2017-05

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BGMは除夜の鐘(←脳内演奏)

今年中に投稿できるはこびになるのかどうかもわからないままに今年の締めの記事を書いておるわけだけれども、なにしろ今年でいちばん面白かった体験は、田所永世さんとの議論であった(ダイジェストはここに掲載されている)。正確には田所さん本人ではなく田所さんの想定するコンサバ寄り群との仮想議論であったわけだがそれでもとても興味深いはなしがいろいろ出来た。
そのなかでも「なるほどなぁ」と思ったのが、PTAはボランティア、といえども、一般の他のボランティアのように「やりたい人がやるもの」とアッサリかたづけてしまってよいものかどうか、という話である。
たしかに、人間の心というものはすべての行動を「やりたい」と「やりたくない」の2種類にパキッと峻別できるわけではなくて、「やりたいわけではないけど、まぁ、やらんとならんだろうなあ」と思いながら取り組むこと、というのは確かにあるわけで、そういう気持ちで自分の時間やお金をシェアした活動に対して、「やりたいからやってるんでしょ」とか、「自分がやるって決めたんだから責任も労働も引き受けろ」って言われたら切ない、という話は良く分かる。
人間はそんな強くないのだろうし、そういう意味では私もまったく強い人間ではない。子どものために自分の意志でつくったご飯でも、やっぱりけなされたら悲しいとともに「せっかくつくったのに」という怒りもわいてしまうのは正直なところだ。

そういう点では、PTAや自治会なんてのは特に、「いやあ、よっぽどそういうのが好きな人以外は誰もが“やりたく”はないんだけども、みんながやってることならと、みんながちょっとずつ踏ん張って支えてるもの」なんだろうなあと思うし、それって「ちょっとしんどい話」ではあっても「強制」とか「無償労働」とか「人権侵害」とか言われたら「そこまで法律持ち出すの…?」といいたくなる気持ちというのも、わかるっちゃあわかるのだ。

私はPTAが任意加入をきちんと説明したとしても、「コンサバが恐れているほどには、そんなに脱会する人は出ないだろう」と考える派だ。それはなにを根拠にしているかというと、たとえばサッカー観戦した後に誰ともなくスタジアムのごみをかたづけて帰ったり、子連れの集まりで、小さい子を複数抱えて大変そうなお母さんがいればなんとはなしに誰かが抱っこしてあげたり荷物を持ってあげたりとか、何かで待たされても騒ぐことなくきちんと並んで待っていたりとか、そういう社会行動面で日本人、日本社会にはあまり絶望したことがないからだ。それらは「やりたいわけではないけれども、まあちょっと辛抱して協力した方がよかろう」というような、良い意味でのムラ社会のなごりではないかと思っている。

それらがわかるし、それらを美点だと思っているし、大切にしたいからこそ、私は言いたい。その性質をいいことにして、圧力をかけることや、人びとを黙らせることや、相互監視をさせることに使ってはならないのだと。それは本当に意識して気をつけないと、日本人、日本社会というのはとてもそういう同調主義に流れやすい性質を持っているのだと。

個人の自由や権利意識が浸透している社会であれば、「保護者は全員会員です」みたいなことをいち団体が言おうが、「なに勝手なことほざいとるんじゃボケ」と相手にされないのかもしれないが、こと日本人の、「育児を批判されやしないか」とびくびくしている保護者社会で、しかも「学校の言うことを聞こう」と多くが懸命になっている入学手続き時において、そういうトリックで団体や学校や教委にとってつごうのいいように人を動かすことを目的とした慣習というのは、これからもきちんと批判されなければならないと思っている。

保護者がどうであろうと子どもたちは同じ学校に行き、いやがおうでも毎日の生活を共有する。そういう意味で保護者ともども一種の「共同体」とならざるを得ないのだし、そこで人間関係のトラブルなどがあるのは重々分かるが、そのコミュニティから「退出」してしまうというのは解決法としては筋が悪いのではないか? という批判があることも知っているし、実は私も「筋が良いとは言えない」と思っている側面もある。こじれて深刻なたたかいになってしまうと、地域社会のなかで子どもを育てていく以上、予後が良いとは言えない。私自身はもう小中学校PTAを退会して5年近くがたつし、みじんも後悔したことはないが、「私の後につづいてじゃんじゃん退会した方が良いよ!」というような奨めかたを人様にしていないのはそういう懸念もある。私が退会しても困ったことになっていないし、友達が離れたりいじめられたりもしていないのは、地元のPTA会員のみなさんが個々に良心的であったことや、上部連合体などの運営がそこまで強迫的ではなかったこと、などの要因もあるに違いない。だから、どんな人に対しても「退会したって何にも問題ありませんよ!」と言えるかどうかはかなり微妙なはなしなのだ。

ただ、それと同時に、「退会してしまうなど筋が悪い」と、恵まれた環境からモノを言い、「こちらの地域はこんなにPTAで交流が出来ているし、どれだけそれで子どもに恩恵が与えられているかわからないのか」などと半ば冷笑するような態度でいる人というのも、これはこれで非常に想像力が足りないのではないかと思ったりもする。
退会までしないと、「本来は任意のもの」という原点がわからない、知らない、あえて無視している、なかったことにしているようなPTAもたくさんあるのだ。
私がこのブログをはじめたころは、そこまで全国の状況を耳にすることはなかった。私はただ自分のところのPTAがいやだったから抜けただけで、社会問題として提起しようなんて大それた考えはなかった(今もないが)。
しかし、PTA問題を発信しはじめてみると、未知のかたからたくさんのコメントをいただくようになった。まるおさんに教わってツイッターをはじめたら、そこにもたくさん自分たちの状況を発信しているかたたちがいて、私に言わせれば「ありえん」と思うようなヒドイ運営のPTAももっともっとあったのだ。
そこにさらされているかたたちが、個々の交渉をしてみてもうまくいかずにやむなく、「退会」という手段でまず「本来は任意の団体」ということを自分の地域・学校でのさばっているPTAにつきつけたとしても、それをなにが「筋が悪い」などと批判できようか。
自動加入をいいことにかんちがい運営を続けるブラックPTAが、退会までされてみないと振り返り立ち止まるきっかけすら得られない、得ようとしない、ということのほうがはるかに問題であろう。そしてこの状態にはイネイブラーとして学校や教委など教育行政の姿勢がある、というのも繰り返しつぶやいていることである。

このブログで以前から述べているように、私個人はPTAが嫌いである。(このばあいに「PTA」で指しているものは、日本でおおむね一般的に行われている、本部があって、なになに委員会があって、学年や学級に委員がおかれて、名前は違えど子ども会や校区班などが側部組織としてあって、活動文書は教師を通して配られて、事前に校長の検閲があって…というイメージの活動団体のことであり、地元の役員のだれだれさんが嫌いだという話ではない。)
だから、ああいう団体がなくなっても、縮小しても、いっこうにかまわないのだが、「こんな活動であればいまよりずいぶん良いのではないか?」と思うすがたも、いちおう持っているには持っている。

本当にやりたい人(10〜20%あたり?)による真のボランティア活動にする、というのも1つの健全なあり方だと思う。だが最初の段落で述べた通り、「やりたいですか?」と正面切って問われると、なかなかそこまで自信を持って「やりたい」と言える人は少数なのが本当のところだろう。そういう「真の有志」でなければ参加する資格なし、とまでなってしまうとそれはそれで先鋭カルト化するリスクもまた増える。
みんなと一緒にちょっと力添えすることに安心感を覚える80〜90%くらいの保護者で、てきとうに前年踏襲プラスマイナスアルファでやる、というのも肩の力が抜けてていいのかもしれないなと思う。「本来任意のもので、強制は出来ない」ということを全員がしっかり理解していれば、それはどちらでもいいのではないかなと思う。後者は、「本来任意」がしっかり理解されていないと、実に簡単に「全員強制」へのトリガーがひかれるので、そこは注意が必要だし、属人的には出来ない(=システムとしての公的介入…というか不介入が必要)と思うけれど。

「任意を徹底」ということは、イコール「本当にやりたい人しか巻き込んじゃいけない」という意味でもなくて、実際の運用面ではあいまいなことが多くても、ちょっとした義務感?責務感?みたいなもので「周りと合わせて」協力するような活動であっても、本旨さえメンバーがしっかり忘れないようにすれば、そうそう極端なやり方には走れないはずだよなあ…というような活動イメージがわいたことも、田所さんと議論をしてみて、よかったことであった。

