2015-05

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よそ様のブログのコメント欄を勝手にぐだぐだと続けるぞ作戦

ブログ「シングルパパは元PTA会長」の「非会員を守る風土作り・・・」という記事には大量のコメントが寄せられているが、その後半部分No.164あたりから「元市内の小学校PTA会長」という方が登場して、いくつかのコメントを寄せている。

私はこの「元市内の小学校PTA会長」という方(長いので、以後、元さんとさせていただく)の語る内容にいくつか違和感を覚え、自分もコメントを入れようと思っていたのだが、日常の忙しさに紛れているうちに、「もうコメントをしないでほしい」とのブログ主の意向も表明されたため、記事としてまとめて書くことにした。

おのえクンのような突き抜けキャラのおちゃめさとは違い、元さんは現状に疑問を持ち自分なりの改革をしている、という意味で、より真剣にその発言には耳を傾けては見たのだが、どうにも「???」がなくならないのだ。

まず、札苗小の保護者と思われる人からの「いやと断れず辛かった」というコメントを受けて、

声なき声を本来PTA会長であったmoepapaさんがくみ取らなければならなかったのではないでしょうか(コメント164)

と言っているが、ちょっち待って欲しい。それを言っている本人のPTAは自動加入なのである。「声なき声」を勝手に「加入承諾」に読み替えることを自動加入と言い、どの口が「声なき声をくみ取れ」と言えるのかかなり疑問である。

自動加入と言っても十分な説明がなされ強要もなく和気靄々としているPTAもあるのだろう。任意加入と言っても三多摩中PTAのように「卒業記念品は会員子弟のノベルティ」と言ってのけるPTAもある。自動加入PTA=悪組織、任意加入PTA=善組織といちがいに単純化するつもりはないが、少なくとも自動加入させていた親玉が「声なき声を拾え」は吹き出す。

「入会自由でない(何も行動しない人は自動入会させられている)」「PTA会費納入に際し本人意思を確認しない」札苗小PTAは入退会自由のPTAと言えるのでしょうか(コメント164)

いや、これはこれなりに、この文章単独でなら一理はあるとは思うのだが、元さんが言っちゃだめでしょ。
あんのじょう、moepapaさんから「あなたが会長だったPTAは自動入会で委員会制でしょ」と至極当然のツッコミを受けているが、

会員から大きな不満はでませんでしたよ。その前提でPTAを設立しましたから。(コメント168)

との謎の反論をしている。
「その前提でPTAを設立した」という言い分自体に疑問があるが、それは後述するとして、
大きな不満は出なかった、というのは小さな不満はあったということだろうか。
過去記事「新説!?登場」のなかで、まるおさん宛てにコメントした通り、私はPTAの強要がおもてだって行われて、はっきり嫌がる人とドンガラガッシャンやるようなケースは意外と(特に都市部では)少なく、「ちょっと説得すればしぶしぶ応じるようなタイプの人」「意思を問わなければ順応するようなタイプの人」への無言の静かな圧力こそがPTA問題のむしろ大きい部分だと思っている。

「大きな不満は出ないからオーケー」という運営態度は、「子どものためだものしかたがない」と手伝いに応じながらもブログコメント欄を開放してはじめて不満をこぼしてくるようなタイプの人の声が聞けていない、という意味に限って言えば、元さんがサゲている札苗小PTAとまったく同列である。(もちろんそもそもの入会意思確認という意味ではまったく同列といえないが)

誤解があるといけないが、私は、「PTAは会員全員の声をしっかりくみ上げ、不満者の出ない運営をするべきだ」とはもともと思っていない。というか片手間の寄り集まりにそんなこと期待しないでくれやとすら思う。だから、「元さんだって聞けていないじゃないか」と元さんを非難したいと言うよりは、「小さな声が聞けていないじゃないか」と他のPTA会長を叱咤する元さんに「どれだけPTAを理想視してるの?」と違和感を覚えるのである。わかりにくいだろうか。

ちょっと脇道にそれるが、近年まれにみる素晴らしいインタビューだと思ったのが、川端裕人さんによる「PTAは加入率2割でも機能する」である。おのえクン(もはやすでにぶきゃこ非公認ゆるキャラになりつつあるな…)のインタビューは、あいまあいまにルーシーショウ(注)のような笑い声が脳内わき起こるという点でエンターテインメント性が素晴らしかったが、この川端さんのインタビューは中身がガチで素晴らしい。
ゆんたく会については、以前、福里さんからこういうのもあるよと教えてもらっていたのだが、「それこそ究極のPTAでしょ?」と長年希(ねが)ってきたズバリのものであった。日本は“文化的な国”であるはずなのに、なぜにこのような原始的なミーティングがしづらい状況にあるのか、不思議に思っていた。

