2012-10

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下校の時間になりました

日本の自治体って放送が好きだよなぁ〜と思う。
私は国内を何度か引っ越しているが、どこに行っても行政無線がある。
情報を得る手段が無くなる災害時には大変役に立つものだろうが、「せっかく設備があるのだから」ということか、平常時にやたらに放送を流すのが困りものである。
やれ終戦記念日だから黙祷せぇとか。
終戦記念日なのはわかっているし、戦時中の人々の苦難を思いやって悼む気持ちは人一倍持っているつもりだが、頭の上からスピーカーで毎年毎年強制されるとイラつく。
子どもの頃、死んだばあちゃんに繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し「お前らは幸せだ、戦時中はどうのこうの…」とストーカーのように唱え続けられて頭がおかしくなりそうだったせいかもしれない。
中学生の頃だったか、あまりにイラついて1度だけ「平和な世に生まれて悪かったな!何せいちゅうんじゃ!死ねばいいんかい!」とキレまくったことがある。
苦労したばあちゃんには悪かったと思うが、それくらい限界になっていた。

まぁ終戦の黙祷は年に1回だからまだいいものの、うちの市では毎日毎日昼下がりに「下校放送」というのをやっているらしい。
「これから子供が下校する。地域の方は見守りをお願いします」という内容だ。
しかし、その放送は学校の先生が、子供が帰る前にマイクをつかんで放送でお願いしているわけではない。
市単位で同一の時間に機械的に流しているだけなのだ。
とうぜん、何時間授業だろうが関係ないし、遠足だろうと、台風接近で早期下校させていようと、同じように流れる。もちろん学年によって下校時刻も異なるわけだが、むろんそんなことにも関係なく同一時間に流れる。
アホですか?
本当に、品のない言葉をインターネットで放送してしまって申し訳ないのだが、念のためもう一度申しあげる。
ア ホ で す か ?

世の中の人間をアホと賢人に分類すれば私は間違いなく前者のグループになるわけだが、それでもやはり「アホ丸出し」の行いはちょっと日頃から控えてみたりしているわけで、やはり傍若無人にアホ丸出しというのを見ると、ま自分のアホはさておき、ちょっとマユをひそめたくなったりしてしまうのである。
だいたいこの記事だって「簡潔に1行でまとめよ」と言われれば、
うるせぇんだよバカ放送!
ということになるし、実はそれで十分事足りたりするのだが、やはりそれでは人の親として、良識ある社会人としていかがなものか、アホ丸出しはちょっとなぁ〜と愚考するため、ああでもないこうでもないと長々とさかしげなことを並べ立てているわけである。そのくらいの見栄は私だってある。それなのにあの遠慮を知らないアホ放送と来たら…

ひょっとして私と同じように思っている方はいらっしゃらないかしらんと思い、グーグルでてきとうに検索してみるとこんなのがあった。

この町長の言によればこの放送によって、子供に対する犯罪や声掛け事案が減少しているというのである!これは驚きであった。
さっそく、わが警視庁の公開している刑法犯の罪種別認知件数(年次別)を見てみると、小学生の親が一番恐れるであろう「略取誘拐・人身売買」の項においては
平成19年 25件
平成20年  7件
平成21年 15件
平成22年 10件
平成23年  6件
であり、確かにおおむね減っている!
私は自分の不明を恥じた。アホなどと言って申し訳ありませんでした。
全国の皆さん! 皆さんのところでは下校放送をやっていますか? もしまだでしたら、すぐ開始してください! これにやれば犯罪が減少するそうなのです! そう、一町の主が証明しています!
まだ放送していない自治体は、子供のためを思わない怠慢な自治体です! 誘拐の多い外国にお住まいのお友だちはいますか? その方にも是非教えてあげて、自国で放送をやれ運動を展開するように勧めてあげてください!
だって、放送を開始したら犯罪が減少したんでしょ? だったら警察や犯罪関係の学会で発表されているはず。それを受けて下校放送が国策になっていない理由は不明だが、とにかくそういうことらしいのである。


***本当にどうでもいいコーナー***

ちなみに上記した「刑法犯の罪種別認知件数(年次別)」というのがなかなか面白くてついじっくり読んでしまったのだが、「礼拝所不敬」という罪があるということを初めて知った。
具体的にどういう犯罪があるのかネットを見回ってみると、那智滝をロッククライミングしておこられた人達がいたらしい。
法律によると六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金ということらしいが、この人達はあやまっただけですんだようだ。

高校の頃学校をばっくれて放浪をするのが好きだったが、夏の炎天下に神社の賽銭箱の少し奥の、よくみがかれた板間がひんやりと気持ち良さそうで、つい上がり込んで昼寝をしてしまったことがある。そこの奥さんに見つかり「神様のところでとんでもない」とこっぴどく怒られて追い出されたが、警察に通報されていたら危なかったんだな〜。

