2017-06

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秋の学芸会鑑賞〜でしたが。

学芸会を楽しんできたところなのだが、なんだかチョットわりきれない気持ちも残してきた。
うちの子どもやその友達が仮装に扮して劇をやる、というのは純粋に面白いのであるが、演目のチョイスがどうも…通常とは別の意味で、考えさせられる劇だったのである。

次郎の劇のストーリーは、京都の寺が火事になり、それを消し止めるために雷神の子が雨を降らせようとするが、それまでに他のニーズで雨を使ってしまっていたため足りず、全国の雷神の子たちを呼び集めてみんなの力で雨を降らせようというもの。ここだけ聞いたら美談のようでもあるが、
「みやこの宝は日本の宝だ、みんなもそう思うだろ!」
「どうしても火を消さなきゃならないだろ!」
みたいな「強く同調を求める場面」があり、違和感を感じた。
それに対して地方の雷神の子たちは、「田んぼにだって雨は必要だし」とか「こっちはこっちで雨を待ってる動物たちがいる」「俺はそんなの嫌だ、関係ねぇ」などと口々に言うのであるが、それらの子たちの様子はどちらかというと「自分勝手な態度」として演技指導をされていた。最後はみんなで同じダンスを踊りながら、「みやこの火消しが日本全体にとっての最重要課題である」ことに一人残らず同調し、全員で寺の火事を消し止める…という大団円である。

国宝級の建造物が燃えるのは確かに大問題ではあるが、それ以外の地方の干ばつや断水がどうでもいい、という結論で全員一致するというのも、気味の悪いものではないだろうか。子どもたちになんら罪はないし、上演自体ははかわいい素晴らしいものであったのだが、そういう台本に対してちょっと「?」な気持ちを抱いた。
ネット検索してみたら、日本演劇教育連盟というところが編んでいる小学校向けの脚本集にあるもののようである。初版は1985年。30年を経た今、こういう教育は古くなりつつあるのではないだろうか、古くなったほうがいいだろう、と小さく思った。

いっぽう月子のほうであるが、こちらは有名作家の小説をつかったミュージカル風で、東京からきた転校生が地元の子からいじめられている折り、異界の者(飢饉時の間引かれ子の亡霊である座敷ワラシ)が援助したり激励したりして、転校生が勇気を出し、いじめっ子たちと和解していくというストーリー。高学年だけに高い演技力を見せる子も何人かいて楽しめたが、やはりこれも冷静に考えると、もやしっ子と言われた転校生が体力を増強して喧嘩に勝って感心させたり、バカにされていた都会言葉を捨てて地元の言葉を使うようになったことで集団と同化するプロセスをたどり「なかよくなってよかったね」という話以外の何ものでもない。
いじめっ子たちの「言葉が違ったり体力が弱いからといじめていた行動」についての内省をうながすものにほとんどなっておらず、「いじめられたくなかったらみんなと馴染めるようにがんばろうね」「無理だと思っても(そういう方向で)やればできる」というメッセージ性を強く感じる脚本となっていた。

私の捉え方が斜め過ぎるのかもしれない。しかし何年か前、上の子どもがやっていた「いじめられっ子」劇ではもっと、「異なる特質を持つ子どもでもそれぞれの役割がある」的な演劇表現が出来ており、その台本を選んだ先生に感心したものだったが…。

学芸会を観たぐらいで東京都の教育のことまで考えるのは大げさ過ぎるかもしれないが、都教委の方針がなんだか変な方向になっているのでは?という薄ら寒い危惧が、とくに大震災以降の「絆熱」みたいなものを肌で感じつつ、「なんだかやーだなー」という気持ちを湧き起こさせてくるのであった。

*** おまけ ***

学芸会一つでそんなハスな見方になってしまうのも、朝のテレビで見かけた原辰徳が下地になっていたのかもしれない。彼は歯磨きの仕方についてインタビューを受け、「電動。ここ20年くらい電動。でも手も動かす。電動だからといってそいつに任せっぱなしにしているのは無責任なヤツのやること。おれはそんなの歯ブラシに申し訳ないから、共同作業で、手も動かすんだ。」と言っていて(もちろん冗談なのであるが)、さすが原。これ以上、原らしいコメントはないよなあ。さすが日本人精神のモデル、ジャイアンツ。などと思ったりしたのが、布石になったのかもしれんです。はい。

コメント

ぶきゃこさんの文章は、いつも私に新しい発見や古い記憶を思い出させてくれます。
すてきな文章をありがとうございます。
私は、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という標語?が嫌いです。
その理由は、最終的に個人を多数派に従わせるために利用されがちだから。
いじめの場面において、「いじめられるようなことをする者は、いじめて当然だ」といじめる側がいじめを正当化することに似ています。
WEB上の掲示板で、PTAの違法性を指摘したり改善を求める書き込みをすると、決まって「親がそんなふうじゃ、子どもがいじめられるよ」と脅しの書き込みをする人々を多く見てきた経験から、また実際にそう言われた経験からそう考えるようになりました。
「空気読めよ」という言葉も大嫌いです。他人から自分にとって都合の悪いことを批判された時に、自分の責任を回避しながら多数派に従うべきと批判する者の口を閉ざすために使用されるからです。

なちぶうさん、コメントありがとうございます!
その標語自体は、「多数派に従え」という意味ではないものの、日本ではそのようにゆがめられて使われることも多いですよね。

さすがに平成の現代で、「右に倣え」を堂々と是とする方にはあまりお会いしなくなりましたが、その代わりに、「自主的な選択をすることは良いことだ」としつつも、「自主的な選択が異端なものであれば異端なりの扱いを受けることを覚悟すべきだ」という、本質的には同調主義と何ら変わりのないエセリベラリストを多く見かけるようになってきました。
かようなリベラリストが大好きなのが「T.P.O」や「場をわきまえる」であって、そういう方に言わせれば「子どもが学校にお世話になっているのだからPTAに入会するのが『わきまえた』態度である」ということになりましょう。

私がPTAを退会するときにさんざん脅しすかしてきた会長も、PTAだよりの挨拶では「人がやっているからやる、ではなく、やっていいことかどうか自分の頭で判断出来るようになりたいものです」と書いてたんですよ。いえ、単なる笑い話なのですが。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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