2016-01

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ただのり論考

PTA問題の論争において、たびたび頭を出してくるフリーライダー論。
先日もツイッターで「ただ乗り保護者に悩んでいる」という方がいらっしゃったので少しそれについて尋ねてみた。
その手のことをおっしゃる方というのは、多くが「吐き捨て」でありまともな話が出来た試しはないのであるが、珍しくきちんとした方で、フリーライダーが享受しているという「便益」の内容を尋ねてみたら考えを述べて下さった。

曰く、「便益とは『体育祭でPTAが受付をすることでスムースな進行が維持される、PTA寄贈のテントやクラブ備品を使う、先生のサポートをすることで学校運営がよりよくなる』といった内容」とのことである。

なるほど…と思ったのでしばらくこれについて考察してみたい。
フリーライダー論はよく聞くのであるが、本当に具体的な解説が聞けたのは久しぶりだなと思ったのである。

たとえば体育祭の受付について考えてみよう。
体育祭というのは無論、PTA非会員が山ほど来場する行事である。
祖父母、きょうだい、他校の先生、地域の人々…
受付をPTAが行っているとして、彼らはそれら非会員に対していちいち「このフリーライダーめ!私らが汗水たらして受付してるのをいいことにフリーライドして体育祭を楽しみやがって!」と思うのか?といえば、思わないに違いない。いやしらんけど。え、思うの?思わないよねまさか。

ではなぜ、「PTA非加入の保護者」にかぎって、「フリーライダー」になってしまうのか。

それでわかる通り、フリーライダーという概念は、先ほどのツイート主が言うように、
「費用的な負担を避け、便益のみを享受しようとする人」
という定義ではないのだ正確には。
「便益のみを享受しようとする人」がフリーライダーなのであれば、費用のやり取りのない便益を受ければ全てフリーライダーとなってしまう。
他市町村へ行って公園で休んだり、公衆トイレに行ったらフリーライダー。市道や町道を通ってもフリーライダー。隣のまちで上がってる花火を見てもフリーライダー。
街頭でティッシュを受け取り、広告もきちんと読まずにハナをかめばフリーライダー。
デパ地下で試食めぐりをし、いっこも買わないおじさんもフリーライダー。
まことにせちがらい話だが。

フリーライダーとはそういうことではない。
フリーライダーという呼称が生まれるかどうかは、その前提に「本来負担をすべき人」というのがなければならない。
つまり、正確なフリーライダーの定義は
「社会(集団)の一員として本来になうべき負担を避け、便益のみを享受しようとする人」
である。
ようするに「集団で利益を生み出すときに貢献せず利益のみを得ようとする人」であるから、その人がその集団の一員であることが前提となるのだ。

PTAがフリーライダーと呼べるのは、呼んでいいのは、会員でありながら体育祭受付当番の義務を果たさず(会員義務ならばの話だ)、「体育祭の受付をほかの会員にやってもらう」という便益のみを享受しようとする人である(これもまた、そんな人がいればの話だが)。
非会員はそもそも「受付をPTAがやってスムーズな体育祭進行をみんなで享受しようね」という合同行為にかかわっていないのであるから、フリーライドもへったくれもない、ただの路傍の石ころ、その他大勢なはずなのである。
そもそも「PTAによる受付がきちんとなされたスムーズな体育祭開催をお願いします!」というリクエストすら出されていないわけで、そんな無関係の石っころをひっつかまえてフリーライダー呼ばわりもずいぶん酷いんではないかと思うのだが。

そもそも合同行為にくみしていない人を、「便益を受けている」という事実だけで「フリーライダー」呼ばわりする人は、キレイになった駅をつかう通行人を怒鳴りつける駅前清掃の宗教団体と変わりないわけであって、それじゃあはた迷惑な暴力団体ではないか。
※そんな宗教団体はフィクションです。参照→

にもかかわらずなぜ「PTA非会員はフリーライダー」と大声で言う人がいるのかというと、その人が保護者のことを「本来PTA会員義務を果たすべき人」とみなしているからなのですね。
黙っていれば「自動加入」。断って非入会にすれば心の中の「みなし会員」。
保護者に対する、PTAの熱い愛は続く…