「自分だってやりたいわけではないけれども、子どもたちに必要だと思うから、できる範囲でやるだけだし、本当に無理なら断るだけ。ほかの保護者で、本当は出来るのに逃げてるなと思う人がいても、ずるいと思うほどの無理は自分もしてない」というあたりの「心の健康さ」をもちながら、やれる人は手を出して参加する、というのが、この国においてのじっさいの「保護者世界平和」にはちかいのかもな、と思ったりもする年の暮れであった。ゴーン。
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中2病ブロガーが有名大学教授に下品に頭突きをくらわせるの巻

私はまごうかたなきいっぱしのド素人のド一般人であるにもかかわらず、百万年経っても購入どころか図書館でも借りないであろう専門系雑誌に掲載された論文のことをわざわざ私に教えてくれる知識人のかたが複数いらっしゃって、いったいこのかたがたはなんだってせっせと六ツ目ザルにしぼりたて生ビールをじゃんじゃか注ぎ込むようなあたらもったいないことをされるのであろうかと不審には思いつつも、せっかくなのでいただいた資料を読み込んでみた感想をここに書こうと思う。さいわいなことに何キロバイト書いても無料なのだ。

今回のは、日本評論社「法学セミナー」2016年7月号というののp.41〜44に載った、
PTAと憲法論――入退会自由の任意団体か
というタイトルの小論文で、筆者は大学教授の大日方信春センセというかたらしい。

ここで勝手にひとさまの出版物を書き起こすワケにもいかないので、概要だけ紹介しつつ私がブツブツ感想をかいていくこととする。元の稿の全文を確認されたい方はすまないが雑誌をみてください。うちの市の図書館にはあったので、そんなにレアな雑誌ではないとおもう。

センセがこれを書いた動機のうちのひとつに、

(自動加入には当然疑問符がつくが、しかし)学校教育におけるある種の公共財(public goods)の提供を担っているPTA活動という義務負担の諾否を自由意思で決められるのであろうか、という点にも疑問
(以下、斜体は上記小論文からの引用)

があるとのことだ。なるほど。
で、その動機を持って書かれた本文の幹部分である「PTAの法的性格と入退会の自由」というタイトルの文章において、センセは団体性格の類別をこころみている。

(1)PTAが会員の自己教育や学習、および、リクリエーションや親睦団体として活動しているときは、社会教育法上の社会教育関係団体。
(2)単位PTAおよびその連合体が教育行政に対し児童・生徒の教育条件等の改善を要求しているときは、教育慣習法上の地域教育団体・教育利益団体。
(3)学校、教師に対して父母集団が教育要求を提示していくときは、学校慣習法上の正式な学校教育組織。

私はいきなりここでつまずいてしまった。
(1)はわかる。(2)もまあ、うーん…とは思うが、いいたいことはわかる。(3)って?
PTAが教師に対して教育要求っていうのは、具体的に何のことなんだろう?
ていうか教育上の要求は教師会員が業務上で実現すればいい話で、PTAが教師に要求というのはロジカリィにも変だ。
学校慣習法。正式な学校教育組織。
いや、日本語として理解は出来るんだけども、そういう実態が本当にPTAにあるの? ときわめて共感できない。
当地のPTAだけなのかもしれないが、あれハッキリ言って、「学校のお手伝い管理組合」ですよ。
私が会員でいた期間中、教育上の要求をPTAがとりまとめているところは見たことがない。よそのPTAでも、ウワサとしてもまあレアである。(ブロガーmoepapaさんが札苗小PTA会長時代に算数検定に乗り出したことはあったかな…あとは沖縄のゼロ校時も近いかもしれないが、厳密に言うと教育上の要求を学校に提示して実現させた…といえるのかは微妙なところがある。しかも違法の疑いが濃い)
この、センセのお話の(3)に共感される方は、ぜひとも(3)の具現をPTAがしている例を、たくさん私に教えて欲しい。知りたい。

そして、PTAの団体性格のカメレオン七変化のうち、まだ重要でリアルな2項目がもれていると思いますセンセは。
それは、
(4)学校や教育行政の要請に応え、資金と労働力を調達し充足させる正式なw学校支援組織。
(5)学校や教育行政の家庭教育要求に応え、会員をしつけて連帯させ一匹残らず明るみに引っ張り出す家庭管理組織。

はっきり言って、(1)から(3)だけなら、任意性の担保の障害にはならないですよセンセ。
慣習法はさておき、ちゃんと結社の自由はたもったうえで活動はぜんぜん可能。
(2)なんて日Pやってるけど彼ら「全員加入組織」じゃ全然ないかんね。
なんで任意加入論が、プログレなんとかと横文字でおこられなきゃいけないのかといえば、最大の要因は(4)でしょう。気ままに入ったり入らなかったりされるといちばん困るのは(4)じゃないの? なぜ、PTA問題において「任意」を簡単に言わせづらい焦眉の「そこ」を抜かす?
まあ、さいきんでは(4)を声高に言うとめっさ叩かれるので、「(4)なんてどうでもいい。それよりネットワークから漏れる家庭があっていいのか。手を差し伸べなくていいのか」という美辞麗句で(5)を「活動意義」として唱える方もいらっしゃいますが。

私なんか(4)さえなければ、保護者が「学校単位」でネットワーク化することにこだわる意味すらよくわかんないんだけどね。
単に、「親もなるべく多種多様ななおつきあいをした方が、子どもの成長にはいいよねー。親もいろいろな体験をして世界を広げよう!」じゃいかんの?
地域にいる、隣接地域の学校の子、私立の子、養護学校の子とかの保護者とはネットワーク化しなくていいの?
学校にふつうに行くだけでも息が詰まりそうになってる子の家庭が、わざわざ学校単位で親まで連帯強化するこたあんめぇーよ。
学校学区なんてのは行政が決めた強制枠なんだから、親のつき合いぐらい自由でいいじゃん自由で。なんで親まで学校単位学年単位クラス単位で管理されなきゃならんわけ。
とかいろいろブツブツ思ったりするのだ。まあこのへんはしょうがないよね中二病だからハハハ。
「子どもが同じ学校に通ってる」という理由だけでそんな唐突な「手を差し伸べ」られるくらいだったら、まだ「オラァ学校で要るんだよ親なら手伝え金出せ」のほうがわかりやすいってもんですわ。

まあ私みたいなきょくたんなヤツはおいておくとしても、このセンセは「任意団体(←センセは任意加入団体、という意味で使ってるようです…)というのはあまりにも現実離れしていて、準学校機関、って言った方がよくね?」と言ってるわけだけども、私ね、それ自体にはそれほど「いや違うだろー!」とはおもわんのですわ。
たしかに、準学校機関、みたいな扱いはされてるね、「保護者たちにとって」は。
入るも入らないも自由、なんて、自分のようなへそ曲がりはさておき、現状の多くの保護者は思ってないでしょ?
どちらかと言うと、「PTAは任意加入の団体です。あれは、学校とは関係ないざんすのよ」と言って保護者をビックリさせてるのは、教委じゃないの?とおもう。

だからさー、準学校機関なら機関でもいいけども、だったらトンデモ運営にならないように保護者任せにしないようにしないといけないよね? PTA内いじめがあったらちゃんと対応すべきだし、校長が自分のつごうのいいように利用しないよう、ちゃんと教委で管理監督しないといけないんじゃないの? 校長が会費流用したら教委が責任とらなきゃいけないんじゃないの? 肝心のところで「いやあれは保護者が勝手にやってるだけですので」って任意団体を称し始めるのはほかならぬ教委よ? 保護者はほとんどが、よくも悪くも「学校の義務だ」と思い込んでやってるわけで、「こんなのどうせ任意団体の活動なんだから」とテキトーたいがいに、校長の意見無視でやるような保護者のほうが少ないよ?

