2012-12

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我慢ほど楽なものはない

Pコンサバの典型的な台詞として、次のようなものがある。このブログに来てくださっている皆様も一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

・子ども全員のためになることだったら、やるしかない。たった6年、ごちゃごちゃ言わずやればいいじゃない。
・やらずに文句を言うのは「食わず嫌い」だ。理屈はさておき、とにかくやってみるべきだ。
・やりたくないからやらない、というのはわがままである。PTAというものが現にあり、その行事などで子供がお世話になっているのだから、参加しないであれこれ理屈を言うのは恥ずかしい。
・たった年に数回くらいのことが、そんなに苦痛?

これらの台詞が、心から納得して発せられていることは、どれくらいあるのであろうか。
多くの、これらの台詞を言う人たちが、実は「我慢」をしているのではないかと私は思う。
もし心から納得して信念としてそう思っているのであれば、「やりたくない」と言っている人にわざわざ上記のようなことを言って無理矢理押しつけることはないと思う。
「あら楽しいのにもったいない」とか、それこそ「やってくれないのか。まあいいか年に数回だし」と思いながら、さっさと次の年もやるだけだろう。
あれこれ手を変え品を替え、表現をとっかえひっかえして消極的な人にやらせようとするのは、自分もやりたくないと思っていることの証明だろう。

やりたくないことは断る、という単純かつ自然なことができないのは何故か。
それは、断ることによって新たなストレスが発生するからである。
白い目で見られる、変な噂を立てられる、いやな顔をされる…
それらのストレスを受けるのがいやだから、引き受けるわけである。
つまり、自分に我慢をさせて、すべてをおさめる。
我慢するというのは、いちばん手軽な解決法である。
自分が我慢するだけでいいのだから。
何かを筋道立てて考えたり、相手に分かるように整理して書いたり、じっくり待ったり、法律や今までの慣行を調べてその正当性を自分なりに消化したりする必要もない。
なにも考える必要はない。我慢して過ぎ去るのを待つだけでいい。

先日たいへんに気温の下がった夜があり、それが明けた早朝、私は洗濯物を干すためにうっかり裸足にサンダル履きでベランダに出てしまった。
洗濯物を干すには少なくとも15分程度はかかる。空気の冷たさから、このまま作業を続けていると足の感覚がなくなってしまうことを私は予感した。
しかし部屋に戻って靴下をはくのが面倒だったので、そのまま作業を続けた。
案の定、冷たさのあまりつま先がしびれて痛くなってきた。
それでも私は、つま先が痛くないことにして我慢し、最後まで作業を続けた。
当たり前だが、誰も私を「よく我慢したね」などとほめる人はいない。
我慢したのは私の勝手である。
理由は、我慢しないで物事をきちんと解決する(靴下を履いてくる)のが面倒だったからである。
別に我慢が崇高なわけではない。

しかし、なぜかPコンサバの中には、靴下を履いてくることや暖かい部屋の中に洗濯物を干すことを敵視する人がいる。「たった15分くらい我慢もできないの?」と責める人がいる。
我慢が、どうしても我慢しなければ成り立たないものかどうかという議論を嫌がる人がいる。
それはきっと、我慢をすることが一番楽な解決法だからだと思う。
楽なことを邪魔されるのは大変に腹が立つのである。

うちのPTAに何年も本部役員をやっている人がいるので、てっきりそれが好きなのかと思っていたところ、何かの委員会の時に「○○の作業が負担だといっている人がいます。どうやったら軽減出来るか検討しませんか」という提言を私がした時に、「たったそれくらい…役員の仕事に比べたら」とつぶやいたので仰天したことがあった。
彼女にとって、役員という仕事は何年にも渡る我慢の連続であったのだろうか。だとしたら気の毒なことではある。まあしかしこう言っては何だが、断らないのも本人の裁量であるから、いかんともしがたい話だ。

何年も奉仕を続けた彼女でも「私も我慢してるんだからあなたもその一部くらい我慢しなさいよ」のようなことをポロリともらす。あらゆる場所、ウェブサイト、雑誌、テレビ、会社や家庭や学校、いろいろなところで人は不満を漏らす。
その多くが、「自分は我慢している」に事を発する。
人間など弱いものである。「我慢」と美しくポーズを取ってみたところで、実際に最後まで「我慢」しきって呑み込んで済ませられる人など少ないのだ。
だから、ぶつくさとあちこちで不満を垂れ流し、八つ当たりをすることになる。

