2015-04

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「非加入届」の迷走

ブログ「シングルパパは元PTA会長」で、札幌の中学校の「PTA非加入届」が話題になっている。

簡単に言うと、保護者向けに
「PTAには加入しません」
という申込書(?)を配布し、それを提出してこなかった家庭は会員と見做す、というやり方が「加入の意思確認をおこなった」といえるのか? という議論である。

「非加入届による意思確認」のどこが問題なのか、いちどハッキリさせたいと思っていた。

札幌のPTAの現実上の問題においては今のところ、諸事情でそうなってるのだと思うが、「非加入申し出による入会の意思確認」には契約行為として重大な欠陥が4つある。

ひとつは、非加入者を知るだけで加入者を判明させるためには、学校からの個人情報流用なしには成り立たないこと<個人情報の問題>
学校の個人情報提供行為を、なにかへりくつをつけて学校側は「OK」にしたとしても、保護者側の同意の証拠がどこにもない。

もうひとつは、「非加入申し出をしない=加入する」ルールであることを保護者が理解し同意した証拠がどこにもない<前提となるルール未合意の問題>
ブログ主であるmoepapaさんは、「2月の新入学の保護者ほぼ全員が参加する入学説明会の場」で説明をしていると言っているが、入学説明会に欠席する親は存在する。むしろ上にきょうだいがいれば、「仕事を休んでまで出るほどでは…」とスキップする家庭も多いのではないだろうか?
百歩ゆずって「全家庭」から出席しPTA会長の説明を聞いたとしても、「全員」とはだれなのか? 父母のどちらかがその意思確認システムを理解したらOKなのか? が明確でない。全家庭の全保護者がその説明を聞いて合意に至っているとはちょっと信じられないのである。

3つめに、「全員とは誰と誰と誰なのか」にも関連することだが、「非加入申し出をしないことにより加入したと見做される」のは、いったい誰なのかがまったく明確でないという問題がある<契約当事者不明の問題>
PTAが学校から児童単位の個人情報ときょうだい情報を得たとして、そして非加入申し出がなかったとして、いったいだれがPTAにたいして会費の支払いという債務を負うのか?
契約当事者が不明であれば、多くのPTAのうたう「会員は義務と権利を有する」という規約もまたいったい主語の「会員」とは何であるのか、わからなくなってくる。

最後の明らかな問題点は、「加入したくない人に個人情報を出させる暴力性」である<“非加入契約”の不条理>
当たり前だが、もともとPTAにそんな提出を求める権限などあるはずもない。
なぜ、学校に子どもを入学させた保護者は、「PTAに非加入の意思を持つかどうか」を検討し、それを提出しなければいけないのだろうか?

債務履行を求めるには、債権者側が債務の存在を証明する、のが民法の基本的な考え方である。
日本社会は、この「条理」によって成り立っている、といっても過言ではない。
債務がないことを証明しなさい、と契約関係のない人に求める行為自体、「不条理」「ゆえなき他者への権利侵害」そのものではないだろうか?
「非加入届」は、保護者に対していきなり「活動やらないならやらないと証しなさい!」と求めるものであり、道ばたで募金活動をしつつ、「募金は任意ですよ〜でも募金しない人は、募金しませんと届けを書いてくださいね〜じゃないと勝手にお財布からもらっちゃいますね〜だって届け出してないでしょ?」と言うような「社会条理をひっくり返す」ものなのである。

熊本PTA訴訟で争点になっていることとも関連するが、
「拒否しない限り同意とみなす」というルール(=私人間契約)には、当然ながらそのルールに合意しているという証拠が必要である。
そんなルールについての同意書を取り付けるくらいなら、最初から「加入申込書」にしたほうがよっぽど早いし、契約行為としても不備が無いのはいうまでもない。

札苗小PTAにおいても、「しっかり丁寧に説明がおこなわれ、趣旨を理解していない保護者はいない」のが本当ならば、書式を「加入申込書」にするだけのことが何故障害になるのか? が当然疑問視される。

また、札幌市PTA共済会が出せといっていたとウワサの「非加入申し出」リストなるものは、共済会が補償の範囲からはじくために苦肉の策で出させている書類であると思われ、なんの強制性もないものだ(逆にあったら大変)。
また、もし提出されるとしても、提出者は契約者であるPTA会長でなければならないのだから、そもそも「非加入申し出をしない人々の加入の意思」を確認する書類ではない。

