2013-07

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いつか書こうと思ってた「なんであんなに感じが悪いのか」の件

別に全国的な問題でもなかろうし、読んで面白い話でもなかろうと思い、書かないできたのであるが、一生のうちどこかで一回は書いておこうかと思う話でもあるのでちょっと記しておく。もう、きらわれてもいいや〜わはは。

それは、PTAに積極的に関わる人々は、なんであんなに感じが悪いのか? という感想である。
とはいえこれは疑問形ではあるものの、その疑問を解きたいとはあまり思っていなかったりする…。
私が言いたいのは、「彼らはたいへんに感じが悪い」という感想のみである。
この感想について共感が得られるかどうかはしらないが、「I feel」ではじまるこの話は書いておこうと思う。

小学校PTAのプール当番にいってきた。
私はPTA会員ではないのであるが、「保護者各位」と称してPTAから手伝い依頼のプリントが配布されてくる。そのなかに夏休みプールの当番というのがある。うちの子たちは夏休みに学校で開催されるプール授業、およびプール開放事業をめんどくさがって行かないので、我が家にとってはその事業の存続はどうでもいいのであるが、夫が「プール当番希望」に○をつけて提出した後出張に出かけるという暴挙に出たので私が付き合うこととなったわけである。
まぁ、それは別にいいのであるが、この仕事のメインが「受付」なわけね。
PTAからの当番は、2人。2人机を並べて子どもからプールカードを受け取り、保護者承諾印と体温・爪のチェックをする。というのが仕事。
そしてこのプール開放事業はPTAではなく学校開放運営委員会(詳しくは文科省サイト参照)の主催なので、そこの人も来ると書いてあった。
おおまかなマニュアル(流れ等)はあるが、細かいマニュアル(体温は何度何分までならOKなのか、爪はどのくらいが“長い”のか、など)はない。
まぁそこは手伝いに来るのは小学生の保護者なのであるから、常識的な判断でよろしいのであろう。と思い仕事開始。

まず、指定の集合時間9:20に行ってはみたものの、やることがない。
受付開始は9:30なのに、10分前が集合時間になっているのは「学校開放委員がやる受付机等の準備の手伝い」があるからだが、行ったら既に準備がされている。そもそも準備といっても臨時に手伝いとして呼び出されただけであるから、どこに何があるかもわからないし、何をすればいいのかもわからないから、こちらが役に立たないのは当然。特に「何をしてください」という指示も全然来ない。ためしに「何をすればよろしいでしょうか」と、準備に忙しそうなAさんBさんに声をかけてみたが、やや煩そうに「ちょっと待ってください」と言うのみ。
ちなみにこのAさんBさん、マニュアルによれば「学校開放運営委員」となっているが、ようはPTA本部役員の「開放担当の人」であるらしい。
どっちにしても手伝い要員の私があえて早く行く意味があるようには思えなかった。同じPTAからの手伝いで行った一般会員のTさんもなにやら手持ちぶさたな感じ。

どっちにしてもボサッとしててもしかたがないし、子どもたちはもう列をなしてカードを差し出し待っているので、9:22ごろには順次受付をはじめた。
すると、何かを取りに行って戻ってきたAさんが「えっ、なんでもう受け付けはじめちゃってるんですかっ!?」となじってくる。「ここ(マニュアル)に9:30受付開始って書いてあるから大丈夫だと思ったのにー! 9:30まで並ばせて待たせておいて、9:30から始めるんです!」と言う。
しらんがな。もう並んでカード出してるんだし、別に先着順で何か得なことあるわけでもないんだから(プールに入れるのは全員同じ時刻)、つか早く受付しちゃいけない理由って何なのよ。くだらねえことでキンキンすんじゃねえよ!とイラッとした感じをにおわせてみたw。
すると隣のTさんが「私これ見て、問題ないと思ったのですが…すみません」とマニュアルを指さす。するとそこには「人数の多い日は早めに受付を開始してください」と注意書きがある。

そうそう、こういうのが私嫌いなんですよ。PTAによくあるんだけど、あいまいな基準で人に命令を下し、常に説明不足なくせに、マイルールから外れると後出しで責めてくんの。しるか!
「あらー、9:30まで並ばせて待たせる? そうだったんですかー失礼しましたぁ」とヘラヘラしながら、待ってる子どもたちに受付を続けてあげた9:28。えへ。