「任意団体なんてプログレッシブにすぎる、実態は準学校機関だろ?」ってのはそのとおりであって、ホンットウに、教委にむかって大声で言ってほしいものだ。

ま、それはそうと、次の
「PTAの活動と構成員の協力義務」
という項目を見てみよう。
まずひとつめ、「団体の性格と構成員の義務に関する一般理論」がごくふつうに紹介されている。
労組の判例などが出されているが、私レベルの頭でもわかるように書くと、

・構成員は基本的に団体に服従して義務を果たさなきゃいけないの。憲法下でなんでそれがOKになるかっていうと、加入するかどうかが任意だからなの。
・たとえそうだとしても、なんでもかんでも義務にしていいってわけじゃないの。団体の活動目的に適していなきゃ、ようは関係ないことまで強要するのはおかしいの。

ということになる。これに反対を唱えるかたはあまりいないだろう。

で、そのあとにつづく文章が、あまりにもわからないのでもう丸ごと書き写しちゃうんだけども、

本稿が注目している単位PTAおよび学級PTAは、前述した「親睦PTA」と「学校PTA」の目的、機能の両方をもち、かつ、構成員も同一である。本来ならこの複合性を団体の目的と機能に応じて二分しておくのが望ましいのかもしれない。しかし、現状、上のPTAは可分の存在ではないと思われる。そこで、その団体と構成員との関係を考える場合にも、当該団体が行う(行おうとしている)活動に応じて、構成員の協力を義務づけ得るか否か、変わりうると思われる。

だそうなのである。

よく、ネット掲示板などであまりにものわかりの悪いヤツ(←私みたいな…)がいると、「100回読んでから出直せ」などと言われるので、私もどうせ誰かに言われることだしと上の文を10回ぐらい(100回はキツいんで…)読んでみたのだがやっぱりわからない。国語力に難あり、である。

・PTAは複合目的機能を持つ団体だ。
・だから、活動に応じて会員に協力を義務付け得るかどうかが変わる。

↑こう言っているとしか読めないのだが。。。いやなんで?^o^;
さっきの「一般理論」にしたがえば、

・まずは、加入するかどうかが任意でなければ、(目的機能活動内容にかかわらず)義務付けは出来ないよね。
・加入が任意だったとしても、目的機能からかけ離れてたら義務付けはできないよね。

じゃないの?
なんだかホントによくわからない…。
「会員はベルマークを100点以上集めてこい」は、学校支援を目的に集まってる保護者会員には強制していいけど、保護者連携を目的に集まってる教師会員には強制しちゃ駄目ってこと? なになに? 何言ってんだ?
ベルマーク委員会で「ベルマークを100点以上集めてこい」は言っていいけど花壇委員会では言っちゃ駄目ってことか? そゆことか?
…やはり、大学教授のアタマとド素人おばちゃんアタマの差なのであろうか。実に残念ながら理解がむずかしい。
残念なまま、次の[2]へすすむ。

[2] まず、PTAの活動が会員の親睦や自己研鍵を目的とするものである場合、当該活動は、構成員が監護教育する児童・生徒が受ける学教教育と直接関係をもつものではない。したがって、PTAは当該活動への協力義務、参加義務を構成員に課すことはできないであろう。なぜなら、現状のPTAは親睦団体としての性質と学校機関としての性質を複合的にもっているので自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていないと考えられるからである。

いやごめん。ちょっと待っていやごめん。
まずね、

Aである(ではない)
したがって、Bであろう。
なぜなら、Cだからだ。

という文において、AとCで全然違うことを言ってたらおかしくないかい?
それはまあ、ひとまずスルーするとしても、
B(=参加義務を課すことは出来ない)は、わかるんだけども、それってさっきの「一般理論」から言うと、何はともあれC(自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていない)が理由になるのではないの?
目的複合とか、そんなのもはや関係なくないですか?

 つぎに、PTAが団体の本来的目的である「準学校機関」としての役割を担っているとき、構成員には当該機関としての活動に協力する一応の義務があると考えざるを得ない、と思われる。なぜなら、「準学校機関」としてのPTAの活動は、それを提供するPTAとそこからの利益を享受、消費する構成員が保護する子女との間に対価関係がないため、この活動を成り立たせるためには、構成員が保護する子女全員を受益者とみなして、そのことを理由とする義務負担を構成員全員に求めざるを得ないと考えられるからである

…お〜い、Cはどこ行っちゃったんだ?
Cはなんで急にない事になっちゃったの?
C(自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていない)なんだから、団体内の理屈(構成員と子女との間に対価関係がないから構成員全員と子女全員の授受益関係になる)が走る前に、大前提としてまず義務は課せないよね?

で、最終的にこの小論文がなにを着地点にしているかというと、
「PTAが任意団体ではないと言いたいわけではないが、あんまりそう言い切ってしまうのは、それじゃあ毎日のことが成り立たなくなっちゃうと割り当てられた役割を担っている人が気の毒ではないか」(ぶきゃこによる要点まとめです。引用ではありません)という話のようなのだ。

それならそうと、「任意団体なのはそうなんだけども、そう言っちゃうと現状とすぐには合わなくていろいろと困るよ」という話であって、さっきの「全員に義務負担を求めることの肯定」と論拠が合わなくなってしまう。肯定なのか、実際肯定できないことを認めつつもそうは言ってもね、という話なのか、どっちなんだかわからない。

結局のところ、センセの論文に「PTAが保護者に参加義務を課すことの正当性」も、「自動入会の正当性」も、説得力を持って書かれているところはひとつもなかった、ということになるのではないだろうか?

「任意加入団体であるし義務でもないのはそのとおりなんだけど、現状もあるしさ、ソフトランディングしないといろいろ辛くない?」という話でしかないのならば、そのように書けばよいし、書くべきでもあろう。あたかも「義務化」に論理正当性があるかのように書くからこじれるのである。現状が「正しくはない」ことは、実はだれもが分かっているのではないだろうか?

話は少し横に流れるが、最近見受けられる言論「ネットワークから漏れる家庭をとりこぼしていいのか」を見るとき思うことがある。それは、それを言う彼ら、そしてこのセンセもまさにおっしゃっている、「(論理的に、とか、片方の理屈で正しい、とされることを押し通すとき)いま担っている人たちの気持ちはどうなるの?」というウェットな訴えは、まさに任意加入化論者のモチベーションともなっている「(それで救われるという人たちのために)全員に活動を課すことで、苦しくなってる人達はどうサバイブすればいいの?」という訴えと同種のものなのではないかと。

どうしても、全員加入じゃないといろいろと都合が悪いし、それが弱者に手を差し伸べることになる、ということを口にする人は、「言い訳は理由にならない」と強制されることが本当に苦しい人たちはどのように切り抜ければいい、と思っているのだろうか。私は最近、そこが非常に気になっているし、聞いてみたいとも思っているところなのだ。
気のせいかもしれないが、いままでもコンサバ系の人に何度かそういう問いかけはしたんだけれども、たいてい答えは返ってこず、そのかわりに「じゃあ、いま役割だと信じて担っている人たちの気持ちは?」という、質問に質問で返してお茶を濁されるようなかんじで今まできているのである。もしも、今でもそういう答えしか用意されていないのに「全員義務化で人が救える」の話は、単に「あっちの人を見捨ててこっちの人を救いましょう」の話にしか過ぎず、結局は「多勢で無勢を踏みにじる」結果しか招かないのではないかと思う。
どうも、「非加入なんて子どもがどうなってもいいのね」と、「任意化して、声かけしてもらうのを待ってる人たちとか、断れなくて毎年引き受けてしまう人たちがどうなってもいいのね」は、同根の話法のような気もしているのだが…。

ま、そんな受け止め方は私の邪推だきっと。まさかとは思うが、「義務化されて苦しい人はどうサバイブすればいいんですか?」の答えが「役員にネゴって個別対応してもらえばいい」「理由を話してみんなを納得させればいい」「友達ネットワークで代わってもらうなりなんとかすればいい」とか、はては「役員になって中から変えればいい」みたいなプランしかないなんてことはないのだろう。だって「全員加入は弱者救済のため」なんだから、全員加入でべつの弱者を迫害していたら世話はない、そうだよね?