へたな文章ではあったが、自分の力のおよぶかぎりで「非加入届による加入意思確認」の問題点を挙げてみた。
私は、今の段階では「札苗小・中PTAは非加入届をやめるべきだ」という意見を出すつもりも、「非加入届ではPTA改革とは言えない」と断じるつもりもない。
ただ、非加入届の受付を加入意思確認とするのは問題があるという考えを持っているので、その具体的な根拠を明確にいちど書いてみたいと思った。

PTAが「会員から会費を集め、その会計報告をする団体」であり続ける限り、会員の名簿管理が事務負荷となる…という言い訳は絶対にできないと思うのだ、どんなにめんどくさくても(実際にはそれほどの事務量ではないはずだが)。
名簿管理をしなければ会計処理が成り立たないのだから。

以前、「まるおの雑記帳」で、「だれから幾らPTA会費をもらっているかは、デリケートな個人情報のため学校関係者しか知らない」と発言した元PTA会長がいて驚愕したが、そのような滅茶苦茶な組織でない限りは、だれから会費をもらっているのかは管理する必要があり、それを「事務負荷」と呼ぶならば活動などできないはずなのだ。少なくとも建前上は。

大きな流れを予測すれば、PTAの任意性が世に定着していけば、児童を差別出来ない以上「会費」という概念にもクエスチョンマークがついてくるのは必然で、「寄付金運営」にシフトしていかざるを得ないのではないか…と見ているところである。

とはいうものの、少なくともマスコミがPTAの任意性を広めたいと思っているわけではない、ということだけは確かのようである。

タレントの千秋さんがPTA活動に加わった結果、「面白くなかったし、子どものためになっているとも感じなかった。」という感想とともに、このようなことを語っている。
仕事をしていることは、PTAをやらない言い訳にはならないと思う。「お母さん」であることはみんな同じだから。

このような発言を、「悪意なき無知」ととらえるべきなのか「無知が生んだ悪意」ととらえるべきなのか測りかねるが、タレントにこのような無神経な発言を「広報させる」新聞社と、「どうする?PTA 入退会は自由」というタイトルの記事を3年前に掲載した新聞社が同じというあたり、「新聞って売れればなんでもいいのかなァ」とため息を吐いてみたりもするのであった。
スポンサーサイト

シュワシュワが美味い季節になりました

子どものころから、食品などについているラベルや菓子箱に入っているしおりを意味もなく熟読してしまうクセがある。
子ども時代からうん十年もたってしまった私であるが、先日もそのクセを踏襲し、子どもが飲み干したラムネのびんを熟読していたところ、

ご注意!!

と赤字で記載があった。「!!」だけがイタリック体になっているため、かなり注意をひきつけたい目的で書かれたことが推測された。
本文も「」で始まり、どうしても注意をひきつけたい意図がうかがえる。

★玉押しでビー玉を落とす前に万一、ビー玉が落ちていることがありましたら、ビー玉落ちです。

とのことであった。
この後には、「それは不良品なので返してね」みたいな説明がつづくのであるが、私はこの冒頭の1行の断罪ぶりに衝撃を受けたのであった。
「パパーッ、このラムネ、ビー玉おちちゃってるよ〜」
「うっ……そ、それは……!!」
「パパ、なあに?」
「そ、それは、『ビー玉落ち』だ……っ!!!」
「えっ……ビ、ビー玉落ちっ…? ひぃぃぃぃーーーーーっ!!!!」(←楳図かずお調の顔になる)
みたいなモノモノしい断定口調ではないか。
「ビー玉落ち」とあらためて命名すると、まるで「下手の中飛車」とか「タコ鳴きタコ待ちタコ和了」みたいな「だっせ〜なんでそんな初心者の失敗やらかすんだよ超絶だっせ〜」感がかもし出され、これはあってはならない大変なことが起きた的な効果が得られるのである。
欲を言えば、「ビー玉落ちです」のあとは、「。」じゃなくて「!!!」にしてほしかった。惜しかったハタ鉱泉株式会社。

