2012-11

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ありがたく思え病

Pコンサバの人がよく口にするのが、
「仕事などでどうしてもできないなら仕方がない。でも、できなくてすみませんとか、参加しなくて申し訳ないという気持ちくらい持って欲しい」というリクエストである。
あれは、いったいどういう感覚で発せられる言葉であるのか。

多くの人が「面倒だ、いやだ」と思うようなことを自分が引き受けた場合、かなりの人が「ありがたく思え」という、いわばこちらが上・あちらが下というような、優越感に似たものを持ちがちなのではないだろうか。
そういうエッヘン感を正しく支えない人=みじんもありがたそうにも済まなそうにもしない人は、端的に言ってムカツクものであるらしい。

まあ自分のブログなので正直なところを書いちゃうが、活動を勝手に設定しておいて、その設定と私の都合が合わなかったからといって、なぜに申し訳なく思わなければならないのか? さっぱりわからないのが本音である。
会社のような、束縛もきついかわりに賃金も支払うというシステムの場合、病気や子ども関係の早退などで給料に値する働きができなかったと自分で感ずる場合、「申し訳ないな」と思う。社員が病気にかかることは想定にふくんで雇用しているのだし、有給休暇は権利であるから、申し訳なく思う必要はないと言われればそうだが、やはりなにか歯がゆい気持ちはする。
しかし、PTAからは賃金ももらっていないし、あくまで任意のボランティアである。職業にしているわけではないしさまざまな立場の人の寄せ集めなのだから、PTAの都合に合わせられる人もいるし、合わせられない人もいる。そんなの当たり前ではないか。そういうのは大前提として覚悟した上で活動を定めてもらわないと、うっかり所属もできない。PTAの都合に合わせられなかったからといっていちいち「他の人に迷惑をかけている」などと罪悪感を持たなければいけないのなら、そんなきゅうくつな組織にわざわざくわわる意味がわからない。

とはいえ私にもさすがに無闇にことを荒立てるのは面倒なので、エッヘン感満載の人の前で「別に頼んだ覚えないですけど」みたいなことは言わない。言いたい気持ちは重々あるので、何か疲れてたりとか、何らかの原因でケンカ上等みたいな気分になってたりすると抑止力がゆるんで言っちゃう危険性はあるが、まぁふつうは言わない。

たとえば本部役員など、大変だろうなあと思う。プライベートな時間をたくさん投入して、尽力してくれて、ありがたいなあと思う。これは別に飾り立てた言葉でも、建前のきれい事でも何でもなく、素直にそう思う。
しかし、「あなたはそれを引き受けていないのだから、申し訳なく感じて肩身を狭くしていろ」というようなことを言われると、え?なんで?という気持ちしか湧いてこない。

自分が何をするかは、自分の決定による。
人から申し訳なく感じてもらわなければ物足りなく思うほど自分に我慢をさせて何かをやっているのだったら、やらないほうが良いと思う。
誰に頼んでいいのかよくわからないが、本当にお願いしたい。
恩着せがましい気持ちが1ミリでも湧くなら、世界平和のためにボランティアはやめてほしいと心からお願いしたい。
イヤイヤやるボランティアがまきちらす害毒というものは、想像以上に迷惑なものなのである。
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「留守番させてパトロール」の謎

以前、ある掲示板で、「乳児がいるのでPTAのパトロールが無理。脱退したいが子供に不利益があるか」と尋ねている人がいた。
いろいろな回答が寄せられていたが、その中に
「乳児がいるのは、あなただけですか? 知り合いで、年長児と1歳の双子で留守番をさせ、きちんと参加されていた人がいましたよ」
のような回答があり、要はスレッド主のワガママだというのである。
私はひっくり返ってしまった。