ちなみに説教等妨害罪というのもあり、葬式を妨害したら懲役刑が待っているということを生まれて初めて知った。
子どもの頃、お経を唱える坊さんの頭をポクポクやる真似をして参列者が噴き出し、ばあちゃんに激怒されたが、あれもいけないことだったんだな〜。捕まらなくて良かった…
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戦後67年、いいかげんにそろそろモノを配るのはやめませんか

ティッシュカバーですっかり脱線してしまったが、そもそも書こうと思っていたことはタイトルのようなことだった。
今はモノあまりの世の中だと言っちゃっていいと思う。モノを捨てるための本がベストセラーになってるようだし、わが家だって、「欲しいけど買えないモノ」とか「自分じゃ買えないけど誰かくれないかな〜と待ち望んでいるもの」など無いに等しい。あ、もちろん、広い家が欲しいとか、新しい車が欲しいとか、そういう話は別だけども、要は手軽にプレゼントしてもらえるようなモノはこっちも特に要らないわけである。

今この日本において、プレゼントの意味は「気持ち」しかないと思う。私のことを思って買ってきてくれてありがとう。少しでも分けようという気持ちをありがとう。美味しいものを食べさせたいという気持ちをありがとう。
だからそこは嬉しい。そういう気持ちは嬉しい。しかしモノ自体には、そんなに価値があるわけではない。金を出せば買えるのだ。

昔住んでいたところの近所のおばあさんで、いろいろとモノをくれる人がいた。辞退しても押しつけ、手に握らせる。顔を合わせたが最後、手ぶらで帰ることは許さない。お菓子や野菜ならまだしも、刻んだたくあんを両手にじかに盛られた時は、家に帰っても鍵も開けられず本当に困った。
そして、「Aさんには○○をやった」「Bさんには△△をしてやった」などが口癖。
私もどれだけ言われていたことだろう。
決して悪い人ではなかったのだが、近づくと被害(?)にあうので、なるべく距離を置くようにしていた。しかしそれでは、こんどは「顔も見せない」と言い始めるのは間違いなかったので、しかたなく失礼にならない程度には顔を見せ挨拶をして、モノ攻撃にみずから遭っていた。

プレゼントというのは両刃の刃である。モノをあげることで「自分が満足したいのだ」という自覚がない時、自分が奉仕していると信じ切っている時、それはむしろ困りものにならないだろうか? ましてやその「モノ」が、本当にどうでもいいようなモノだった時、自覚もないまま奉仕感にたっぷり浸られても・・・・なかなかに重い話なのである。

PTAは「何かをしてあげたくてたまらない団体」である。それで何につけても、「何かを配る」という発想になる。
本当に有志の心で、子供たちの喜ぶ顔を見たいという気持ちから、ちょっとしたものを配りましょうというのは、心温まるしいいことだと思う。
しかしそういうちょっとした親切心から、「でも、あの子の親からはお金もらってないわよ」という発想が出てくるものだろうか?
「予算がある以上、なにがなんでも配らなければいけない」になり、「会員じゃない人は実費請求」になり、むりやり数を揃えて、たかが200円ぐらいの菓子に仰々しく「PTAより」と熨斗をつけるだろうか?

やはり、私はどうしてもそこに下心というか裏心というか、「満足したいのは自分達なのに子供たちのためということにして浸っている」「子供たちのためなのだから、それに参加しない親は罰すべき存在。それが子供たちのため」とずれまくってる空気を感じ取ってしまうのだ。
PTAがなくなれとは思わないが、時々「嫌いだなあ」と感じる。いろんな場面で感じるが、そういった「モノ配り」にご執心な姿を感じるときもその瞬間の一つだ。

子供たちのため、というなら、本当に子供たちが今困っているのはどういうことか、という観点からのサポートがあってもいいのではないだろうか。
ボールを使える公園がない。好きな時間に友だちと遊べる屋内スペースがない。教師から理不尽なことを言われ困っている。身近でいじめがある。災害時に親がいなかったらどうしたらいいのか不安。
子供たちは、いろいろなストレスにさらされている。教育環境を充実させるという目標を掲げているなら、モノを配ることなど、優先度からいえば最後尾だと思うのだ。

