良くするのは確かに「悪いこと」というよりは「いいこと」なんだろうけれど、特に日本人の場合それは排他的雰囲気に非常に陥りやすいものとなるわけです。
「それが悪いことだ」と言いたいわけではなくて、大人なんだから自由に仲良くしたり仲良くしなかったりケンカしたりすればいいと思うんだけど、子供の世界に割り込んで影響与える形でそういう大人のドロドロをやるのは非常に良くなくて、独立した形でドロドロをやるべきだと思っているわけなのです。

ようするに、数百人規模の学校で「みんな子供が同じ学校に通ってるんだから、親同士が仲良くしましょうね」というのはまず机上の理想論。これがまず最初に大事なこと。
そういったひろい範囲をむりやりくくって親睦マンセーを始めると何が起きるか。当然、排他の「他」になる個体が出てくる。これが不幸の始まりだけど、親睦という「いいこと」が行われているからそこは無視。というか無視しないと「親睦といういいことをしている」という満足感が得られない。となります。

親睦は、個人が主体的に行うものであり、おぜんだてされて義務的に「状況から言って親睦しとかないとまずいよね」と追い込まれてやるものではないこと。
ナニナニ会やらナニナニの集いやらはそれをちゃんと踏まえた上でやらないと、いつも来ない人を「なんで誘ってんのに来ないの?」と悪口にすらなりかねない。

「学校」などという子供が主役の場に親がしゃしゃり出て「親同士の親睦♡」などと束ねようとするのは、本質や目的を忘れたらロクなことを招かないということを知らなければなりません。
そうでなくても、親しげにわいわいしているところに、「その他」になっちゃった人は入りづらいでしょう?
「ただ輪の外」だけでもあまり面白くないのに、子供がその学校に行っているのに親の自分が輪の外になっちゃってる状態は何かと面倒でしょう?
単なる輪の外だったら、その他でつきあいすればいいだけだけど、子供がからんだら抜けるわけにも行かず辛いことになるでしょう?
ってなに3回もおんなじこと言ってんだ私は。

輪を作るから輪の外が生まれるんです。
自然に付き合いが生まれるのは別にいいけど、学校という「大グループ」のなかでわざわざまた作為的に輪を作るなって。
何十年も生きてるんだし、自分の友達じゃない人のことも思いやろう。

ほんと、子供のステージに乗っかって「親も親も」と何かやろうとするのは、危険で浅はかなことですよ。踊るのは我々じゃないっての。

大反省

何年かぶりに、体調を崩してしまった。
なんだか目覚めが悪いなあという朝が始まり、だるいのを押して出社したが、気力が出ずあくびが止まらない。電話してもフニャフニャした声しか出ない。
背筋がぞくつき、まぶたが下がってぼーっとし、後頭部がパンパンに張った感じがして頭がガンガンし始め、おまけに気持ち悪くて今にも戻しそうである。おなかもなんとなく痛い。

普通、「そりゃあんたカゼだよ」という症状なのであるが、これがまた熱のネの字も出ない。というかいつもより体温が低い。咳も鼻水も出ない。なんというか、身体の中が全部ひえひえ〜に冷えてかたまり、浅い呼吸しかできない感じがする。

なんとかランチタイムをほとんど食べずに休憩してやり過ごし、オフィスにもどったはいいものの、だんだん目の前が暗い感じがしてきた。
一歩でも動いたら、ぶっ倒れるかもどすかどちらかしそうな気がしてきた。
どーーしてもしなければいけない電話が14:30にあったので、それまでの間に何とか引き継ぎメールを打っておこうと思うものの、キーボードの上で手を動かすことも無理で、なんとか片づけだけしつつ隣の人に口頭で引き継ぎ。体が300kgぐらいになったような気がする。
なんとか、具合が悪いのをバレずに電話を終えて、帰宅したのだが、帰り道のことをあまり覚えていない。

帰ったらすぐにふとんにもぐり込み、全身が温まってきたらなんとなく元気になってきた。
葛根湯を飲み、夜起きられるようになってから熱いうどんを食べたら、ちょっと動けるようになり、次の日からは出社した。

