2017-10

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教師の資格

教師としての適格性、とはなんだろう? と考えてみる。

・それぞれの教育課程を教えるに足る能力。

これはまあ、当たり前であろう。料理のへたなお姉ちゃんにシェフはつとまらない。ペーパードライバーにタクシー運転手は無理。それと同じで、漢字は誤字だらけ、九九も怪しいとなれば教壇に立つんじゃねえという話にはなる。それはもう当たり前の前提であってここがあぶない教師にはさすがになかなかお目にかかることはないのだが、ただそれを年少の者たちに的確に理解させる能力となると、これはかなり粒に大小があるといっていい。

以上が「教」の適格性。次に、「育」の適格性、これがまた非常にバラつく。

「育てる」という仕事には、パッションがないと難しい。
「子どもが好き」な人というのは世の中にたしかに一定数いて、そういう集団の中から教師という職業を選択する人が生まれてくるのだろうと私はなんとなく信じていたりもするのだが、ただ「好き」なだけでは何十人も指導するなど厳しすぎる話だ。そこには、うまく表現できないけれども、「なんとしてでも言うことを聞かせるという気合い」? みたいな、「リーダー性」みたいなものが適性として必要なんじゃないかなあと思ったりもするのである。
もちろん、(特に昔なんかは)変なほうに熱心にリードするような教師も存在していて、それはそれで問題があったわけなんだけれども、どうも最近はこの「リーダー熱」みたいなものが変な雑音によって冷まされてしまい教師の教育力を下げているのではないかと感じるときがある。

雑音というのは、例えば「体罰禁止」だったり、「地域の皆様との関わり」だったり、「個人情報保護」だったり、「どんな子にも教育を受ける権利がある」だったり、「モンペア対策」だったり、「教員免許更新制」だったり、「いじめは学校の責任」だったり「全人教育」だったり…

「子どもはしっかりと言うことを聞かせれば良い」「子どもは躾けるもの・勉強させるもの」とわりとシンプルな価値観が世の中の主流だった昭和のころにくらべると、教師を去勢する雑音が増えたのは間違いないのではないかと思う。
(注)体罰がいいとか悪いとか、いじめは学校の責任かどうかとか、私はいまそういう話をしたいわけではないです。

うちの子どもの学校に、むかし新任で来た先生がいて、まぁ笑えるエピソードも呆れるエピソードもいろいろとある方なんだけれども、その先生が、がやがやと静まらないクラスに業を煮やし「静かにシローッ!」と教卓をグーで殴りつけ骨折した事件というのがありましてね。まー冷静に考えたらアホちゃうかという話ではあるわけだけれども、こういう教師には結局子どもというのはしっかりついていくわけです。「教」の部分の能力いかんにかかわらずですね。
そういうことができてはじめて(いや骨折する必要はまったくないですが…)、子どもに向かい合って指導をするという資格を手に出来るのではないか。
私は、いろんな先生を見てきて、そのように思うわけであります。

***なくてもいいんだけどの蛇足コーナー***

教育の変質は、子どものほうの変質もあると思う。
先日、うちからあまり離れていない川崎市という場所で、宿題を忘れた6年生に教師が注意したところ校舎の窓から飛び降りたという事件があった。
そうなっちゃうと「コラーッ!」も簡単には言いづらくなる、という状況もあるのかもしれずちょっと気の毒ではある。

コメント

教師に限らず、平成になってから特にリーダーの資質やコミュニケーション能力がない大人が増えているような気がします。

大学を卒業して教師になり、一般社会とは接しない大人が果たして、子供を教育できるのか。能力の個人差が大きいのではないかと思います。

このことは以前から、医師や弁護士などの職業でも問題が起きています。

元教師として

確かに、子どもは先生を選べません。私は中・高の教員でしたので、小学校は多少違うとは思いますが、小学校の先生の難しいところは、子どもが接する先生は担任の先生であるということです。
一日のほとんどを同じ先生と過ごすことを1年やるわけです。親と関わる時間より断然長い時間をです。とすると、子どもにとっての社会の規範、マナーなども先生から仕入れたものになる可能性が大きいと思います。(私はこれが怖くて小学校の先生にはなれないと思っています)
この辺を理解していない先生が若くない先生にも一定数いらっしゃいます。

