2016-07

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中2病ブロガーが有名大学教授に下品に頭突きをくらわせるの巻

私はまごうかたなきいっぱしのド素人のド一般人であるにもかかわらず、百万年経っても購入どころか図書館でも借りないであろう専門系雑誌に掲載された論文のことをわざわざ私に教えてくれる知識人のかたが複数いらっしゃって、いったいこのかたがたはなんだってせっせと六ツ目ザルにしぼりたて生ビールをじゃんじゃか注ぎ込むようなあたらもったいないことをされるのであろうかと不審には思いつつも、せっかくなのでいただいた資料を読み込んでみた感想をここに書こうと思う。さいわいなことに何キロバイト書いても無料なのだ。

今回のは、日本評論社「法学セミナー」2016年7月号というののp.41〜44に載った、
PTAと憲法論――入退会自由の任意団体か
というタイトルの小論文で、筆者は大学教授の大日方信春センセというかたらしい。

ここで勝手にひとさまの出版物を書き起こすワケにもいかないので、概要だけ紹介しつつ私がブツブツ感想をかいていくこととする。元の稿の全文を確認されたい方はすまないが雑誌をみてください。うちの市の図書館にはあったので、そんなにレアな雑誌ではないとおもう。

センセがこれを書いた動機のうちのひとつに、

(自動加入には当然疑問符がつくが、しかし)学校教育におけるある種の公共財(public goods)の提供を担っているPTA活動という義務負担の諾否を自由意思で決められるのであろうか、という点にも疑問
(以下、斜体は上記小論文からの引用)

があるとのことだ。なるほど。
で、その動機を持って書かれた本文の幹部分である「PTAの法的性格と入退会の自由」というタイトルの文章において、センセは団体性格の類別をこころみている。

(1)PTAが会員の自己教育や学習、および、リクリエーションや親睦団体として活動しているときは、社会教育法上の社会教育関係団体。
(2)単位PTAおよびその連合体が教育行政に対し児童・生徒の教育条件等の改善を要求しているときは、教育慣習法上の地域教育団体・教育利益団体。
(3)学校、教師に対して父母集団が教育要求を提示していくときは、学校慣習法上の正式な学校教育組織。

私はいきなりここでつまずいてしまった。
(1)はわかる。(2)もまあ、うーん…とは思うが、いいたいことはわかる。(3)って?
PTAが教師に対して教育要求っていうのは、具体的に何のことなんだろう?
ていうか教育上の要求は教師会員が業務上で実現すればいい話で、PTAが教師に要求というのはロジカリィにも変だ。
学校慣習法。正式な学校教育組織。
いや、日本語として理解は出来るんだけども、そういう実態が本当にPTAにあるの? ときわめて共感できない。
当地のPTAだけなのかもしれないが、あれハッキリ言って、「学校のお手伝い管理組合」ですよ。
私が会員でいた期間中、教育上の要求をPTAがとりまとめているところは見たことがない。よそのPTAでも、ウワサとしてもまあレアである。(ブロガーmoepapaさんが札苗小PTA会長時代に算数検定に乗り出したことはあったかな…あとは沖縄のゼロ校時も近いかもしれないが、厳密に言うと教育上の要求を学校に提示して実現させた…といえるのかは微妙なところがある。しかも違法の疑いが濃い)
この、センセのお話の(3)に共感される方は、ぜひとも(3)の具現をPTAがしている例を、たくさん私に教えて欲しい。知りたい。

そして、PTAの団体性格のカメレオン七変化のうち、まだ重要でリアルな2項目がもれていると思いますセンセは。
それは、
(4)学校や教育行政の要請に応え、資金と労働力を調達し充足させる正式なw学校支援組織。
(5)学校や教育行政の家庭教育要求に応え、会員をしつけて連帯させ一匹残らず明るみに引っ張り出す家庭管理組織。

はっきり言って、(1)から(3)だけなら、任意性の担保の障害にはならないですよセンセ。
慣習法はさておき、ちゃんと結社の自由はたもったうえで活動はぜんぜん可能。
(2)なんて日Pやってるけど彼ら「全員加入組織」じゃ全然ないかんね。
なんで任意加入論が、プログレなんとかと横文字でおこられなきゃいけないのかといえば、最大の要因は(4)でしょう。気ままに入ったり入らなかったりされるといちばん困るのは(4)じゃないの? なぜ、PTA問題において「任意」を簡単に言わせづらい焦眉の「そこ」を抜かす?
まあ、さいきんでは(4)を声高に言うとめっさ叩かれるので、「(4)なんてどうでもいい。それよりネットワークから漏れる家庭があっていいのか。手を差し伸べなくていいのか」という美辞麗句で(5)を「活動意義」として唱える方もいらっしゃいますが。