なんだかよくわからないけど結論:
 すごく体力が落ちてて、冷えてて、なんかそこにしらないウイルスが来て、死にそうになった。

いや〜まいったな〜。仕事でも家庭でもたくさん迷惑をかけてしまった。
年も年だし、もう相当ガタがきてますわ。えっへん。

それでまー、ちょっと生活の見直しをしてですね、ブログに書いとこうかと。
だってあちこちで人に言って、ひっこみがつかない状態にしとくと、なんだか、ちゃんとできそうな気がするんだもん^_^;

①体を冷やさない
②酒は2種類以上飲まない。ビールを飲んだら焼酎は飲まない。焼酎を飲みたい日はビールは飲まない。←根拠はよくわかんないけどとりあえずマイルール。
③毎日体重をはかる。←健康にもダイエットにも良いとタニタの本かなんかに書いてあった。(戦略にはまってる?)
④よくかんで、ちゃんとしたバランスで食べる。(当たり前すぎだねー。子の残りをかっ込むのはやめましょう)
⑤体操かなんかする

どうだ!
どうだって言われても、実行してから威張れっちゅ〜話ですね。。。
でも今のところは、なるべくやっとるのよホントに。懲りたもんなー。。。

自治ってそんなに理想的かねぇ?

先日朝、会社に行こうと自宅のドアを開けると、隣のMさんちの敷地前にドハデな蛍光黄緑色のベストを着た熟年男性がかがんでいた。
熟年男性の仮名をGさんとしよう。
Gさんは、Mさんの奥さんがキレイにゆわいた雑誌の束や、揃えてたてかけてあるダンボールなどを、ひとつずつリヤカーに積み込んでいる。

その日は、市の資源回収の日であり、市が回収トラックを巡回させてくるため、Mさんの奥さんはそうして束ねて出しているのである。
それを見知らぬGさんがとっていく。古紙の束は明らかに回収して欲しくてそこに出しているとは言え、M家の敷地内なのである。敷地内からモノをとっていくのはドロボーではないだろうか?

私は会社にギリギリの時間ではあったが、M家の被害を黙って見ているわけにも行かないと思い、「ちょっとちょっと、何してるんですか?」と声をかけた。
するとGさんは急にうろたえ、キョドキョドしながらも「あの、私たちは、○○自治会で…市のごみカレンダーの11ページにも書いてあるので見てもらえばわかると思いますが、決して怪しいことではなくて、あのこうして(胸にぶら下げたプレートを指さしながら)市にもちゃんと許可をとって、集めてるんです。ちゃんと登録してますから、決して怪しくは…」
私「うちの(資源)も持っていってるんですか?」
G「ええ、まぁ…(小さくなる)」
私「そんなこと聞いてないですよ?普通に市がトラックで回収に来るでしょ?私それに出したいから門のところに出してるんで、あなたがたが持って行くなんて聞いてないですけど!」
G「あの、そういうことでしたらあの、もう持って行くことはしませんので、触りませんから…」

Gさんは私の剣幕にびびったのか、何度か平身低頭し、すごすごと帰っていった。

あとでGさんの言う「11ページ」なるものを見てみたが、粗大ごみのシール販売店リストであり、なんのこっちゃ。
Gさんキョドりすぎて間違えたのかと思い他のページも見てみると、おそらくこれのことであろうという記載が20ページにあった。

<資源物地域集団回収>
子ども会や自治会など、概ね20世帯以上が加入する団体で、市に団体登録をし、各々の地域で資源物を回収し、指定業者に引き渡した場合に、申請に基づき市から奨励金を交付しています。
集団回収団体として登録を希望する場合は、○○係までお問い合わせください。

↑おいおいこら…
百歩譲ってGさんの自治会が正式登録済みの団体だったとしても、うちはそんな話聞いてないの!
なんでだかわかりますか?
うちは、その自治会に入ってないの!
Mさんちも、このあたりの他の家庭もほぼ全部、どこの自治会も入ってないでしょ!?
回収していいって誰が同意したのよ?

「集団回収団体」なるものは、会員でもないよその家庭の敷地に乗り込んで、そこんちが市の回収のために出してる資源をかっぱらってもいいわけですか? そんな「許可」は市だって出してないでしょ?

