2017-05

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学校って支えなきゃいけないもの?

Pフォーサーがよく使う、
「学校は、先生、保護者、地域で支えられている」
という表現について考えてみよう。
この物言いは、言葉として大変美しい響きがあり、これ自体に異を唱えるひとは少ないであろう。
私など軽薄であるから、油断していれば簡単に「うんうんそれはその通り」などと言いそうになる。
しかしながら、よくよく目を凝らしてこの物言いをみてみると、何かどこかがおかしいのではないかという気がしてくる。

子供はただ単に学校に通わせてカリキュラムを受講させるだけでは育たない。保護者が、スムーズに学校に通えるように物心両面から支援する必要があることは言うまでもないし、それは法律で義務づけられていることでもある。
地域の方々にも「未成熟な子供が毎日自力で学校に通っている」という状況を理解してもらう必要がある。何かやらかしても許せという意味ではないが、子供が多数通学したり放課後遊ぶことで迷惑もかけるのだから、継続的に情報提供し理解をお願いしていくことは必要だろう。

そういうことが言いたいのであれば、「子供は、学校、先生、保護者、地域で支える必要がある」という表現になろう。それぞれに役割があり、そのどれも不可欠なものなのである。
しかし、「学校は、先生、保護者、地域で支えられている」という表現には微妙な引っ掛かりを感じる。
学校というのは(今回公立という前提で話すが)、税金を資金とし、ある目的を遂行するためにそれ自体で完結した「閉じたスキーム」でなければならないはずだ。同じ税金を投入していながら、「こっちは保護者の協力が多いからAランクの教育水準、あっちは保護者が手伝わないからBランクの教育水準」ということがあっていいはずがない。
そういう意味で、「学校は保護者で支えられてます」と堂々と言っちゃうのはどうなんだ?と首をかしげるのである。
それを言う者が教師や校長であればなおさら、「なんか甘えてませんかぁ〜?こっちはこっちで仕事も親子の生活もありますよ?」と訊きたくなってしまう。

この記事は、保護者参加型の授業や行事を否定するものではない。
しかし、それらも強制的であるとか、割り振り当番的であるとか、保護者の参加がなくては成り立たないようなものであっては、本来ならないものだと思う。

また、「宿題の○つけ親にやらせないでよ!」とか、「ペットボトル3本持って来いとか前の晩に言わないでよ!」などということを主張しているわけでもないので、そこらへんはわかってちょーだいね。(揚げ足取られないようにするのも大変だ…)

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Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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