とはいえ、彼ら製造部門も毎日大変なのであろう。毎週月曜日には「品質管理ミーティング」が朝8時から2F会議室でおこなわれ、前週からのビー玉落ち率改善差とか、今年度ビー玉落ち率月次推移とか、年度末ピー玉落ち率終息見込みとか、そんな資料とにらめっこしながら対策を練っているに違いない。
「おいどうしたんだ!先週のビー玉落ち率が0.04%も急上昇しているじゃないか!」
「す、すみません、4月からびん口部くびれ検品チームのリーダーがくじびきでPTA会長になったとかで、毎週1日くらいずつ工場を抜けるようになってしまい…その間はサブリーダーが監督しているので検査が甘い時間帯が発生し…」
「ばかっ、今年度のうちの工場は、工程ビー玉落ち率0.01%以下、市場ビー玉落ち率0.003%以下、ビー玉落ち総損失年間750万円以下死守というマイナス予算が組まれてるのに、こんなペースじゃ無理だろうっ!PTA会長なんかすぐに辞退させろ!」
「いやそれが、仕事は理由になりませんとからしく…」
「ふざけるなっ、製造部門の最重要指標であるビー玉落ち率とPTAとどっちが大事なんだあっ!こんなことではウチの業績もビー玉みたいにストーンと転げ落ちて(←社員頑張って苦笑)、トンボ飲料のマーケットはいつまでも攻撃出来ないぞおっ!また営業部の奴らに『売れるもん作ってもらわないとぉ〜』とかネチネチ言われたいのか!」
などという企業ドラマが繰り広げられているに違いない。知らんけど。

いや炭酸会社の内部抗争はどうでもいいのだが、私が感心したのは、どの業界にも専門用語があり、専門用語的に命名するとそれはなんだか非常に重要性をもちはじめるんだなあということであった。

PTA活動における「製品事故」とでも呼ぶべき会員間の強要や子どもへの差別、ひそひそ、ここのコメント45番のような理不尽な感情暴発などに対しては、PTAが団体活動をする上で責任を持って発生率を減らさなければならないものなのではないかと思うのだが、そういったことを監視する委員会も、「Pハラ発生件数」を集計し、コンプライアンス基準を定めて指導助言をおこなう機関もないのが痛い。
このさいハッキリいわしてもらうと、インターネットという身もふたもない情報交換網が発達して多くの人が「PTAってなんかおかしくね?」と言い合い始めているというのに、会員から¥を吸い上げ全国大会だかなんだかをやってる上部団体はいったい何をやっとるのか?と疑問に思うわけですよ。自分たちの営業成績にかかわることなのに、なんで「我が連合会に加盟している都道府県PTAは軒並みPハラ発生報告件数が1校あたり年間10件を下回っており、加盟してない野放しPTAとは違うんです!これも、我々が研究を重ねて情報交換を密におこない、連合意識を高めてコンプライアンス基準を守っているからなんです!」とか宣伝したらどうなんだろう、とか思うのだ。毎週月曜日にビー玉落ち率改善会議を重ねている民間会社(いや知らんけど…)とはずいぶんな違いではないか。

なんか、かぎりなく「黙っていても税金が自動的にいただける」国や自治体と同じニオイがするんだよねぇPTA上部団体って。
「任意加入団体」を土台にしてるのに高級ビルを所有してたりして、「来期いくらの収入になるのか何の保証もないのに随分よゆうだっぺな」という感想しか出てこない。
いくつか脱退されちったというニュースもあったことだし、ここらでひとつ「我々は実質強制加入もPハラもいっさい発生させないことを誓います!まんがいちそんなことがあったらこちらの『にっぴフリーダイヤル0120-うんたらかんたら』にすぐにおデンワください!」くらいのコマーシャルでも打ったらどうなんですかね〜金余ってんだろうし。

しまった、PTAを特に応援しているわけでもないのに、応援しているかのような作文になってしまった。。。
しかしまあ学校で活動している以上、せめてラムネ屋にはまけないくらいはがんばってほしい。

あまりに自信満々な人は学習団体に向かない…かもしれない。

自信満々な人、をときどき見かける。
自信があるのは良いことだ。私は、「自信がなさげなフリをしつつも陰で自己中なことを繰り返す人」が生理的に大嫌いだが、意味もなく自信満々な人は、それほど嫌いではない。
意味があって自信満々な人ももちろん嫌いではない。というか好きかもしれない。意味というのは中身というか実質のことだ。
中身のある人はいちいち自信のあるフリをしなくてもいいので、謙譲を美とする日本においてはむだに自信満々な人は少ないのだが。