だから「自治」ってやなんですよ、うぅ〜。
「独自の解釈」でなんでもありになっちゃうから…
「集団回収の登録・許可」ってそーゆーことじゃないだろうよ!?
んもー、疲れます。。。

ステップ省略理論(理論てほどでは)

世の中には不条理を不条理としてありのまますんなり受け入れられる人と、可能な限り抵抗してその現象とか法則とかの起因するところを「わかろう」とする人の2種類いると思うのだが、私などはそういう点においてはきわめてしつこい後者−−つまり「探求型」「追求型」「粘着質」の人間であるといって良い。そういう意味では、慣習にもとづいて行動し、それ以上のストレスを受けたくない人たちにとっては一種迷惑な「撹乱屋」ともなりやすいので気をつけねばと思っているところである。

そんな私がはさみやペンなどと同じように身近に置き、何かにつけて便利に使っているものに「ステップ省略理論」がある。
それは、理解しづらい現象があった時、ステップ1とステップ2の間には、実はステップ1.1とかステップ1.5とかがあって、そちらのほうにこそ、目に見えるステップよりも理解し易くて明確な根拠をつかむ糸口がかくされていると考える解釈である。
もっと短い言葉で言うと、目に見える現象は目に見えないステップが省略された結果である、というだけのことなんですが。

たとえばスーパーで「ママお菓子買ってぇ〜」とねだった子供がいるとして、その母親らしき人が「ふざけんじゃないわよ!」とあたりに聞こえるようなドスのきいた声で怒鳴ったとする。
居合わせた人は、「子供なのに、お菓子を欲しがったくらいであんな対応をするなんて…。ひどい親だ」となるにちがいない。
しかし、もしかすると実は、15分で買い物を済ませなければならない状況であって、しかもほんの10分前に
「ママお菓子買ってぇ〜」
「いいけど、ご飯のあとにできる?」
「ヤダヤダヤダーいま食べたい」
「いけませんよ。ご飯食べないなら買わないよ」
「おばあちゃんはいつも買ってくれるよ!ママきらい。ママいじわる。ママオニババ」
「いじわるでけっこう。わがままな子にはあげません」
「ウェ〜ン(お菓子を握りしめる)」
「あっ、買ってもいないのにダメ!戻しなさい」
無理矢理手を放させるが、お菓子がぐちゃぐちゃになっている。
「もう!こんなになったら、買わなきゃいけないでしょ!」
と怒りつつカゴに入れ、この菓子をあげては示しがつかない…かと言って食べ物を捨てるのも教育上どうか…と頭を悩ませているときにもう時間が迫り、あせりながら子供の手を引いてレジに並んでいるときに、レジぎわに吊るしてあるお菓子を見て発声したのが冒頭の「ママお菓子買ってぇ〜」
かもしれない。
と私は思うのである。

母親がいきなり怒鳴るという、一見不可解な現象であるが、ステップを補充すれば十分に理解可能な範囲となってくる。

子供を怒鳴っている理由をいちいち周囲の人に説明する責任もなかろうが、もし人に何かを理解してもらいたいとしたら、そのあいだのステップを面倒だからと省略せずに十分補充してあげる必要があると思うのだ。
そこに至るステップを開示できないで、とにかく結論だけを押しつけてくる人がいたら、それはうさんくさい人だと思っていいと私は決めている。

うちの子たちが卒園した保育園の保護者会が、私が保護者として居た頃から不要発言していた地域の連合体をついに脱退したという話を聞いた。
そして、その関連団体の長がそれを受け、「保育園の保護者会は仕事などで忙しい保護者さんの集まりです。時間がないのはわかります。せっかくの休みに召集されて会議などに加わらなければならない負担感もわかります。でも、子供に何が必要かと考えると、やはりそうした活動はなくてはならないものだと思うのです。」
という、どうステップを補充したらいいのかわからない声明を発表していた。
牽強付会、という四字熟語が頭をかすめるが、いやいやきっと、彼女は彼女なりにきちんとステップを経てそういう結論に至っているに違いない。
とはいうものの、その「結論」をひろく理解してもらうためには、やはりステップの説明をし、それの一段一段が理にかなっているものであるかどうか、十分に質疑に応答する用意をする必要があるのではないかと思う。

なにかというと「ご理解下さい」が得意な学校や行政や、このブログでさんざんにこきおろしている某団体なども、ひとにものをわからせたいならそこは怠慢しないほうがいいよと思う私であった。

