2017-06

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利己ってなんだろう

学校の児童の保護者であるにもかかわらずPTA非入会である人を、「自分さえ良ければいい人」と言い表す人がいる。
そう言って、「私はみんなのことを考えて、自分の得だけを優先することはしないわ」とウットリしている人には大変申し訳ないのだが、人間の行動基準というのはまず「自分にとってよいかどうか」であり、その基準が乱れていたり、基準はあるけれどもその通りに出来ない人のことは、さまざまな病気名・障害名・各種の発達遅滞などの名前が付けられ「一定の異常がある」とみなされたり、心理学的に特異な状況下におかれているとみなされたりする。
だらだらとややこしいことを書いてしまったが、要は、「自分にとっていいことを最優先するというのは、人間のきわめて健康な状態である」ということを私は言いたいわけだ。

PTAに入らない人のことを「自分だけ良ければいい人」と呼ぶ人であっても、

「やらなければならないことなのに他人にだけ押しつけるのは申し訳ないわ」という自分の心の負荷を、実際に「自分の割り当て分である」と自分が見なす活動をこなすことによって軽減できるから、それが自分にとって快であるから、やっている

わけである。そういう意味では、「自分だけ良ければいい人」である。そこには「やらなければならない、という定義づけ自体に疑問をもつ」人の考え方をを想像したりみとめたり、シェアしてみようと試みたりする余裕はない。なんらかの理由で「やらなければならないことだ」という観念を既定事実として曲げたくないため、「やらなければならないということについて疑問を挟みたがる人は、やりたくないから、人に押しつけたいから、そう言うのだ」という曲がった解釈以外、することができない。

「自分にとっていいことを基準として行動する」ことができない人が一種の病であるのと同じように、「自分にとって良ければ他人を踏みにじってもかまわない人」も一種の病であろう。
人間は一次的には自分にとっていいことを基準として行動するが、そこに他人に対する思いやりを加味して、総合的に「自分にとっていい」と判断して行動できるのが成人というものである。その加味がまったくできない人は、それはそれでサイコパス(的)などの異常者としての呼称をつけられることになるだろう。
私の観察では、健常発達の子であれば、なにも成人にならなくても、3歳ぐらいから徐々にその能力の範囲で「他人を思いやること」を「自分の快不快判定に含まれる要因」として持ちはじめる。

「非入会だなんて、自分さえ良ければいいのね」という人がいて、それがもしサイコパス(的)だという非難の意味で使われていたら、私はそれはずいぶんだなと思ってしまう。
私がもし自分にとっていいこと(のみ)が最優先で、他人のことなど顧慮しないのであれば、PTA活動についてはだまって自動入会のままにし、「もっとも楽な役」を奪うジャンケンに積極的に参加し、前年のやり方を「それがいいかどうか」など議論せずそのまま踏襲し、さっさと終わらせたらあとは無関心をつらぬき、「自分の分は終わったのだから」となにがなんでも他人に押しつけ、他人が昼夜なく仕事をしていようが末期ガンだろうがおかまいなく、義務なんだからやれよ甘えるなで終わりだろう。
なぜなら、それが一番、労力と時間を節約できる方法=自分だけにとってベストな方法、だからである。

今現在の私がなぜそうしておらず、わざわざ退会したり議論したり関係部署に問い合わせたりなど、はてはブログを更新したりなどあえて面倒くさいことばかりしているかというと、そういう「自分だけにとってベストな方法」をとることが私にとって「もっとも快」ではないからである。そうしないと、「自分にとって良くない」からだ。
そういう意味で言っているのであれば、ぜひとも私のことを「自分さえ良ければいい人」と呼んでいただきたいものである。

コメント

「自分さえ良ければいいのね」という考え方は

単なる価値観の押し付けではないのでしょうか?

