2013-12

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記念品実費問題

さて、たまにはマジメにPTA問題を各論に立ち入って考えてみよう。
まぁこんなこと大声で言って顰蹙を買うのも何の得にもならないので普段は言わないが、正直私はPTAが大嫌いである(今さらか…)。
札幌のPTA会長のブログのコメント欄で私のことをブログ主と同一人物にちがいないなどと抜かしていたアンポンチンが居たが、私はmoepapaさんと違ってPTAが大嫌いなのであるから会長などになるわけもない。
だから、あの団体がどうなっても、縮小しても、消滅しても、まったくかまわない。
ただ、どうなってもかまわないといっても、現状で学校に居座っている以上、まともになってくれないと非会員の自分や子供にまで害悪が波及してくるので、「改善案」ちっくなこともたまにはホザいてみたりもしてるわけである。
三多摩中PTAは「非会員からの意見や質問は一切受け付けません」などと言っているので彼らに改善案を提出するつもりは全くないけれどね。

今日は、「記念品実費問題」をひとつホザいてみたいと思う。
これは、退会した人は結構な割合で被害にあうことなのだけれど、PTAは自分らの決議で記念品配布を決めたくせに、その代金を子供の親に請求してくるわけ。普通に考えて図々しいでしょ?
こんな図々しいことを長年やって来て、何故にこれまで苦情が出ていないかと言うと、親イコール会員だったからなのですよ。つまり、代金を払う代わりに会費からさっぴいてたというわけですね。親が全員会員だった時代には、それで不都合が起きていなかった。
ところが、親が会員じゃない子ども、というのが出てくると、親が金を出していないのにあの子が受け取れるのはおかしい、と言う人が必ず出てくる。
それで、「あなたのお子さんに品物をプレゼントしますので代金を払ってください」などという、どっから見ても非常識な要求をしてくるようになるわけです。

余談になるけれど、うちの三多摩小PTAは1世帯当たりいくらの会費徴収なので、この「子供の記念品代は親の会費からもらってる」という言い分自体がおかしいわけですよ。その家庭の子供の数は関係ないわけだし、何ももらえない教師からも会費は取ってるわけだし。
それなのに退会した保護者からだけ「子供の人数分モノ代払え」っておかしくないか?って聞いてみましたけど完無視ね。そりゃまともに答えられるわけなかんべ、合理性もへったくれもないムラのしきたりだかんな。あ、しきたりっつっても、たったいま今ゴニョゴニョ談義して決めただけだけんどな。

記念品配布の正当なあり方としては、PTAはボランティアなのであるから資金の範囲で学校の児童人数分のプレゼントを考える、それだけでいいのであるが、実情としては「それだと正直きびしい」という面もあるだろう。役員さんが「それでいいじゃない」と思ったとしても、会員から不公平不公平言われるとなかなかそうもいかないという面もあるかもしれない。本来のボランティアからは遠かろうと、日本は現状ムラ社会なのであるし、役員を引き受けたからと言って急に革命を起こす責任までは引き受けられないだろうから、「小額ちょっと負担お願いしますよ〜それで皆の気も収まるんだし」と言いたくなるとしたらその気持ちもわかる。
だから、そういうときは素直に「寄付のお願い」をすればいいんじゃないかと思う。品物の原価だけでも、寄付をお願いできませんか…と素直に頼めばいいと思う。
あくまで寄付だから、断られるならそれも致し方なし。そもそも強要できる筋合いのものではない。
ただ、なんとなくではあるが、よっぽどでなければあまりシャットアウトする保護者はいないんじゃないかな?と思う。
お願いの仕方を間違えない限り…
今、多くのPTAがやってるみたいに、退会者に「あなたは会費払ってないんだから記念品代請求します!」みたいにやったら、もうトラブルになりたいんだなとしか思えないよねえ。
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旗振りについて 思うこと

PTAを退会すると真っ先に問題にされるものに、たとえば記念品・配布品の代金などといった代表的な金銭問題に負けず劣らず、「旗振り」「パトロール」などの「全員割り当て活動の不参加問題」がある。
どれくらい象徴的な問題かというと、うちの“任意加入”中学PTAが、「非加入を選んだ方もパトロール当番だけはやってください」とプリントに書いてくるほど、それらは「絶対に平等でなければならないもの」なのである。