元さんによる札苗小PTAへの不備指摘の違和感は、自PTAが「ゆんたく」的な機能を喪った団体である  つまり、意思の有無を問わずメンバーにして何かを課す団体であり、「不満が出るか出ないか」を強要度合のものさしにしている  にもかかわらず、「PTAは全会員のすべての意見を汲み上げ、耳を傾けるという(いわば)カスタマーサービスに怠りない団体であるべきなのだ」と高壇からお告げくだしてる感が満載な点だ。

ひきょうな手もこそくな手も無関心な人をまるめこむ手もまったくとらず普通に「入会申込書」をとり、あたう限りしっかり「ミーティング」をおこなっている識名小PTAの会長が「PTAはそんなにたいそうなものではない」という非常にまともなことを言っているのに引き比べると、自動加入させている団体の長が他の団体の長のCS不全を叱咤するなど「ナンダカ変だぞ」と首をひねらざるを得ない。

もともとPTAは(文科省参考規約に準ずる限りは)会員全員が平等な団体であり、意思決定は基本的に多数決で行っているはずである。PTA会長は団体の代表ではあるが、最終的に「お金を稼ぐ」ということを共通目的とし、最大限の利益を上げるために組織化し、上意下達のルールを設けている会社の社長とは違う。「PTA会長が会員の意向に反して運営」ということは(建前は)できない代わりに、一定割合の不満分子は必ず出る組織構造なのである。
不満分子がいることを「運営がちゃんと出来ていない証だ」とというのはまるで真逆の話であり、「不満を言う余地もなくさせている」自動加入PTAこそが大問題組織であろう。

PTAというのは会長という名の社長がおこなう事業組織なのだろうか? どう考えてもPTAというのは単なる集まりだし、単なる集まり程度との認識を会員が正しく共有することで健全性がたもたれるような気がしている。シロウトの事業ごっこは、やるなとは言わないが、勘違い暴走されるとハタ迷惑なものになるのだ。

このブログであまりPTAの違法性を語ることはないのだけれども、どっかよそで「違法性」にスポットをあてて語るとき、もっとも明確な法令違反は消費者契約法違反だと私は主張してきた。
しかしながらよく考えてみれば、事業者のくせに消費者契約法  つまり、契約においてフェアな説明をするという責任を果たす  を守れないというところを怒るよりは、そもそも事業者のフリをしとるのがインチキではないか、というところに問題の指摘ポイントを置き直したほうがいいのかもしれない、
そもそも、会員のほとんどが保有事業を「何のためにやってるのか」をよくわかっていない、会員それぞれが事業の目的や効果について我流の解釈を述べる、ような団体を事業者扱いすること自体に無理がある可能性もある。

話が抽象的すぎて、自分で書いてて退屈になってきたが、ようは
「会員から大きな不満はでていない」
ことは、なにも自慢するようなことでも、当該PTAの健全性を証明するようなことでもない。
ということを言いたかった。

そしてあんのじょう、
保護者は自動入会を前提にPTA設立総会で承認を受けました(コメント168)
自動入会を前提に会員の承認を得てPTAを設立した(コメント191)
という謎過ぎる自信がみちみちている。

実におかしなことであるが、自動入会を総会決議すること自体が反社会的であることが、素で分からない人がたくさんいるのである。
この元さん然り。あと、こないだブログを引用させていただいた田所永世さんの著書「PTAお役立ちハンドブック」のp.30にも、

PTAは)外部からの指示に従う必要はないのです。たとえば、文部科学省は、「PTAは原則として任意入会の組織である」と言っていますが、PTAの自治権を犯す(原文ママ)ことになってしまうため、個々のPTAに命令することまではできません。個々のPTAは独自の規約を持つ独立組織だからです。