この1件で、こいつら(Tさんと私)は信用ならないと思ったのか、それともいつもそれがスタンダードなのかはしらないが、Tさんと私が受付しているあいだずーっと後ろにAさんBさんの2人が仁王立ちになって監視してるのね。
そして、「ちゃんとカード、裏のほうも見て!」とか、「学年別にまとめたほうがいい!」とか、指示してくる。
あげくは、私が子どもの爪を見て微妙だな〜と思い、「次に来るときは切ってから来てね」と声をかけると、Bさんが走ってきて、「えっ?長いのは切ってください!そのまま通しちゃダメですよっ!」と、とんでもねぇ怠けババァだちゃんと仕事しろよ的に非難たっぷりに怒ってくるのね。
はぁ? いますぐ切れってほどでもないけど少し長いといえば長いかも? ぐらいだからそういう声かけしたんですが? と言ってシラーッとしてると、Bさんは当該児童の爪をなめるように見て、「ここっ、ここだけは切って!」と薬指の1本を指さして切らせた。
「どういう基準だと切らせるんですか?」と聞くと、「えーっと、えーっと…指側から見て爪がはみ出て見えたら、かな?」と言う。
は? 全然そんなレベルじゃなかったんだけど…そんな長いの私でも最初から切らせるわ。
ていうか、そこでずっと監視してて私とTさんの判断に文句つけるんだったら、あんたらが受付やればいいじゃん?
と思って、Tさんに「こんなに人要るのかね?」と小声で尋ねてみたら、「どう考えても要りませんよね…一人一当番で、むりやり仕事つくってるんじゃ…」となかなかナイスな返しをするTさんであった。

ちなみにこの当番、受付が終わった後も2時間以上、ほとんどやる事無く「その場で待機」というお仕事でありんした。
私はもう「PTAのクソ仕事なんざこんなもん」とハナから思っているのでいいのだが、割り当てられるままに諸事都合をつけて来たであろう低学年保護者のTさんと、「ボク入りたくない」と、プールにも入らずずーっと暑い中いっしょに待機していたTさんのお子さんは、まるまる半日つぶれて本当にお疲れ様でした。ちなみに開放委員の2名もずっといましたよ。わしら要らねえじゃん…

飲み物とお菓子も「開放委員会からの手伝いお礼」でいただいたのにこんなこと言うのも恩知らずな話だが、気を使うべきところが全然ちがうとおもった真夏日。
少なくとも子連れのTさんは、さっさと帰してあげたかったな。。。

※ええっと、PTA本部の人が全員感じが悪いわけではないです、もちろん。でもなぜか感じの悪い人に遭遇する率がめっちゃ高い、それがPTA本部(執行部)。理由はしらない。
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学級PTA活用論、について

川端裕人さんとまるおさんの「学級PTA」をめぐる議論をいつかきちんと検証したいと思っていたのだが、日々にまぎれ、遅くなってしまった。
これは4年も前の議論だが、内容が古くなっているかというとそれは全くなくて、「PTA改善重視派」と「なんだったらPTAなくてもいいんですけど派」のあいだでは、いまでもおなじような「噛みあわなさ」がくり返されているようにも思える。

なお、川端さんもまるおさんも当然ながら現在では考え方や立場を変えておられる部分もたくさんあるだろうし、私は両者のどちらかになにかのモノを申したいわけではまったくないので、その点は何卒ご理解頂ければと思う。
私は、時代を経て繰り返されているこの手の問答について一考してみたいだけである。
考察のソースとしてまるおさんのブログ記事「学級PTA」論への疑問シリーズを参考にさせていただいた。

川端さんの「学級PTA」活用論は、「任意加入の徹底が問題解決への最短距離」という考え方に疑問を呈し、その理由として「PTAの崩壊を怖がる人が多いから」というのがそもそもの始まりだと思う。
ここには、「PTAを崩壊させず、かつ個々の任意性を担保する活動の仕方」を模索しようとする姿勢が見える。
しかし、なぜPTAを崩壊させちゃいけないのか? という論拠は、「怖がる人が中枢部に多いから」という感情論であり、PTAが存在しなければならない理由を客観的に明示できるものではない。
PTAの崩壊が怖くも何ともない、むしろPTAの存在を半ば迷惑にすら思っている人間にとっては、なんの説得力もない話である。

