2017-11

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学級PTA活用論、について

川端裕人さんとまるおさんの「学級PTA」をめぐる議論をいつかきちんと検証したいと思っていたのだが、日々にまぎれ、遅くなってしまった。
これは4年も前の議論だが、内容が古くなっているかというとそれは全くなくて、「PTA改善重視派」と「なんだったらPTAなくてもいいんですけど派」のあいだでは、いまでもおなじような「噛みあわなさ」がくり返されているようにも思える。

なお、川端さんもまるおさんも当然ながら現在では考え方や立場を変えておられる部分もたくさんあるだろうし、私は両者のどちらかになにかのモノを申したいわけではまったくないので、その点は何卒ご理解頂ければと思う。
私は、時代を経て繰り返されているこの手の問答について一考してみたいだけである。
考察のソースとしてまるおさんのブログ記事「学級PTA」論への疑問シリーズを参考にさせていただいた。

川端さんの「学級PTA」活用論は、「任意加入の徹底が問題解決への最短距離」という考え方に疑問を呈し、その理由として「PTAの崩壊を怖がる人が多いから」というのがそもそもの始まりだと思う。
ここには、「PTAを崩壊させず、かつ個々の任意性を担保する活動の仕方」を模索しようとする姿勢が見える。
しかし、なぜPTAを崩壊させちゃいけないのか? という論拠は、「怖がる人が中枢部に多いから」という感情論であり、PTAが存在しなければならない理由を客観的に明示できるものではない。
PTAの崩壊が怖くも何ともない、むしろPTAの存在を半ば迷惑にすら思っている人間にとっては、なんの説得力もない話である。

では百歩譲って、PTAの崩壊が怖い人たちのために、学級PTAという形を残しそこの活性化を図ったとして(それをやるのはPコンサバの自由だと私は思うが)、任意の活動ならば私のような、どちらかといえばむしろヘイター(忌避者)に迷惑がかからないか? といえば、そういう単純な話でもないのである。
なぜなら、学級とその保護者・教師というくくりの概念を、「PTA」という独立規約を持つ別の団体に乗っ取られるとおかしなことになるからである。

川端さんは、まるおさんブログのコメント欄で「『自由な入退会ができる、学級PTAを基本としたPTA』というのはありえないのですか??」
と述べておられる。
私に言わせれば、ありえない。

「学級」という、いわば強制的にくくられた集団の中で、子どもも保護者も生きねばならないのである、学校では。
その「学級」を母集団とする「任意結成のPTA」というのはあっても悪くないが、その「PTA支部」が「学級」のなにかを企画したり「学級」の意見をとりまとめたり「学級」の問題解決に当たったりするのはおこがましいというか、非会員にとっては「誰あんた」の団体なのである。
ましてや、「学級」の保護者会(懇談会・懇親会)の時間をその団体活動に取られるのも困るし、子どもの個人情報を勝手に収集されるのも正直困りものなのである。

現に、そのあたりの勘違いは今でもひとたび「非会員」という存在が発生すればあちこちの学校・PTA・PTA上部団体でほころびが出ていて、PTAという団体のあり方が基本的に「全員加入」を前提としてしか設計されてこなかったことがよくわかる。「PTA問題」というのは、細かい事例はたくさんあろうが基本的にはその「勝手な勘違い」をベースとしていると思う。
川端さんの「学級PTA活用」論は、
 ・その「勝手な勘違い」がまったく是正されない、というかその勘違いに脅威を与えないことから発想が始まっている点
および
 ・学級というお互い顔見知りの、本来アットホームであるほうがいい小団体ををベースとしながらも自由な入退会ができる活動、という理想が非現実的であるという点−−自由な入退会、をいくら言っても“仲間”の大多数と“変わり者”の少数という図式にしかなり得ない−−
において、私は評価していない。私が唯一、「いじめについてまともなことを言っている」と評価している内藤朝雄氏が称している「中間集団全体主義」というのは、こういう中小集団に呑み込まれて異を唱えられなくされる状態のことを指しているのではないかと思うが、なんにしろ頭のわるいいちおばさんの理解であるから違っていたらゆるしてほしい(この点は私と同じ視点かどうかはわからないがまるおさんも触れておいでである)。