たまには読書感想文

この連休に、高山文彦「『少年A』14歳の肖像」を読んだ。
本自体は、読むのは数回目だと思うのだが、数年ぶりに読んだ今回は、なぜか今までとは違う感想が湧いてきた。

「少年A」は、凶悪猟奇事件の犯人であるが、そのようなことを引き起こした彼の人格形成の大きな要因として、「母親の厳しいしつけ」が挙げられている。そしてそれは疑いようもないものとして、この本でもあたかも既定事実のように語られている。

事件自体はおぞましく許しがたいものであり、弱者を狙った犯行として世間の怒りをかったのも当然のことだと思われる。また、未成年者による犯行であれば親の「保護監督責任」が問われるのも当たり前だと思う。

可愛い児童が亡くなっている話でもあり、冷静に見ろと言われても無理な話かもしれないが、しかしここはあえてちょっと第三者の目で見たい。
著者の高山氏(そして多くの日本人)は、「異常な行いをした子どもを輩出したのだから、あの家庭は異常な育て方をしたに違いない。いや、そうでなければならない」という結論にむすびつけんがために、あの家庭の内情を、まるで見てきたかのように語っていないだろうか?

Aの父母が書いた「悔恨の手記」も出版されており、そちらも読み返してみたが、素直に読めばAが発達障害の一種なのではないかという感想にたどり着くものであった。同時に父母ともに、こう言っては何だが「鈍感力」がキツすぎるのではないかと思う記述箇所も多かった。周囲では有名な話となっていた動物虐待行為についても父母ともに「まったく気づかなかった」、あるいは他の数々の兆候についても「気にも留めなかった」の連発であり、子どもを信じるという美名のもとに疑いから目をそらし、責任を果たすことを怠っていたのではないか…という疑念もわく。

ただ、それがすべてそのとおりであり、子どもへの信頼という名を借りたイグノランスであり怠慢であったとしても、鈍感力がひどすぎるとしても、幼少時にイラついて多少叩いたとしても、それが思春期になってからの猟奇殺人行為につながるというのは、やはり一種の悪い巡り合わせだとしか思えなかった。
なぜなら、そんな親は世の中に掃いて捨てるほどいるからである。私自身も含め、そんなほめられた子育てはまるでしていない。
子どもが悪事を働けばとうぜん「監督責任」もとらなければならないことは承知の上での子育てだが、「そんな育て方をすれば殺人者になるに決まっているでしょう!」というようなことはしていないつもりだ…そのつもりで日々くらしている。

Aが恐ろしい罪をおかしたことについてAの母親に全面的に原因があるという人がいるなら、ぜひその人に、彼女の子育てのどこが具体的に悪くて、どのようにすればそうならなかったのか、ということを詳しく述べて欲しいと思う。
そうした情報は、多くの母親が非常に知りたがっていることなのではないだろうか?

しかし高山氏の著作も、いろいろな深みのありそうなことが、母親を厳しく断罪する口調とともに書かれていながらも、そのような具体的な検証はいっさいなかった。
「母親は自分ではそんなに厳しくしたつもりはないと言っているが、実際には虐待にちかいことが行われていた」というような記述があるが、それはどのように客観的なのだろうか?
ほとんど密室内で行われているのだから、「母親と本人以外の証言以外は、不明」というのが正確ではないだろうか?
裁判所の精神鑑定でさえ、「母親のしつけ」については聞き取りを根拠にしており当然、客観的な記録があるわけではない。叩かれて怪我をし、病院で診察を受けたというような事実はない。
証拠がなければ、「本人がそう受け止めた」ということでしかないのではないだろうか?
本人が誇張して述べていることも十分にあり得るわけだ。
「叩くしつけ」については、弟を苛めたりしたときに週2、3回お尻だったと本人も母親も言っている。叩くのはたしかに教育能力不足であって反省すべき点だが、週に2、3回尻をたたくという行為がそこまで性格をゆがめるとも、どうにも私には思えないのである。そんなこと言ったら世の中は殺人者だらけでは? その事実をもって「厳しすぎるしつけ」というのはどうだろうか…?
子どものどのような行いに対し、どのような叱責方法をとったことが「行き過ぎ」であり、子どもを殺人者にまでしてしまうような「失敗」であるのか?
そのようなマニュアルをあらかじめ踏まえて子育てをしている人がいるのだろうか? 多くの母親は、手探りや願いや祈りといったものを心頼みにし、道なき道を行く不安と背中合わせになりながら、自分に出来る事、子どものためにと思うことを、精いっぱいやっているのではないだろうか?
毎日食事を作り、遊びに連れていき、身の回りのしつけをした母親の失点はあげつらわれ、ほっぽって休日もゴルフざんまいの父親の「育児」が問われないのは何故か?