では百歩譲って、PTAの崩壊が怖い人たちのために、学級PTAという形を残しそこの活性化を図ったとして(それをやるのはPコンサバの自由だと私は思うが)、任意の活動ならば私のような、どちらかといえばむしろヘイター(忌避者)に迷惑がかからないか? といえば、そういう単純な話でもないのである。
なぜなら、学級とその保護者・教師というくくりの概念を、「PTA」という独立規約を持つ別の団体に乗っ取られるとおかしなことになるからである。

川端さんは、まるおさんブログのコメント欄で「『自由な入退会ができる、学級PTAを基本としたPTA』というのはありえないのですか??」
と述べておられる。
私に言わせれば、ありえない。

「学級」という、いわば強制的にくくられた集団の中で、子どもも保護者も生きねばならないのである、学校では。
その「学級」を母集団とする「任意結成のPTA」というのはあっても悪くないが、その「PTA支部」が「学級」のなにかを企画したり「学級」の意見をとりまとめたり「学級」の問題解決に当たったりするのはおこがましいというか、非会員にとっては「誰あんた」の団体なのである。
ましてや、「学級」の保護者会(懇談会・懇親会)の時間をその団体活動に取られるのも困るし、子どもの個人情報を勝手に収集されるのも正直困りものなのである。

現に、そのあたりの勘違いは今でもひとたび「非会員」という存在が発生すればあちこちの学校・PTA・PTA上部団体でほころびが出ていて、PTAという団体のあり方が基本的に「全員加入」を前提としてしか設計されてこなかったことがよくわかる。「PTA問題」というのは、細かい事例はたくさんあろうが基本的にはその「勝手な勘違い」をベースとしていると思う。
川端さんの「学級PTA活用」論は、
 ・その「勝手な勘違い」がまったく是正されない、というかその勘違いに脅威を与えないことから発想が始まっている点
および
 ・学級というお互い顔見知りの、本来アットホームであるほうがいい小団体ををベースとしながらも自由な入退会ができる活動、という理想が非現実的であるという点−−自由な入退会、をいくら言っても“仲間”の大多数と“変わり者”の少数という図式にしかなり得ない−−
において、私は評価していない。私が唯一、「いじめについてまともなことを言っている」と評価している内藤朝雄氏が称している「中間集団全体主義」というのは、こういう中小集団に呑み込まれて異を唱えられなくされる状態のことを指しているのではないかと思うが、なんにしろ頭のわるいいちおばさんの理解であるから違っていたらゆるしてほしい(この点は私と同じ視点かどうかはわからないがまるおさんも触れておいでである)。

PTAは任意加入で各自の自由意志でおこなう活動である

という基本概念が徹底されない状態で、「学級PTA」なんかが活性化されちゃったら、今よりもっとひどいことになるのである。
それなら、現在のように本部だけを悪者にして下っ端はぐちっている、という状態のほうがまだましかもしれない。

シンプルに「学級の児童、保護者、担任、がもっと交流し合い単位活動を活性化したほうが子どものためになる」という話であれば、私もうなずきたい。
だが、それと「PTA問題」は、まぜて語らないほうがいいように思う。
「学級の児童、保護者、担任、のかたまりを“学級PTA”と呼ぼうよ!」という話であれば、それは「強制結成」の団体であることにまちがいないし、それならそれで「そのカタチのなかでの人道的な活動のあり方・活性化の方法」を模索すればいいと思う。
しかし、現実としてPTAはそのような強制力のある団体ではなくそれなのにあたかも強制力があるかのように振る舞っている、というのが核心の「PTA問題」が世の中に渦巻く中で、その新案はあまりにもわかりづらいし現実的でもない、と思った。

