2014-10

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たまには書評?

前記事のコメント欄でも触れた「世間さまが許さない!」という本は、なかなかエキサイティングで、ウィットに富んでいて、深い部分を論じていても常にだれにでも分かる平明な表現に徹し、最初から最後まで美味しくいただける良書であった。ごち。
なんにしてもナニナニ新書というのはその分野の専門家にとっては歯牙にもかからないものだろうが(などと書くと著者の方に失礼かもしれないが)、私くらいのおつむレベルにはぴったりで楽しく読めるものが多く、若い頃からなにかと手に取ってしまう出版分野である。
今回も、読んでいろいろと考え起こすことがあったので、書き留めておこうと思う。

ここ数年、だれにも頼まれてないけど勝手にたずさわっている「PTA問題」にからめて考えると、私が一貫して言っている「単なる任意団体に過ぎないPTAが学校の一機関のようなフリをして、加入するかしないかの選択など存在しないかのように振るまい、金を巻き上げた揚げ句強制労働させている実態は許しがたい」という主張すらも、「自分のモラルがあたかも世間共通のものでなければならないかのように主張する“超ルール的正義”信仰」のなせるわざということになるかもしれない。
確かに、私がPTA問題の追及を続けるのは、それが違法だと考えているからではない。違法行為というものは世の中にごまんとあり、それをいちいちブログに書いて糾弾するほどヒマではないし、違法なら(そうしたければ)告発する手続きをすれば良いし、違法でなければそれが却下されるだけの話であるから、特に取り上げてどうこう私見を語ることもないだろう。黙って“手続き”をするのがはやい。
違法PTAとそのイネイブラーである学校(いやむしろ、学校のニーズのためにPTAがマリオネットにされていると言うべきか?)がおこなっている詐欺まがいの運営により、学校が正常でなくなって保護者の私も困るし、私自身も被害にあったし、私の友人知人が洗脳されて迷惑だから、私はPTA問題について書くことをやめないのである。ひろい意味での私怨・私憤といってもいい。
つい先日も身近な人が、赤ちゃんがいるのに祭りの手伝いが免除されず、夫も仕事で休めないため、上の子(低学年)のスポーツクラブの試合を欠場させて家で赤ちゃんの子守をさせ、母親が“義務”を果たした、という話を聞いたばかりである。
もういやだ。これ以上、聞くに耐えない話は聞きたくない。
そんな気持ちから私はPTA問題の話を書くのだ。たぶんまだしばらくは書く。
そういう意味では私もまぎれもなく「日本的モラリズム」の申し子であり、自分の言葉でいえば「倫理エゴ」から「詐欺まがい自動入会は許せない」と声を上げているに過ぎない、ということになろう。
ま、その観点からいえば、「PTAは重要な活動よ! 親のくせに入らないなんて許せない!」と言っている連中と五十歩百歩ということもできよう。

前記事にも書いた通り、これから子どもを入学させる保護者と、PTA・学校の間には格段の情報差と交渉力差があり、それをいいことに自動入会させている現状が「許せないゼ!」と怒るのは、子どもの頃に水戸黄門が大好きで毎週見ていた私なら、当然のなりゆきであったかもしれない。

実際に裁判という、法律をつかった公正な手続きで自動入会PTAとたたかっている方々も各地にいらっしゃる。それらの方々の行動はそれで尊いと思うし、勝って欲しいという気持ちもある。しかし私自身がそういうことをやる気があるかというと、「それはめんどくさいなあ」という気持ちのほうが大きい。なぜなら、私は上に書いた通り、特にPTAや学校の違法ぶりを明らかにして断罪したいわけではない。私自身も被害は受けたが、別にそれで「PTAが悪かった」と判決が出ていくばくかPTA会費から慰謝料をもらったとしても、嬉しいわけでも何でもない。ひたすらめんどくさいだけである。
私がしたいことは、もし可能なことなら助さんや格さんを連れてきて、刀の刃側はつかわず腕力で圧倒的に、でもわりと平和的に打ちのめしてかたづけ、「ははぁ恐れ入りました!」と言わせたい、そしてPTAによる保護者いじめがもうできないような社会にしたい、というところなのであろうなぁ〜。ふむふむ。

などということをこの本を読んでいて感じたのでありました。
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「代わり」発言の源は…