さてこれらのうちの1つ「旗振り」についてなのだが、私は以前にも書いたかもしれないが、あまりこれに意義を見いだしていない。
①年間のうちほんの一部の日程しか行われない。
②「なにをするのが目的か」が説明されず、説明を求めても「○○じゃないかしら」「たぶんこんな感じでいい」などと推測のような答しか得られない。つまり、目的・目標が共有された活動ではない。
③保護者が時間と労力を使っているわりには、「旗振りをしなかった場合どういうリスクが想定されるか」などの検証が行われず、危険ポイントのフィードバックや旗振り以外での対処法検討や普及の努力など(子供が通行する時間と場所全てを「旗振り」でカバーすることは不可能なのは自明にもかかわらず)が全くなされない。効率の低いところから高いところへ再編する仕組みもない。ただただ、「やってるだけ」。
etc.が理由である。

ちなみに、私が会員であった頃、誰がどう考えても安全きわまりない場所で「以前からここって決まってるから」という理由で旗振りをしていたのを1箇所、意見して別の危険箇所に変えさせたが、そんなマイナーチェンジぐらいであり、「乳幼児連れでの旗振りを禁止にしよう」という、自分の中ではかなりまっとうなつもりの意見も、「そんなこと言ってたら人数が少なくなる」ということで瞬時に華麗にスルゥ〜された。

さらにちなむと、うちの子どもたちは旗振りの恩恵?にはまったく誰一人あずかっていない。旗振りのポイントが通学路でないからである。だから正直我が家にとっては、旗振りっていうのはこの上なくド〜〜〜でもいいものなのである。にもかかわらず私はPTA会員であった8年間、ずっとボランティアで、自分の子と自分の朝のしたくもほったらかしに、旗振りを務め上げてきた。そのことにお礼も別に言われないけれど、それはまあ納得してやってるから別にいい。しかし、抜けるからといって非難されるのはどう考えても、ちょっとよくわからなかったりするんだなぁ〜。

そんなわけで漫然とした「旗振り運動」にはあまり尊敬の念を抱けない私であるのだけれど、旗振り行為自体を「無意味」と切り捨てているわけではない。
十数年前に起きた世田谷通りの小学生死亡ダンプ事故、いわゆる「隼ちゃん事件」は、もし大人の誰かが目立つ旗を持って誘導していれば…と思わざるを得ない事故であった。
東京在住の方には周知の話だが、世田谷通りというのは昔からヒドイ都道で、道幅も狭けりゃ渋滞もひどい、それなのに大型車がひっきりなしに行き交い、運転マナーもお世辞にも良いとは言えない軍団がたくさんいるところである。この世田谷通りを抜けるために地方車が無謀に住宅街に入り込めば、一通トラップにはまって迷走する可能性もあるため、高級住宅街でありながら通学の子どもにとっては気をつけたほうがいい地域である。

それは、小2男児がその世田谷通りを渡ろうと、横断歩道を踏んで止まっていたダンプを迂回しようとしたところダンプが動き出し、路幅が狭いため退避する場所もなくて逃げ切れず轢かれてしまったという痛ましすぎる事故であった。

交差点の構造自体に非常に問題があったわけだが、「セタドー横断」の数ポイントだけでも大人が同伴、もしくは子供に信号旗を持たせる、などがもしできていればなあと残念な思いがする。
その近辺で、毎日自主的に旗振りをしている人がいるとの書き込みを見つけた。

あの事故を受けての行動なのか、どうなのか、それはわからないけれども、自分の頭で「このポイントは子供が危ない」と判断し、本当に「思い」が原動力となってするボランティアは、「仕事も赤ん坊も理由になりません」で当番制で無反省に割り当てる「旗振り運動」とは、なんだかずっと離れた場所にあるんではないか、という気がしてならない。