私なんか(4)さえなければ、保護者が「学校単位」でネットワーク化することにこだわる意味すらよくわかんないんだけどね。
単に、「親もなるべく多種多様ななおつきあいをした方が、子どもの成長にはいいよねー。親もいろいろな体験をして世界を広げよう!」じゃいかんの?
地域にいる、隣接地域の学校の子、私立の子、養護学校の子とかの保護者とはネットワーク化しなくていいの?
学校にふつうに行くだけでも息が詰まりそうになってる子の家庭が、わざわざ学校単位で親まで連帯強化するこたあんめぇーよ。
学校学区なんてのは行政が決めた強制枠なんだから、親のつき合いぐらい自由でいいじゃん自由で。なんで親まで学校単位学年単位クラス単位で管理されなきゃならんわけ。
とかいろいろブツブツ思ったりするのだ。まあこのへんはしょうがないよね中二病だからハハハ。
「子どもが同じ学校に通ってる」という理由だけでそんな唐突な「手を差し伸べ」られるくらいだったら、まだ「オラァ学校で要るんだよ親なら手伝え金出せ」のほうがわかりやすいってもんですわ。

まあ私みたいなきょくたんなヤツはおいておくとしても、このセンセは「任意団体(←センセは任意加入団体、という意味で使ってるようです…)というのはあまりにも現実離れしていて、準学校機関、って言った方がよくね?」と言ってるわけだけども、私ね、それ自体にはそれほど「いや違うだろー!」とはおもわんのですわ。
たしかに、準学校機関、みたいな扱いはされてるね、「保護者たちにとって」は。
入るも入らないも自由、なんて、自分のようなへそ曲がりはさておき、現状の多くの保護者は思ってないでしょ?
どちらかと言うと、「PTAは任意加入の団体です。あれは、学校とは関係ないざんすのよ」と言って保護者をビックリさせてるのは、教委じゃないの?とおもう。

だからさー、準学校機関なら機関でもいいけども、だったらトンデモ運営にならないように保護者任せにしないようにしないといけないよね? PTA内いじめがあったらちゃんと対応すべきだし、校長が自分のつごうのいいように利用しないよう、ちゃんと教委で管理監督しないといけないんじゃないの? 校長が会費流用したら教委が責任とらなきゃいけないんじゃないの? 肝心のところで「いやあれは保護者が勝手にやってるだけですので」って任意団体を称し始めるのはほかならぬ教委よ? 保護者はほとんどが、よくも悪くも「学校の義務だ」と思い込んでやってるわけで、「こんなのどうせ任意団体の活動なんだから」とテキトーたいがいに、校長の意見無視でやるような保護者のほうが少ないよ?

「任意団体なんてプログレッシブにすぎる、実態は準学校機関だろ?」ってのはそのとおりであって、ホンットウに、教委にむかって大声で言ってほしいものだ。

ま、それはそうと、次の
「PTAの活動と構成員の協力義務」
という項目を見てみよう。
まずひとつめ、「団体の性格と構成員の義務に関する一般理論」がごくふつうに紹介されている。
労組の判例などが出されているが、私レベルの頭でもわかるように書くと、

・構成員は基本的に団体に服従して義務を果たさなきゃいけないの。憲法下でなんでそれがOKになるかっていうと、加入するかどうかが任意だからなの。
・たとえそうだとしても、なんでもかんでも義務にしていいってわけじゃないの。団体の活動目的に適していなきゃ、ようは関係ないことまで強要するのはおかしいの。

ということになる。これに反対を唱えるかたはあまりいないだろう。

で、そのあとにつづく文章が、あまりにもわからないのでもう丸ごと書き写しちゃうんだけども、

本稿が注目している単位PTAおよび学級PTAは、前述した「親睦PTA」と「学校PTA」の目的、機能の両方をもち、かつ、構成員も同一である。本来ならこの複合性を団体の目的と機能に応じて二分しておくのが望ましいのかもしれない。しかし、現状、上のPTAは可分の存在ではないと思われる。そこで、その団体と構成員との関係を考える場合にも、当該団体が行う(行おうとしている)活動に応じて、構成員の協力を義務づけ得るか否か、変わりうると思われる。