反発の向きもあろうがじっさいのところ、子どもを育てている最中の母親なんてものは、ウカツが服を着て歩いているようなものである。頭の中はいつも忙しい。子どもの鼻水は、きのうより悪化しただろうか? このまま様子を見ていて、放置親などと思われないだろうか? 晩ごはんのメインはまた豚肉と野菜イタメ的なものになるのだろうか? また中学生男子に「ウチのごはんってなんでいつも同じなの?」などと言われるのではないか? かといって魚にしたら「えーっ魚ぁ〜?」などとがっかりされるのではないか? 悩む。ちょ〜悩む。それはそうと、こんどの保護者会は性懲りもなくまた月初開催ではないか? 休めるわけもなくまたまたスキップせざるを得ないが、いいかげん無関心親とレッテルを貼られてるのではないだろうか? はぁ〜。ぶるっ。肌寒い。そろそろ衣替えをしないといけないのに、こんどの土日もまた用事で一杯。家の混乱状況もひどいのだがあれらを片づけたのちに秋冬物をタンスに納めるまでの工程を考えると気が遠くなる…何故私の人生はいつもいつも「ねばならない」に追い回されているのだろう…などと普段から頭の中が独逸文学みたいになってるというのに、卒園や入学などという大イベントの季節などは、その日常の上にありとあらゆることが押し寄せてきて、小さいことにひとつひとつこだわっていられず「とにかく無事に終わらせなければ!」と必死な思いなのが一般的な母親像というものであろう。

そんな中、周りから浮かないように子どものスーツやランドセルも揃えて、写真撮影も終わりほっとしつつもクラスに行く子どもを見送り、体育館のパイプ椅子に座って配られた資料を見ながらひと息ついていると、おもおもしいスーツ姿の教育委員風な人が現われ、「お子さんを入学させたのだから、あなたは本日からPTA会員となりました」と言われれば、普通は、「あ、そうか。保護者のことをPTA会員というのか」くらいの認識ではなかろうか。
そんな中で、「会員ってなんすか? 申し込んだ覚えないですけど」などと発言出来る母親がいたらなかなかの賞賛に値する。自分も含め、ちょっとやそっとではそんな疑問を呈そうという気にもならない雰囲気なのが普通だ。

業界(?)では有名なブログ「シングルパパはPTA会長」のコメント欄で、このようなことをうそぶいているかたがいらっしゃった。

>入退会が自由かどうかは組織の相手が知らせてくれないと知り得ないような秘密事項ではなく、一般常識でしょう?
>ちょっと考えればわかりますし、調べればいくらでもわかるじゃないですか。無知につけこまれたにしては不注意に過ぎると思いますね。


まあ、不注意、という点では否定のしようがないが、不注意に過ぎる、という断罪もなかなかに手厳しいものではなかろうか。言葉を選んではいるが「無知で馬鹿なだけ」と言っているも同然の印象だ。そうなると自動加入型PTAというのは「不注意に過ぎる人間=ばか」によってほぼ構成されていることになり、そんな団体を学校に住まわせといてだいじょぶなのか? という当然の疑問に帰結する。

私は日ごろからさんざんぱらPTAをこきおろしてはいるものの、さすがに「ばかの集まり」などとは考えたことはない。「だまされて義務と信じ込んでる人がたくさんいる」とは感じたことがあるが、その状態にしている責任者は先ほどの教育委員風のおばちゃんと、その舞台演出をしている学校だと考えている。つまり、「さすがにあんな風にセッティングされたら“入らなくても、やらなくてもいい”とは思い付かないよなあ」とおもっているのである。