という誤った記述がある。
文科省がPTAに「任意入会にしなさい」と命令しないのは、
・命令しなくてももとから任意入会である
・PTAは命令系統下にない
・社会教育法12条を一生懸命まもっている
・もともとカンケ〜ない
などの理由によるものであり、自治権を侵すからではない。強制入会が成り立たないのは憲法の定めであり、自治権がおよぶようなものではないんである。
東京都消費生活総合センターが出している「東京くらしねっと」という冊子の5月号に「身につけよう!契約の基礎知識」というめちゃくちゃわかりやすい特集があり、「なんだこんなのあるんだ税金はらっといてよかったな」と嬉しくなったのであるが、そのなかで、いわゆる「自治」についても解説がある。

なぜ、契約に法的な拘束力が認められるのでしょうか?「人が義務を負うのは自分の意思で望んだとき」という発想があるからです。これを「私的自治の原則」と言います。

このくらしねっとさんが言っている通り、あたりまえであるがPTAの自治権は、自分の意志で望んで会員になった時点以降に効力があるものであり、「保護者は全員会員な!」は自治権の範囲ではないのだ。

元さんのコメント191に

限られた状況下でより多くの方が満足できるよう常に努力をしていくべきと思います

とあるが、自動入会させたあげく「より多くの方が満足できるような運営」というのは、結局「少数派が満足できないような運営に巻き込まれている」ことに気がつかないのであろうか。「より多くの方が満足できるよう努力」ではなく、「より多く入会してもらえるような努力」ならわかるが。
少数派のリリースを許さないのに「多数が満足してるからオッケー」は、民主主義を多数決主義と履き違えている証拠であろう。

これに対し、moepapaさんから「自動入会の決議自体が個人の尊厳を尊重していないではないか」という反論がなされているが、
・司法家ではないのでコメントする気はない
・少なくとも会員から問題視されなかった
・法律家でない人からいわれる筋合いはない
などという、実に幼稚な反論となっている。

この主張で違法のそしりをまぬがれるのであれば、振り込め詐欺でバァちゃんをだましてるヤツを見つけて問責したとしても、
・司法家ではないのでコメントする気はない
・少なくともバァちゃんから問題視されなかった
・法律家でない人からいわれる筋合いはない
などとひらきなおられちゃう世の中になりそうな気がする。

※振り込め詐欺は刑事犯罪です、念のため

Think! PTA!で、ボケの花さんが、「PTAに法律を持ち出しても鼻でせせら笑うか異端児扱い」というせつないことを仰っておられるが、またここにもひとつ実例があるといえよう。

個人の尊厳を大切にされるなら入会届にしなかった理由は何なのでしょうか?(コメント202)

とmoepapaさんを問い詰めているが、よくもまあここまで目くそ鼻くそなことを偉そうにお叱りいただけるものであるなと思った。
札苗小PTAの非入会届について私が大いに疑問をもっているのは先日の記事にもかいた通りだが、だからといって自動入会の親玉が胸張って御指導くださるような筋合いでもないだろう。

コメント213あたりから、まるおさんが

「自動入会」の効力は、毎年毎年入ってくる新入生の保護者にも及ぶとお考えですか?
また、そもそも、設立時の総会に参加しなかった保護者もいると思いますが、それらの人も、総会の議決に拘束されるのでしょうか?


という、実に冷静に丁寧に質問を入れている。よかったぁ〜もう少しで、私がくちぎたなくノノシリはじめて、コメント欄全体を下品にしてしまうところであった。ふぅ、助かった…。
にもかかわらず、これへの回答は「荒らし行為」という「ハァ?」なものであり、加えて

PTA設立総会の要件を満たしたうえでの議決ですので拘束力はあると考えます。(コメント217)

という「???」なものであった。
そのうち、当該コメント欄はタオルが投げられ終了したが、私は今でも最後の謎を聞きたく思っている。

PTA設立総会の要件って、なに?
「何分の何以上の賛成があれば、自動入会PTAを設立する」
というような要件でもあったというのであろうか?

世の中には、「誰が決めたんだよ」といいたくなることを、突然ルールとして押しつけてくる人がいる。
PTA役員にもタイプ的に見かけることが多いような気がするが、
「これは、こういうことになってるんです!!」
みたいなことを突然言ってくる。
誰が決めたの?どこに書いてあるの?
と言っても、ひるむどころか「なんて屁理屈を言うんでしょうこのクレーマーは」みたいな失礼な目でこちらを見てきたりするのだ。

わるいが、PTAそのものが任意設立の組織なのに、「成立の要件」があること自体おかしいだろう。
どういう母数の、何分の何で成立するの?
それはいつの時点で、誰が採決するの?
誰がいつ、誰の同意で決めたんだよぉ〜そんなの。


(注)私が見ていたルーシーショウは再放送です、いいですね!!!
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非言語系、最強!!