PTAは任意加入で各自の自由意志でおこなう活動である

という基本概念が徹底されない状態で、「学級PTA」なんかが活性化されちゃったら、今よりもっとひどいことになるのである。
それなら、現在のように本部だけを悪者にして下っ端はぐちっている、という状態のほうがまだましかもしれない。

シンプルに「学級の児童、保護者、担任、がもっと交流し合い単位活動を活性化したほうが子どものためになる」という話であれば、私もうなずきたい。
だが、それと「PTA問題」は、まぜて語らないほうがいいように思う。
「学級の児童、保護者、担任、のかたまりを“学級PTA”と呼ぼうよ!」という話であれば、それは「強制結成」の団体であることにまちがいないし、それならそれで「そのカタチのなかでの人道的な活動のあり方・活性化の方法」を模索すればいいと思う。
しかし、現実としてPTAはそのような強制力のある団体ではなくそれなのにあたかも強制力があるかのように振る舞っている、というのが核心の「PTA問題」が世の中に渦巻く中で、その新案はあまりにもわかりづらいし現実的でもない、と思った。

川端さんの「学級PTAの潜在力を思い出そう」には、
「学年・学級委員は、PTAの必要欠くべからざる要素であって、個々の会員とPTA全体との直接的なパイプ役だ。」と書かれている。
そのとおり。
PTAにとっての必要欠くべからざる要素だ。
学校や児童や保護者や教師にとっての、必要欠くべからざる要素ではない。

現在でも「PTA活性化」の視点をスタートとして物を語っている人は枚挙にいとまがない。
そういう方が「どうして話がかみ合わないのだろう」と思う非会員などに遭遇して頭を悩ませることがもしあれば、本記事が参考になったらいいなと思う。

コメント

参考として

川端さんのその点の最新見解は、http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2013/07/post_80a5.htmlからお読みになれます。こっちの方が歯切れいいと思いますよ~!(量が多いので、まだ全部は読めていないのですが…<(_ _)>)

御リンクの「学級PTAの潜在力を思い出そう」は、川端さんの6年前のご見解。
川端さんがまだPTAにどっぷりつかりながら周囲と戦っておられるころのご見解です。「PTAは任意団体」という事実と、それを受け入れないPTA本部の間で葛藤されながら、スモールステップとして出されている、暫定的なものだと思っています。

ぶきゃこさんの課題提示に、感謝です。
学級PTAと保護者会はいろいろと整理する必要がありますもの。

私は基本的にPTAつまり保護者と教師が組織する団体であること自体が問題と考えていて、保護者のボランティア活動をしたい人が集まってするサークルをするレベルならば容認するという感じです。

教師が入っていることによって、教師も加入を強要され困っている方もおられ、また学校事業の下請け組織になっている原因だと思います。

やりたい人が、やりたくない保護者やできない保護者をほっておいて欲しい。ということなのです。

子育て、親育ちなどの大義名分を使って、保護者から会費を集め、労務の提供をさせるというのが納得できないのです。

義勇兵さんに同意。

そういった規模にして欲しいというのが希望だけれど
どーしてもどーーーーーしてもPTAっぽいことをしないではいられない
そういった方々をどーすんのか。
組織ごとぶっ壊すか折衷案を出すのか。

PTA、関わってみると分かるけどTHE嫁姑なんですな。
折衷案は非常に難しい。
家族の形態と違って大人数の嫁姑がいるわけで
ハッキリ言って処理しきれまへん。
一度解体するのがいいと自分は思っている。
(あ、つい本音言っちゃった。てへぺろ)

しかーし、そのやりたい層が新たなる組織を作って濃厚で珍妙な状態のものを作り上げてもまた困るわけで。(ここがぶきゃこさんが言ってることになるのかな)
解決にはならない。