PTAのそもそもの目的の一つに「保護者間の交流、親睦、社会勉強」というのがあるらしい。
表現は様々だろうが、要は「子育てしているからといって家にこもるのは良くないことである」という基本理念があるように思う。
しかし私は、乳幼児子育て中の母親が家を空けたくないのは、わりと普通の感覚ではないかと思うのだ。
外勤していれば保育園に預けざるを得ないのは、そりゃあ仕方がないが、重要な用でもないのに乳幼児を放置して外へ出たいという人は、私の交友範囲のなかでいえば少数派であるように思う。
「たかが数年間、がまんして付き合いしなさいよ」ではなく、「たかが数年間、ほっといてほしい。上に子どもがいるからといってひきずり出されたくない」というのが、私にとってはいつわらぬ気持ちだったと記憶している。

もちろん、「気晴らしに少し出たい」というのはあるだろうが、たまにそういう気持ちになるということであって、機会さえあれば子どもをおいて出たいという人は少ないのではないか。

私自身で言えば、たとえ高学年であっても、小学生以下だけで留守番をさせるというのは心配である。ましてや未就学児となれば、それがいつであろうが子どもだけでおいていくというのは原則あり得ない。
それを人に勧めるなんて(くだんの回答者は直接勧めているわけではないが、そうしろと言っているのも同然だと思う)、恐ろしくてできるわけがない。

子どもを喪った旧友がいる。
夜、1歳児を夫に頼んでPTAバレーの練習に出たところ、夫に客人がきて酒を飲みはじめてしまった。子どものことなど「そこらにいるだろう」くらいにしか思わずろくに見ていなかった間、浴槽で溺死してしまったのである。

PTAのせいではないだろう。
いろいろな不運、不注意が重なった結果であって、誰を責めても仕方がないとは思う。
しかし、もし身近なところでそういう事件を経験していたら、それでも
「留守番させてでもきちんとパトロール出てる人いるわよ?」
などと言えるのだろうか?

パトロールってそんなに重要か?
「やらないよりは、やったほうが、ひょっとしたらマシかもしれないね」くらいのものではないのか?
よく聞くのが、「犯罪抑止効果」であるが、
一般人によるパトロール実行状況と、犯罪発生状況の相関関係を数字によってきちんと検証した統計はあるのだろうか?

警官によるパトロール中でさえ、先日人が殺された。
ストーカー被害を訴えていたにもかかわらず…

パトロールに意味がないとまでは言わない。
手が空いていれば、散歩しがてらやるのもいいね…
見回りしているうちに、地域の様子もわかるよね…
くらいのレベルのものではなかろうかと、私は思うのだ。
乳幼児をおいて出て来いとまで言う人の心の中は、いったいどうなっているのだろう…

役所仕事って②

前回①のことがあってから1週間後、また携帯が鳴った。
「また隣市で強盗事件があったので、迎えに来てください」

はぁぁぁ? ま〜た〜で〜す〜かぁ?
今日の事件も知っている。昼ごろ、近隣トラブルで家に乗り込み、刃物を振りまわしたという事件だ。
そして、その事件が最初、強盗だと誤報されていたのだ。
どうも、その最初の連絡が今ごろ回っているらしい。

もう、あまりのことについ、心の中をそのまま言ってしまった。
「はぁ? またですかぁ? 私仕事中なんです。そんなにたびたび迎えに来いって言われても対応できませんよ!」
「でも、社会教育課から、迎えに来てもらうように言われてますので」
「そんなに離れたところで事件あったからっていちいち仕事放り出して迎えに行けませんよ? うちは近いですから帰してください」
「いえそれは、できません。」
「はぁ? 親の私が帰してくれって言ってるんですよ? この間もそうやって帰してくれなかったから、うちの下の子たちは真っ暗な中、道路で遊んでたんです! 帰してください!」
「お子さんの安全を守るためですので、迎えに来てください。元気ッズの規則にも、災害時には迎えをお願いしますって書いてありますよね?」
「何十キロも離れたところで、しかも発生から何時間も経ってるんでしょ? しかも事件の内容、把握してるんですか? なんでもかんでも災害にしないでください!」
「私たちはただのスタッフで、社会教育課から連絡回ってきてますので、その通りにするしかないんです。事件の内容? よくわかりません…とにかくそう言われてますので帰すわけには」
「保護者の私が状況を判断した上で、帰してくれって言ってるのに、何の権限があって監禁するんですか?」
「でも、太郎くんのところ1件を許してしまうと、うちも帰して、うちもうちもってなりますから…お子さんの安全を守るためですから帰せません…」
「はぁ? じゃあ、うちの下の子たちはどうなってもいいんですか? 何かあったら責任とれるんですか? いますぐ帰してください!
「…そ、それでは、いちおう社会教育課に問い合わせて、もう一度お電話しますので…」