で、ここにひとつの実感がある。
「従来型」PTA役員には、自信満々な人の出現率が一般より高いという実感である。
今月、従来型であるうちの小学校PTAからくばられた年度初めのお手紙に、
「各クラスにて保護者会で委員をお決めいただきます。」
という一文があるのも、その実感を裏付ける。
「なんで保護者会であんたがた団体の役職決めをせなあかんの?」という根源的な疑問はさておき、いま言いたいのはその「お決めいただきます」という文言自体である。
これは、ひじょうに「自信満々」といえるだろう。
命令系統で上位にいるわけでもないのに、突然電車のとなりの席の人に命令されたかのような、ハト豆状態に人をおちいらせる、「いただきます」。
ク…クルックー。クルックルックのボッポコポー。もう目を白黒。
「自信満々」が適切でなければ「無礼千万」と言ってもかまわないかもしれない。

このほかにも、「提出してください」「1家庭1回以上」「取り組んでいただきたい」などの文言がたくさん並ぶ。
問題なのは、この手紙がPTA会長発信の「保護者各位」であり、本文中にもたびたび「保護者の皆様は」が出てくることだ。
「会員各位」や「会員の皆様は」であれば、好きなだけ「いただきます」を連発して「いただいて」構わないが、保護者に向けて何言ってんの?つか誰あんた。と心の中で小声でつぶやいてしまう私であった(あっ、うっかりインターネットにも書いてしまった)。

PTAから離れても、自信満々な人はときどき見かける。
職場のAさん。
みのもんた的な情報をたくさん仕入れ、確信を持って断言する。
もちろん彼女だってはたらいているから昼日中の情報番組はなかなかみられないのだが、世の中には類似の番組がたくさんあるらしく、テレビにくわしくない私にはすべて「みの」と総称されている。
彼女にとって、根拠をしらべるとかっていう行動は最初からプログラムされていないので、ない。
彼女の感じる「信憑性」はみのによって高められ、ほぼ自動的に「事実」となる。
みのはすでに「結論」である。
だから、反証を出されるとちょっと都合が悪い。
だからそれは聞こえなかったことになったり、「へえ」といったん聞く様子を見せるものの「でもそう言ってた」で完了したりする。
みのの過大与信については無害なので放置されるが、業務上でもたまに「何を根拠に?」とたずねたくなることが起きる。
しかし自信満々である。
業務上のみのは「経験」である。
つまり、「前はこうで良かった」「何も問題だったことはない」である。
誤った手順でも、100回繰り返されて問題がなければ、正当な手順となる。
そこで苦情などが出れば、「正当な手順なのに苦情を言われて迷惑」となる。

「いただきます」満載のPTAのお手紙も、同様かもしれない。
私の記憶によればこの手紙はかつて、「PTA会員各位」であった。
私が脱会してから、「PTA会員・保護者の皆様」というフシギな宛先になった。
そしてそのあと、「保護者の皆様」になった。
しかし「いただきます」的な口調はまったく変わることがなかった。
PTA本部にとってはすでに、「100回繰り返された正当な手順」なんだろうなと思う。

このように謙虚さのかけらもみられない手紙を配ってくるひとびとというのは、素朴に考えれば本来、学習を目的とした団体にはそぐわないのではないか、という気もする。
大人が学び合い、こどもを大切にする、という崇高な理念の中に「手伝いは1家庭1回以上」という上から通知文がどういう具体行動として組み込まれているのか、PTA役員の中にひとりでも脳内消化出来ている人はいるのだろうか、と考える。
PTAを否定するわけにも行かなくて困っている、いろいろな選択肢の中から条件的に「入会する」「活動する」「協力する」「とりあえず在籍」をチョイスしている、という人ならたくさんいるだろう。
しかし積極的に肯定するモチベーションをしっかり持った人は、どのくらいいるんだろうなあと感じざるを得ない。
きっと「PTAありき」はすでにみのなんだろう。