人数勝負を排除したとしても、どこかに、「よりベターな選択」はあるのだろうか? もちろん、ある。

私は今のところ、もっともなるほどと思えるのは、高校PTA会長が震えながら言っていた「手伝えない人もいるのはわかってる、お金だけでいいからお願い!」(意訳)のようなストレートぶっちゃけ系である。それがいちばん「しょうがないな〜」と思わせるし、「全員ネットワークから漏らさないためにどうのこうの」のキレイゴトよりはるかにリアルだ。熊本PTA裁判の原告岡本さんも、最初にそんな話をされていたら、しっかり腹に落ちていたのではないかという気もする(説得されて入会するかどうかはまた別として)。

「正しい正しくないより、目の前の現実に対してより適切な行動を選びたい」という生き方もあろう。「みんなをなるべく全員誘いたい、というより誘わないととても実現できない」願いもあろう。そういうことであればそういうふうに恐れずに表現することが大切で、真摯な態度なのではないかと私は思う。論理武装、という言葉があるように、論理を武器にすれば徹底的に論理で闘うこととなるだろう。論理がちゃちなら訴えたいことまでちゃちに扱われて終わるだけだ。自動加入や、自動加入の上での活動の義務付けは、現行憲法の上ではどうやっても、さかだちしても、100回バック転しても、トリプルアクセルしても4回転サルコウしても論理的に正当化できない。「こういうふうに考えれば正当化できる」などとまやかすべきではないのだ。今後コンサバチームがやりたいことを存続させるためには、かならず別の表現が必要になってくる。と私は思う。熊本裁判の被告PTAがなぜ訴えられているのかわからない、という人にはなかなか腑に落ちない話であるかもしれないが。

高校PTA後日譚①

そんなわけで小中に引き続きまたまた非入会となってしまった高校PTAなのであるが、その後の入学式で、なぜか、PTA会費の使途の説明プリントが配られた。
入学式は、式次第だけが普通くばられ、事務手続きの話は入学説明会や保護者会でくばられるのが通常のような気がしていたので、ちょっと唐突な感じであった。

説明プリントの中身は運営費・P連会費・部活支援など特に目新しいものはなかったので省くが、いちばん下の、もう欄外といってもいいような箇所に、「PTAへの加入は任意であるが、皆様のご理解とご協力をお願いしたくよろしく頼む」みたいな文言が書かれているのが注目された。

やはり、唐突である。
これが、入会同意書とともに配布されるのであれば意味はわかるんだけども、入会同意書はすでに2月の時点で配布されてて内容はこんなのだったのだ。しかも、その会費コミコミの学校徴収金の納付期限は入学式の前日である。
自分で「全員加入だ!ぜったい○日までにはらえよ!」と言っておいて、その○日の翌日に「会費はこのようなことに使われています。加入は任意ですがご協力お願いします」とは、何事なのか。どしちゃったの? って感じである。

もしかすると、私が学校長宛てに出した手紙の中で「会計内容などを未確認のまま加入することは適当でない」と書いたことが起因してるのか?と一瞬思ったのであるが、それは違うことが後日すぐに分かった。なぜなら、私が出した手紙の内容はPTAに流されてはいなかったらしいことが判明したからである。だから、私の手紙にPTAが反応したわけではない。

しかし、この不自然で唐突な説明はなんだったのだろうか。何となくではあるが、私以外の保護者でツッコんだかたがいらっしゃったのではないかという気がする。
それならそれで、「加入納付の期限は過ぎておりますので、もし上記ご説明の会費使途に納得行かなかったり、任意なのであれば加入しなかった、というような方がいらっしゃいましたら、手続きを取り消し返金いたしますので012-345-6789までご連絡下さい」とでも書かなきゃ、わざわざいま説明してる意味がわかんないわなぁ。

ま、そんな細かいツッコミはともかく、入学式の後「PTA説明会」もあった。
会長は見た目はごくごく普通の主婦的なかたで、「自分は子供の頃からひっこみ思案で、人前で発表なんてとてもじゃないが出来ないタイプだったが、周りに励まされ今なんとかPTA会長をやれていて、少しお役に立てて嬉しく思ってる」とかそういう話で、なかなか好感のもてる話であった。
そして、「さいきんPTAは任意とさわがれておりますが、確かにそうなんだけども、子供たちみんなに還元するお金なので、皆さんに入会してもらいたい。活動は、無理な人もいると思う。できない人も、いると思うけど、そのことと、入会ということとは、ぜひ、わけて、切り離して考えていただければ」とマイクをもって、声が震えて突っかかりながらも途切れ途切れに、いっしょうけんめい説明したことであった。このようすには、心を動かされた。

まあ、確かに、PTA会費を前提とした学校運営が(善し悪しはひとまず置いて)なされている現状で、都教委の息の掛かったこわもての経営企画室相手に、このかたにPTA改革をやれって言ったってそりゃ無理だろう。このかたの、現時点での精いっぱいの努力が、「おかしいんだけれど、いっしょうけんめい説明して全員入会してもらうよう懇願する」ということなのだろう。
そう思うとその必死なカミカミのしゃべりの様子や、そしてどこの誰かは知らないがおそらくPTAについてしっかり知識の有る保護者からの手厳しい指摘に対応しようと時系列とんちんかんな説明文書を作り、たたかれることも覚悟でこの場に立ったかと思うとこの1か月ほど悩んだ様子も想像できるようで、なんとも申し訳なく思えてくるのであった。

このかたが、自分が会長をしている団体があのような強制的なプリントを配布したことについてどう思っているのかは分からないが、とにかく入学式の時点では、「係や役員はしなくてもいい。最低でもお金さえもらえれば」と考えていることはわかった。

それを公言するだけでも、PTA内ではだいぶ波風の立った話ではないだろうかとも想像するのであるが、とにかく「強制は出来ない」「安易な強制プリントを配布すれば指摘を受ける」ことをPTA会長が(たぶん)自覚しただけでも、一歩前進と言ってもいいと思ったのであった。

非会員だより〜4月

新学期を迎えて1週間以上過ぎ、PTAにめんくらっている新入生のお母さん・お父さん方も多くいらっしゃることと思う。
私もこの業界に長くいるが、これだけメディアなどでそのオカシサが訴えられても、そう簡単にPTA被害というものはあとをたたない。

つい先日も、会社でのチームメイトのAさんが「ぶきゃこさん、実は…」と沈んだ様子で言いに来たところによると、新学期の保護者会に欠席したところ、教師がAさんの代わりに勝手にくじを引き、見事地域委員会?とやらの役員を引き当ててしまって、その事後連絡が来たのだとのこと。
その顔合わせ会があるので、○日に半休を取らざるを得なくなり、その日に予定されていた会社のミーティングには出られないとのこと。
そのミーティングはメンバーの予定を縫うようにしてやっとその日に合わせたものだったが、Aさんがいなければ意味がないものであったので、結局日にちをずらさざるを得なくなり、それに参加する何人もの人の予定も変更になった。
しかも、業務の予定はびっしり詰まっているので、そのミーティングをずらすとそれを前提とした後に続く色々な予定も組み換えなければならない。
準備していた周辺業務も予定が狂い、私が立てていた計画も一瞬にして白紙に戻った。

しかも、その平役員だけでもちょくちょく休まなければならなくなるとのことなのに、顔合わせ会でまたさらにくじ引きがあり、それをひき当ててしまうと学年代表、そこからさらに代表委員会でひき当ててしまうと委員長や副になってしまう可能性もあるという。

Aさんは会社にとっても主戦力であり、これには本当に私も参ったし、本人もとても困っているようであった。
そして、その押し付けられた仕事は「学校の役員」だと信じており、どうにもならない運命だとあきらめているようであるのも痛ましかった。

もちろん、人間がはたらいているのであるから突発的な休みというものはこちらも予定には含んでいる。体調が悪くなることもあるし子供がいる人であるから子供関係の休みもあるのはわかっている。
しかし、このPTA・学校の横暴ぶりはどうだろう? 母親も社会人であるという認識が欠けているのではないだろうか?
自分たち団体だけの都合で役職を決め、人の都合も聞かずに欠席くじ引きをし、当たった人に有無を言わさずその役職を押し付ける。それがまた教師ぐるみときてる。活動日程も一方的に決めたものに何があろうが出席要請。あまりにもおかしいのではないだろうか?
そして、それによって発生した不都合の責任はとらない。被害者に休暇を取らせたり、被害者の同僚に尻拭いや穴埋めをさせたり、いろんな人にマイナス影響を与えても、すみませんもなければご迷惑をおかけしますも無い。なんなんだろうか一体?