運動会の季節ですね〜〜。

ちまたで危険度が議論になっている「組体操」であるが、三多摩小学校では今年もとどこおりなく行われた。たしかにあぶないっちゃあぶないよな、あれ。うちの小学校の組体操のもっとも大技はピラミッドとタワーがそれぞれ4段であるが、いちおう教師がハラハラした顔で近くでつきそってはいる。今のところうちの小学校で事故は聞いたことがない(※)が、ま、なくても困らないといえば困らないんだから(ピラミッドやタワーは、体操演目のうちのほんの一部なので)そんなに重大事故が起きているのならとっとと止めても良かろうな。
まー4段くらいならそこまで「マジやめろ」と言いたくなったり「自分の子供は参加させないぞ!」と思うほど、見た目にはあぶないように見えないんだけれどもね…甘いのかな自分。

あの〜それよりもね、演目の中に肩車があるんだけどもね、そっちのほうがユラユラよたよたハラハラするのよ。別に大技でも何でもなくて、ふつうに1対1の肩車なんだけど、大柄な子を小柄な子が担がされ、地面に顔面から落ちたのを見たんですけど。あぶないだろも〜。

運痴の子もいるからねえ…と元祖運痴のワタシに肩を持たれてもうれしくもなんともないだろうが、やはり何ごとも全員強制参加というのは何かとゆがみが出るものである。

昨年、内田さんという大学院の准教授が危険性を警告していたヤフーの個人記事に付いているコメントを、なるほどなるほどと読んでいたのだが、まぁ典型的な意見のひとつに
そのうち、あれも危険だからダメ。これも危険だからダメ。ということになって、なにもできなくなりそう。
というのがあった。
類似のコメントに
危ないことをやって、何が危ないのか覚えていくものだ
というようなのもある。

もっと集約すると
何事も経験
という5文字なのかもしれないこういう意見は。

PTA問題などでこの手の意見にはたくさん遭遇するが、
何事も経験
というようなことを言う人って、究極的には
早く話を終わりにしたい
のだろうなあと思う。

もともとの内田さんの記事は、リスク検証の結果、それと引き換えにするメリットを考えたらやめたほうがよいと結論を出したものであり、もちろん「危ないことは何でもかんでもやめた方がいい」などとはまったく述べられていない。
にもかかわらず、分析の不備を指摘したり、新たな視点からのメリットを提唱するなどの方法で反論を試みるわけでもなく、「そんなこと言ってたらきりがないだろう」ですませたがる人というのは、長い文章を読むのがめんどうくさい、または、はやく話を終わりにしたい、のだろうなあ。

内田さんに対して、私がいま、反対だ、とか、賛成だ、とかいうほどのものは何ももっていないのであるが、データをしらべて統計をとってこの記事を書くのに1時間や2時間じゃすまなかったであろうに、字も読みたくない人から「きりがない」で斬って捨てられるのは見ているだけでしのびない。

しかし、実社会においてはこのテの、「感覚派」とか「非言語派」とでも名付けたくなるようなひとびと−−苦労して論述しても「早く話を終わりにしたい」反応しかなく意見交換としては不全感の残るひとびと−−は、とてもたくさんいて、そのひとびととも共生しなければならないのもこれまた、現実社会であったりするのだ。そしてさらに厄介なことには、非言語派のかたがたは往々にして、言葉で論を組み立ててそのゆくえによってはいままでの結論にあいまいさが出るためいちいち振り返って首をかしげているような言語派よりもずっとずっとパワフルであったりもする。

本日から彗星のようにPTAネガキャンシンボルとしてきらきらと登場した感のある日P会長の発言にも、「共働きだから忙しいという理屈はよくわからない。うちも共働き」「いじめはちょっとぐらいのこととしか思わない」「陰口や無視も気にする必要はない」等々、「ああ、この人は話を早く終わりにしたいんだなあ」と思われる表現がいくつもあった。

このインタビューはあまりにキョーレツすぎてツイッターの反響もものすごく、せっかく、そのまえに識名小の福里さんやそのたいろいろな人から素晴らしい体験談や意見(除く千秋)を集めてシリーズ化出来たというのに、なんだかそういうお話が全部かすんでしまい、今までのすべてがおのえクンの前座みたいになっちゃったのであった。くっそー!おのえクンのものすごい人気が悔しいっ! 地団駄ドタドタ。くぅ〜。