学校教育とは別とされる任意団体関する価値観の違い・・・。
「やらねばならぬ」もその人の価値判断(基準)に依るものではないのでしょうか。

価値基準をひと縛りにしたのが「子どものため」というフレースだと思うのですが、
なにが「子どものため」となるのかは、個々の家庭の考え方により異なるものと考えます。
そこに踏み込むPTAは教育基本法に認められる「家庭教育の自主性の尊重」を無視した団体ということとなり、教育関係団体として”如何なものか”と考えます。

確かに、現在のような状況で「退会」「非入会」を選ぶことは、流されて入会し「とにかく責任の重い役を回避してやり過ごす」より難しいことなのかもしれませんね。

ただ、私は自分の性格として「そのように上手い立ち回り」をする自信もないし、「ママ友」と言える人もいない=情報源がないので、どのように立ち回れば上手くいくのかもわかりません。
元々PTA組織に疑義を持っている立場であるのだから、それなら最初から非入会でいくほうが筋が通っているのでは?なんて、最近思い始めています…w

長男が発達障害で、3歳の時から早期療育に通っているのですが、その時の指導員の方の言葉を思い出しました。

「一口に“参加”と言っても、色んな参加の仕方がある。最初から皆の中に入っていって楽しくできる子もいれば、遠くから見ているだけで精一杯という子もいる。“見ている”だけでも、立派に参加しているんだよ。遠くから見ていることで、その子の心に何か少しでも残るもの(ネガティブ・ポジティブ、どっちでもいい)があれば、それは立派に参加していることになるんじゃないのかな」

ちまきさんに呼応して

そうですよね!
わたしは、役員会内で「PTAだよりを読むだけでも、立派に参加している」ことになる、と言ってました。

あり方さんへ

ありがとうございます。確かに「やるべき」という価値観がそこには反映されていて、そしてそれは「自分の価値観」にすぎないということを認められない方がたくさんいるようです。
それにしても、PTAに入会しないことを「自分さえ良ければいい」と言い表す人というのは、その人自身が、PTAから脱けたくて脱けたくてたまらないのではないかと思ってしまいます。
その人自身がPTA活動に充実感や喜びを感じていて「これは、ぜひやるべきだぁ」と感じていたら、それに参加しない人がいるからといってどうのこうの言うでしょうか?普通は、「あら残念ね面白いのに」で終わりじゃないかと思うのですが。

>なにが「子どものため」となるのかは、個々の家庭の考え方により異なるものと考えます。

本当に、ここが基本だと思います。現実に、私は「朝の旗振り」というPTA活動に8年間参加していましたが、自分の子どもを見守れたことは1度もありません。コースから外れているからです。朝の支度の大事な時に私がいなくなるので、子供は嫌がっていました。嫌がる子供を説得して行っていましたが、なぜ説得しなければならないのか、かなり疑問に思っていました。
任意団体で勝手に「なにが共益か」を決めるのはまあまだ許すとしても、そこに「強制加入」「はずれたら村ハチ」という要素が入ってしまうと、非常に邪悪なものになってしまうと思います。

彼らは「共益」に敵対するものとして「利己」と呼んでいると思いますが、その「共益」の設定自体がわがままなものであることには、なかなか目を向けないようです。

ちまきさんへ

確かに、「筋」という話をするなら、団体に入ってもいいな、入ろうかな、と自分で思えた時が入り時ですよね。それなのに、勝手に会員にしていきなり会費納入の話を始めるなどの実態をみたら、入りたくなくなって当たり前だと思います(^ ^;)
むしろ、そんなんで何も考えずに会費納入手続説明にふんふんとうなずいてしまう人たちって、おれおれ詐欺とか大丈夫?ってちょっと心配になったりして…。

療育の先生のお言葉、ほんとうにそのとおりだと思います。障害児に限らず、人間はいろいろな凸凹や適性があって当たり前。「同じことをやれ」と強要することが他人に苦痛を与えることで、プラスのエネルギーは生まないことに、そろそろPTAの歴史も長いことだし気づいたらいいんじゃないかと思ってます。