そういう意味ではコンサバも被害者の一種なのであろうが、そのトラップにまたうまいぐあいにフィットしてがっちり義務ふうな味わいを出させているのが「母親の先天義務意識」である。
母親の先天義務意識というのは、説明するまでもなかろうが「母親は先天的に○○の義務がある」という女性による意識のことをそう書いた。かっこいい横文字の専門用語があるのかもしらんけど、私はそんなのしらんので、スシやスキヤキなどと同じくひらべったい日本語で書いてみた。同様の意識を男が持てばそれは男女差別とかというのかもしれないが、女性によるそれは男の言う「家事育児は女の仕事」などという大まかにして通り一遍のものではなく、乳幼児の頃で言えば
「赤ちゃんが泣きわめいているのにしらんぷり」
「幼児がショーウィンドウをぺたぺたさわってるのに注意しない」
「スーパーでお菓子を欲しがらせてしつけが悪い」
などに始まり、学童の頃で言えば
「子どもにハンカチを持たせてない」
「子どもの頭をねぐせのままにしてる」
「子どもに宿題をさせてない」
「子どもに1日30種類の野菜を食べさせてない」
「子どもがクラスメイトを殴ったのに謝りにも行かない」
「先生が暑い中家庭訪問なさってるのに冷たいドリンクも出さない」
などの実にこまごまとした保護者に対する非難の主語に、
「母親が」
という主語がいちいち内心で割り当てられる心理状態を指す。

そういう受託側(母親たち)の心理的ニーズと委託側の、こんな頭のいい人から指摘されてるような「みにくいほん音」がちょうどよくマッチングしたのが現在の自動加入型PTAだということができましょうかね。

さて、なにゆえに「先天義務意識」などというものをわざわざ指摘してみたいかと思ったかというと、それが発言として発現している場面にけっこうな頻度で出くわすからである。

一つの例として、発言小町のトピックス「夫婦ともにフルタイム激務でもPTA役員は断れない?」におけるハンドルネーム「あーあ」さんの、
あなたが家庭のために仕事時間としてる時間をほかの人はあなたのために、平等なくじで当たってしまったあなたの代わりに、なぜ使わなきゃいけないのかな、とかも考えます。
の発言を考えてみると、質問者である「ポポロ」さんがもし男性であっても同じ回答をするだろうか? と疑問に思わざるを得ない。
もし、ポポロさんが男性であっても同じ攻撃を食らうのであれば、PTAはとっくに「来やしない夫たちを罵る、不満で一杯の母親たちのたまり場」と化していてもよさそうなものであるが、そうはなっていないのであるから、やはりこれは質問者のボポロさんが女性であるから出てきた発言と考えて問題ないのではないかと思う次第だ。
そもそも、「他の親は働いて金を得ているのにその間に自分が“他の親の代わりに”無償の仕事をするのはバカらしい」という発想のなかでの「他の親」が男女問わないのであれば、PTAなど60年くらい前に「なにそれバカらしい」と多くの母親たちから投げ出されていても不思議ではないだろう。

同じく発言小町のトピックス「PTA、何がそんなに嫌なの?」における「こんにゃくサラダ」さんの発言はもっとズバリとした本音感が有る。
だいたい、(自分や家族のための)お金を稼いでいるから出来ない人の代わりに、こっちが無償で役員をするなんて嫌ですね。ただ介護や病気などで出来ない人の代わりはしてもいいと思ってます。
これもまぎれもなく、自分の夫や、余所の家庭の「ご主人」、もしくは同等の権利義務を持つはずの会員であるところの教師に向けられた「お断り!」発言ではないだろう。
「代わり」という言葉を2度も使い、文章の裏に「女性には先天的な義務がある」という前提をにじませているのがよくわかるのだ。

本来、あきらかに人権侵害であり普通であれば強硬な抵抗や不服従が一定割合で発生すべき「全員自動加入」というシステムが全国のPTAであまり抵抗なく受け入れられている現状は、やはり、「先天義務意識」の共有が根強いベースとなっている、ということなのであろう。

ウンザリは“溜まる”

私は新聞や、インターネットの新聞サイトを読むのは大好きであるが、新聞拡販員と私との関係はあまり良好ではない。こちらが立派におばさんとして成長してからは、簡単に気合い勝ちするためかほとんど被害にあわなくなったが、若くてひとり暮らしをしていた頃などは、しつこい勧誘にげんなりしたりしたものだった。
まず、人が休んでいるときにいきなりピンポンを押す。この時点ですでにマイナス感情が発生している。まぁ、「○月○日何時ごろにピンポンを押しますからね」と予告する手紙を送ってきてから訪問してくるような人は、東京ガスの定期点検員以外には滅多にいないので、ピンポンはたいていいきなり押されるものであるが、それにしてもいきなりピンポンというのはあまり嬉しくない。
電話もそうだが、ピンポンも、こちらが何をしていようがお構いなしに「さあ、今すぐそれをやめてオレの相手をしろ」と生活に闖入してくるものであり、ピンポンや電話の濫用は、社会人同士なら普通はさしひかえているところの所以であろう。