*** この話のオチ ***

三多摩小学校PTA活動の中には、通常の旗振り運動の他に、「○○交差点旗振り」という別な割り当て当番がある。理由は、「あそこは危ないから」。

師走ですね〜

宴会が続きがちな時期ですが皆さんの肝臓はお元気ですか。

先日、他校のハハ友達も混ざった忘年会で飲んでいるとき、ある人が来年引っ越す人に向かって、「くじ引かされちゃうから、保護者会はちゃんと出て説明したほうがいいよ」と忠告しているのを聞いた。
何のくじだろうと思って聞いてみると、なんとPTAの本部役員だという。
くじを引き当てた人がそのまま役員になるわけではないが、役員選出のための「互選会」にエントリーする人を、クラスごとに2人くじで決めるのだとか。

「互選会って言ったってねえ…そもそもくじで選ばれた人を“互選”したってしょうがないんじゃないの?」と聞いてみた。
互選というのは、自薦や他薦でピックアップされた人を「あなたこそふさわしい」「いえいえあなたこそ適役」と言い合う会のことじゃないのか?
本人の意思関係なく強制的にあぶり出した人同士で「互選」って、成り立たないと思うのだが…最初からふさわしいもヘッタクレもないじゃん。

その「互選会」の実態をさらに聞いてみると、結局はくじで選出(当たり前か…)。ただ、会長や副などの重役になると、さすがにくじで選ばれた人だと務まらないので、これぞという人をなんとしてでも説得するのだという(怖い…)。

ある人が、「くじ引きいやだ〜憂鬱」と言っているので、「そんなに嫌なら入らなければいいだけだよ」と言ってみると、ハトが豆デッポくらったようにきょとんとしている。
「入らなくていいって?なにに入らないの?」
「いやだから、PTAはただの任意加入の団体だから」と言うと、「ウソッ!?そうなの?入らなくてもいいの?そうなの?そんなのあり?入らなくていいんだったら入りたくない。でも入らないとどうなるの?子供はどうなるの?うちの子だけ何かもらえないとかになるの?」
「そんなことにはならないよ。学校でそんなことできないから」
「えっ、入らなくても良くて、何にも起きないんだったら、誰だって入らないんじゃないの??」
「そうかもねー」
とだけ言って置いた。

それにしても…「入らなくてもいいなら誰だって入らない!」なんて会員が断言するなんて、ほんっとうに、よっっぽど嫌われてるんだなあPTAって。なんかちょっぴりかなしいかも…非会員の私が言うのもおかしいですが。

全員加入体制を守りたい人は、よく言うんですよね。
「任意加入を説明するかどうかが、そんなに大切なこと??」
「大したことじゃないのに、こだわるのがおかしい。辞めたければ辞められるんだから」

じょうだんじゃないですよ。
保護者の義務と誤認してる人が、これだけ普通にいますよ。もうね、「ほとんど」と言っても差し支えないほど、たくさんいるのそういう人が。
そうしてね、そういう人たちが「PTAをやること=責任を果たすことだ」と思い込んで、今の日本にいっぱい蔓延してる「くじ引き劇」「理由は通用しません劇」をやっとるわけよ。

「会員になっちゃったら、仕事も病気も介護も関係なく問答無用で役員が割り当てられます。」っていうことを、入会時の重要事項として説明したのぉ〜? 「同意します」にチェック入れて画面進んでもらったの〜?
そこをこっそりスキップしといて、何の説明も同意もなく勝手に会員にしといて、「役員やりたくないなんて、自分さえ良ければいいっていう、責任感無くてワガママな人!」とか言いますからねえ。ワガママはどっちだっつの。人の社会のルールは責任持って守りましょう。

そんな現状を知ってか知らずか(いや学校は絶対知ってるわけだけど)「PTAが学校保護者の義務だなんて勝手な誤解。任意ですけど何か?」みたいなことをうそぶくPフォースは、クソなの。クソ。

残念ですが、クソクソ言ってても改善しないから、私は自分に出来ることはやっていくつもり。
そのうちの第一歩、きほんのきが、

ブラックPTAには、はいらない

なのです。

人とつながるのは楽しいことだけど…

私が育った場所はすごいド田舎で、人付き合いを簡単に断るなんて〜ことは、発想としてナイところだったんですね。そういう場所で生まれ育った母は、「私は ど ん な 人 と も 仲良くやって行ける自信がある」なんて言ってたわけ日ごろから。
でもね〜〜こう言っちゃあ母にも悪いんだけど、それは「こらえてただけ」だったりするわけですね。そういうことが今はよくわかる。