以前も、Aさんではない別の人だが、長年準備を重ねてきたプロジェクトの初日の前々日に「急ですがその日は学校の役員会になりました。欠席は許されませんので会社には来られません」と言われて当日欠席されたことがあった。

なぜここまで、PTAは傍若無人なのであろうか?と本当に驚くばかりである。
2人に共通しているのは、「学校で決められたことであるから抵抗は出来ない。だから社会責任を果たせないのは自分の所為ではない」とどこかしら考えているふうである、という点である。
しかし、PTAという団体が、裁判所や警察のように権威・権力のあるものでないのは一般社会では当然のことだし、子供の病気のように「やむを得ないこと」ともみなされるわけではない。「同好会の集まりに出るので会社やすみます」みたいなもんだ。なので、そんなことで業務都合無視でちょいちょい休むような人には、やはり責任あるポジションは任せられないことになってしまう。つまり、本人の評価が被害を受けるのである。

PTAの意義、地域との連携の重要さ、学校のお手伝いをしなければ教師が大変、そのようなポエムを唱えてPTA活動に熱心になるのはその人の自由だと思うが、そのポエムを達成するために傍若無人である必要はないのでないだろうか?
世の中には色々な「いいこと」がある。ジョギングという趣味は健康に良い。貧しい地域の子どもたちのために寄付をするのは善である。仕事をするのは収入が得られ家族が豊かになるという人生にプラスのことだ。
しかし、ジョギングにのめり込むあまりに「走行環境のため、サイクリストや犬の散歩は遠慮してもらおう」などと言い出したら反社会的な趣味でしかないし、「世界には貧しい子供がいるんだぞ。みんな最低1,000円は寄付しろ」と集め始めるのは大きなお世話。仕事だって過剰に依存し帰ってこず家庭をほったらかしになるようでは家族も素直に「働いてくれてありがとう」とは言いがたくもなるだろう。

以上のようなことを書くとコンサバの主要な反論パターンとしてはPTAの有意義性や保護者の教育権の重大さを唱えてくるのだと思うのだけれど、まったくそういう話をしているわけではないことは、難しいかもしれないが理解いただけたらなと思っている。
PTAが善い活動をしているのは事実だろう。しかし自動加入、学校のふりした錯誤させ参加強制、欠席くじ引きやポイント制など、くだらないことは本当にやめてもらいたいものだ。それはそのPTAの品格を下げるだけだと残念に思うし、下品な強制をするくらいなら、不十分や不完全な活動のほうがずっと正常だろうと思う私なのであった。

2月、こんなのが来たのであった。

新入生保護者の皆様へ

平成28年2月
東京都立三多摩高等学校
PTA会長 楽天 ヤフ子


PTA入会のご案内とアンケートの依頼

…挨拶文略…
さて、本校PTAは、家庭と学校とが協力し、生徒が豊かで実りある学校生活を送れることを目的として、全保護者の加入のもとに運営しております。
この度、新入生をお迎えするにあたり、入会のご案内とPTA活動への参加に対するアンケートをお願いしたいと存じます。
本校PTAには、下記の委員会があり活発に活動しております。各クラスからは3名を選出しており、委員選出は入学式終了後行います。下記記載の、委員会の活動内容をご覧いただき、活動に参加していただきますよう、皆さまのご理解とご協力を心よりお願い申し上げます。

(委員会の内容が1行ずつ書いてある)

※下記アンケートに記載の上、入学書類提出日の3月○日に学校へご提出をお願いします。
 必ず、保護者の方が記入し、全員提出をお願いいたします。

キリトリ線

入会届

新1年生 生徒氏名           受験番号          
保護者氏名           印  電話番号          
                   携帯番号          


PTA活動参加についてのアンケート

☆次の該当項目 イ・ロ・ハに○をつけてください。
 PTA委員として参加していただけますか。
イ.はい 参加できます
ロ.どなたも引き受ける方がなければ、委員を受けてもよいです。
ハ.その他、次の行事への協力は出来ます。
 ・文化祭(○月)…PTA出店のお手伝い等
 ・花植え(○月頃)…環境美化に伴う花植え作業
ご協力ありがとうございました。

ただのり論考

PTA問題の論争において、たびたび頭を出してくるフリーライダー論。
先日もツイッターで「ただ乗り保護者に悩んでいる」という方がいらっしゃったので少しそれについて尋ねてみた。
その手のことをおっしゃる方というのは、多くが「吐き捨て」でありまともな話が出来た試しはないのであるが、珍しくきちんとした方で、フリーライダーが享受しているという「便益」の内容を尋ねてみたら考えを述べて下さった。

曰く、「便益とは『体育祭でPTAが受付をすることでスムースな進行が維持される、PTA寄贈のテントやクラブ備品を使う、先生のサポートをすることで学校運営がよりよくなる』といった内容」とのことである。

なるほど…と思ったのでしばらくこれについて考察してみたい。
フリーライダー論はよく聞くのであるが、本当に具体的な解説が聞けたのは久しぶりだなと思ったのである。

たとえば体育祭の受付について考えてみよう。
体育祭というのは無論、PTA非会員が山ほど来場する行事である。
祖父母、きょうだい、他校の先生、地域の人々…
受付をPTAが行っているとして、彼らはそれら非会員に対していちいち「このフリーライダーめ!私らが汗水たらして受付してるのをいいことにフリーライドして体育祭を楽しみやがって!」と思うのか?といえば、思わないに違いない。いやしらんけど。え、思うの?思わないよねまさか。

ではなぜ、「PTA非加入の保護者」にかぎって、「フリーライダー」になってしまうのか。

それでわかる通り、フリーライダーという概念は、先ほどのツイート主が言うように、
「費用的な負担を避け、便益のみを享受しようとする人」
という定義ではないのだ正確には。
「便益のみを享受しようとする人」がフリーライダーなのであれば、費用のやり取りのない便益を受ければ全てフリーライダーとなってしまう。
他市町村へ行って公園で休んだり、公衆トイレに行ったらフリーライダー。市道や町道を通ってもフリーライダー。隣のまちで上がってる花火を見てもフリーライダー。
街頭でティッシュを受け取り、広告もきちんと読まずにハナをかめばフリーライダー。
デパ地下で試食めぐりをし、いっこも買わないおじさんもフリーライダー。
まことにせちがらい話だが。

フリーライダーとはそういうことではない。
フリーライダーという呼称が生まれるかどうかは、その前提に「本来負担をすべき人」というのがなければならない。
つまり、正確なフリーライダーの定義は
「社会(集団)の一員として本来になうべき負担を避け、便益のみを享受しようとする人」
である。
ようするに「集団で利益を生み出すときに貢献せず利益のみを得ようとする人」であるから、その人がその集団の一員であることが前提となるのだ。

PTAがフリーライダーと呼べるのは、呼んでいいのは、会員でありながら体育祭受付当番の義務を果たさず(会員義務ならばの話だ)、「体育祭の受付をほかの会員にやってもらう」という便益のみを享受しようとする人である(これもまた、そんな人がいればの話だが)。
非会員はそもそも「受付をPTAがやってスムーズな体育祭進行をみんなで享受しようね」という合同行為にかかわっていないのであるから、フリーライドもへったくれもない、ただの路傍の石ころ、その他大勢なはずなのである。
そもそも「PTAによる受付がきちんとなされたスムーズな体育祭開催をお願いします!」というリクエストすら出されていないわけで、そんな無関係の石っころをひっつかまえてフリーライダー呼ばわりもずいぶん酷いんではないかと思うのだが。

そもそも合同行為にくみしていない人を、「便益を受けている」という事実だけで「フリーライダー」呼ばわりする人は、キレイになった駅をつかう通行人を怒鳴りつける駅前清掃の宗教団体と変わりないわけであって、それじゃあはた迷惑な暴力団体ではないか。
※そんな宗教団体はフィクションです。参照→

にもかかわらずなぜ「PTA非会員はフリーライダー」と大声で言う人がいるのかというと、その人が保護者のことを「本来PTA会員義務を果たすべき人」とみなしているからなのですね。
黙っていれば「自動加入」。断って非入会にすれば心の中の「みなし会員」。
保護者に対する、PTAの熱い愛は続く…

などとフザけてる場合じゃなくてね。

成田空港でつかまえた「YOU」には熱心に「おもてなし」しても、まさかフリーライダー呼ばわりはしないでしょ日本人。それはね、YOUは外の人だからなんですねー。ヒッチハイカーなんかはそのものズバリのフリーライダーなんだけれども、そんな番組やっても「よその国見に来てガソリン代も払わず」なんて言うコメントはあまり見かけたたことがない。
フリーライダーという概念の根底には「オラたちと同じ義務を果たすべきお前たち」という同胞意識がある、といってもいいかもしれないのだ。
中国人や韓国人に対して異様にキビしい日本人がいるのも、無意識に同胞と見做しているのかもしれないなあと思ったり。