もうここまで極悪なことをどうどうと言われると、私ごときが水鉄砲のごとくちょびちょびと読者5人ぐらいのブログで悪口を小出しにしてみても、カエルのションベンにツラというかもうそんな程度でとうていかなわない気がしておるところである。
おのえクンの発言の整合性を検証すれば論理的におかしいところはいくつもあり、3〜4本くらいはブログ記事がかけそうでもあるのだが、そんなことをしたって彼の存在感がミリほどもゆらぐわけではない。それほど非言語派というのはパワフルな「在るもの」であり、英語にしたら“I am.”なものを持っている。ちょっと前の記事にかいた「みの系」にも似てるな。

朝日の最終回は日P会長インタビューらしいということは聞いていたのだが、どうせ、
「もちろん周知のごとく任意加入でございます。えっ、強制的なことが行われている? そんなことがあってはならないとは思いますが、何かありましたらそのPTAの皆さんで話し合っていただいて…」
あたりの当たり障りないことで終わるだろうと思っていた私は、完全に意表をつかれ100対0くらい(何の点数だ)で敗退した気分なのである。

Think!PTA!掲示板にもちょこっと書いたが、振られたら完璧にボケてみせるというプロ意識がすごい。
今日から、おのえクンのことはPTA界の田中邦衛と呼ばせていただくことにした。

もう私自身はぐうの音も出ない脱力状態になってしまったので、あとは、この歴史的なインタビューをFJNさんがパロってくれるのを静かに待つ所存である。
…ていうか、すでに誰かがパロってつくったインタビューのように完成度が高いなこりゃ。


※私が三多摩小学校の組体操の事故について聞いたことがないのは、無事故ということではもちろんない。聞いたことがない理由は、ひとえに私が情報収集を怠っているからである。というのは、学校や教委が積極的にたよりやメールなどで事故報告をしてくることなどほぼ皆無であり(そんな報告があるとすればよっぽどの重大事故)、市民が学校で起きた事故について知るためには、教委の会議資料をちくいちダウンロードして読まなければならないからだ。日常、保護者同士の道端のうわさ話みたいなものにほとんど参加していない私は、「起きたらしい」レベルの話ですらあまりキャッチできないでいるのであった。トホホ。
ろくに読んでいない私がえらそうに説くのもなんであるが、よく「PTAに参加すれば学校や教育のことがよく分かる」などと言う人がいるけれども、居住地の教育委員会の議事録見たほうが、学校に行ってベルマークかぞえてるより何十倍もの情報が得られるので、PTAに参加したくとも難しい方や、PTA活動に熱心すぎて教育のことがわかんなくなっちゃってる方はご活用ください。いやまじで。

ひとりも漏らさずやらせないともったいない、ですか?

なんで僕が小学校PTA会長に?!という、2013年4月に始まり2014年7月を最新とする全32エントリのブログをみつけた。

最初の記事に、

私自身、ボランティアの
良い機会と思って引き受けます。
他人のためではなく自分のためです。

と書いた主は、半年ほど経つうちに、

PTAや地域活動などに関わると、
子供のためと言いながら、
自分の名誉のためにやっている大人が
非常に多いです。
PTA会長をやって、
それがよくわかりました。

などと毒づくようになり、
いちばん最後の記事では、

バカバカしいですね。無視して淡々とやるべきことを進めます。
いやぁしかし、PTA関係の人ってこんなんばっかり。やっぱりボランティアなんかより、本業が一番だなぁ、と、つくづく感じました。

と書いて終わっている。

うら悲しさが全身を包んだ。
このブログがうら悲しいというよりは、そうさせるPTAと、主の心境の推移が非常〜〜〜によくわかる自分自身がなんとなくうら悲しい。

私も会員時代は、メールでイヤな思いをいろいろとした。
委員会がなかなか終わらず、午後出勤に間に合わないので教室後方ドアから退出したところ、そのあと「委員会のあとにはベルマーク集計があるので、途中退席される場合は必ず事前に役員に言って下さい!」と委員全員にあてて当てこすられたこともあった。
そもそも委員会が9:00〜11:00としか聞いていないし、委員会自体も11時におわるような議事進行がされていないのだけれども…

あと、特に当てこすりというわけではないが、全員に対して「委員が欠席ということのないように願います」とか、「勝手に○○しないで下さい」とか、社会人としてどうよという不愉快な文面を何度か送られ、ほとほといやになった。