学校及び児童が活動内容を提案する母体となる。

これを原点にして必要である活動を絞り、必要定員募集を募る。

これができたらいいんでないかな。
集まらなかったらそれはそれで無しでいいと思うがね。
ぶっちゃけなくたって教育は受けられるから義務教育として何ら問題ない。
保護者で活動内容を決めてサークル作ってくださいは絶対ヤバイ。
サークルというよりはやはりボランティア組織として立ち返るべき。
学級PTAってのはダメじゃね?
具体的に仕事絞って募集するのがいいと思うけどなぁ。
保護者が音頭とる必要性は皆無。

猫紫紺さん、義勇兵さん、ダンボールさん、コメントありがとうございます!
お三方の意見、また、川端さんの最新のオンライン書籍、合わせてじっくり考えてみました。
猫紫紺さんと同様、川端さんの本については全部読めていないので宿題ですが…

私としては、やはり「保護者にとって必要なこと・児童生徒にとって必要なこと・学校にとって必要なこと」を、「PTAのありかたの話」とまぜて語ることに違和感がある、という結論になると思います。
川端さんとしては「保護者がガバナンス的に教育に参加する」という理想への入り口として「学級PTA」論があったのだろうなと思います。今みたいな嫁業務で保護者に網を掛け苦しめるくらいなら、それこそが保護者参画の本来の姿じゃないのかと言いたかったのかもしれません。
しかしそれがPTAでなくてはならない、という論拠は別にないため、そこに「PTA」という単語を入れたことはちょっとした失敗というか、話がわかりにくくなるもとだったのかと。
私としてはシンプルに、PTAという団体の一番納まりのいいあり方はゆるゆるの「女おやじの会」ぐらいだと思っているので、PTAなんかに学級を支配されちゃたまりませんよという思いが先に来るわけです。
少なくとも、私にとっての「PTA」は、その程度のものです。
なんとなく、義勇兵さん、ダンボールさんには、そこらへんの感覚は通じそうだなと勝手に思っていますが…
猫紫紺さんは、私よりもずっと「保護者の力(それがPTAというかたちではないにしても)」に期待をかけている方だと思っているので、「女おやじの会」自体には賛成してもらえるにしてももう少し違う期待もまたあるのかなあ〜と受け止めてます。

だから、逆なんですよね。
「これはいらない、あれもいらない」とカットして、「どうしても重要なことはここだから、PTAをやるならこの部分で」という話をされてるでしょ?川端さんは。
じゃなくて私に言わせれば、PTAって「別にいらないこと」をやるのが本来だから、「どうしても重要なこと」に登場してこないで欲しいのですよね。

ダンボールさんがおっしゃるように、もし学校にとって「必要な」活動があるなら、学校や児童が主体となって募集するのがいちばんきれいだと思います。

ダンボールさんと同じく、私もPTAにはすでにもう変な着色がされすぎちゃっているので、これをこねくり回してどうの…というのは難しいと思ってます。
机上では何とでも言えますが、実際にフォーサー・コンサバと学校生活を共にすることを長年余儀なくされた者の、これはもう「実感」ではないでしょうかね…
「PTAでの困ったこと」というのは、もっと、もっと、低レベルで発生していることですよ。
「レベル」という言葉はあまり好きでは無いのですが、そういうふうに表現する以外、思いつきません。
そういう意味では、「再活用」ということば自体、心のどこかで「ロマン」と読み替えているのかもしれません。

義勇兵さん、私も、PTAという組織に教員が会員として入っていることの意義を実感したこともないですし、参加してもらっている実感もありません。そもそも教員って、保護者に対してタテマエしか語れないのが宿命でしょ? 平場でガチンコで話しあう、ということじたい、現実的に無理じゃないですか。
といっても、教師や学校に対して反感をもっているわけではないのです。
そういう立場しか彼らはとれないしそういう業務だ、と言っているのです。
そうじゃない、教員もPTAにとって重要な構成員だ、というならば、“執行部”に一定割合の教員がいなければおかしい。私はそう思っています。