昔、うちの子供と同じ学童クラブの子が2年生くらいになって、それまで疑問を持たずに通っていたものが、成長して色々あったのか「学童なんて行きたくない」と言い始めたことがあった。
もちろんその子のお母さんは仕事があるから学童には行ってもらわないと困るわけで、どのように説得したかというと「お母さんがお仕事もってる子はみんな我慢して行ってるんだよ!お前だけ行かないなんてことが通るわけないでしょ」と言ったというのだ。その説得の仕方にはビックリしたけど、それを聞いて子供がしぶしぶ行くようになった、というのを聞いてまたさらにビックリした。

私が「正当性のないフリーライダー呼ばわり」に敏感なのは、そういう日本人気質のなかに危険が潜在していると思うからである。
こういうのがね、エスカレートするとね。みんなでいいことしよう、という運動があった時に、それに同調しない人はすぐにフリーライダー呼ばわりする脳内ルートが出来ちゃうし、簡単に隣人同士で縛り合うようになると思うのだ。
PTAみたいに母親を「いいことなんだから無理してでも参加しなきゃいけないんだ」と洗脳しようと思えばできるっていう社会土壌というのは、裏を返せば良くないことでも簡単に集団で決行させることができる土壌でもある。
「良くないこと」を「いいこと」と詭弁的に信じ込ませるなんて言うのは、すごく簡単なことだ。
だからこそ「いいことだ」という人と「そうは思わない」という人が一定割合で混在している社会こそが健全で安全だといえる。

戦時中に私が生まれていたわけではないしこれはもう想像でしかないのであるが、日本が戦争に突っ走っていたとき、大本営発表をしんそこ信じて「大東亜共栄圏のために戦ってアジアを平和にするんだ!」と強く思って、信念として戦争に全面賛成していた人がどのくらいいたのか、けっこう疑わしいんではないかと思っている。
多くは、みんなが犠牲を払って国に貢献しているのにフリーライダー呼ばわりされるのがいやだから、まわりに合わせていたのではないのだろうか。
いやもうなんの根拠もないし全くの想像の話なんだけどね。戦時中に成人だった人からひととおり当時の話が聞けたのは、ばあちゃんやら近所のじいちゃんやらのほんの数名でしかないし。

義家文科副大臣は東京新聞のインタビュー記事の中で、近年危険と話題にのぼっている巨大組体操についての意見を求められ、
息子は負荷がかかる位置にいて背中の筋を壊したが、誇らしげだった。全校生徒が羨望(せんぼう)のまなざしで見る中で、「ここまで大きくなった、見事だ」と私自身がうるうるきた。
と語っている。
自分が怪我をしてもまだ組体操という全体目的を遂げたことを「誇らしげ」にさせる教育というのは、嬉々としてわれ先に特攻隊に志願するメンタリティとは無関係なのだろうか? 私は個人的に、そういうのはホントウに恐いのである。
うちの子どもたちには、「え、怪我するなんて嫌だよ、やらない」と自己判断で言えるよう、またはやりたいならやりたいで「自分はやりたいよ、でもやらない友達がいても強制するなんて無理」とも自己判断で言えるような、どうか立派でまともなヘタレに育ってもらいたいものだと思っている。

周年行事とPTAの実は深ぁ〜い関係。

どこの学校も周年行事というのはやるもんなんだろうなあと思うのだけれど、行政側ではあまり「どこの学校も周年行事というのはやるもんなんだ」と思っていないらしく、校長がやりたい  あるいはやらないわけにはいかない  と思っている規模の行事をやるのに十分な予算が設定されていないということらしい。

なんでそう思うかっていうと、周年行事準備積立金(とかそういう名称・目的のもの)が毎年積み立てられていないPTAというものを、ごくわずかを除いて私が知らないからである。

ヤフーちえぶくろに「PTAが無ければ、学校は困る?」というタイトルの質問が投稿されていて、投稿者の学校の校長は「PTAの入退会自由などを周知して、PTAが崩壊したら困る」と言っているとのことである。
「困る点」として7つの項目が挙げられており、その最後に
<7>周年行事に向けて、お金の積み立ても必要
とズバリ、校長が「金をくれ」と言っているわけである。
かなりマズくないか?と思うわけなのだが、私がPTAを退会するとき、うちの小学校の校長はさすがに良識があったのか「お金の積み立てが必要なんです!」とは言わなかったな。

全国PTA問題研究会でも、
⑲「周年行事」をPTAは どう考えたらよいのでしょうか?
というQ&Aを提供しており、
PTA本来の目的や活動を考えると、それらの活動や費用の負担はPTAがすべきことではありません。
と明言され、その代わりに、PTA自体の周年行事をおこなったらどうか、という至極まともな提言もなされている。

しかし実態としては、うちの小学校PTAでも会費のかなりのパーセンテージが「周年行事準備積立金」に使われており、実際の行事の際には150万ほどの予算がPTA会費から支出されているであろうという計算となる。
いやあ、すごいマネービルドだよね。150万かせぐって大変よ?
小学校は6年間しかないから当然、周年行事の(PTAの大好きな言葉で言えば)“恩恵”にあずかれない家庭も多数あるわけで、そこからも10年間まんべんなくかすめ取ったお金で150万。これはすごい。
家事育児しながらパートで1年間働いてもそんなに稼いだら扶養超えちゃうわよ、みたいな金額を、自動加入を続けるだけでラクラクとっぱらいで集められるわけだからPTAはやめられない。

かすめ取った、にムカッとくるコンサバの方もいらっしゃるかもしれないが、PTAが学校経費ではなく、本来任意の寄付である周年行事準備積立金が会費に含まれていることもきちんと説明した上で入会意思の確認をとらない限り、私は「かすめ取った」という表現を撤回するつもりはない。

では、“恩恵”にあたった家庭はどんなラッキーなのか?
というわけでこの記事では、周年行事の実態に少しでもちかづいてみたいと思った。
私は小学校の周年行事に2回あたっているので体験をもとに書こう。

まず目に見える“恩恵”としては、記念誌がもらえる。
内容としては沿革、校歌や行事、教育活動の紹介などだろうか。
(ただしこの記念誌だけは当地の場合、市からの贈呈となっている)
あと記念品。といっても推測で単価100円しないであろう文具。
お菓子。これもたぶん単価100円程度。

あとは、よくある「航空写真」。これが恩恵と言えるのかどうかはわからないが、子どもも撮影したからには「ほしい〜」となり、購入させられるが高いんですこれが。。。
そして子どもも、ほしいほしいと言った割には、購入したら「フーン」で終わり、あとは見向きもしない。整理しなければならない写真がまた増えただけ。
恩恵つうか罰ゲームか?
しかも、後日記念誌が手元に来たら、そこにしっかり大判写真はあったのであった。
その旨、写真購入の時にひとこと説明してもらえたら助かったなぁ〜みたいな?

はっ……汗 いつのまにか悪口になってる
いかんいかん。

あとはですね、イベントがあるわけです。
式典と祝賀会。実行委員会とPTAから学校への記念品授与。
ちなみにPTAからの記念品は、ベルマーク財源(預金)とのこと。
実行委員会からの記念品というのは、財源がどこなのかはよくわからない。

式典の内容は、学校長式辞、来賓祝辞、記念品授与。
児童(高学年のみ)の出し物。
歴代写真の展示。
とまあフォーマット通り。

つぎに祝賀会は、地元団体のおはやし、舞、PTAのOBや歴代校長が出てきての挨拶、スライド、民謡アトラクションなどがあり、酒や料理が出る。
メンバーは式典出席者のうち成人と、市長・副市長・市議会議長・副議長・国会議員・都議会議員・教育長・教育委員等々…。

体育館で宴会やるわけだから当然スタッフが必要で、それは、PTAからお手伝い募集のプリントが配られてましたのよ。
きちんとした服装で、子供は置いてこいとか何とか…。

そしてこの式典と祝賀会ですがもちろん、一般保護者は参加お断りなわけです。

いったい、誰のための宴会なんだ…?
飲みたきゃ勝手に居酒屋で同窓会してワリカンで飲めよ!