だから、この名も無き会長さんの心の移り変わりが、なんだかよくわかる気がしたのであった。

あと、「PTAのために仕事を休め」とは言えない小学校校長のホンネとタテマエという記事の中にある、

平日の午前中の会などは、仕事があるので断っているが、最近、校長や役員の教員からは、「休まないで出て欲しい」といった雰囲気が非常に漂っている。
そこで校長に、仕事を休んでPTAの仕事をやれってことですか?と言ったら、そうは言っていませんよ、と。

あー、ここめちゃくちゃよくわかるなぁ〜、と微笑んだ。

すごく昔のことになるが、いちばん最初に旗振り当番の説明をされたとき、8:00〜8:20と書いてあったので、「全員当番っていわれても、会社勤めの人はどうするんですか? 8:20に終えて次の人に旗を渡しに行って、それから出勤して間に合う会社ってよっぽど近くないと無理ですよね? 当番の日は仕事を休んだり遅刻しろってことですか?」とストレートにツッコんだことがあったからである。まさにこの会長さんと同じですね。
そしたらその当時の会長が、「休めだなんて、そういうわけでは…。でも皆さん、たまのことなので調整して下さってます。忙しいのはみな同じですので」
とかそういう返事でしたね。
「調整って? 休んだり遅刻したりする以外ないですよね? だから休んだり遅刻しろってことですよね?」
と追及すると、
「しろ、とは言ってません。どうしても難しいのであれば他の日の方と交代していただければ…」
「平日イコール、全部出勤日という方は多いんじゃないですか?他の日と交代して済むような問題じゃないと思いますが。結局、こうやって一律全員当番にするというのは、休めとか遅刻しろと強制してるのと同じではないですか?」
「強制はしてません、ですから相談していただければと…」
「相談すれば、当番を抜いて別の係にしてもらえるんですか?」
「それはちょっと本部と相談しないとお答え出来ませんが、基本的にみなさん忙しい中、調整して1人1回ずつということでやってますのでご協力をお願い出来れば…」

みたいな、きりもないやりとりがあったことを思い出す。
言ってることとやってることが違う、というか、当番を指示しているくせに、どうしても「強制」というわけではございません、みたいな変なにょろにょろしたものがあるのだ。
他の人はどうですかなどと一言も聞いていないのに、「みな同じ」「みな同じ」を繰り返す。

強制ではない、というのが本当なら、当番表の余白に
※あくまで自主活動なので、無理しなくてもけっこうです
くらいの一文を入れれば、こんなにツッコまれることもなかろうに、そういう表記は絶対にしないんだよね。
結局、やっぱり暗黙の強制。

うら悲しさとともに、ブログの会長さんはもともと、何か頼めば「私に出来ることなら」と引き受けてくれるようなかただったのに、だからこそ会長まで引き受けて下さったのに、最後はこんな「ボランティアなんかもううんざりだ、さぁ仕事仕事」みたいなことを書かせるに至るなんて、なんともったいないことかと思う。

前記事にものせた田所さんのブログのインタビュー記事で、会長Sさんが、
活動希望票を提出してこない家庭はただ届いていないか忘れているだけなので、(再配布しないと)せっかくの「やる意思はある」方を漏らしてしまう事になるのでもったいない
というコメントをしていたが、活動をやりたい人が、年度初めの希望票が来ないことに気がつかない、あるいはもらっても提出しわすれる、ということがあるだろうか?と思う。
明らかに、消極的な証拠だろう。
そんな人たちをも引っ張り出さなきゃ「もったいない」というのが、「使えるものは大根のシッポまで使いましょう」的な動員側の論理かもしれないが、私の目から見ればそんな子ども名指しで見せしめ的に再配布されて、せっかく「いつか手が空いたら自ら手を上げてくれたかもしれない」人を「さっさと義務を終わらせて二度と関わりたくない」人に変質させてしまうほうがよっぽどもったいない、と感じる。
「あらーごめんなさい気がつかなかった。早く言ってくれれば良かったのに」という返事をしているだけで、本心は、子どもを特定されて督促されるくらいなら、としぶしぶ腰を上げているだけなのではないだろうか。
そのへんの皮膚感覚、感じ取れているかなSさんは…。

本日は、変質の実例、という意味の記録として貴重だと思ったので、ブログをひとつ紹介した。
ブログなど書かない、おおぜいの名も無き保護者の失望の歴史に手を合わせつつ…。