猫紫紺さんも仰っていますが、たよりを読んで理解するなり、質問や意見を出すのも参加の仕方のひとつですよね。一人一役をやらないと許さない、会員として認めない、などと言うなら、規約の活動目的にも「教育環境の充実を図り保護者としての成長を図るとかどうのこうの…」と書かないで、「保護者間の労役平等分担を目指す」とかうたえばいいんですよ。わかりやすい。

HNが決まっても本日は匿名希望(^^;ってのが気に入ってたりします(^^;

お邪魔します。

ボクは海外で植林のボランティアに参加したことがあります。日本人は木を切って買ってくだけで、原状回復も植林もしません。最近でこそ大企業がイメージアップのために植林なんかしてるところがありますが、大企業だけであって、実際に個人でボランティアに参加して苗木を植えたことがある日本人が何人いるでしょうか?

人口比でほとんどいないと思います。ということは、植林したことのあるボクから見れば、日本人は「自分さえ良ければいい民族」ということになるのでしょうか?そんな論理は破綻しています。

それが分からない可哀想な人のことは気にしないことです。カエルに海の話しをしてもわからないです。非会員がいるからこそ、役員の横暴が抑止されたり、精神的な逃げ道を感じることができる人がいたりするでしょう。ということは、PTAという組織に非会員であることで貢献しているわけです。感謝状をもらってもいいくらいです(^^)/

北斗の拳 無想転生みたいなことじゃない?!ちょっとちゃうかも(^^;

銀さんコメントありがとうございます!あれ?匿名希望?まぁいいか^ ^;
植林のボランティアというものがあるのですね。いわゆる「育てる林業」というものは、国内では話を聞きますが、海外では採りっぱなしということなのでしょうか。木は単なる材料ではなく、現地の人にとっては健康な生活環境の大きな要素ですから、採っていく企業にそこまで考えてもらいたいものですよね。

無想転生をしらなかったのでウィキペディアを見に行きました!

>哀しみを背負うことで修得できる。「無から転じて生を拾う」という意味合いを持つ。実体を空に消し去り、敵の攻撃を「透明無敵化」にしてかわし、一撃を与える。

なんのこっちゃさっぱりわかりませんでした!あわびゅっ。

自分さえよければとか、ズルいとか、PTAは自発的な活動ではない顕れですねー。こういう気持ちで活動する保護者達の集まりなんてとても不健全だと思うし、子供に対する影響を心配します。

PTAの活動で、私自身はメリットはあります。でも、入会と活動の無理強いはいけないし、私の感じたメリットは、PTA役員だけが独占するのは良くないと思います。
メリットというのは、先生と仲良くなれるとか、子供の様子をうかがえるとか、仲間ができるとか、PTAの裏事情を知ることができるとか(笑)。メリットは出来る限り、他の方々とも共有したい。PTAの裏事情を知ることも共有したい。絶対したい。

市民だベさん、コメントありがとうございます!

>こういう気持ちで活動する保護者達の集まりなんてとても不健全

そうなんです。以前から、お母さんたちで集まってPTA活動のことを話題にする時、みんな暗くて不安そうな顔をしているなあって気になっていたんですよ。明るく楽しそうな顔をして「これからやりたいこと」とか話し合ってるのをみたことがない。こんな罰ゲームのようなもの何故あるんだろう?と疑問を持ちましたよ。それなのに期末のPTAだよりでは「充実してて楽しかった」「成長できた」などの美辞麗句が並ぶ。それなのに次の委員決めなどはまた苦労する…謎だらけでした。

市民だベさんのおっしゃるように、メリットももちろんあるんだと思います。でも、そのメリットをとるかどうかはそれぞれの選択ですよね。2つのお店があって、片方が安いとしても、人間が全員「安い」というメリットを優先するとは限らないのと一緒で、「メリットあるのに拒否するのおかしい!」と言わんばかりに役員や入会を強要するのは困りものだなと思っています。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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