2017-09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「お願い」が「役割」に進化していいわけがない

人間、自力で何もかもできるわけではない。
人に助けてもらって、やっとまともにやり遂げられることも多くなってきた。
年をとってきて、本当にそう思う。
人に迷惑をかけない!というのは理想だが、頭もボケ、体力も落ちたいまでは、そんなことは口が裂けてもいえなくなっちゃってるのよね。
子育てなんてその最たるもので、こっちが何もしてなくても子供が勝手にいろんなところに行き、いろんな人と交流し、いろんなお世話になりもし迷惑もかけてくるのだから、あらゆる方面に頭を下げても下げても下げ切らない思いである。

人間という個体に限らず、学校という単位でも、「自力で全部出来るわけではない」という点では当然そうだと思う。
義務教育の学校は、金銭的にも労力的にも、なにもかも行政でお膳立てされて自己完結するのがまあ建前というか理想であろうが、現状の日本でそうもいかない場合も多いことは理解している。
普通に考えて、子供を30人とか40人とかの単位で、1人の大人で面倒を見る、ということ自体もうかなり無謀だと思っているので、子供一人一人に目が行き届かないとか言ってみたところで、ぶっちゃけ当たり前の話ではなかろうか。
プロであるからある程度の学習成果を出すことは任務だとしても、心の授業だとか、子供の個性を大切にとか掲げることは、机上の理想論とまでは言いきらないが、当然ながらおのずと限度はあるものだ、と私は思う。
スカート盗撮したり修学旅行費横領したりする輩を捕まえて「先生もひとりの人間だ」などとは死んでも言いたくないものだが、限界があるという点においては「先生も人間である」ことは理解したいものだと思っている。

だから、そこは保護者にヘルプを求めることは、ある程度あるだろうなと思う。
低学年の調理体験や、街中探検、運動会はじめイベントごとの手伝い、登下校の援助、朝子供が落ち着くまでの読み聞かせなど。そういったことについて「保護者の方に手伝って欲しい」というメッセージがあるのは、特に悪い事ではないと思う。

ただ私が思うのは、人が人になにかを頼むなら、直接事情を話し、こういうわけで援助が欲しいと相手が理解できるように説明し、もちろん相手固有の生活を侵害することはない程度に「お願い」をするのが基本ではないだろうかということだ。(※)
いまの学校に保護者が参加するシステム=PTAは、定められた業務を遂行することに夢中になってしまい、いつのまにかそういう原型を置き去りにしてしまったのではないかと思う。
PTAが発足した当時、メンバーの中には、私が上に書いたような、学校が困っている部分をサポートし、ひいては自分達の子供の教育の充実につなげたいという思いがあったのかも知れない。
ただ、いつのまにか「やってあげたい→ぜひともやってあげたい→やらなきゃダメ→学校にいちいち依頼させるのではなく団体で労力の安定供給システムをつくってしまおう→保護者は全員会員ということにしよう→当番や一人一役という名の強要」と暴走して行って現在に至っているものと思われる。

あらためて、ひとことにして言いたいが、
お願いしたいなら「お願いします」と頭を下げるのが人としての礼儀。
なのである。−−この部分、(※)の文のくり返しである。

そこは、はしょっちゃいけませんよね?

学校と保護者の間に入ることで、勝手にそこをはしょり、「学校に親切であらんがために保護者に強要をして差し出してあげちゃってる」システムを持ち込んでいるのがPTAである。
だから、私は、そんな団体ならトラブルのもとになるだけだから要らない、と言っているのだ。

学校側も、楽なのだろう。頭など下げなくても自動的にPTAが労働力やお金を持ってきてくれるのだから、こんな助かる団体はない。
でも、そこに慣れ切っちゃあいけませんよね。