「どんな人とも仲良く」なんて、ありえないと私は思っとるわけです。
じっさい私にも仲良い人とか、それほどでもない人とか、どちらでもない人とか、こっちは何ともないけどあっちからやたらにつんけんしてくる人とか、こっちが敬遠してなるべく御免こうむりたい人とか、まあそれはいろいろあるわけで、それはけっこう人の社会では普通のありさまなんじゃないかなと思うわけ。

うちの小学校PTAっていうのはクラス委員を絶対選ばなくちゃならなくって、それで選ばれたら、年度内に最低1回は親睦会を開催する義務があるってことになってるんです。
なんか聞いただけで疲れそうなんだけど、「親睦会開きたい場合は予算がこれこれ出ますよ」でいいのに、なんで親睦が義務になっちゃうのかなあと。

もっと原点に返って「親睦」という現象をよく考えてみると、人と人とが仲良くするのは確かに「悪いこと」というよりは「いいこと」なんだろうけれど、特に日本人の場合それは排他的雰囲気に非常に陥りやすいものとなるわけです。
「それが悪いことだ」と言いたいわけではなくて、大人なんだから自由に仲良くしたり仲良くしなかったりケンカしたりすればいいと思うんだけど、子供の世界に割り込んで影響与える形でそういう大人のドロドロをやるのは非常に良くなくて、独立した形でドロドロをやるべきだと思っているわけなのです。

ようするに、数百人規模の学校で「みんな子供が同じ学校に通ってるんだから、親同士が仲良くしましょうね」というのはまず机上の理想論。これがまず最初に大事なこと。
そういったひろい範囲をむりやりくくって親睦マンセーを始めると何が起きるか。当然、排他の「他」になる個体が出てくる。これが不幸の始まりだけど、親睦という「いいこと」が行われているからそこは無視。というか無視しないと「親睦といういいことをしている」という満足感が得られない。となります。

親睦は、個人が主体的に行うものであり、おぜんだてされて義務的に「状況から言って親睦しとかないとまずいよね」と追い込まれてやるものではないこと。
ナニナニ会やらナニナニの集いやらはそれをちゃんと踏まえた上でやらないと、いつも来ない人を「なんで誘ってんのに来ないの?」と悪口にすらなりかねない。

「学校」などという子供が主役の場に親がしゃしゃり出て「親同士の親睦♡」などと束ねようとするのは、本質や目的を忘れたらロクなことを招かないということを知らなければなりません。
そうでなくても、親しげにわいわいしているところに、「その他」になっちゃった人は入りづらいでしょう?
「ただ輪の外」だけでもあまり面白くないのに、子供がその学校に行っているのに親の自分が輪の外になっちゃってる状態は何かと面倒でしょう?
単なる輪の外だったら、その他でつきあいすればいいだけだけど、子供がからんだら抜けるわけにも行かず辛いことになるでしょう?
ってなに3回もおんなじこと言ってんだ私は。

輪を作るから輪の外が生まれるんです。
自然に付き合いが生まれるのは別にいいけど、学校という「大グループ」のなかでわざわざまた作為的に輪を作るなって。
何十年も生きてるんだし、自分の友達じゃない人のことも思いやろう。

ほんと、子供のステージに乗っかって「親も親も」と何かやろうとするのは、危険で浅はかなことですよ。踊るのは我々じゃないっての。

一個人主義者(かなあ?)として

ヤフーちえぶくろというところは、めちゃくちゃな質問にめちゃくちゃな回答とかも、昔の奴まで無検討無修正でずーっと掲載されていて、「知恵袋」を称するにはちょっとアレなのではないかと思うときもあるのだけれども、これはこれで人間同士のハダカ勝負として読み物にするには、コントロールを加えている読売系の発言掲示板とは違ってなかなかリアルに面白いものがあるのである。

「どうしてPTAの役員をするのが、嫌なのでしょう?」というQAがあって、もう5年以上も前のものであるがまったく内容は褪せていない。回答もなかなかシャレたものがあり楽しめる。

