2017-10

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理想はわかる、けど…

以前、小学校の前のPTA会長の退任の挨拶文が広報誌に掲載され、次のような主旨のことが書かれていた。

昔は今のように住宅に必ず風呂が整備されているわけではなかったから、銭湯というものが今よりも多くあり、そこを日常的に訪れる人々の間で温かい交流が行われていた。
そこに居る人全員で自然に子どもの面倒を見ていたし、気持ちのやり取りがあった。
そういう精神を持ち続けたいと、自分はPTA会長をずっとやってきた。

以上のような感じだったと思う。
なぜ主旨しか思い出せないかというと、昨年、PTAから「広報誌代を払わないなら既に配布した広報誌を返せ」と言われて以来、毎回もらうたびに返しているからである。
めんどくさいなーと思う。あちらの都合で学校で配りたいから、うちの子にも配布せざるを得ないのに、「返せ」とか言われてまったくめんどうくさい。会員に郵便で送れよ!とかマジで思うが、そこは譲ってあげて、受け取ってあげて、返してあげている。ぜひともPTAには寛大な私に感謝してもらいたいものであるが、ありがとうと言われたことはない。

それはさておき銭湯の話に戻るが、PTA会長と私は年代が違うので、そういう三丁目の夕日的な銭湯の風景は、ファンタジーとしては理解できるものの現実には知らない。私の知っている銭湯は、うっかりすると物を盗まれるところであり、すこしでも髪が濡れているように見えると「髪洗ったでしょ!」と番台の小母さんに疑われるところであり(髪を洗うのと洗わないのとでは料金が違ったので)、「皮膚病・入れ墨お断り」と張り紙がしてあって縦書きの文字の右側には朱筆で◎◎◎の強調サインがしてあるところだった。
ごく限られた常連客同士を除けばほとんど会話を交わすこともなく、みな斜め下を向いて用を済ませ、自分の赤ん坊を知らぬ人に見ててもらって自分はゆっくりはいるとか、走り回るよその子を叱って指導したりする義侠心に満ちた人など、見たこともない。

まあ私が三丁目銭湯を知らないのはいいとして、そういう社会のあり方を理想視する気持ちはわかる。確かに、そうであったらいいなとは思うし、みんなが穏やかであればたまに瞬間風速的にそういう風景もあらわれるのかもしれない。
そういうふうな、PTAでありたいという気持ちもよくわかる。
そういう意味では、きっと彼女の考えていたことと、私の考えていたこととは、実はそんなに齟齬はなかったのではないかという気もしてくる。

しかし残念なことに三多摩小PTAは三丁目銭湯の代わりにはなり得ないばかりか、これほど対極的なものもないと言ってもいいくらい「自由意志で寄り集まった人で自然に助け合って育児をする」という本来の趣旨からはかけ離れてしまっていた。
教委やP協などに「PTAとはなんですか」と聞けば三丁目銭湯そのものの美辞麗句が並べられるに決まっているが、その赤裸々な姿は、「うやむやに義務っぽい流れにして寄せ集めた人々で輪番的に助け合って育児をし、無理にさからって脱けようとする家庭はとことん排斥して懲らしめる」集団であるといえる。銭湯よりもむしろ軍隊である。

当たり前だが銭湯は入退出自由だし、常連客で「銭湯を愛する委員会」みたいなのを作ってたとしても「赤ん坊をみてもらいたいなら会の運営費を払いなさい」などということもまさか言われないだろう。委員会が大好きな銭湯を居心地よくしたいと思って長椅子を寄付したり看板をみがいたからといって、「運営費を払ってないなら椅子に座らないで!看板も見ないで!」などと主張してくることもないにちがいない。

三丁目銭湯の話は本当にいい話だなと私は素直に思うのであるが、それを話す人と「脱けるなら理由を詳細に言え」とか「非入会なら菓子代払え」とか「入らないなら保険きかないからそう思えよ」などと言ってくる人とが同一人物だということが、どうにも私にはいまだにのみこめていないのであった。

コメント

本当に。いつもわかりやすい例えに感謝です。
 > 昨年、PTAから「広報誌代を払わないなら既に配布した広報誌を返せ」と言われて以来、毎回もらうたびに返している
三丁目銭湯の理想と、言っていることとやっていることの差が激しいですね。

こちらでは初めましてです。

三丁目の夕日!わかります!!ことごとく価値観の合わなかった会長も、同じようなことを言ってました。地域の助け合いがナントカカントカ。

でも、銭湯のたとえを言うなら、その会長さん、実際に地元の銭湯にどのくらい行ってたんでしょね?
PTAを銭湯にたとえていうなら、もはやあまり必要とされていない銭湯を維持させんがために、地域住民から毎月何百円か自動的に徴収し、あまつさえ風呂掃除を「いつもお世話になってるでしょ!」と強制輪番にするという…そんな感じ?
会長さんは、そんな銭湯でも嬉々として「温かい交流」を楽しめるのかしら。