さすが、ぶきゃこさん。
綺麗に整理なさった上で、わたしのスタンスをも見抜いていらっしゃいます。他の保護者への期待、この点について言及しようかと思っていました。そうしたら、ぶきゃこさんが触れてくださいました。
とはいえ、わたし自身、期待しながらも揺れ動いている面がとても強いです。現実PTAで感じる違和感の源はレベルに由来する、って、言いづらいことですけど感じてます。これもまたしょうがないことなのですよね~。いろんな方がいらっしゃるのが学校の保護者だから。
ぶきゃこさんの意見はわたしの意見とおおむね一致しています。

>ダンボールさんがおっしゃるように、もし学校にとって「必要な」活動があるなら、学校や児童が主体となって募集するのがいちばんきれいだと思います。

ここはまるっと同意なんです。
またしても自校で申し訳ないのですが、けっこう最新動向を研究しているらしく、PTAはPTAの独自性に任せる(法令通り、しかし頼る)。それプラス、学校関係の保護者・地域応援は直接保護者等に募る、というのを実施しています。あんのひげタヌキ校長め~!って感じw

>教員もPTAにとって重要な構成員だ、というならば、“執行部”に一定割合の教員がいなければおかしい。

これも、同意です。
教員多忙の現実を考えると、ほとんどいないか、いても名ばかり“T役員”になっちゃいますよね。

ごめんなさい。ぶきゃこさんのおっしゃりたいことが今一つつかめていない部分があって…お時間あるときに教えていただけますか?

>「これはいらない、あれもいらない」とカットして、「どうしても重要なことはここだから、PTAをやるならこの部分で」という話をされてるでしょ?川端さんは。

これが、ぶきゃこさんが引っかかっていらっしゃる「学級PTA」のところですよね。川端さんいわく「原点はここ」と。
そこをぶきゃこさんが評価なさらない理由は、前後の文脈から伝わってきます。

>じゃなくて私に言わせれば、PTAって「別にいらないこと」をやるのが本来だから、「どうしても重要なこと」に登場してこないで欲しいのですよね。

ここの “PTAって「別にいらないこと」をやるのが本来” の部分をもう少し詳しく知りたく思います。
“「どうしても重要なこと」” というのは、学級経営の場、ということでしょうか?

…同じPTAでも、体験ベースが違う、ということが擦れ違いの根本にありそうな気がしてます。
冒頭の
>私としては、やはり「保護者にとって必要なこと・児童生徒にとって必要なこと・学校にとって必要なこと」を、「PTAのありかたの話」とまぜて語ることに違和感がある、という結論になると思います。
これ、もっと掘り下げたお話を伺いたいです!

「もともとのPTA設計が大変よくばりで、上記全部ごたまぜになってること」がわけのわからない状態になっている原因かとも思います。

猫紫紺さん、いっしょに考えていただきありがとうございます!

>「どうしても重要なこと」 というのは、学級経営の場、ということでしょうか?

そう、そうですね。学級経営とPTA活動に親和性がない、と断言するわけではないのですが…たとえば今、私の子どものクラスの学級委員さんは、学級に起きている授業上の問題に取り組み、保護者同士の親睦に努め、意見をまとめて学校と交渉するためのリーダーシップをとってくれています。これはこれで、素敵なことです。しかし、この組織マネジメントがたとえば「じゃあ一体感を高めるため、クラスで年間ベルマーク300点を目指しましょう!」などという方向に暴走したらどうしましょう? 「月に1回、先生も交えて親子交流遊びをやりましょう!」というアイデアが実行されたらどうしましょう?
PTAとしての全校イベントで「任意参加」だったらさして害がなかったものが、学級という逃げ場の無いところを押さえられてそのようなことを主催されたら、対応できない(またはポリシーにより対応しない)私のような親の子どもは、よりシビアな形ではじかれてしまいます。
いまのクラス委員さんはとても良い方かつ聡明なのですが、そうでない人が主導権をにぎる場合も往々にしてあることは、PTA経験の長い方ならご存知だと思います。