自分の言動の根拠に「みの」しかないとき、それを突き崩そうとする他者は「脅威」となる。
話し合ったり学び合ったりする相手ではなくて、脅威となる。
だから、敵を倒したりやり過ごすために「常に壇上からのモノ言い」「わかりにくいとして無視」「反論出来る部分だけ語る」「屁理屈だけで執拗に言い返す」「言葉尻に極端に不寛容になり取れる揚げ足を探す」「代案を迫る」「突然“不快”や“悲しい”など感情表出」「明らかにみのが揺らぐような結論が出てしまう危険事実については“判断が難しい”などと濁す」などとなる。
もちろん、継続的にOLN話法を用いている様子も見られる。
敵を撃退することが目的化しているため、もともと何を話し合いたかったのか? は、どうでもよくなってしまう。
なぜなら、議論の行方や提供してもらった勉強材料によって、「みの」を揺らがせるつもりは最初からないからである。

私が、PTAの理念を現場で実現するのは、机上でそれを語っているみなさまがたが思っている以上に困難だ、と考えるのは、そういう自分の体験からなんですね。
民主的に話し合うことでなにかが前に進み、新鮮なアイディアが生まれ、参加者の考え方ややる気がリフレッシュされる。
なんてことは、強制参加させられてる状態では稀有ですよ。ケウ。
みのはみのなんだからぐたぐた言わずに、やらなきゃならないことを済ませたいの。要は、やらなきゃならないんでしょ? ですよ。

みの恐るべし。

レストランのハッピーバースデー

まー何であれ組織や団体という物は、どうしても個人の意思というのは多かれ少なかれ塗りつぶされるものであろう。
会社然り。あたりまえだが「そんなことやりたくありません」がそう簡単に通る場所ではない。
義務教育の学校然り。文科省がかってに決めたプログラムを、全員あまねく修了せよというのであるから、もともと個性の尊重とは相性のわるい場所といえよう。

前者は入る自由も出る自由もあるから(人間お金を稼がなきゃいけないので完全に自由とは言えないものの)、まぁ自己責任でがんばるしかない。
後者は、私のような人間は子供のころからキライであったのだが、やはり人間社会が規律を持ったものである以上子どもに教育は必要であるので、多少の強制と、それに相対するがまんはしょうがなかろう。もちろん改善の余地は多々あるのだが…。

前者は自由意思での所属、後者は義務としての所属、とわけられるわけだが、この中間に属する
「義務ではないものの意思に関わらずいつのまにか巻き込まれ、賛同をしないわけにはいかない局面に追い込まれる所属性」というものが人生の中でとつぜん浮上してくることがある。

たとえば、本記事のタイトルだ。
あなたが家族と一緒に、何週間も前から楽しみにしていた映画を封切り日に観にいき、帰りにレストランで感想を交わしながら、いま給仕されたばかりの湯気を立てるアルデンテのパスタに取り分け用のフォークをつきたてようとしたその時、館内の照明が落とされる。
2ブロックほど離れたテーブルに置かれたケーキのろうそくがともされ、

♪ハッピーバースデートゥーユー

と手拍子がはじまる。
そして歌が終わった頃、ろうそくに顔を照らされた、全然見知らぬおじいさんが顔を紅潮させ、うれしそうにフーッと吹き消す。

♪パチパチパチ…

とレストランの客がみな拍手。

いや、いいんですけどね。
おめでたいですよ誕生日。
よかったね長生きして、おじいちゃん。

でもね、あたりまえだけどレストランって、いろんな人が来るんですよ。
うちみたいに、いまは映画の話をしていて、人の誕生日の話はしていない家族もいる。
パスタって茹で立ては1秒でも早く食べたほうがいいんだけど、それを目の前にして暗闇で手拍子をしなきゃいけないことを辛く思う家族もあるかもね。
でも、パスタをすぐ食べたいというリクエストが「身勝手」と思わされるような空気がレストランに流れちゃってるんだよね。

もしかしたら別なテープルでは、離婚したあとの養育権をどうするのか、料理にあまり手もつけずに話し合いをしてるのかもしれない。
ひょっとしたら別のテーブルでは、余命宣告された人が入院の前の晩、ささやかにポタージュを飲んでいるのかもしれない。
レストランはそういう場所。