うちの子の担任が児童に「みんな家からボックスティッシュを1個ずつ持ってきて!」と言った事に対する違和感の話は、以前記事にしたが、そういうことを疑問を持たずに児童に指令してしまうのも、PTAに慣れた先生のかんちがいではないかなぁ〜? と思う次第である。

コメント

本当にそう思います

学校とPTAの関係についての誤りがあるとの認識がないのだ。

保護者が学校事業やボランティア活動に協力してあたりまえという態度が目につく。

家庭ごとに様々な事情もあるし、任意団体の任意の意味がわかっていないとしか思えない。

本来ボランティア活動は無理してするものではないのだから。

義勇兵さん、こんにちは!
そうなのですよねー。そしてその、「任意のお願いなのをなるべくウヤムヤにして、保護者の役割ということにしちゃおう」という「誤解蔓延を狙った情報操作」が、あきらかに故意になされているように感じるのです。単位PTAじゃなくて、もっと上のほうからですねー。
「上のほう」が変わることも必要ですし、保護者がひとりひとり主体的になることも必要だと思いますね。
コメントありがとうございました。

規約は変わらないけれど

自校の場合、「PTAは任意団体」「PTAは入退会自由」とやってかなりたちます。
規約は一向に変わらないけれど、学校長がPTAに対して頭を下げる、募集ボランティアに応じた保護者に頭を下げる、という光景は日常化しています。その姿勢は、ボランティア募集のお手紙(学校発行)にも貫かれています。
人のいいわたしは、「よっしゃ!」とも思う場面たびたびです。
PTAの雰囲気も少しずつ変わってきたような気がします。

ただし、PTAよりは学校ボランティア、学校ボランティアよりは生協ワークショップのほうが、はるかに楽しく感じるのは事実です。

猫紫紺さん、こんにちは!
うちの小学校でも、学校から直接ボランティアを募る場合は、「お手伝いいただける方、お知らせください」的な文面だし、「できる範囲で」というスタンスだし、何かが起きて急にキャンセルしても「自分で代理を見つけてきてください」なんて(笑)言いませんよ。
PTAを通すとき、校長から運営のメンバーには「よろしくお願いします」と頭が下げられてるんですよね。でも、それを受けてPTAから保護者にやらせるときには「これはあなたの義務です」トーンに急になる。なんだなんだ?と思います。

こないだも、従来型PTAの一種とも言える学童父母会で祭りの手伝いにいったんですが、仕切り役のおっさんが「焼きそばとソースの数絶対間違えないでね!味が変わっちゃうから!」とか怒鳴ってるわけです。
はぁ?そんなに間違えちゃいけないもんだったら本職頼めば?と思いました。
こっちは休日の早朝から、自分の子供は留守番させて、彼らが行きもしない祭りの手伝いに出てるのに、なんで「間違えるな」とか怒鳴られなきゃいかんのか、もうサッパリですよ。
もちろんこの手伝い、自分が事情で行けなくなれば、代理を探さなくちゃいけません(笑)

そんなこと、いくらでも起きてます。

やっぱり、自発的かどうかというのは大きいですよね。
「ボランティア」が「無償強制労働」に化けてしまうのは、そこだと思えてなりません。
もっとも、「ボランティア」の意味を「無償」だと思っている日本人はけっこう多いのですけれど。
まずはそこから修正しないといけないのかな…?

「ボランティア」

 > やっぱり、自発的かどうかというのは大きいですよね。
 > 「ボランティア」が「無償強制労働」に化けてしまうのは、そこだと思えてなりません。

本当に。
この点、20年前に、文科系某財団理事長のおばさまから、うかがいましたネタですわ~
行政がいう「ボランティア」には気をつけなさい、とね。
「奉仕」の訳語じゃないのよね。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

« ホーム »

プロフィール

ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

最新コメント

最新記事

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム

月別アーカイブ

カテゴリ

PTA非会員日記 (108)
備忘・やりとりの記録 (68)
学校の謎 (16)
雑なモロモロ (34)
ごあいさつ (2)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。