「それが結局のところ楽だから、我慢をしている」ケースは、特にこの日本においてはものすごく多いのではないかと思う。
他国のように、命令通りに結婚しなければ殺されるとか、逃げようとすれば一族もろとも焼き払われるという状況であれば、「我慢がつらい」というのは非常にわかる話であるが、「私だって我慢してPTAの手伝い出てるのよ!」とか言われても、「それは、あなたがその我慢をするメリットを選択しただけでは…」とつい、のど元まで出かかってしまう私なのであった。

まあそれでまたモメるのが面倒なので、私もそれは言わずに「我慢」しちゃうわけなんですけどね。
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ここからお開け下さい

こう言っちゃあなんだが、人の気持ちは大切にする方である。
これまでここの記事を読んでこられた方には「は?」と言われそうな気もするが、とにかくそうなのである。
人の気持ちを大切に思うからこそ、モノをもらうことが人一倍負担にもなるし、「みんなやってるんだから」という有無を言わさぬPTAの押しつけ思想が嫌いでもある。

その証拠を今日はお見せしよう。私は、焼きのりや花かつおの袋などに「ここからお開けください」と書いてあると、どうしても無視することができず、忠実にそこから開けようと頑張ってしまう。
その言葉を印刷した人は、「そこが最も開けやすい」という理由からそこをすすめてくるのだろうし、自分的には「チャックの上の細いところを手で開けても、なんか途中で切れちゃってきれいに開けられたためしないんだよね〜それに中身全部使うからチャック残す必要も別にないし」とか心の中でブツブツ思っても、せっかくすすめてくれているのに一方的に無視して勝手なところを開けてはすまないような気持ちになってしまう。
そうやってたいていの場合、なんか斜めに切れてしまって失敗してしまうのだった。

あと、洗剤の詰替え袋や豆腐などに「手で開けられます」と書いてあると、なにか手で開けないとその人のせっかくのおすすめしている気持ちをふみにじるようだし、手で開けられるような仕様にするために日夜研究を重ね、会議でも口角泡飛ばして「だからそうじゃないって言ってるだろう近藤君!」とか「課長あんた何もわかっちゃいないっ!」とか言い合ったり、納期に間に合わせるために休日出勤とかして、「パパはぁ?」とか幼い子を悲しませたりしたのかと思うと、やはりここは頑張って手で開けないとその気持ちに応えられないような気がしてしまうのだ。そういった努力や涙の結晶が「手で開けられます!」というあの印刷なのだろう。いや別に「!」はなかったか。とにかく易きに走ってハサミなどを使用することはあってはならないことなのだ。
しかしっ! 洗い物の途中で、洗剤もちょっと付いたぬれた手で分厚い洗剤の袋はなかなか切りづらいし、切れたとしても変な切り目になってしまってボトルに入れようとする時にだーーっとよそへこぼれたり、豆腐だって私は馬鹿だからだいたいみそ汁の鍋がグラグラわいてから「あっ、豆腐切ってなかった」とおたおたするのがパターンであり、それでも近藤君(誰?)の気持ちをムゲにはできないと一生懸命手で開けるのであるが、なぜか斜めに−−つまり豆腐の底面における対角線に沿って−−細長くフィルムが切れてしまい、「え〜んもう〜」とイライラしながら結局包丁を差し込んで切ったりしているのであった。しっかりしたまえ近藤君!じゃなかった、本当に律義な私なのであった。自画自賛でしょうしょう面はゆい。

ところで、このたぐいの注意文言で私をかすかにイラッとさせるものがある。それは、「ハサミでお開けください」である。それは、たとえばポテチの袋をむりやり引っ張って開けようとして「どびゃっ」となる惨事から消費者を守ろうとしての親切心から出ている注意なのかもしれないが、そこには企業努力が感じられない。「私たち頑張りましたのでぜひ!」という「こころ」が感じられない。ただただ、「あんたたちの製造した袋の口が固いからどびゃっとなったではないか!」というクレームが来た時に「お客様、ですからハサミでお開け下さいとあらかじめ申し上げております」とすかさず返したいという保身の姿勢しか感じられない。ハサミは私の利便のために私が代金を払ってホムセンで買ってきたものである!たかがポテチメーカーの阿部氏(だから誰?)ごときに使用の指示をされるいわれはないっ!どびゃっとなろうが拾い集めるのは私だ!ほっといてくれたまえ!指図は控えてもらおうか!などと100倍にして言い返したくなるのは何故だろうか。