だそうなのである。

よく、ネット掲示板などであまりにものわかりの悪いヤツ(←私みたいな…)がいると、「100回読んでから出直せ」などと言われるので、私もどうせ誰かに言われることだしと上の文を10回ぐらい(100回はキツいんで…)読んでみたのだがやっぱりわからない。国語力に難あり、である。

・PTAは複合目的機能を持つ団体だ。
・だから、活動に応じて会員に協力を義務付け得るかどうかが変わる。

↑こう言っているとしか読めないのだが。。。いやなんで?^o^;
さっきの「一般理論」にしたがえば、

・まずは、加入するかどうかが任意でなければ、(目的機能活動内容にかかわらず)義務付けは出来ないよね。
・加入が任意だったとしても、目的機能からかけ離れてたら義務付けはできないよね。

じゃないの?
なんだかホントによくわからない…。
「会員はベルマークを100点以上集めてこい」は、学校支援を目的に集まってる保護者会員には強制していいけど、保護者連携を目的に集まってる教師会員には強制しちゃ駄目ってこと? なになに? 何言ってんだ?
ベルマーク委員会で「ベルマークを100点以上集めてこい」は言っていいけど花壇委員会では言っちゃ駄目ってことか? そゆことか?
…やはり、大学教授のアタマとド素人おばちゃんアタマの差なのであろうか。実に残念ながら理解がむずかしい。
残念なまま、次の[2]へすすむ。

[2] まず、PTAの活動が会員の親睦や自己研鍵を目的とするものである場合、当該活動は、構成員が監護教育する児童・生徒が受ける学教教育と直接関係をもつものではない。したがって、PTAは当該活動への協力義務、参加義務を構成員に課すことはできないであろう。なぜなら、現状のPTAは親睦団体としての性質と学校機関としての性質を複合的にもっているので自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていないと考えられるからである。

いやごめん。ちょっと待っていやごめん。
まずね、

Aである(ではない)
したがって、Bであろう。
なぜなら、Cだからだ。

という文において、AとCで全然違うことを言ってたらおかしくないかい?
それはまあ、ひとまずスルーするとしても、
B(=参加義務を課すことは出来ない)は、わかるんだけども、それってさっきの「一般理論」から言うと、何はともあれC(自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていない)が理由になるのではないの?
目的複合とか、そんなのもはや関係なくないですか?

 つぎに、PTAが団体の本来的目的である「準学校機関」としての役割を担っているとき、構成員には当該機関としての活動に協力する一応の義務があると考えざるを得ない、と思われる。なぜなら、「準学校機関」としてのPTAの活動は、それを提供するPTAとそこからの利益を享受、消費する構成員が保護する子女との間に対価関係がないため、この活動を成り立たせるためには、構成員が保護する子女全員を受益者とみなして、そのことを理由とする義務負担を構成員全員に求めざるを得ないと考えられるからである

…お〜い、Cはどこ行っちゃったんだ?
Cはなんで急にない事になっちゃったの?
C(自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていない)なんだから、団体内の理屈(構成員と子女との間に対価関係がないから構成員全員と子女全員の授受益関係になる)が走る前に、大前提としてまず義務は課せないよね?

で、最終的にこの小論文がなにを着地点にしているかというと、
「PTAが任意団体ではないと言いたいわけではないが、あんまりそう言い切ってしまうのは、それじゃあ毎日のことが成り立たなくなっちゃうと割り当てられた役割を担っている人が気の毒ではないか」(ぶきゃこによる要点まとめです。引用ではありません)という話のようなのだ。

それならそうと、「任意団体なのはそうなんだけども、そう言っちゃうと現状とすぐには合わなくていろいろと困るよ」という話であって、さっきの「全員に義務負担を求めることの肯定」と論拠が合わなくなってしまう。肯定なのか、実際肯定できないことを認めつつもそうは言ってもね、という話なのか、どっちなんだかわからない。

結局のところ、センセの論文に「PTAが保護者に参加義務を課すことの正当性」も、「自動入会の正当性」も、説得力を持って書かれているところはひとつもなかった、ということになるのではないだろうか?

