2017-11

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読売新聞「変わるPTA」全4回

6月12日から15日の間に東日本で読売新聞に連載された「変わるPTA」シリーズを読み終えた。
4篇を通読して思うことは、「なぜ、PTAをどう活動させるか、の話から始まるのだろう?」ということだ。
わかったことは、PTAの目的を変え、構成母集団を変え、規約を変え、活動形態を変え、組織構成を変え、etc…のあとに、「これで活性化につながったorつながるんじゃないの?」という話をしたいらしい、ということだ。

しかしながらあまねく団体というものは、同種目的を持つ人が複数集まって、それを遂行するために結成されるものである。当たり前の話だが。
ブログでぐだぐだと飽きもせずPTAについて語っている私のような者は、そもそもそこの結成プロセスに何か尋常ではない「他からの力」を感じ取って、Pフォースという概念までつくって疑問を呈しているわけである。
小学校なら約6分の1、中学校なら約3分の1の会員が毎年入れ替わるわけであるから、かなり「毎年再結成」に近いものがあるし、それでもやり続けるならその都度目的=結成動機を本来は再確認しなければならないような気がするのであるが、それが「ひとえに子どものためという理由で毎年再結成されている」と簡単に語られるにしてはおかしな現状があるんじゃないか?という話をしとるわけですよ。ね?

読売新聞というのは日本ではすご〜いエライ新聞で、そこにお勤めするためにはすご〜い頭いい学校出なきゃいけなくて、それでもって全国紙に記事書けたりするのはすご〜い抜擢された社員だったりして「おいっ、こんど全国紙で4回連載やれっ!取材は抜かりなくやれよ」「ホントっすか!?自分やらしてもらえるんすかっ!徹夜してでもマジ頑張りますっ(滂沱の涙)」みたいな若手のカンドー秘話があるにちがいないと思うわけだが、そういう最高の人材による最高の資源を使った最高の影響力を持つ報道の取材にも関わらず「そもそもこの団体はまともな動機と手順で結成されているのか」という観点での描写がまったくスッポリと抜け落ちているのはどういうわけなのだろうか。

もちろん、「巣鴨商店街の山口キヌさんの1日」で地元の発展に力を尽くすばあちゃんを取材して、そもそも商店街が任意加入なのかという話に焦点をあてたり、「酷寒網走で警察犬として身を挺して勤めるタロとジロ24時間」みたいな取材で「だいたい何も悪いことしてない犬に強制して危険な任務に当たらせるのは動物愛護視点からどうよ」という話を持ち出してしまうと、記事や番組としてピンボケになってしまう。それはわかる。だから、まぁそれはそうとして、「この話はいい話だよね」ということで予定調和に持ち込むのが、ジャーナリズムの一手法であろう。

しかしながら、この2013年においてPTAをテーマとした報道をするに当たり「そこ(入り口問題)をあくまで触らない」というのは、もはや明らかに不自然であり、いったい何の誰のオーダーでこういう記事になっているのか不審に思う。
“時の人”に何人も取材をしているところはNHKや朝日新聞報道にひきつけられた視聴者・読者をねらっているようでもあるが、その記事内容(特に最終記事)を読めばそれが単なるちょうちんであったことも判明する。

有名な「まるおさん」の言葉も紹介されているが、まるおさんってこのようなことを仰っていただろうか? と首をひねる。「活動に参加するかどうかは保護者の自発性を尊重することが大切」は、確かにそのとおりかもしれないが、そういう言い方ってなにか、「活動をしない奴は自発性のない奴」というようなニュアンスを含ませてる気がする。「役員が丁寧に意義を説明しているにも関わらず、自発性をもたない自己中なやつらはしょうがないとして」という意味を裏に隠しているかのような物言いになっている。
なにか記事全体の文脈に沿うように言葉の微修正を行っていないだろうか? なにを修正しているのかと言われるとはっきり言えないが、「入会する」を「活動に参加する」に微修正し、「個々の判断」「自主性」を「自発性」にこそっとすり替えたりされていないだろうか?
私にはまるおさんがそんな言葉を使ったことがあるという記憶がない。
いや、「自発性」は仰ったことがあるのかも知れないが、「自発的な活動参加が望ましい」というような主張に力を入れておられた、という記憶がないのだ。

大して違わない…だろうか?

第1篇(12日記事)の前半は、私も応援している札苗小PTAの取り組みが紹介されていてそれは良かったのだが、「入退会自由をアピールすることで保護者の自主性を促そうと」というところにちょっとひっかかった。会長の彼は「入退会自由宣言」は人間として団体として基本的で当たり前のこととしてやらなければならないことと捉えている、と思っていたからである。私はそこに強く同意していた。活動を活性化するための“アピール”だったとは初耳なかんじであった。

彼がいつもブログで語っていることと、この記事とは、大して違わない…だろうか?

結局、タロとジロの犬権問題と同じように「それもあるだろうけどそれはそれとして」と置いとくための前振りのためにまるおさんは持ち出され、札苗小PTA会長に至ってはなんだか違う舞台で踊らされて讃えられてしまったように私には見えた。

個々の話をすれば、私はワンデーボランティアとか委員会廃止の取り組みなんかは、いいんじゃないかとは思う。PTA問題は加入問題が大きいけれども、実際の活動ストレスが弱まれば保護者間トラブルも比較的小さくなるのだからそれはいいことだと思う。
しかし、それはあくまで「会員となるか否か」の任意性が保たれ、建前的にも本質的にもいかなる差別・いじめ・排除の発生原因とならない自由で自主的な組織となり得たときに、その活動の仕方の選択肢として考えたときの話である。

そういう意味で語ってもいいなら、私はくじ引きもジャンケンも、欠席裁判も、「辞退するなら診断書提出」も、「先生の歓送迎会では無料芸者(参加費自腹)」でも、「退会するなら100万円払え」でも、「セミナーの参加率が低かったら責任とって裸踊り」でも、全部「いいんじゃない?」となる。
もちろん、入会前にきちんと説明し、同意を取って入会させ、子どもに何らの影響もないならば、である。

紙面を割いてバリエーションを多数紹介頂くのはまことにけっこうだが、「いやがる保護者をどのように巻き込んで活性化させて行くか」という視点から一歩も出ていないのは残念すぎる。
「強制一人一役」が「都度ボランティア募集」に制度的に変わったところで、「そもそもやってもやらなくてもいい活動である」という根底意識の共有をさまたげるのでは意味がない。むしろ「1年にたった1回のことがそんなに嫌なの!?」と強制の根拠としてより強く使われることにもなりかねない。ハードルを低くすればいいよねという話ではないのである。どろぼうも1万円はイケナイけど10円だったらいいよねという話をしても仕方がない。どうもそこが読売の記者はわかっていないように感じた。

締めの、「子どもの教育を学校とともに支えてきたPTAが今、地域活性化の核として新たな役割を担いはじめている」という結論めいた話は非常に「いきなり感」が強いのであるが、いったい4記事のうち、どの部分の検証を受けて導き出されたものであるのだろうか? 私は、「各地のPTAのようすをポツポツと紹介した記事」というふうに読んでいただけに、この結びには非常におどろいた。

☆山口キヌさんとタロ、ジロは仮名です。

コメント

若手のカンドー秘話…

…があるような気がしないでもありませんけれど、担当した記者の一人は1992年入社らしいです。
http://pr.inter-edu.com/071001yo/read.html

92年入社っ!? それは、オッサ…いやいやいや、若手ですとも。写真もツヤツヤしてるし。
それにしても、新聞を読まないと受験に合格しないって、もうどまん中ストレートの広告記事ですがすがしいですね〜。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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