ま、「もしやるなら」という話であって、現PTAにそれをやれと思ってるわけではない。
「もっと有意義な活動を」のようなことを会員時代に言ったこともあるが、「そこまでは無理。だからせめてできることをやっているだけ」としか言われなかった。
無理なら無理でもかまわないが、それならそれで「たかがモノ配り」にしかすぎないことをいちおうきちんと認識した方が良いように思う。ベルマークもそうだが、いつでもやめてかまわないようなレベルの活動なのである。
「そのレベルの活動」ということがわからず重要視し、「やらない人はズルイ」「それでも親?」「産まなきゃ良かったのに」と騒ぐ人を見ると、ため息が出る。
趣味は趣味。ボランティアはボランティア。「せめても」の活動は所詮「せめても」。モノをあげるのはあげる側が満足したいため。
そこが分からない人が「モノを人にあげる活動」に熱心に励みはじめると、本当にハタ迷惑なものになると思う。

モノをあげること・もらうこと

人に何かしてあげたい、あげなければと思う時、もっとも簡単に思いついて、ラクで、効果が目に見えて、自己満足にひたりやすいのが「モノをあげる」という行為だろう。
確かに、ちょっとした気遣いをしてもらうのは嬉しい。旅に行った人から、1回で食べきってしまうくらいの、小さめの現地のお菓子などいただくのは、少なくともそれを選んで購入している間は、私のことを思い出して旅気分を分けてくれているのだろうから、ほんわかした気持ちになる。
しかし、お返しをしなければ済まないほど豪勢な品物だったり、食べ飽きてしまうほど多量だったり、なくならない飾り物などだったりするととたんに気が重くなってしまう。
これを買って私に渡す時、本当に私のことを考えてくれているのか?と淋しくも疑いたくなってしまうことまであるのだ。

何年か前、ある方からフリフリのレースのティッシュカバーを頂いたことがあった。気持ちは大変有り難いとは思うが、フリフリのレースも趣味ではないし、たかが5個パック298円の箱ティッシュをいちいち布に包むというのも効能がよくわからない。
ティッシュを布に包みたい人は包めば良いと思うし、家全体がフリフリにふさわしく、真っ白な壁や小さな花が15センチおきに刺繍されたカフェカーテンなどで整えられていればそんなデザインもよかろうが、我が家は狭い面積で4人のお子様たちを育てている上ろくに家事もしないでブログなどやってるせいで、その惨状は読者の皆様のご想像通りである。(まあ正直ブログをはじめる前からこの状態なのだが。)その中で箱ティッシュだけがご大層にフリフリレースに包まれていたらやはり異様であるからして、人間の尊厳においてやはり断固としてそれは出来ない。

しかしながら、くださった方が勇敢にもわが家を訪れたりしたらどうするのか。きっと、カバーを装着されたティッシュを目でさりげなく探すに違いない。そんな危機にどう対応したらいいのか。もう、言い訳をこじつけてでも、子供に熱を出させてでも、家の前に落とし穴を掘ってでも、なにがなんでも家に招くのを阻止しなければならないではないか!

ティッシュカバーなど押し入れに突っ込んで忘れればいいようなものだが、将来にわたっても絶対に使用しないとわかっているものをわざわざ保管するというのも私の好みではない。将来「あれ?これ何だっけ?」などといいながら箱をあけ、落胆し、またふたをしてしまうということで1分間くらい無駄にしてしまうのももったいないし、それを毎年忘れてはアホみたいに繰り返すのも、必ずそうするとわかっているだけにやるせない。

かといって美しく包装された新品をゴミ箱に投入というのは、どうしてもできない。要らないなら捨てればいいではないかというのは、デリカシーのない男の正論である。あえて男と言わせていただく。男というのは目の前の問題さえ解決すればいいと思って、そういうデリカシーのないことを言う。私はひとりの人間として、そのような不義なことはいたしかねる! って誰に怒ってんだアタシは。

途方に暮れている私を見て、だれかにあげたら〜?と子供が言うが、私は「自分が要らないモノは人にもあげない」という原則をいちおう貫いているし、そもそも類友とはよく言ったもので、フリフリの好きそうな友だちが居ないのである。

とにかく本当に真剣にこの問題について頭を悩ませ、さまざまなやくたいもないマイしばりのおかげで苦しみ、時間をたっぷり使った。
それなのにそのティッシュカバーが最終的にどうなったのか、どうしても思い出すことができない。
なぜなのだろう。今現在、わが家にそれがないことは確実なのだが、どのような処理によってそれが亡き物にされたのか、どうしても思い出せない。
人間、つごうの悪いことについては記憶喪失状態になってしまうという。私も、そこの行為だけイレースしてしまったのかもしれない。ごめん、ティッシュカバー。ごめん、くださったKさん。

ハッ…もともとティッシュカバーの話をするつもりではなかったのに、すっかり脱線して夢中になって紙幅を使ってしまった。次の機会に、本題を書きたいと思う。(つづく)