などとフザけてる場合じゃなくてね。

成田空港でつかまえた「YOU」には熱心に「おもてなし」しても、まさかフリーライダー呼ばわりはしないでしょ日本人。それはね、YOUは外の人だからなんですねー。ヒッチハイカーなんかはそのものズバリのフリーライダーなんだけれども、そんな番組やっても「よその国見に来てガソリン代も払わず」なんて言うコメントはあまり見かけたたことがない。
フリーライダーという概念の根底には「オラたちと同じ義務を果たすべきお前たち」という同胞意識がある、といってもいいかもしれないのだ。
中国人や韓国人に対して異様にキビしい日本人がいるのも、無意識に同胞と見做しているのかもしれないなあと思ったり。

昔、うちの子供と同じ学童クラブの子が2年生くらいになって、それまで疑問を持たずに通っていたものが、成長して色々あったのか「学童なんて行きたくない」と言い始めたことがあった。
もちろんその子のお母さんは仕事があるから学童には行ってもらわないと困るわけで、どのように説得したかというと「お母さんがお仕事もってる子はみんな我慢して行ってるんだよ!お前だけ行かないなんてことが通るわけないでしょ」と言ったというのだ。その説得の仕方にはビックリしたけど、それを聞いて子供がしぶしぶ行くようになった、というのを聞いてまたさらにビックリした。

私が「正当性のないフリーライダー呼ばわり」に敏感なのは、そういう日本人気質のなかに危険が潜在していると思うからである。
こういうのがね、エスカレートするとね。みんなでいいことしよう、という運動があった時に、それに同調しない人はすぐにフリーライダー呼ばわりする脳内ルートが出来ちゃうし、簡単に隣人同士で縛り合うようになると思うのだ。
PTAみたいに母親を「いいことなんだから無理してでも参加しなきゃいけないんだ」と洗脳しようと思えばできるっていう社会土壌というのは、裏を返せば良くないことでも簡単に集団で決行させることができる土壌でもある。
「良くないこと」を「いいこと」と詭弁的に信じ込ませるなんて言うのは、すごく簡単なことだ。
だからこそ「いいことだ」という人と「そうは思わない」という人が一定割合で混在している社会こそが健全で安全だといえる。

戦時中に私が生まれていたわけではないしこれはもう想像でしかないのであるが、日本が戦争に突っ走っていたとき、大本営発表をしんそこ信じて「大東亜共栄圏のために戦ってアジアを平和にするんだ!」と強く思って、信念として戦争に全面賛成していた人がどのくらいいたのか、けっこう疑わしいんではないかと思っている。
多くは、みんなが犠牲を払って国に貢献しているのにフリーライダー呼ばわりされるのがいやだから、まわりに合わせていたのではないのだろうか。
いやもうなんの根拠もないし全くの想像の話なんだけどね。戦時中に成人だった人からひととおり当時の話が聞けたのは、ばあちゃんやら近所のじいちゃんやらのほんの数名でしかないし。

義家文科副大臣は東京新聞のインタビュー記事の中で、近年危険と話題にのぼっている巨大組体操についての意見を求められ、
息子は負荷がかかる位置にいて背中の筋を壊したが、誇らしげだった。全校生徒が羨望(せんぼう)のまなざしで見る中で、「ここまで大きくなった、見事だ」と私自身がうるうるきた。
と語っている。
自分が怪我をしてもまだ組体操という全体目的を遂げたことを「誇らしげ」にさせる教育というのは、嬉々としてわれ先に特攻隊に志願するメンタリティとは無関係なのだろうか? 私は個人的に、そういうのはホントウに恐いのである。
うちの子どもたちには、「え、怪我するなんて嫌だよ、やらない」と自己判断で言えるよう、またはやりたいならやりたいで「自分はやりたいよ、でもやらない友達がいても強制するなんて無理」とも自己判断で言えるような、どうか立派でまともなヘタレに育ってもらいたいものだと思っている。
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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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