自分とこの会長含め、ノスタルジイなみなさんには「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」を鑑賞の上、感想文を提出してほしいものです。
ノスタルジイにひたるのは、未来に背を向けた大人のすること。
真に子どものためならば、いっしょに未来を作っていくのが大人の役目です。

猫紫紺さん、そうなんですよー。
広報誌返させてどうするのか知りませんが、結局捨てるしかないんじゃないかと思うのですよね、子どもがランドセルに入れてもって帰ったことで折り目や汚れもついてしまってるし。
なんのために返させるか?といえば、結局「腹いせ」でしかないような気がするんです。
私も欲しいわけではないので返すこと自体は別にかまいませんが、大人って恥ずかしいなぁと思いながら返しています。

クローバーさん、遊びに来てくださってうれしいです!
「地域で助け合う」
って言葉にしたら、そんなに反対する人っていないと思うのですよ。
でも、「地域で助け合うということは、全員が協力して祭りをやることだ」とか、「保護者同士助け合うということは、全員が平等に委員をやることだ」とか、そこの「勝手な解釈・適用」の部分が無審査になっちゃってるのは変だなあと。
理念を実行に移す時にそういう適用をするのは、解釈の「変換ミス」なんじゃないかと思うのですが、そこを指摘すると「助け合いを否定するなんて親としてどうのこうの…」「役員やりたくないからって自己中…」というとんちんかんな話になっちゃう。

「助け合う」というと、日本人ってやっぱり、「助けてもらったものは同じだけ絶対助け返せよ!」っていう発想がDNAレベルでしみついてるような気がするんですよね。
昔々の「ゆい(結)」です。
私は田舎の農業地帯で育ったので、子どもの頃まだ「ゆい」という言葉はぜんぜん現役でしたよ。
アメリカから来た「ボランティア」が、「ゆい」に変換されちゃうのは宿命なんでしょうかねー。

クレヨンしんちゃんのそれ、見たことないです! ツタヤで借りられますか? こんど見てみようかな^o^

ぶきゃこさん、「ゆい」を体験なさっていらっしゃるのですか!
やっぱり強制的なものですか?理由があって肉体労働を提供できないような方の扱いって、覚えていらっしゃいます?
わたしは新興都市で育ったので、そのあたり、ぜんぜんわからないんです<(_ _)>

「PTAは結みたいなもの」と、自校校長もおっしゃっていました。
んでもって、海外在住経験のある知人にPTA問題の事をつたえて意見をうかがったところ、理念をゆがめる原因は 「五人組」 じゃないか、って、一言で返されましたw
連帯責任って、日本人の意識にしみついているんでしょうか(泣)

いえいえ体験しているというほどでは…汗汗
子どもだったので、行った事はないんですよ。
でも祖母や親戚が「この日はナントカさんちの結の日だから、○○(別の用事など)には行けない」とか、あまり具合が良くなさそうなのに「結い返しに行かないわけにもいかないしね」などと言い少し無理してる様子とか…そういうのを見聞きしていただけなんです。

田植えや稲刈りなどの大作業は、とても家族だけでは無理ですからね…
ただ、もちろん家族って同条件じゃないじゃないですか。
屈強な若者が複数いる家もあれば、老人だけになっちゃった家もある。
「平等」「公平」ってわけじゃなかったはずなんですけど、そこで非人道的な強制が起きたりなどということは感じたことが無かったです。子どもだったので、見えなくされていたのかも知れませんが…
ただ、もちろん「行っても行かなくてもいい」というものではなかったはずです。
老人でも軽作業は手伝ったり。

日本人が昔からもってきた意識の中に、そういう「共同体と共益の維持は相当の優先事項である」というのが確かにあって、でもそれと同時に、「そうは言っても仕方がない」という気持ちの処理の仕方もかずかずされてきたように思うのですね。

結というのは地域の生活に直接かかわることですから、もちろん全員が平等に貢献すべきもの。勝手な理由で抜けることは許されない。
けど、さまざまな事情で皆と同じだけ働けない人も実際には居るし、健康な人手がありながら「俺は自分のところだけやる」という人も、なかにはいて、そういう場合は「仕方がない」が出てきてたんだと思うのです。

PTAは、もともと「やらないと大変なことになる」ものではないのに、なぜか「仕方がない」が抜け落ち、なにがなんでもやりなさい、になってる。
でも、「結は勝手な理由ではずれられない」という農民意識が活用され(?)なぜか維持されている。

変な話、戦後の民主教育が「個人には権利がある」ことを教え、それが「私は損をしない権利がある」になり、「私がやった分、あの人も強制されなければおかしい」になり…じゃないのかなと思ってます。「そうは言っても仕方がない」がなくなっちゃったというか、ポイント制や一人一役などのシステムづくりにより「仕方がない」を撲滅して納得しようとするというか。
昔ながらの連帯活動よりもむしろ、現代のPTAのほうが憎悪や嫉妬や冷酷さの渦巻くものになってしまっているのは、そういう面もあるかも知れませんね。

「五人組」はさすがに経験ないんですけれど、本などで見ると、結よりももっともっとキツイものだったみたいですね…知人さんの指摘は当たっていて、どちらかといえば五人組思想のほうが、PTAにはより近いものになるのかもしれません。

ぶきゃこさん、こんばんは!