ホームドラマなどでは「ピンポ〜ン」「はいは〜い」などと機嫌よく相手も確かめずに出るシーンがあるが、ちょっとリアルではない感じがする。今どきは画面付きインターホンが多いから、まずは誰かを確かめて、知った相手なら「あっ!」と喜んで出るし、知らない人なら不審感たっぷりに応対、というのが通常なのではないだろうか。

うっかりピンポンの講釈が長くなってしまい、話がズレてしまったが、私が言いたいのは新聞拡販員がいかに嫌いかということであった。
ドアを開けてしまったが最後、断っても引き下がらない、足を入れて帰らない、むりやり洗剤を置いていこうとする、同じ新聞で違う拡販員が入れ替わり立ち替わり現われて同じことをする。
そしてなぜか勧誘しに来てるくせに、こちらが若い女性と見ると上から目線で説教。「遊んでばかりじゃダメだよ、新聞くらい読まないと!ガハハ!とにかくつまんなかったらやめていいから!3ヵ月でいいから!3ヵ月でやめて他の新聞とれば、また洗剤もらえるでしょ!ガハハ」など、本当に自分の売ってる新聞を愛してるのかさえ疑問な発言まであった。

そんなことを何度もされてきたため、現在の私はインターホンに怪しげな男が映り、「なになにしんb…」と言いかけたら「いりません」と大声で遮って切る行動が定着している。

そんなある日、いつものようにインターホンを切ると、再度ピンポンピンポンピンポンと押し、「あんたなあ! 人が話しとんのに、途中で切るとか失礼やろう! 断るにしても、話聞いてからにするやろうが! 礼儀しらんのか!!! ばかやろう!」と怒鳴ってきたおやじがいた。
まったく迷惑千万な話であるが、まっ、まったくの公平な目で見れば、いきなりピンポンして新聞勧誘するほうも失礼ではあるが、人の話を最後まで聞かないで断るというのも、確かに失礼といえば失礼であろう。

しかし、このおやじには悪いがこちらは若いときから、つごう300回くらいは「新聞要りません」と断ってるわけである。
最初なら礼儀正しく話も聞こうが、人間、2回目に断るときは1回目より確実にウンザリ度は上がってるわけだ。3回目に断るときは2回目よりもっと腹を立てている。私は特に、「断ったり注意したり改善を求めても同じことを繰り返す人」が性格的にきらいなので、おおよそ前回の2倍くらいイラ度が上がっているという実感である。2の300乗をマイクロソフトエクセルに頼んで出してもらったら
2037035976334490000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
とのことであった。エクセル、相当大ざっぱじゃないか?という疑念もちょっぴりなくはないが、どっちにしてもこれはもう私の持てる堪忍袋の最大積載量はとうに超えているのであり、用件も聞かずに話を断ち切られたとしても、どうか私の精神の健康のためにご寛恕いただきたいと願うものである。

PTAと聞いただけで憂鬱な顔をしたり、尻込みしたり、下を向いて黙り込む保護者がいる! やってみてもいないくせに! と批判する書き込みを見ることもあるが、いまのような強制感たっぷりのPTAでは、人間の自然な反応のように思える。
やんわりと断っても理由をつけて押しつけてこられる、ことを何度も繰り返していれば、PTAと聞いただけで嫌いになっても仕方がない。
ましてやだますように入会させていれば、PTAと個人の関係が不審感=不信感からはじまっても何も不思議ではなかろう。
心の中で、または口に出して断ることが数回以上繰り返されれば、人間、その対象がMAXで嫌いになってしまうものだということを、よく考えて人には「おすすめ」したほうが良いように思う。「おすすめ」してるのは、自分が最初ではないかもしれないということも。

※この場を借りてお詫びするが、販売斡旋しに来て私に大声で怒鳴られた職場のAさん、お気の毒でした。しかしね。断ってんのに「でも、頼みますよ」「じゃ、○○枚だけでも?」「どうしても○枚さばかなきゃ困るんですよね」「私を助けると思ってどうか」と異常にしつこくされたら、怒鳴られても仕方ないような気がするよ。
※お詫びすると書いておきながらまったく謝っていないことにいま気づいた。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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