そのあと、ものすごく仕事が立て込んでしまい、携帯電話が鳴ったことすらわからなかった。
しばらく経って落ち着いてから見てみると、留守番電話になっており、「社会教育課との協議の結果、太郎君をお帰しすることになりました…」と入っていた。

なんかほんとうに疲れる、この国…
もう、元気ッズに行くのは禁止にしようかしら…

役所仕事って①

ぴーなっつさんからコメントをいただき、思い出したことがあったので書いておこう。
当市では、放課後に小学校で子供を遊ばせる事業「元気ッズ(仮称)」を、社会教育課主導でやっている。
市の予算で人を雇って番をさせ、校庭や専用ルームで子供を遊ばせる。
遊び場の少なくなった現代、学校施設が活用できて良いし、子供たちにも人気がある。
うちの太郎は高学年だが、校庭を広く使って遊べるのでよく行っているらしい。

ある日、仕事中に携帯が鳴るので出てみると、元気ッズのスタッフさんからだった。
「隣市で強盗事件があったので、太郎君を迎えに来てください」と言う。
強盗事件の話は、防犯メールが流れてきていたのですでに知っていた。しかし、昼ごろの発生である。今は夕方の4時半。しかも学校からいったん下校してから元気ッズに行っているのである。今さら「迎えに!」と騒いでも…そこまで言うなら、事件を知っていながら元気ッズをなぜ営業(?)する!?  太郎は5時から習い事だ! だいたい私は今から対応しなきゃいけない急ぎの件が3つもあり、とても今すぐは帰れない。
「迎えに来いと言われましても…6時は回ると思いますが」と言うと、「どうしてもお迎えに来てもらうようにと社会教育課から言われてますので。何時まででも待っていますから」とスタッフさんは言う。
しかたがないので、それでも早めに切り上げ、ミーティングを1つキャンセルして、習い事先に電話をかけて今日は行けない旨を伝え、6時過ぎに帰った。

すでにあたりは真っ暗になっており、家が心配でいったん帰宅すると、なんと低学年の月子と次郎がキャッキャと外で遊んでいるではないか!
「あんたたち何してんの」と聞くと、「だって兄ちゃん居ないから家にはいれないんだも〜ん」と、暗い路上でなわとびをしたりして遊んでいる。
月子は、家の鍵を持っていることになっているが、きょうはなぜか持っていなかったらしい。

あきれてその2人を家に押し込め、鍵をかけて、元気ッズに行った。
門がらあき。玄関全開。どんどん入っていってもだれにも呼び止められない。つか誰もいない。ルームに行くと太郎だけがポツンと待っており、そのそばにバァチャンと呼んでもいいような弱そうな年配女性スタッフさんがいただけだった。

おいおいこれじゃ〜、帰宅させて鍵かけさせた方が何倍もマシだろうて!
事件発生でなにか対応しよう、なるべく安全を守ろうとしてるらしいことだけはわかるが、何時間も経ってからこのバカみたいな対応は何なの?
しかも、同じ役所でも違う所轄課の「学童クラブ」は、普通に低学年の子を帰宅させてるんですけど…? だから低学年の子だけ夜の路上で野放しになってるんですけど…?

怒りだかなんだか分かんない呆れた気持ちで、それでもまぁため息をついて夕飯を作り、その日は終わった。

しかもこの話、つづきがあったりする。

コンサバな人たちも観察してみよう

PTAは本当はそうではないにもかかわらず、かなり多数の人によって、「仕組み・制度」であると認識されているのは私があらためて説明するまでもないと思うが、PTAという仕組みを必死に守ろうとする勢力のことを「Pフォース」と概念づけてきた。
Pフォースを主に発信し仕掛けているのは国・自治体・教委・学校、および一部のPTA信者=PTAの価値が否定されては自分の価値や利益の拠り所がガラガラとくずれてしまう人たち、であると考えている。

