2015-01

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新年吐き出してオメデトウございます

ブログ読者のみなさま、新しい年が明けまして誠におめでとうございます。
本年もまたひきつづき、くだらない土台にくだらない飾りをのせた作文をこつこつ書いていきたいと思います。時々ワナワナとぶん殴りたくなることもございますでしょうが、どうぞこらえて何卒穏便によろぴくおねがいします。

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最近私のインナーチャイルドが「昔を思い出して腹を立てようキャンペーン」でもやっているのか知らないが、またしても自分の母親の所業を思い出してはじくじくむかむかと来ていたりするのである。

というのも、うちの夫は子どもを1ミリでもデカくしたいのか、子どもが「ごちそうさま」と言うと、必ずと言っていいほど「お代わりしないの?お代わりすればいいのに。もっと食べないと大きくならないぞぉ」などと言うからだ。

「ごちそうさま」とは「もうお代わりはしません」という意味であるのに、なんだってそんなわかりきったことを聞くのか、というかすかなイラッと感もある。
その証拠に、子どもが「ええ?それじゃあ、お代わりしようかな?」などと言ったことはない。100回同じことを聞いたら100回、ことわられているのである。
それに、「お腹が一杯のところにさらに詰め込んだら不快になるだけなのに、なぜそんなことを強いるのか?」という、子ども目線(のつもり)での嫌悪感もある。

子どもが自主的にお代わりをすることもある。その場合、「ごちそうさま」と言われて夫は黙るかというと、やはり「もっとお代わりすれば?」などと言うのだ。

こんなことでいちいち内心で腹を立てている私はおかしいんじゃないかという気持ちもある。
以前ニュースになっていた給食アレルギー事故でも、本人が自主的に望んでいないのに教師がお代わりを勧めてまわっていた、というポイントにも反応して腹を立てていた私である。

私は何故そんなに、お代わりのお勧めに過剰反応するのか。
勘のいい方はもうお気づきと思うが、そう、私の母親がまさにそういうヤツだったのである。

私はもともと食べることにあまり積極的な子ではなかった。という記憶がある。
ごはんの時間が嫌で、ちゃぶ台の前で正座して、全部たいらげるまで解放されない。という状況がいやでいやでたまらなかった。
私は食の細い子だった−−−しかしこの記憶自体、作られた記憶なのではないか?と最近思うようになってきた。
「全然食べないね」「もっと食べなさい」「がんばってあと1口」「おかわりしなさい。なんでしないの?」
などと失望感たっぷりの顔で毎食のように攻められたら、
「私は全然ちゃんと食べられない、だめな子なんだ」「私は食が細いんだ」と思いこまされても不思議ではない。

子どものころから私は本やパズルやトランプが好きで、あまり走り回ったりしない生活だった。子どもにしては物静かな日常なのだから、そんなにカロリーの高いものにガツガツ食い付くほうがおかしい。
ましてや、かなり大きくなってから親戚に聞かされたのだが、母は商売で出入りする人たちが幼児の私に次々に菓子をくれるのを止めることも制限することもなく、ひどい虫歯になっていたのに断ることもしなかったというではないか。
小さい体でそんなもん無制限に食べてたら、ご飯が進むわけはない。
幼い私は食が細くも何ともなく、きわめて正常な食欲を持ち、血糖値が上がっていればそれ以上むりやり食べられないという、ごくまともな反応をしていただけなのではないか?
私は何も悪くなかったのに、なぜあんなに食事のたびに罪悪感を背負わされ責められなければならなかったのか、よくよく考えると本当にハラがたってきたのだ。

本人がごちそうさまと言っているのに無理強いして、さらに食べさせることに成功したとして、それでハッピーになるのは誰なのか? 勧めた人は、パワーにより人の行動をコントロールできた快感を得ることができるかもしれないが、食べさせられる本人はどうだろう? 満腹の時にさらにものを食べて、美味しいだろうか? どんないいことがあるというのだろう? 苦しい、きつい、気持ち悪いだけではないか?

うちの夫のはただ儀式として言うだけだし、子どもにもスルーされてるので別にほっときゃいいのだが、うちの母親のそれは、父や兄も加担してきたので、もはや現代基準で言ったら完全な家庭内パワハラであったと思う。

その余波を引きずってか、私は青年期に「いま、モノを食べたいのか食べたくないのかが分からない」という症状になったこともあった。今ならさしずめ摂食障害という病名がもらえることだろう。もしかするとあれぱ食に関する自律神経が、乱され続けた結果ではなかったろうか? 「人間失格」に、空腹というものが分からない、みたいな表現があり、なんだか分かるなあと思った記憶がある。

※いちおう母の名誉のために付け加えると、母だけが異常だったわけではなく、昭和時代の田舎では「むりやりたくさん食べさせる」というのが最たるもてなし、相手への思いの表現だったりしたんですね。だからパワハラも、子ども愛のへたくそな表現ということにしておきましょうか。
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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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