先日クラス懇談会が行われましたが、平日にも関わらず欠席者は私だけだったとのことです。私は研修と会議が詰まっており到底、懇談のために休むことはできなかったのですが、「来なかったのあなただけだったよ」と後日悪気無く言われました。
それを言った方が悪いとも思いませんが、そういう状況を「学校の学級の中」で恣意的に発生させ得ること、そういった変なパワーをいち任意団体であるPTAが常時持つ、というのはトータルに見て怖いことだと思います。
公立学校という集団、学級という集団、これらはいずれもあてがわれの強制的な集団であるのに、それらが「強制的なたまたまの集団」であることから目を背け、これらに属する保護者たちを半ば無理にまとめてあたかも「自由意志に基づき結成された共通ベクトルを持つ団体」であるかのように装い便利に何かをやらせる、というところが現在起きているPTA問題の本質だと思います。その単位が大集団(学校)から中小集団(学級)へシフトすることでより自由度が増しコミュニケーションが取りやすくなる、というプラス面もあるにせよ、マイノリティがより存在しづらくなる、より暴走しやすくなるというマイナス面も強く出ます。

いずれにせよ、危険性をはらんだバリエーションの1つにしかすぎず、「任意性の徹底」というハードルを迂回して成り立つ話でもないということです。
PTAは、任意で参加する団体にしか過ぎず、したがって任意参加でも成り立つ活動しかできないし、すべきではない。
この基本の徹底がいまだなされていない中で、PTA活動の中身を先に剪定、定型化し、あたかも「ここは誰にとっても重要だよね」と言うかのように同調を余儀なくされるというのは怖いことです。
そんなことになるぐらいだったら、「PTAは任意団体なのだから、どうでもいいことしかやっちゃいけない。重要なことは、学校及び設置者が責任持って当たらなければならない」という明確なルールをもっと上から打ち出してもらった方がいい。
私は、PTA活動のコンテンツというのは、それこそが「皆さんで話しあってください」レベルの話で良いと思っています。コンテンツをどうにかすることで、任意性の部分を大きく揺すぶらなくても良い活動が出来るようになるか?私の答えは、ノーです。むしろ、「一見だれにとっても有意義な活動」「一見だれにとっても必要不可欠の活動」のコントロールをにぎらせるほうが怖い。
そういうことです。これは、日本人という国民性とも大きく関わってくるところです。

なんだか糸を解きほぐそうとして、もっとこんがらがらせてしまったかもしれませんが…^_^;
少しでも参考になればと思います。

ぶきゃこさん、丁寧なレスありがとうございます。
2~3日噛みしめていました。
含蓄深いです。

特に、ぶきゃこさんのおっしゃる
*** 引用ここから ***
そういう状況を「学校の学級の中」で恣意的に発生させ得ること、そういった変なパワーをいち任意団体であるPTAが常時持つ、というのはトータルに見て怖いことだと思います。
公立学校という集団、学級という集団、これらはいずれもあてがわれの強制的な集団であるのに、それらが「強制的なたまたまの集団」であることから目を背け、これらに属する保護者たちを半ば無理にまとめてあたかも「自由意志に基づき結成された共通ベクトルを持つ団体」であるかのように装い便利に何かをやらせる、というところが現在起きているPTA問題の本質だと思います。その単位が大集団(学校)から中小集団(学級)へシフトすることでより自由度が増しコミュニケーションが取りやすくなる、というプラス面もあるにせよ、マイノリティがより存在しづらくなる、より暴走しやすくなるというマイナス面も強く出ます。
*** 引用以上 ***
こちらは、PTA問題の本質を鋭くついていると思います。

いま、友人に勧められた思想家の本を読んでいます。鶴見俊輔、丸山真雄と同人誌を発行していた人物です。難しいですが、すこしずつ味わいながら読んでいます。
ぶきゃこさんのおっしゃる、上記部分と共通するな、と思う部分を引用します。