新説!?登場

田所永世さんのブログに掲載されているこの記事がおもしろかった。
千葉県のPTA会長Sさんへのインタビューであり、こういうのはなかなか読めないので興味深い。
インタビューといってもウンウン傾聴するだけではなく、田所さんがプチバトってみたりしているところも盛り上げる。

Sさんはツイッターでいろいろ発信をされているとのことだが、私はツイッターをやらないのでその主張をはじめて読んだ。
特に目を引くのは「PTA管理組合説」であり、「自治会ではなく管理組合なのだから任意加入の説明はしない」という珍説である。

PTAが管理組合でないのは論を待たない(ちなみに自治会でもない)が、なぜ、どのような点が「管理組合に喩えても問題ない」とSさんが思ったのか、その根拠を述べてあると思われるのが

学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要があり、それは団地やマンションで共有部分の管理のために管理組合があって未入会や脱会ができない(区分所有法で定められています)のと同様

の部分である。
まず非常に問題なのが「学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要があ」るとの主張であるが、「学校に対して持つ責任」とは具体的にどういう責任なのであるかについてはまったく明確にされていない。
学校でちゃんと授業が行われるように、先生たちの勤怠管理をする責任だろうか?
校舎や校庭が危険な状態にならないように、池の柵を補修したり、割れた窓ガラスの交換費用を支払う責任?
自分の子供にきちんと持ち物を持たせ、時間通りに学校に行かせる責任?

田所さんはこの主張に対して「たしかにGHQ文書では〜」という話を持ち出し、あたかもその文書が「学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要がある」という命題への裏付けであるかのように話している。
そんな文書もあるのかも知らんけれども、それは、基本的理念の話なんではないだろうか? 
それをもって、「保護者は全員学校運営を手伝う責任がある」という解釈をすることができないのは当然だろう。
しかももともとのGHQ文書は、
学校の管理に関し、父兄及びその他の市民が責任を有している。
ということなのであるから、そのデンでいったら「その他の市民」もPTA加入して学校のお手伝いをする責任があるわな。

例えば、日本国憲法にこのような条文がある。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

この条文をもって、「だから国民はもともと権利を保持する不断の努力が必要。権利が侵害されたとしてもそれは自分の努力が足りないだけであって、警察や裁判所に訴えて守ってもらうものじゃないよ」という解釈をするようなものではないだろうか?

もともと日本は民主主義国家なのであるから、どんなバカな政治をされても究極的には「選んだアナタ(もしくは選挙に負けたアナタ)が悪いのよ」なのである。そういう意味で「自由と権利は国民の努力」なのであって、権利の行使に裁判所を使ってはならないという意味ではない(あたりまえだ)。

なんだかずいぶん回りくどくなってしまったが、そんなこと(=学校管理は保護者の責任)を言ったアメリカ人がどっかにいたからと言って、PTAの自動加入を正当化するのはこじつけすぎだろうどう考えても。としか思えない。
「牽強付会」ってこういう時に使うんでいいんだっけ?
どうでもいいけど「牽」って変換してもらわないと、紙とペン持たされても絶対自力で書けないぞ…

ま、
「学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要がある」の問題点指摘はここまで。

次は、じゃあ百万歩ゆずって、仮にそんな責任がある、としましょうや。
あるとしても、だからといって、

団地やマンションで共有部分の管理のために管理組合があって未入会や脱会ができない(区分所有法で定められています)のと同様

というのはこれまた飛躍もはなはだしいのだ。

Sさんが言うところの“共有部分の管理”とは何なのかが不明、という細かいところはさておいても、ともかくももっと大きい問題点を言えば、団地やマンションというのは、分譲するにあたって重要事項等説明というのが国家資格をもった人間によってなされることが義務付けられ、その中に管理組合規約についての説明も含まれるのである。
ごちゃごちゃと並べたが、ようは、「管理組合に入ってもらうよ、それでもいい人だけ契約してね!」という説明がかならずされているのである。

ところが公立学校に子どもを入学させた親、というのは、「PTAという名の管理組合に加入すること」を同意した上で自由意思で子どもを入学させているわけではない。
あたりまえだ。
義務で子どもを入学させているのに、“自称管理組合”PTAが「当然ですよね」と親を自動加入させ、反応が無いからと勝手に当番を割り振るなど、控えめに言っても“ならず者の行為”だろう。