子どもたちも我慢することができない子どもが増えているというか。宿題を「じゃぁ、残りは宿題」なんて出し方をすると「○ちゃんはもう終わっているのでずるいです」なんて言ってくる子がいます。さらに、「ずるくありませんよ。宿題が嫌だったら授業中にしっかりやってください」と言っていると学校に親から電話がかかってきます。「うちの子だけ宿題とはどういうことですか!」やる気をなくす教師も出てきます。

話は少し横道にそれますが、今日幼稚園の発表会のお手伝いボランティアに行ってきました。衣装を作成してそれを今日参観で保護者に見せたのですが「かわいくない」「サイズをぴったりにして欲しい」「うちの子だけ補正をしなくてはいけないのは納得できない」・・・一生懸命やりましたが、気持ちをそがれることが多かったです。衣装作成ボランティアは自分の子どもが着用しない衣装も丁寧に一生懸命作りました。サイズも多いものでは3サイズくらい作ってほとんどのお子さんが着れるように用意しました。が、その子に誂えたわけではないので、多少袖が長いとか、裾が長いなどが出てきて当然です。一応、それらの補正はそれぞれのお母さんがやっていただくことになっています。が、「なんでうちだけ補正が必要なの!」と文句を言ってくる親もいるのです(しかも相当数・・・)いちから作成するのにどれだけの手間と時間をかけているのかは考慮していただけないようです。学年のカラーなのかもしれませんが、昨年は「えぇ!これ作ったの?既製品みたいにできててすごい!!しかもこんなにたくさん。ありがとうございます」みたいなお母さんが多くて、私たちもやってよかったと思ったのですが、今年は一番手がかかって大変だった衣装がブーイングでがっかりです。
だんだんと親の質(?)も変わってきているのかなぁと思います。

義勇兵さんへ

義勇兵さんも、そのように感じられますか?
私だけではなかったのですね。

医者や弁護士はその職務遂行上必要となる専門知識の分野がはっきりしているため、社会常識に欠けていても「とりあえず手術だけは上手い」「とりあえず裁判の勝率だけはトップクラス」などということがあれば、社会貢献しているといえるでしょう。人材訓練目標も明確だと思います。
しかし、いま日本の教員養成カリキュラムにおいて、目指す“プロフェッショナリズム”にどういう明確性があり、またそれをどのように評価に反映させ、ひいては給料やポストにつなげていくのか。どうもここらへんが納得感が薄く、ひょっとして「これで毎日安泰公務員」となり「トラブルなくやり過ごす」ことが目標となってないですか??と言いたくなる人物に、学校や教育行政では出会うことが多いような…orz

ちょっとずれますが、私がPTAをキライな理由のひとつに、ボランティア精神を持って当たっても、やる気をつぶされることが多いというのがあるんですね。工夫や新発想を許さない、何かというと本部の承認が必要、意見は却下するためにある、決めごとはブラックボックスで、もちろん決定根拠は説明しない、何を決めるにもとほうもなく日数がかかる…etc. 一般会員は、だったらあんたたちで勝手にやればぁ? みたいになって、私みたいなのは退会しちゃうし、退会までしたくない人たちも、黙って自分のノルマだけをこなしてやりすごすようになる。すっかり死んだ組織になるんですね。
そういう構造というのは、実は、「学校や教育行政の構造」がそのまま伝染しちゃってるんじゃないかな? と感じるときもありますね。