あっ、しまった。
明らかに悪口になってるぞ。
いかんいかん。

なんだって人が苦労して働いた金を説明もなくかすめ取ってこのようなパーティーが行われなきゃならんのかさっぱりわからないのであるが、校長のほうからも「式典が盛大に行われました」みたいな報告はあれど、「祝賀会楽しかったです、お料理もお酒も美味しかったです、ごちそうさまでした、黙って会費を払って下さったPTA会員の皆様ありがとうございました」みたいな御礼は一切ない。というよりも、どちらかというとその手のことが行われていることは「あまり表ざたにならないように」している印象がある。

学校施設を使用しながら子どもと保護者を排除し、保護者の一部をスタッフにしての、政治家・教育関係者・OB(PTA含む)の懇親宴。
そりゃまあ、あまり大声で言いたくはないかもね。

それに私は退会してから以降は、「周年行事準備積立金」は払っていなしベルマーク活動もやっていないので、現役会員の皆様ほどは文句を言う筋合いも実はないのであった。
ゴメンナサイ。

(記念誌代は税金だから私払ってると思うんだけどね)

PTA組織準備委員会を「保護者の総意」をとりまとめる組織だと思っている方がいて困っているのですがこれはどうすれば

ツイッターでの会話の中で、「PTAが自動加入であっても小さな社会の総意であれば問題ない」と言っている人がいた。
小さな社会とは、学校関係者、つまり「児童生徒保護者・教員(管理職含む)・その他の学校職員・これから子どもを入学させる保護者」を指すのだとか。
このへん
とか
このへん
が関連ツイート。

それらの人々で構成する集団イメージのことを「社会」(便宜的にこの後、「学校社会」とする)とよぶこと自体には別に異論はないが、そこでの「総意」とはどうやって決定されるものなのだろうか。
私が、
「その社会でPTA自動加入容認決議をしていると言えるところなど、PTA加入を入学要件としている私立校を除けばひとつもない」
と述べたところ、
「全国しらみつぶしに学校を調べて回ったわけでもないのに短絡的で危険な断言だ」
と非難されたのであった。
そして、「学校社会に内規は存在する」という趣旨の反証として
「PTA組織準備委員会の存在とその決議内容」を挙げてきた。

彼の理論によれば、組織準備委員会で決定された初期の規約は、その後に社会の構成員が入れ替わろうとも、(改定が入ることは前提としても)有効であり続け、入れ替わった構成員にもその規約で定められた権利と義務は継承され続けるという主張らしい。

さてそれでは、PTA組織準備委員会とはなんなのかをあらためて洗い出してみたい。
たしかに、PTAがない段階で結成されるものであろうから、PTAの内部組織でないことは事実だろう。では、だからといってそれは学校社会の総意を決定できる権限と責任を持つものなのか? 学校社会の構成員はそこで決定された権利と義務を継承する、あるいはしなければならないのか? ここが大きな疑問が発生するところである。

インターネットで検索ヒットするうちの上位何件かを調べてみよう。

<A校>
学校統合に伴い、「統合準備委員会」が設置され、協議事項のうち一つに「新校のPTA組織の運営に関すること」があって教委への報告事項となっている。
委員は、統合校の校長・副校長・保護者代表・地域住民代表・公募市民から教委が任命する。

となっている。
「ん?教委の任命した委員がPTA組織準備すんの?社教法12条違反じゃね?」
と思ったあなた。ピンポ〜ン。
私も実はそう思ったのであるが、まーそれはとりあえず飛ばして次に行こう。

<B校>
学校統合に伴い、「統合準備委員会」が設置され、その下部組織に「PTA組織部会」がある。
この委員会の設置要項を確認すると、「所掌事務」のうちのひとつに
・統合後の学校支援組織のあり方に関する事項
というのが定められている。
学校支援組織って、まさかPTAのことじゃないよなぁ…。ハハハ。

委員は、地域学校委員・学校関係職員・小学校及び保育園保護者代表者・そのほか教委が必要と認める者
となっていて、これまた教委が委嘱することになっている。

えっ? 保育園保護者代表は委員会に入れて、幼稚園保護者とか、どこにも行かせてない保護者とかは入れないんだ、へー。
地域学校委員ってなんだ? と思って検索してみると、ここの地域特有のもので、
「自治公民館・地区公民館・関係機関・青少年団体等の代表者や関係者、保護者、民生児童委員、 地域コーディネーター、保護司、社会教育委員、学識経験者など」
で構成されて、役割としては
・校長の説明する事項について、意見を述べることができる。(ちょっとよくわからない…)
・地域の次世代育成や教育力の活性化など地域づくりのための要望を行う。
・学校の支援体制の整備 募集・集約・活動
・学習・生活支援活動
・環境整備
・登下校安全確保
・合同行事の開催
その他となっており、ようはPTAの構成員の範囲を非保護者まで広げたような組織のようだ。

<C校>
ここもB校と同じく、学校統合に伴い、「統合準備委員会」が設置され、その中で「PTA組織部会」がある。
PTA組織部会の検討事項は
1 PTA の組織運営(規約・組織編制・役員の選出、運営計画、予算等)に関 すること
2 PTA の交流活動等、その他 PTA 組織部会に属する事項
となっていて、構成員は
・保護者代表者(といっても旧3校のそれぞれPTA会長)
・学校職員
・地域代表者
・必要と認める者(主語がないけど…)
となっている。

このほかにも何校かの公開情報を見てみたが、統合校においては大同小異のようだ。
つまり、ほぼ例外なく教委主導でPTA組織準備委員会ないし部会(を含む学校設立準備委員会)が結成されており、PTAの規約が決められているということだ。

これらを調べていくうちに「はて?」と思ったのだが、そういえば総会も無ければ採決の履歴もない。
ものごとが決まるのは、たとえばこの議事録みたいに、
委員「いいですね〜」
委員「素晴らしいですね〜」
部会長「じゃあこれでよろしいでしょうか」
全員「了承〜」
みたいな、いっちゃあ悪いが相当イイカゲンな、「あんたら酒呑みながらやってんじゃネェの?」的な経緯で決められているんである。
意思決定ロンダリングとはよく言ったもので、こんなんで「統合準備委員会にて正式に承認され決定されました!」みたいなハナシになっちゃうわけなんである。

考えてみれば当たり前である。委員会は議決機能を持つ団体ではないのだから、総会もルールに沿った採決もあるわきゃないのであった。飲み屋の会話と大して変わらない。
こんなんで、こっち(保護者)が委任したわけでもない、教委が指定したどこぞの誰かが寄り集まって、どどーんと、さも重厚な「決定事項!」のように、頭からどどーんと、勝手なハナシを決めつけてくる、それが「統合準備委員会=PTA組織準備委員会」の正体であるわけですな。まさにロンダリングマジック。
百歩譲って新設校のことを教委の委嘱委員会が決めるのはまだ行きがかり上しょうがないとしても、PTAのことを勝手に決められてもな。自由意思で任意で結成する団体じゃなかったんかい。

えーと、誰かが、PTA組織準備委員会が決めた規約は学校社会の内規だなんて言ってたのは、いったい何だったんでしょうか。いつどこで、「学校社会の構成員の総意」なんかが諮られてんの?
そもそも規約自体がPTA内部のことに過ぎないじゃん、という根本的なツッコミはおいとくとしても、その決定が当時の学校社会の構成員の総意であったなんていうのも単なる幻想、何の根拠もない話であった、ということが、ほんの10分ほどのインターネット検索であっという間に明らかになってしまったのであった。

もういっかい言うが、ちょっと考えてみれば当たり前なのである。
議決効力を持つ団体は、法律によって設立されたもの以外は、法人かどうかを問わずぜ〜んぶ「任意参加」なのだ。
「保護者」や「学校関係者」という強制的な集団において、「総意」なんてぇものがそうそう「何分の何なら可決〜」みたいに決められるわけないの。「本人の意思による加入」というプロセスは、どの段階かで、絶対に踏まないと、「個人個人の意思をロンダリングして“総意”ってことにする」なんてことは不可能なんですよ。ほんっとに当たり前の話だ。って3回目か。

所属してるんだからちょっとくらいは担ってね、は何がダメなの?(ツイッターの続き)

ツイッターでPTAさんという方といくつかのテーマでやりとりをしていたのだが、なんにしろ文字数制限があり、ブツ切り投稿も大変になってきたため、こちらでまとめることにした。