いみじくも彼自身が語ったように、PTAとは各地でそれぞれ活動内容も異なり「同じあり方」が通用するようなものでもない、それこそ「任意の活動」をおこなう団体である。
公教育の水準担保は国や公共団体の責任下で行わなければならないものであり、そんな思い付きの素人団体に管理されるなど冗談ではないのだ。

意思を問わずに自動加入にし個人情報の流用を学校から受け、公教育の管理者を自称している時点で完全にケンカを売っているというのに、非加入者を「丁寧に説明してもどうしてもご理解いただけない方々」呼ばわりも酷くないですか。

本記事をひょっとしてSさんが読んだとして、
「問題点を指摘してくださってありがとうございます」という気持ち
になるかどうかは知らないけれども、やはり、「PTA管理組合説」などに疑問も持たないとすれば、非入会を選ぶような人々がなぜそうするのか、について理解するまでにはかなり遠い道のりがあるのではないか、と思われる。

また、同じ記事のなかに、田所さんによる
「PTAは入会が当たり前」という言葉も、「PTAは任意が当たり前」という言葉も、どちらも話し合いを拒否しているという意味では似ている
という言葉もある。
そこ、同列に並べますか?
「PTAは入会が当たり前」は個人の主義嗜好の域を出ないが、「PTAは任意が当たり前」はまぎれもない事実である。事実を述べた言葉のどこが、誰との「話し合い」を拒否している言葉なのか、こんど田所さんに尋ねてみようかなと思った。
少なくとも(PTAは任意を明言する責務があると思っている)私自身は、PTA関係者との話し合いを拒否された体験こそあれ、拒否した覚えはないのである。
むしろ、ムラ社会の住民にこれ以上何を言っても無駄、と判断した瞬間が、退会を決断した瞬間、だったのかもしれない。

PTA入会は任意が当たり前なのは、議論するようなことですらないだろう。S会長はP連に「利益と負担とのバランスが悪いと判断して」非加盟を決めた。利益と負担とのバランスが悪いと判断してPTAに加入しない親がいるかもしれないのに、「うちらは管理組合だから」との団体側の一方的な論理で任意加入の説明を故意にスキップするというのは、きちんと加盟申込書をとっているであろう上部団体よりも、申し訳ないがはるかにタチが悪いと言わざるを得ない。

PTA管理組合を法整備したいという考えには別に反対もしない。法整備に向けてがんばっていただけたら、それはそれでいいのではないかと思う。しかし現時点ではPTAは管理組合ではないし、一個人のドリーム、猫紫紺さんの言葉を借りれば単なる「拡大解釈」でしかないことを踏まえるべきである。
保護者のつながりが、ないよりあったほうがいい、というのは私も同意であるが、相互の意思を尊重する、というベースが欠けた発想で生まれた活動に本当の親睦があるだろうか?と疑問符をつけざるを得ない。
保護者全員のつながりがあった方がいい、という素朴な願いから生まれた「自動加入」であったとしても、そこから生まれたものがこんな惨状であるのは残念ながら事実なのである。
「現状うまく回っているPTA」の役員さんというのはよく、「そんな押しつけ合いはそこの民度の問題であって、PTAが悪いわけではない」という逃げ口上を使うが、これにたいする私の考え方は過去記事「システムか人か」で述べた。
いやしくも育児中の母親が「逃げるヤツ本当にムカツク」などのような罵り文句をオープン掲示板に書き込む心境になるというのは、義務と誤認させる自動加入PTAに大きな原因がある、と断言しても何ら言いすぎではないと私は思っている。

手伝いを指示するプリントを、来ない家庭の児童めがけて何度も再配布する、という行為に私は「親同士、仲良くしようよ」を感じない。
サイレントによるノーの意思表示、と、単に手紙が届いていない、の違いがわからないのは、「参加しません」の選択肢が無いとか、問い合わせ先の記載が無いとかの、PTA文書によくありがちな書式不備が原因なのではないだろうか?
手紙が届いていないかもしれないから再送付、という行為もそれ自体でちょっと奇妙な話である。子ども経由で手紙を渡す、という連絡方法に失敗しているのに、また同じ方法を取るというのは不思議な行動だと感じた。

親同士のつながり、を重視し活動目的ともしているのであれば、子ども経由でプリントを渡すしか連絡方法が無い、という状態がまずまっさきに改善されるべきなのではないかな〜という気もするのであった。

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母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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