東北のある地域では、お葬式、町内会が開きます。町内会に入らない世帯があったら………滝汗



町内会で葬式…おおっ、さらにレトロなかんじ…
でも、抜けても大丈夫じゃないですか?^_^;村八分でも、葬式は「二分」のなかに入ってるわけだし…なんちて。
設営や調理などの手伝いがあったり、お金がいっぱい動くんでしょうねー。
亡くなられた方は悼みたいものですが、年に何回も祭りに駆り出されるなんて(葬祭、っていいますもんね)考えただけで疲れます…。

毛布のお持ち帰り

町内会主催のお葬式の香典返し、名古屋の引き出物を思わせる量です。毛布に業務用サイズの調味料(水もの)セットに陶器ファミリーセットに…
遠方の方にもお持ち帰りいただきます!遠方からはるばるお越しいただいたので、ボリューム満点…都会の方は戸惑いますよね…

ええっ!?何すかそれっ?
こちらでは、せいぜいハンカチ類とかちょっとしたお菓子などですが…。
なんか、盛大に祝ってるとしか思えないボリュームですね^_^;も、毛布?
それだけのお返しが用意されているのなら、とうぜん香典のほうも3,000円とかじゃダメなんでしょ?ひゃあ〜。
私なら、死んでまで親族にそんな苦労かけたくないなー。

美しきフィルターかかってるんだなあ

ここしばらく見てなかったら記事凄くUPされとったー!

色々お疲れ様でございます。

さてさてこの記事について。
ぶきゃこさんの言うとおり、会長さんの気持ちはっていうか言いたいことはなんか分かるね。そういう形態を望んでるんだなってのはイメージとして伝わった。
んが、現状の事実とおかしなシステムを無視することは出来ないんじゃないのかね。都合よくスルーするとこまで3丁目やられちゃうと困るな。映画じゃなくてリアルな人間同士だからね。

自分は自宅で入る風呂の方が銭湯より好きだな。(そこどうでもいいw)
温泉にしたって極力人がいない時間帯を選択する。
みんなが銭湯のような人の繋がりが好きだったら、楽だったら銭湯大繁盛のはずだよね。でも実際は銭湯さん近年減ってるでしょ。ライフスタイルに適してない。PTA同様。
きき湯の個包装売りのような柔軟さが必要な時代なんじゃないのかな、むしろ。

ダンボールさん、こんにちは!

>んが、現状の事実とおかしなシステムを無視することは出来ないんじゃないのかね。

そのとおりだと私などは思うのですが、事実自体を見る目からして、フィルターかかってる人もいるらしいのですよね。
日Pのオフィシャルサイトに載っている「日本PTA50年の歩みと今後の展望」には、「冗談かな」と思う表現がいろいろとあるのですが、その中に「保護者全員の参加で」と題されたセクションがあるので本文を貼ってみますね。

-----------------------------以下引用-----------------------------
これまで、PTAの組織編成について絶えず議論になってきたのは、親の網羅的な機械的参加の在り方であった。
有志による自由な参加が、会としての自主的で活発な活動をもたらす源であるから、保護者全員参加制は廃止して、意識の高い人のみで再出発すべきとの論が常にあった。

しかし、現実に父母の全員参加という組織編成がほぼ完全に定着している現在においては、その議論は現実的とはいえない。
その場合、現実には、おそらくPTA自体の衰退につながることが予測される。
むしろ、参加形態よりも、参加後のPTA会員の意識の深まりのなさ、活動の不十分さの方を問題にすべきであろう。

多くの人々がPTAを通じて、何かを学び、考え、活動することの大切さをどう感じられるようにするのか、そのためにどのような活動を進めるのがいいのか、を検討することの方が重要である。
そのことが、当初のPTAの目的を実現するのには、最も確実な道ではなかろうか。
-----------------------------引用以上-----------------------------

これなんか、「網羅的な機械的参加のあり方が絶えず議論になってきた」という話から始めているのに、たった3行後に「現実に全員参加が定着してるんだからその議論は現実的とは言えない」という、ハァ?な結論をいとも簡単に出してるわけで、ちょっとちょっと! なんだその「事実が正義」信奉は! だったら何の議論もいらねーだろこのタコスケ! と私なんぞは思うわけですね。戦時なんぞになった日には、こういうエセ学者をみんな信じるんだから一番怖い。あ、学者かどうかは知りませんけどね。ちなみにこれを書いたのは、先日のNHKあさイチで生出演してたおっさんのようです。そんな学生向けのエセ論法で、この毎日“現実”を生きてるオバハンをケムに巻けると思うなよオヤジ! などとひとりでヒートアップしてましたよ。もー、激おこプンプン丸ですよ!(←職場の若者に習った)

ちなみに私も家フロのほうがリラックスするなぁ〜
気が合いますね、ダンボールさん!

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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