*** 鶴見俊輔の引用 ***
 母は、わたしに、男は男らしく、長男は長男らしく、こどもはこどもらしく、生きることを期待した。彼女が期待するとは、しいることだった。
 今日は家にいるか、それとも友だちの家に遊びに行くか。たまに彼女は私の意見を聞くこともあったが、彼女が、どちらの道が正しいと思っているかがわたしにはわかっていた。その上で、見せかけだけの自発的選択をさせる。その状況の設定が、わたしには、やりきれないことに思えた。しかも彼女はつねに正しく、わたしはつねに悪い。
*** 引用以上(太字は引用者) ***

「母」をPTA、学校、教育委員会と置き換え、
「わたし」をPTAに苦痛を感じている保護者と置き換えると、
上記の関係性はPTA内部で発生している関係性と相似形であるように、わたしには思えます。

クラス分けを意識しないケース

園の保護者会、長年、有志ボランティア制で、クラス分けをしていません。ですから、クラス役員という考えが浮かび難い。自分の子供のクラス中心に世話する活動ではなかったから。

ところが、入学すると、クラス持ちTがクラス役員決めを仕切られる。入学式の待ち時間などに…

手が空いているときに、必要なボランティアをすれば済むので、担当クラス決めなくてオッケーです。保護者はクラス担任教師ではないので。

皆様、コメントありがとうございます!

猫紫紺さん、見せかけの自発的選択って、なかなかポイントついてますね!
教委に「PTAは任意で加入して自主的に活動する団体」って言われても、いつだれがそんな「任意」で加入したんだい、どこにそんな人がいるの?って問い詰めたいですよ。

ぴーなっつさん、「保護者はクラス担任教師ではない」に、そーそー!と膝を打ってしまった私です。
子どもがクラス単位なのはわかるのですが、保護者がボランティア活動するのに、何年何組って必要なのかな〜と思ってました。
むしろ、PTA会員をクラス分けすると、じゃあ活動できる保護者のいないクラスはどうなるの?って困るから、むりやりにでも選ばなきゃいけなくなる。
親がいつクラス分けされたんだよ? と思いますよ。
百歩譲ってクラス委員は、クラス懇談会運営があるからというのもわかるのですが、本部役員を各クラスから1人候補出せとか、なんの意味があるのかさっぱりわかりませんよねー。

こんなこと思ってるから、「学級委員が必要欠くべからざる要素」っていう話もまるでピンとこないのでしょうね…。

>クラス懇談会運営

その時の参加者の中から、先生が指名すればよいのに、と思います。準備が必要な(保護者へ労力を課す)懇談会を経営していることこそ改善すべきです。
と、思う根拠は、ほぼ毎年、クラス役員のお子様の宿題忘れ率がその年度に数段上がっているからです。
子供放置プレイ(未就学児含む)の懇談会は、回数減らして欲しいです。

PTAを活用したい保護者は活用し、活用したくない保護者もいるのだということが分からない保護者が多いんですよね。

忙しいから活用できないとか、他の方法で保護者どうしの交流をしている(自治会とか)し子供も地域や学童、習い事でつながっているしので必要性がない保護者がいるということが理解できない方がおられて困りますね。

学校の下部組織ではないのに下請けの仕事をする組織になっているので、学校長や教頭もPTAから退会はさせてくれても、保護者どうしのトラブルには入らないという姿勢なんですよね。
私の場合は「違法な会員勧誘をしているPTAの活動を認めている、学校長の善管注意義務違反についてどう考えているか」を質問して、回答待ちしています。

皆様ありがとうございます!

懇談会も、なんとか講習会も、バスハイクも、お祭りも、無理のない範囲で任意で集まってやる分には全然かまわないのですが…
そのための準備作業を「役」や「当番」として有無を言わさず割り当てる、となるとかなり「???」と思いますよね…
集まって楽しむ人もいれば、そうしない人もいる…という当たり前の社会の構図を無視して、「みんなで!」と網をかける発想はなんとかなりませんかねぇ。

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プロフィール

ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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