川端さんの「学級PTAの潜在力を思い出そう」には、
「学年・学級委員は、PTAの必要欠くべからざる要素であって、個々の会員とPTA全体との直接的なパイプ役だ。」と書かれている。
そのとおり。
PTAにとっての必要欠くべからざる要素だ。
学校や児童や保護者や教師にとっての、必要欠くべからざる要素ではない。

現在でも「PTA活性化」の視点をスタートとして物を語っている人は枚挙にいとまがない。
そういう方が「どうして話がかみ合わないのだろう」と思う非会員などに遭遇して頭を悩ませることがもしあれば、本記事が参考になったらいいなと思う。

おやじのロマン

P連便りというものはきっと昔から私の手元に来ていたんだろうけれども、ろくに見るべきところもなくてそのまますみやかに資源としての第二の人生を歩んでいただいていたのだが、今回きた便りはなにかちょっとパッションを感じたのでつい読んでしまった。
ようはP連会長の就任挨拶なのだが、簡単に紹介する。

・自分は家庭や学校のことは妻に任せきりだった。
・しかしきっかけがあってPTA会長になり今年が4年目、P連会長は2年目である。
・単PでもP連でも、役員をやりたがる人がいず、単P会長にも単年限りで交替する人が多くいる。その結果P会長がP連活動の意義を理解できず、P連活動の多くを無意味なものと解釈する傾向が増してきた。
・それがピークに達したのが一昨年度で、多くの活動を削減する方向に議論が傾いてしまった。危機感を感じたので昨年度はPTA活動の継続性を維持するためにエネルギーを費やした。
・しかし今年度はさらに単年度会長中心という事態となり、継続性という課題に向き合わざるを得ない。

(以上要旨)

これを見る限り、単P会長=P連活動に意義を感じ積極的な人種、という図式は、少なくとも当市では全く当てはまらなくなってきているようだ。ぶっちゃけもう、事実上崩壊寸前なのではないかとまで思えてくる。
P連活動を削減しようとする議論がわきおこるのは、それを申し立てる者たちが単年会長であるからだ、という彼の原因分析も的を射てるのかどうかわからないが、少なくとも会長たちが「積極的にではなくイヤイヤならされている人たちである」というところはしぶしぶながらも認めてしまっているように私には読めた。

彼も子どもが4人いて今年からは小学校に引き続き中学校のPTA会長をしている、というプロフィールから考えるに、今年中学入学したのが長子であるとしても、彼は4人の子どもを育てる妻を、少なくとも長子が小学4年になるまで「家庭も学校のことも任せ切り」にしてまったくサポートしてこなかったわけである。「学校のこと」というのは、おそらくPTA活動のことも含むと思われる。
それが父親として遅まきながら目覚め、PTAに積極的にかかわりはじめたのは良いとしても、こんどは急に「かかわりたがらない人々」を糾弾する立場に立ち、たよりなどに非協力的だとして批判的な作文をのせる、というのも、「いったい何様になったつもりなのか」と私的には「どひんしゅく」なのであるが、それでもきっと本人は「子どもたちのために献身する、無関心なやつらとは違う俺様」「自分の時間を割いて、重要な教育活動に関わっている俺様」なのだろうなあと何かうすら寂しい。

P連活動の継続性の重要さを訴えるわりには、その根拠とおぼしき文章は
「保護者と学校の連携が不十分だと、子どもたちを取り巻く様々な問題の解決に時間がかかり、大きな問題ともなりかねません。」という1文だけである。
当市のP連が、保護者と学校の連携を助け子どもたちの問題をスピーディに解決した、という実績を私は寡聞にして1件も知らないのだが、それはきっと私の不勉強によるものなのだろう。
したがって「P連事業の継続は必要だ!」という実感も当然ながらにまるでわかないのであるが、きっとこういうことをブログで大声で言う私など、彼にとってはもっとも「保護者の風上にも置けない母親」なのであろうなと思う次第であった。
少なくとも、彼よりはずっと長い年数、子どもと直接的に関わり大切に育ててきたし、配偶者に任せきりにするなんてことはやったことないけどね。

※タイトル文言は私の尊敬するある人が言い当てた非常にナイスな表現であり私のオリジナルではないのだが、このP連だよりを読んでいたらもうその言葉が何度も浮かんできてしかたなかったのでちょっくら拝借させていただいた。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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