誕生日はいいことだ。
誕生日はうれしいことだ。
誕生日を祝う人は、多いほうがいい。
しかしその一方で、大人なら、「居合わせた人のことにいっさい配慮なく、いきなり“お祝いよろしく!”と巻き込んでる」という認識も欲しい。
レストランでお祝いをやるなというつもりは毛頭ない、レストランでお祝いすることもあっていい。しかしここは自宅ではないんだけどね、ということも頭のどこかすみっこに置くのが「大人」なんだろうなあと思う。

リンクもさせていただいているThink!PTA!の掲示板の書き込みの一部に、地域自慢と思われる記述があった。
このトピの【4623】
不登校ゼロ、いじめなし、給食未納ゼロ、学力テスト県トップクラス、授業参観参加率8割以上、ガラスの予算を組まない(割られることがないため)、県警によると非行率最低水準の地域です。
という部分である。

この書き込みにたいする批判ではまったくなくて、「私の感覚・知覚」の説明をしているのだが、「不登校ゼロ」というひびきは肌に粟立つものがある。
不登校になることすら許されない空気、って怖く感じてしまうのである。

いじめなし、も怖い。
いじめゼロで、子どもは育つのだろうか?
いじめをしながら、子どもはやっていいこと、やってはならないことを学ぶのではないだろうか?(※)
教委に「いじめはありませーん」と報告出来れば、そりゃ晴天すみ渡ったごとくにスッキリさわやかな話だろうが、
「んなわけねーだろ」
という嗅覚をプロの教師が持てないというのは、なかなかに怖いことのような気がする。

※もちろん、学びの材料だからいじめをしてもいい、と言ってるわけではない。
 深刻ないじめはゼロのほうがいいに決まっている。
 しかし子ども(というか人間)が集団化すれば、現に普遍的にいじめはある。
 軽いいじめ行為を経験することで、その加害者のにがにがしさや被害者のつらさを学ぶ。
 程度問題もあるが、そうしないと学べない愚かさを人間は持っている、と思う。
 そんな馬鹿なことしなくても、最初からゼロなら一番いいじゃないか、と言われればそうかもしれないが、ちょっと現実的とは思えない。
 だから「いじめなし!」と断言する人は、ただ見えてないだけか、見ないことにしているだけ、の可能性がある。と言っているのである。

ましてや、保護者同士で交代で集金しあってるから給食費未納が無い、という状態はもはやホラーでしかないと私なんかは感じてしまうのだ。
誰の責任で集金してるのかわからない状態。
学校が欲しい金を、とつぜん集金して歩かされる理不尽さ。
保護者の相互監視。
怖い…。

さらにさらに授業参観率8割以上、というのもけっこう怖い。
参観しないという選択をするのは心理的に大変だろうなあと思うだけでなく、参観率ってどうやって算出してるんだ?という疑念もすぐにわく。
教師がカウンターをカチカチしながら授業してるんだろうか?
受付でクラス名簿に○をした数だろうか?
受付で○をつければ参観したことになるの?
きょうだいがいてあっちこっちのクラスに短時間ずつ行かざるを得ない人は、どういうふうに評価されるんだろう?
というかカウントされる、ということ自体が怖い…。

不登校の子がいないことも、いじめがないことも、給食費の未納がないことも、保護者がたくさん参観に来ることも、「いいことだよね!?」と言えばそうかもしれない。
しかしそのどこかに、レストランのお誕生会のような有無を言わさぬ暴力性がただよっていると感じてしまう。
ましてや投稿者のPTAが強制加入であると聞けば、もう心臓バクバクものなんだよねこりゃ。
「賛同しかねます」と個人が言うとしたら、いったい、どこでそんなチャンスが与えられるのであろうか?

こんなに「いいこと」に対してそう感じるなんて、私の感覚が、きっとよっぽどひねくれているのであろうなぁ〜。
こういう話を聞いてしまうと、「そんなに優良でもないごく並レベル」の今の土地で暮らしている自分に「たまたまだけどGJ!」と言いたい私なのであった。

ホーム

プロフィール

ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

最新コメント

最新記事

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム

月別アーカイブ

カテゴリ

PTA非会員日記 (108)
備忘・やりとりの記録 (68)
学校の謎 (16)
雑なモロモロ (34)
ごあいさつ (2)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。