このように、製造者からのメッセージをいちいち大切にしている私なのであるが、ひとつだけ従うことをお断りしているパターンがある。それは、「袋が縦長に切れてしまうようにV字を入れてきて『ここからお開けください』などと無茶な要求をしてきている場合」である。
わかりづらいので図にしてみた。
袋
縦長に開けてしまったら、クリップを使ってももう再度封をすることができない。飽きて誰も食べなくなっても、口が閉じられないから劣化するままに任され、そのうち捨てられることになる。これは、消費を増大させるための陰謀である。味の素の振り出し口をひろげたのと同じ発想である。だまされてはいけない! 私は独りで断固としてこの「ムダに消費させるぞ作戦」には応じないつもりだ。従って子供たちにも「いかにそのような説明書きがあれ、タテに開けてはならない」旨をこんこんと日々教えている。
おおむね製造者の気持ちは大切にするのがモットーの私ではあるが、闘うべきところは闘うのである。毎日敵はやって来る。今日も「生協のりポテチ」の袋の裏側に「開けにくい場合はタテにお開けください」などと書いてあった。末っ子の次郎がついタテに破ってしまい、他のきょうだいから非難されまくっていた。次郎もまだまだである。ほんとうに毎日気が抜けない。

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以上 お願いが多く申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いいたします。

お〜いボランティア!

月子の担任がちょっとアレである。
教師としていいか悪いかというざっくりとした分け方で言えば、良い方だと思う。
工夫されたプリントを自作し、子供も飽きずに宿題をやれているし、おっさんの割りにはこまやかに目が届き、きびしさも優しさも兼ね備えている。授業を参観しても、十分に子供たちをの注意を引きつけ、授業が成り立っているようだ。
であるから良い教師といえるのだろうが、ちょっと一部アレである。
これからその、アレな件について書こう。

「ボランティア係」というのがあるらしく、月子がそれになったというのだ。
ボランティア係というのはどんなものかと興味を持ったので尋ねてみると、「別にやることは決まってないの。先生が手伝いが欲しい時に呼ばれるの」と言う。
え…? それボランティアか?
内容としては、黒板消したり、プリントがいっぱいある時に運ぶのを手伝ったり、言われたものを配ったり、先生の作業で手が足りない時に呼ばれたりということらしい。
「先生が困っている時ね、お〜いボランティア!って呼ばれるの」
と子供は無邪気に言うが、パ、パシリでは…?
まあ小学生にパシリもないだろうから、せめて「お手伝い係」くらいにしたらどんなもんだろうか。
ボランティアって、労働に駆り出されることかいな…。なんだかすごく違う気が。

そういえば以前、月子が家のボックスティッシュ(未使用)を学校に持っていこうとするので、わけをたずねると、「学級のティッシュが足りないから、みんな1人1箱ずつ持ってきなさいって言われた」ということもあった。
うーん…。
学校の消耗品って予算ないの?おかしい…。
そのうちトイレットペーパー持ち寄れとか、チョークを1家庭1箱持って来いとか、になるのか?
子供の鼻かみ用などは、子供が各自ポケットティッシュを携行する決まりになっている。しかしウチもいいかげんだから、忘れることもしょっちゅう。そういう時は学校の備品のボックスティッシュを使って鼻をかむこともあるだろう。
だから、まぁお宅のお子さんも使うんだしティッシュ持ってきてよと言われれば、差し出すのは別にかまわないのだが、なんかひっかかる。
物品の寄付をして欲しいのであれば、保護者に説明して依頼して欲しいと思うのは私だけなんだろうか? ティッシュなど安いものではあるが、それでも家の「不用品」ではないし、先生に言われたからといって家のものを持ち出して差し出すというのは、子供に教える行動として何か変な気がする。

まあ、もやもやしながらも1箱持って行かせたのであるが、次の日も持っていこうとするのにはびっくりした。
「昨日あげたでしょ?どうしてまた持って行くの?」と聞くと、
「だって先生が、いっぱい持ってくれば来るほどいいって言ったんだもん」と答える。
「うちも使うために買ってるんだから、1箱にしてくれる? それでまたどうしてもなくなっちゃって困ったら言ってね」と言い聞かせたが、なんだか自分がケチになった気がして、ちょっとイヤな気分になった。

お〜い先生…。
相手が子供であれ、人に「○○を持ってこい」ってどうして平気で言うんですかあ?
度重なったら連絡帳に書いてみようかと思っている。
今のところ、あれ以来言ってこないが。

「ボランティア」の件といい、この先生なんだかアレだなあ…と感じるのは、そういうようなところであった。

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Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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