さやさやさんへ

>「○ちゃんはもう終わっているのでずるいです」「うちの子だけ宿題とはどういうことですか!」
えーっ@_@どんな親子ですかそれ…どういう考え方だとそういうセリフになっちゃうんだろう。できてなければ、のこ勉(居残り)、宿題は当たり前じゃないでしょうか。成績のいい悪いはおいといても、勉強は子どもの仕事でしょ?人権主張、平等主張もたいがいにしないと…

それにしても幼稚園の衣装の話、ひどいですねー。呆れました。
ボランティアなのに、なんだか「当番」みたいな?「あんたたちの仕事なんだからやって当然」みたいな? 誤解が蔓延してるんじゃないですか?
百万歩ゆずって仕事だったとしても、自分の子どものサイズに合わせるのは親の仕事じゃないの? ユニクロとか西松屋行って「この服、うちの子どもにぴったりのサイズがないじゃない!」とかってクレーム入れるのかしら…??なぞだぁ。

私の方が少数派かも?

ぶきゃこさんみたいに「へんじゃない?」っておっしゃる親は少ないような気がします。
学校ネタで言うと、専門学校に勤めていた時、一学期間に2、3回しか登校せず顔も覚えていないような学生を「単位を落としますよ」と呼び出したところ、親がすごい剣幕で怒鳴り込んできて「あんたねぇ、学校に高いお金払ってんだよ。卒業させないってどういうことよ!!」そして机を倒したりして大暴れ。ちょっと身の危険を感じました。「あんたじゃ話にならん。校長呼べ!!」で校長を呼びましたが、同様のことを言われた挙句、「じゃぁ、退学なさいますか?」と言われておとなしくお帰りになりました。
専門学校はそれこそ「余計」で行っている学校なんだから、行きたくなければ行かなくてもいいわけだし、学校としても「うちの学校を卒業した人はこれだけの技術、知識を持ってますよ」と社会に保証したいわけです。そのへんが分かっていないんでしょうね。

余談ですが、幼稚園の衣装、親が補正に来ました。家庭科のテストだとすれば確実赤点といった感じの文字通りの「波縫い」で直してありました。ボランティアみんな唖然です。「ひどいやろ!あんたらでちゃんとやっとけ!」とでも言いたいんでしょうか?子どもにはかわいそうですが、私たちが触って文句が出てはいけませんので、そのまま見なかったことにします(^。^)
こういう方が店員に土下座させてしまうのかなぁ?

うーむ。卒業させろと暴れる親御さんのお子さんが、自力でしっかり育っていてくれることを願うのみです。親は選べませんからねぇ…
義務教育ならまだ、「ちゃんと学ばせる責任」みたいなものが、学校側にもあるかもしれませんが(もちろん主体は保護者ですが)、専門学校なんて、学習したくなきゃ来なきゃいいだけの話ですからねー。

衣装の補正の話、私は笑えません…。だって、すっごく昔に通園バッグ手作りしたことあるんですが、「ウッ…」ていう仕上がりだったもん。もう、「ウッ…」よ「ウッ…」。
思えば、うちの子たちも「親難」をくぐりぬけてよく大きくなったもんだ(^m^)

ミシン作品

ぶきゃこさんには笑えない話かもしれませんが、子どものお友達のお母さんにありえないほど下手くそな人がいて
「ママ、ぼくのだけみんなと違う」
と子どもに言われたとかで(幼稚園から指定の作り方が出ていて、そのとおり作ってねというもの)私も見せてもらいましたが、確かに他のものと違うものが出来上がっておりました。
「ねぇ、ミシンのかけ方知ってる?」とコツを教えてあげたところ、
「知らんかった・・・」
そのうち、私ではありませんが、他のお母さんが
「○君があまりにもかわいそすぎる。私が作り直してくる」と作り直していました。
でも、そのお母さん、手縫いでもいいですよと言われているのに、子どものためにってわざわざミシンを購入して頑張ろうというやさしいお母さん。子どもはしっかりと愛情を感じていると思います。
私とは気の合う仲のいいお母さんなんですけどね。

ちょっと話がずれましたが。

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プロフィール

ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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