このほかに、Pフォースに従属し肯定、あるいは肯定とまでは行かなくても「現状は仕方のないことだ」と消極的にでも認めている人たちのことを「Pコンサバ」と名付けてみよう。
積極的に役員などになることはないが退会することもなく、くじなどで当たれば仕方なく引き受けたり、あるいは「低学年のうちに手を上げてやってしまう」「なるべく軽い役を狙ってやる」などの「ノウハウ」によって切り抜けようとする人たちである。彼女たちはPTAを「与えられた環境」とみなし、その中でよりうまく生き抜こうとする。だから、PTAという環境に自分が投じられていること自体は変更不能なこととみなして自分の中で合理化済みである。
なんだか、DV夫から離れられない精神構造にとりつかれた妻のようでもあるが…
なお、役をする前は「PTAなんて憂鬱」「こんなの意味あるのかしら」などと愚痴ってばかりでも、いざ自分が委員などの役目を終えると他人に「私だって大変だったけど、やってみれば楽しかったよ。個人の事情で言い訳しないで!」と冷酷に押しつけるようになってしまうのもコンサバの特徴の1つだろう。ここは最初からPTAのスバラシサで頭がいっぱいになっているPフォーサーとはやや異なる点である。

Pコンサバの典型的な主張として次のようなものがある。

・自分の子が恩恵を受けているなら、親も協力するのは当たり前。
・やりたい人など誰もいない。みんなやりたくないけど誰かがやらなきゃいけないのだから、公平にくじびきなどでも仕方がないではないか?
・忙しいのはみんな一緒。個々の事情など理由にならない。
・PTAを批判する人は、要するに面倒なことはやりたくないだけでしょ?

つまり、PTA活動自体に合理的な価値があるかどうか、そういうことはもはや問題にしていなかったりするのである。「発生している負担をどうやってこなすのが平等か」ということしか視野に入っていない。

※PフォースとPコンサバの見分け方(見分けてもしょうがないけど)

「PTAは自主的に組織される任意団体であり、強制・自動入会はおかしいのでは?」と言うと、
前者は、PTAがいかに社会的に重要な位置を占めていて、教育環境の醸成に不可欠なものであり、国や自治体からもどれだけ推奨され頼りにされているかをまくしたてはじめ、
後者は、自由だからといって勝手に退会することがいかに人道に反するか、恩恵だけ受けて義務を果たそうとしないズルイ行為であるか等と感情的にののしりはじめる。
なお、「退会したければどうぞ。その代わり差別します」と声高に言い放つ人は後者のほうが多いように思う。
☆ただ正確に言うと、「差別します」と能動的な言い方をする人は実はほとんど居ない。
「仲間に入れてもらえないでしょうね」「他のお母さんたちから噂されるでしょうね」というような、「自分が加害者というわけではないが、自然現象としてそうなる」的な表現を、そういう人は必ずといっていいほどする。
自分が先頭切って人を差別する勇気(?)もないということだろう。

まーちょっと横道にそれてしまったが、どちらにせよ「強制・自動入会にしてもいい合理的な根拠」はまったく述べられない。述べてもらったためしがない。
要するに、「感情的に強制したい」だけのことを一歩も出ていないわけである。

Pコンサバはどちらかと言えば環境に過剰適応してしまう同調心理の強い人たちなのではないかと思う。だから自分がトップに立ってPTAを牽引するようなことは決してしないが、PTAという「保護者の親和の証」を否定する者には脅威や嫌悪感を感じるのではないだろうか。

したがって、コンサバな人たちというのは意外と、文科省が「ダメ。ゼッタイ。自動入会。」などとキャンペーンをはったり、「活動強制やめますか。人間やめますか。」などと公共広告機構がCM流したりすれば、コロッと「PTAって自由で任意なのよねっ?」と価値観を塗り替え、「欠席者くじ引きとかまだやってるの?だっさー、昭和?」とか言いはじめるのではないかと思っている。

にしても例えが古過ぎて、年がばれたかも…

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Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
ツイッターもあるヨ→@ bkk858

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