PTA=子育てとは…

東京葛飾区さんのコメントのおかげで行き着くことの出来たPフォーサーの言葉を一部引用して考察してみたい。
※私が勝手に見つけたものです。東京葛飾区さんが批判をなさっているわけではないので誤解のないようにお願いいたします。

>親の勝手で活動を縮小するPTAがあるようだ。時間がない、手間がかかる、面倒だから、自分の時間が欲しいから・・・などと言う理由でどんどんと活動を縮小しているとか。子育てに時間がないとか、面倒とか言えるのか。PTA活動も立派な子育てである。子供の事を考えない親が増えていると言う事か。もしそうなら、ふざけるなと言いたい。

親の勝手で縮小…?
そもそも、PTAというのは「親の勝手で」始めたものである。子供たちに、「どうか保護者で団結してください」と望まれたことが一度でもあるか。読者の皆さんは、ご自分のお子さんに、「もっとお母さんたちで仲間をつくって、会議とかやって、楽しいスポーツ大会とかいっぱいしてよ。僕たち家で留守番してるから」と言われたことがあるか。
「子供たちが望んでいることだ」「子供たちのためだ」というエクスキューズは、一部の親が「してあげたい病(c)まるおさん」の渇望感を満たすため都合よく使うものではないのかという疑惑が私の中では大きくある。
人間、特に日本人は、「私は○○をしたいです!」と言うのをはばかる傾向がある。「○○のためになりますから…」「△△に役立つと思いまして…」というのが大好きなのである。
活動の対象である子供に「PTA活動満足度アンケート」など一切とっていないのだから、PTAのやってることは「子供のための活動」ではない。「子供のためになると一部の親が信じてやまない活動」というのが正確な表現である。子供にアンケートなどとろうものなら、「ベルマークがんばってゲーム機が欲しい!」などということになるに決まっている。
PTAはそもそも親の独善の押しつけなのである。それがPTAという存在であることを承知の上でやるなら良いし、そうであれば馬鹿みたいな押しつけも起きないであろう。ボランティアには「しょせん余計な添え物。勝手にやってるおせっかい」ということを忘れないことが必要だし、そういう気持ちが貴いものだと私は思う。それなのにいつのまにか「子供のため」にすりかえて格上げし、「なくてはならないもの」に祭り上げ、「いやがる親は子育て放棄者」とまで吹聴して回るところが痛過ぎる。

繰り返しになるが、PTA活動を、不遜にも「不可欠な子育て」と勝手に昇格させるのは勘弁して欲しいものである。そんなことまで「子育て」に含めて、やらない人間を批判するのであれば、女の子なのにスカートをはかせない親も「子育てを怠っている親」であろうし、男の子なのに体を鍛えないのも「子供のことを考えない、子育てをしようとしない親」ということになってしまう。
自分だけの価値観を、「これが子育てだ」と人に押しつけることから、不幸は始まるのではないか。

少なくとも私は、そんなことを押しつけてくる御仁からは距離を置きたい。同じ団体に入りたくないという意味である。
子育ての最低ルールは、「めしを食わせる」「犯罪を犯させない」「死なせない」くらいのものである。
自分の考える「良い子育て」を押しつけてくる人ほど、私の避けたい人はいない。
たかだかPTAという一任意団体の活動を「それが子育て」と勝手に昇格させて上から目線で説教など、鳥肌の立つ思いである。

>子供は親を見て育つ。親が子供にしてあげられる時間は短い。この時期を大事に過ごさないと、先々の子供の成長に関わってくる。親が親として最も子供と関われる時間を大切にして欲しい。PTA不要論などと言う事を聞くが、無いとどうなるのかを良く考えた事の無い方の発言だ。

私が小学生の頃、うちの親がこのようなことを言う人間でなくて本当に幸いであった。このようなことを言われたらウザくて重くて家出したかもしれない。「忙しくて大変だけどお母さんはお前のために6年間がんばるよ。ここで一生懸命関わっておけば、お前の成長がよくなるんだからね!」などと言われたら背筋が寒くなる。お前のため、お前のため…「ウザい!アンタはアンタのやりたいようにやればいいだろ、恩を着せんじゃねぇ!!勝手に頑張って、お前の思い通りの子にならなかったら、勝手に落胆するんじゃねえ!」のようなことを絶対思ったと思う。小学生だとさすがに口に出しては言えないが、いろんな(彼らが良いと信じる)ものを着せかけてこようとする「親」という存在を疎ましく思ったことは何度もあるから。

…などと3連休の昼下がり、はなから私に話しかけてる訳でもない、よそさまブロガーに勝手に沸騰している私であった。。。これはこれで痛い。。。(´、ゝ`)ふ…

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Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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