「任意加入団体であるし義務でもないのはそのとおりなんだけど、現状もあるしさ、ソフトランディングしないといろいろ辛くない?」という話でしかないのならば、そのように書けばよいし、書くべきでもあろう。あたかも「義務化」に論理正当性があるかのように書くからこじれるのである。現状が「正しくはない」ことは、実はだれもが分かっているのではないだろうか?

話は少し横に流れるが、最近見受けられる言論「ネットワークから漏れる家庭をとりこぼしていいのか」を見るとき思うことがある。それは、それを言う彼ら、そしてこのセンセもまさにおっしゃっている、「(論理的に、とか、片方の理屈で正しい、とされることを押し通すとき)いま担っている人たちの気持ちはどうなるの?」というウェットな訴えは、まさに任意加入化論者のモチベーションともなっている「(それで救われるという人たちのために)全員に活動を課すことで、苦しくなってる人達はどうサバイブすればいいの?」という訴えと同種のものなのではないかと。

どうしても、全員加入じゃないといろいろと都合が悪いし、それが弱者に手を差し伸べることになる、ということを口にする人は、「言い訳は理由にならない」と強制されることが本当に苦しい人たちはどのように切り抜ければいい、と思っているのだろうか。私は最近、そこが非常に気になっているし、聞いてみたいとも思っているところなのだ。
気のせいかもしれないが、いままでもコンサバ系の人に何度かそういう問いかけはしたんだけれども、たいてい答えは返ってこず、そのかわりに「じゃあ、いま役割だと信じて担っている人たちの気持ちは?」という、質問に質問で返してお茶を濁されるようなかんじで今まできているのである。もしも、今でもそういう答えしか用意されていないのに「全員義務化で人が救える」の話は、単に「あっちの人を見捨ててこっちの人を救いましょう」の話にしか過ぎず、結局は「多勢で無勢を踏みにじる」結果しか招かないのではないかと思う。
どうも、「非加入なんて子どもがどうなってもいいのね」と、「任意化して、声かけしてもらうのを待ってる人たちとか、断れなくて毎年引き受けてしまう人たちがどうなってもいいのね」は、同根の話法のような気もしているのだが…。

ま、そんな受け止め方は私の邪推だきっと。まさかとは思うが、「義務化されて苦しい人はどうサバイブすればいいんですか?」の答えが「役員にネゴって個別対応してもらえばいい」「理由を話してみんなを納得させればいい」「友達ネットワークで代わってもらうなりなんとかすればいい」とか、はては「役員になって中から変えればいい」みたいなプランしかないなんてことはないのだろう。だって「全員加入は弱者救済のため」なんだから、全員加入でべつの弱者を迫害していたら世話はない、そうだよね?

人数勝負を排除したとしても、どこかに、「よりベターな選択」はあるのだろうか? もちろん、ある。

私は今のところ、もっともなるほどと思えるのは、高校PTA会長が震えながら言っていた「手伝えない人もいるのはわかってる、お金だけでいいからお願い!」(意訳)のようなストレートぶっちゃけ系である。それがいちばん「しょうがないな〜」と思わせるし、「全員ネットワークから漏らさないためにどうのこうの」のキレイゴトよりはるかにリアルだ。熊本PTA裁判の原告岡本さんも、最初にそんな話をされていたら、しっかり腹に落ちていたのではないかという気もする(説得されて入会するかどうかはまた別として)。

「正しい正しくないより、目の前の現実に対してより適切な行動を選びたい」という生き方もあろう。「みんなをなるべく全員誘いたい、というより誘わないととても実現できない」願いもあろう。そういうことであればそういうふうに恐れずに表現することが大切で、真摯な態度なのではないかと私は思う。論理武装、という言葉があるように、論理を武器にすれば徹底的に論理で闘うこととなるだろう。論理がちゃちなら訴えたいことまでちゃちに扱われて終わるだけだ。自動加入や、自動加入の上での活動の義務付けは、現行憲法の上ではどうやっても、さかだちしても、100回バック転しても、トリプルアクセルしても4回転サルコウしても論理的に正当化できない。「こういうふうに考えれば正当化できる」などとまやかすべきではないのだ。今後コンサバチームがやりたいことを存続させるためには、かならず別の表現が必要になってくる。と私は思う。熊本裁判の被告PTAがなぜ訴えられているのかわからない、という人にはなかなか腑に落ちない話であるかもしれないが。
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Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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