…うだうだと長くなってしまったのでまとめよう。
私は、Aの母親を擁護したいわけでも何でもない。特に子どもが明らかに悪くなってからの過失は色々とあったと思うし、立場的に監督責任があることに疑いはない。しかし、犯罪少年がいたからといって結果論的に「母親の育て方が悪かったに違いない」と証拠もなくこじつけてくる批評の仕方には同調できないし、それを主張するのなら明確に「人はどう育てればどう育つのか」を具体的に示し立証して欲しいと思う。
この日本に蔓延している、「子どもを見て母親を採点する」人々の傲慢さを、私は思うのだ。

…と言っても、私が「母親」だから、「立場からの言い訳」となっちゃうんだけどね。

おばちゃんは左に曲がるな

本日だけは、暴論を主張させていただく。
お前のは年がら年中暴論じゃねぇ〜かなどという野次は厳につつしんでくださいっ、そこのアナタ。
きょうは真剣に言いたいのだ、
「おばちゃんは車に乗ったら、絶対に左に曲がるな!」
と。

先日、車に乗ってなにげに交差点で信号待ちしていたら、交差方向から走ってきて左折した小型車が、横断歩道上でガシャーンと子どもを自転車ごとはねたではないか。
倒れる自転車と、車のフロント部分に巻き込まれひっくり返る、半ズボンの子どもの足が見えた。

ギャーーーーーッ!

私のまばたきは止まり、全身の血が逆流し一瞬で手が冷たくなった。車を寄せて救助に行きたいが、T字交差路で直進レーンにいるため、進行先が事故現場化している状態では身動きが取れない。とりあえず通行車のうち停止した1台から男性が降りて向かっているのが見えたので、私は先に通報をし、やっと空いた路上スペースに車を寄せて対応に当たった。

救急車で運ばれたお子さんのお母さんから後日丁寧なお礼の電話をいただいた。「幸いにも軽傷ですみまして…」と仰っていたので、(腕は折れていたのではないかと思うが)後遺症等はないか、あっても極小ですみそうで、とりあえずホッとした。
それにしても交通事故は本当に恐ろしく、直視してしまうと絶対に長期間トラウマになってしまう…

本当に首をかしげてしまうのだが、現場は広く、立ち木や看板などもなくてめちゃめちゃ見通しの良いところなのである。夕暮れの危険時間帯とはいえ、交差点にはいるだいぶ前から自転車の存在は絶対に見えていたはずであり、なにをどうやったら左を巻き込まなきゃいけないのかさっぱりわからない。
そして、あんのじょう、運転者はおばちゃんである。

実は、しばらく前に、うちの子もはねられている。
場所は違うが、これまたおばちゃんの小型車に青信号で左巻き込みされた。
うちの子は側頭部をボンネットに強打し、治療も長くかかって大変だった。
これも思い出しただけで腹が立つ。
しかも提出求めたら、去年切れてる自賠責を出して来やがった!
世間なめとんのかーーー!
(有効自賠責は、家にしまってあったというバカタレなオチ)
二度と運転すんなーっ!

うちの子がはねられたのも、やっぱりありえないくらい見通しの良い交差点だった。
おばちゃんというものは、目はどこについてるんですかっ!?
お前もおばちゃんではないかという指摘はこの際禁止!
それはそれ、これはこれ!
私だって絶対に事故を起こさないとは言えないが、それにしてもあれだけ見える現場で、何をどうやったら自転車をひくのよ!?

もう、おばちゃんは右折のみ可とする!
左に行きたくともダメッ!
右折5回ぐらいすれば目的地に行けるでしょうが!それで行きなさいッ!
私は大まじである!