今日なんでこのトピックスを引用してきたかというと、ちょっとその中にあった
(役員を嫌がる人は)個人主義過ぎると思う
という表現にちょっと「ほう??」と思ったからである。

個人主義というのは、まぁようするに、「個人としての存在・意思・価値観を尊重する」ことからはじまり諸々のことを考えて行く思想であって、「社会との調和より個人のワガママ勝手を通すことが大事」という思想ではないわけですよ。そういうのは利己主義とかっていうのではないのかなよく知らんけど。

私は基本的に「個人としての意思決定を尊重されなければ人はまともに生きられるようにならない」という考え方がベースにあるのでそういう意味では個人主義者なのかもしれない。
しかし、「まともに生きる」という概念の中には「社会規範を守る」ということもトーゼン入っとるわけです。
社会規範とは何か?
Aさんは、こうするのがいいと思う。
Bさんは、ああするのがいいと思う。
Cさんは、どちらも良くないと思う。
という「個人の意思」が無数に集まって形成されているのが社会なわけなので、それをある程度調和させるために最低限ナニカを決める必要があるわけですね。それを規範と呼んでおります。
世界のほとんどすべての国で、規範を「法律」というかたちで表現しており、日本ももちろんそう。
「人のバッグをひったくっても、オレ的には全然問題ないと思うんだ」といくら主張しようとも、個人の意思に反してタイホされ投獄されちゃうわけ。
個人主義というのは、社会規範の存在を否定したり対立するものでも何でもないわけですね。
なぜなら、「バッグをひったくられずに平和に通りを歩きたい」という個人の意思は、社会規範のバックアップがあって初めて保証されるものだから。
皆が個々勝手に自分の意思や願いをとなえているだけなら、それは社会とは言わんわけです。

さて話を最初にもどして、このちえぶくろのhさんはいったいどのようなことに困って質問を投稿されたのか。
主張を整理してみると
①PTAは必要だ。
②それなのに役員を嫌がられる。
③それは自分の子供のことだけしか興味ないからだ(←このあたりで個人主義という発想が出てきているものと思われる。)
④そんなに時間も取られないのに。
⑤人間関係が煩わしいだけか?(←推論)
となっており、最も重要な問題点、ちえぶくろに投稿するほど困っている点は、言うまでもなく②であるものと思われる。

hさんは、「個人主義」という言葉を「原始的利己主義」つまり、「個々勝手な願いを押し通すことを是とし社会規範を無視する考え方」という意味で使用しているように思われる。
つまり、「役員をやりたくない」人々と「役員をやらせたい」自分との意見の対立、というふうには捉えておらず、「役員をやる」ことが社会規範の一種である、というふうに捉えているように思われるのである。

では、②を解決したい、つまり「PTAの役員を皆が嫌がらずに引き受けて欲しい」という願いは、どういった類いのものであるのか?
PTAは任意団体であるから、会員は必ず役員を引き受けろという内規があるのであれば、それを果たさない会員は規約違反会員ということになる。除名処分なり違約金請求なりすれば良いと思う。
つまり、「会の中の揉め事」である。
※PTAを語る上で欠かすことのできない、「多くの場合、そもそも正当な入会契約を結んでいない」という重大要素はこの際、ピントがぼけるのであえて置いておこう。

ようするに、「個人主義」を本来の意味で理解しようが、「原始的利己主義」という意味で理解しようが、どちらにしたって「役員やりたくない」は社会規範に反するものでもなんでもないという簡単な話なのだ。単に、規約を理解していない人を入会させた失敗とか、入会した会員に規約を理解させ服従させることに失敗したとか、そういう単純エラーに帰するものであるわけだ。
何をどうねじ曲げようと、たかがPTAの役員やりたくないくらいで、個人主義などというたいそうな言葉をもってくることはないし、あたってもいない。
それほどまでにずれまくってる「個人主義」という言葉がサクッと他人の非難のためにつかわれている、というところに異様な空気を感じて私は「ほう??」と思った次第なのであった。

自分で言うのもなんだが、「PTAは任意団体です」と口がくさるほど言ってる私なんてぇのはすっごい規範主義だと思うんですよねえ。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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