女のヒミツ(でもないけど)

日本の家庭が100%共働きになろうが、「主婦社会」はなくならない。
と断言しよう。

日本女性の古来の考え方に、男性透明化現象というものがあるように思う。
その現象の一つが例えば妻A・夫Bの夫婦の家に妻C・夫Dの夫婦が遊びにきて、いっしょに楽しく飲食をしたとする。そして客の2人がごみや食器を片づけずに帰ってしまった場合、Aの憎悪はCに向かうというようなことである。

それが誰によるものであれ、ごみや食器が片づけられれば問題は解決するはずなのだが、そのような単純なものではない。
BやDが片づけずにCが片づけた場合、Aの心には何ら波風は立たないが、
Cが片づけずにBやDが片づけた場合、Aの心にはCに対する不満や怒りが湧く。
BやDが片づけたんだから現実的にキレイであるという事実は棚に上げられ、「やるべきなのになぜやらないのか」という不満がCに対して残る。

Aは、ごみや食器は「食事をしたみんなの協力で片づけられるべき」と考えている。
しかし、その「みんな」や「協力し合う共同体」の概念の範囲から、BやDは消されてしまい、「Cがやったかどうか」が主要なテーマとなるのである。

ここで注意して欲しいのだが、BやDはごみや食器を片づけなくてもいい=そういう既得権があると、Aが考えているわけではない。
Aも、CD夫婦のいないところでは、Bに「片づけて欲しい」という願いを持つし、Aの願いにも関わらずBがやらなければ腹も立てる。
そういう意味では、「女性のみに協力義務があるとみなす」日本女性の発想は、「男尊女卑」発想とは根本的に異なる。

職場でも、お菓子のおすそわけやおみやげなどが、女性から女性にのみ配布される例をよく見かける。
女性の認識する「共同体を協力維持すべきグループ」とは、なぜかそこに男性も存在しているにも関わらず、女性だけに投げ縄がかけられてくくられることが多いのである。

やはりこれは日本の長い歴史の中で、女性と子ども・年寄りのみで共同体を作ってきたということが意識の背景にあるのかもしれないが、現代の核家族かつ女性も社会に出ているという状況の中では、きしみが出てくる意識システムなのではないかと思う。

PTAについての議論がたたかわされる掲示板などでよくみられるパターンとして、
PTA=子育てに、働いてるかどうかなど関係ない→役目は平等に果たせ→時間がない→ヒマな人がやればいい→PTAやるためにヒマなわけではない→ヒマだからと負担が増えるのはおかしい→働いてるのは自分の都合でしょ→だったら同じことを自分の夫に言え→夫はそんなものにかかわってられないから自分がやってる→私だってそんなものにかかわってられない→夫のためにはやるが、アンタのためにやるなんてまっぴら→etc.

と、どんどん話の軸がズレていく、というのがある。

ここでまちがえそうになるのが、
・「夫」が稼ぐ金は自分のためにもなってるから、妻がその分PTAをやることになるのはOK
・「よその奥さん」が稼ぐ金は自分には一銭も入ってこないから、その分PTAやるのはNG

と、金の問題として解釈しがちなことである。
しかし、そうではない。
「よその旦那さん」が自分の世帯用の金を稼ぐために、PTAできないのは「OK」なのである。

これはやはり、金の問題ではなく、「誰が自分の共同体のメンバーであるか」という認識の範囲の問題であると思う。
男性は、メンバーではなく、透明な存在。石や草木と同じなのである。
もちろん人間だと認識しているし話もするしデートもする。しかし、「メンバー」とは見なされていない。
日本の女性は、「女の子」であった時代から、その共同体幻想にからめとられている。それはおそらく、幼稚園や保育園などの、集団初期の時代からはじまっているように、女の子を育てていて思う。

帰国子女が日本人女子の集団で浮いてしまうことが時々あるのは、そういった目に見えない共同体思想に関する理解がないことが原因のことが、けっこうあるように私には見える。

私は帰国子女ではないが、先天性なのか親の教育なのか分からないけれど幻想や不文律よりも論理的思考を優先させる性質や意味のない束縛を非常に嫌う性格を持ち、それが今、「良き親の共同体」であるPTAと決別するにいたった原因であるように思う。
「不満なんだったらやめればいいじゃん」「関わらなければいい」と安易に発言する男性がいやがられるのは、こういった心理的背景をまったく理解し得ていないことを女性に感じ取られているからなのではないだろうか。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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