一連のツイートの流れ「意思に関わらず属性によりグループとみなされ(自動入会)、そこに半強制的な労働が紐づくってどうなの?」という話からつづけてみたい。

あ、あの、申し訳ないことに、ツイートって返信で枝分かれしたり時系列が変わったりしていて、記事にして平たく完全に一連にして書くことが難しいんですね。
なので、PTAさんの意図は下記の抜粋で受け止められる内容とはズレがあるかもしれないし、もれているツイートもあるかもしれない。
私がツイートをひっぱってきたのは「だいたいの経緯」を示すためであって、これを材料にどうこうしようというものではない。
ただ、「これまでの経緯」を示すなにかがないと、どっから出発していいか判らないのでもってきたのである。
よって、この転載記事を元に、PTAさんを論評することはブログ読者の皆様にはひかえていただき、過去の発言は彼の過去ツイートの現物をきちんと追って読んでいただきたいと思います。すいません。
このブログにしか参加されていない皆様はあくまで、この記事に今後書き込まれ(ていくかな?)るコメントなどによって、議論をしていただければ助かります。

↓こっから転載

PTA@bkk858 @tomate_heijou 1年1組男子は廊下掃除、となった時に、まずその括りを勝手に決められている状況と、その括りと労働の内容がリンクしていますよね。これに異議を唱えることももちろん権利だと思うのですが、まぁこれくらいならいいかというのもある気がするのです。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou ということは、括られることが半強制であったとしても、そこに許容できる程度の労働が紐付いていても、まぁこれくらいならいいか、というのがあるんではないかと思ったんですよね。厳密に詰めていけばそれは強制労働になるわけなんですが。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou 保護者です。教職員です。この学校に関わってます。だからPTA会員です。という半強制の括りと、会員はこれくらいの協力をしてください、会費も下さいというのが、これくらいならまぁいいかという範囲なら、まぁいいかなような気がしたんです。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou これくらいならまぁいかは人によっても違います。それを配慮して、まぁいいかの範囲に収まるように調整すれば、厳密につきつめたら確かに強制だとしても、それは問題ないのかなぁと。良い具合に調整するのが組織経営ということになると思うんですが。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou なんでうちの子は寒い廊下掃除なの?女の子は温かい教室なのに。となると、その通りなんですけど、めんどくさいから平等にくじ引きにしましたーとか出てきて、そこまでする必要ないという人も出てきて、なんだかなぁという感じです。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou まぁこれくらいならいいか、は、これくらいでないですか?と考えるのが経営者の仕事で、それをちゃんと全会員に伝え、協議の場を設け、調整をし、総意として承認していくことができるのが、組織化されたPTAだと思います。

ぶきぶき ‏@bkk858 10月10日
@nomalizepta @tomate_heijou
これくらいならまぁいいか(強制しても問題とされないだろう)となる範囲に、他者が「収まるように良い具合に、経営者の仕事として調整」可能であると考えていらっしゃる点が、決定的に共感できない部分です。

PTA @nomalizepta
バーチャルですが、1年1組男子もこれくらいならまぁいいかとならない強制労働の被害者でしょうか。。。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou 強制加入について1つお伺いしたいのですが、自分がその立場であれば自動的にその括り(グループ)の一員とみなされるっていうことあると思うんです。例えば1年1組男子とか。それとPTAの強制性ってどこが違うと思いますか?

(中略…ログがどっかいっちゃいました)

ぶきぶき ‏@bkk858
児童の清掃は根拠法がある教育活動でしょう。
PTAへの強制加入に正当性の根拠ないでしょ?
もしかしてその違いがわかりませんて話なのかな?

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 児童の掃除の例えがわかりにくくしましたね。児童の掃除じゃなくてもいいんです。半強制的な括りとそれに労働の内容がリンクする場合なら。トランペットパートは薪割りね、でもいいんです。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 いやトランペットパートは意志が働いてるからダメだ。辰年生まれの人買い出し行って、です。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
誰が「買い出し行って」って命令するんですか?
なんの関係もない、ただ居合わせた人?
どういう状況での「買い出し行って」を想定しているのかよくわかりません

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 例えば学校。文化祭。クラスの中で役割分担。指示を出してるのは文化祭委員。クラスという半強制の括りの中の辰年生れという半強制の括り、クラスだと同じ干支だらけだから蟹座でもいいです。自分は特に文化祭に対して盛り上がってない。で、この状況。悪いけど行ってきてって感じで。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
それ先ほどの掃除の話と同じですよね。
買い出し自体は、教育活動に伴う作業だから強制性がある。
半強制の括り自体は、教師の指示に異論があるなら「先生、血液型Aの人にして下さい」と抗議してもいいし、ネゴがうまくいかなかったら最終的に教師に決定権がある。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
ですから、そういう話が強制加入PTAの「これくらいならまぁいいか」の役割り当ての正当化につながるんですか?
正直、なんでこんな話をしているのか分からない。まったく関係ない話。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 なるほど。こう考えてみると、大人になると自分の意志が入らず所属しているグループがほぼ無いのではないかと思います。居住地(これも厳密に言えば意志が入る場合もあります)や自分の子供が通学している学校によるグループというのは特殊であることがわかります。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 最初にお伺いした時には、もし偶然性によるグループに何かの義務が伴った時に、これを突き詰めていくと確かに強制なのですが、まぁいいかで済む程度の義務ならば、それは個々で吸収できるのではないかと考えてみたわけです。まぁいいかと思える義務の極限は全く義務がない状態です。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 間違えた。義務の極小が義務が全く無い状態です。義務の極小をとったときに、そのグループに所属することを良しとできるならば、悪しとする原因は明らかに伴う義務ということになります。義務の極小をとっても良しとできないならば、他に原因があることになります。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 僕は保護者の総意が必要になる場面があると思っているので、それを取り仕切るグループも必要と考えています。保護者であるならば、自動的に構成員となるグループです。PTAはいろいろな原因で自動的に構成員になるのに賛否があるグループですのでその原因を探りたいと思っています。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
そういうグループが必要と考えるのも自由だし、逆も自由ってことです。
ただし、ものすごく絶対に必要、と考える人がいたとしても、他人に強制することの迷惑度(社会的有害さ)はまったく減殺されないってことです。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
会長になると団体維持へのモチベーションが高くなりがちなのは理解できますが、極小であっても他者侵害の理由にはなり得ないことは相互に確認したいところですね。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 極小、つまり義務がまったくない場合の、他者侵害とは、例えばどのようなものがあるとお考えですか?

↑転載終わり


で、この最終ツイートのあとから返信を続けさせてもらうと、PTAさんの疑問としては、「労働の押しつけがまったくないんなら自動加入させてもいいんじゃない?何が問題なの?」ということになるだろうか。違ってたらごめんなさい。

ひとことで回答するなら、「無断で合同行為に組み入れられるのは人権侵害」ということになるだろう。
ま、それ以前に、会費の問題があるけど。
識名小PTAじゃないんだから会費ありますよね? PTAさんの学校は、(誤解してたら申し訳ないが)学校側がPTA会費収納事務を代行しており、その代行への同意書を保護者からとっているようだ。だが言うまでもなくこれは入会承諾ではないし、事実上、「保護者が平易に断れる」運用なのかどうかもわからない。
“会費の支払い”自体に承諾した証拠がないのに、いきなり収納代行に同意を求めるというのもおかしなすり替えだろう。

「正面から宣言するより、前提にしたほうが疑われにくい」
という昔からある心理コントロール法がある。
子どもに「野菜食べなさい!」ではなく、「ピーマンとにんじんどっち食べる?」と言うあれである。
「PTA会費収納事務を学校が代行することに同意いただけますか?」と聞かれれば、「そもそも会費って収納されなきゃならんものなの? 入会するとも言ってないのに」とはなかなか気づきにくい。
それを利用しているわけである。

労役義務を課さない団体の自動加入の、いったいなにが他者侵害になるのかという答えとしては、ひらたい言葉で言えば、
「会員になるかどうかくらい聞きなさいよ金とる話なんだから」となるだろう。

活動をゆるくすればいいという話でもない。「お仕事のある方は1ポイント取得でいいですよ」ならオッケーという話でもない。
会費を取り、会員としての責任を負わせる行為なのだ入会契約とは。

「割り振り仕事がゼロなら問題ないのか。会費無料なら問題ないのか。」
となるかもしれないが、それも違う。
任意団体なのであるから、PTAがやらかした行為には各会員が責任を負わねばならないのだ。
少なくとも私はうちの中学校PTAが次々に繰り出してくるような「バカバカしい議決」に加わったと絶対に思われたくない。
愚の骨頂である“ポイント制”(あ、もちろん狭義です)を採用していないだけまだマシなのだろうが。

委任状だらけの会議で、いつなんどき議決ならぬ愚決をしかねない団体に加入を決めるのは自分であって、PTA側の「不公平」や「存続できなくなってしまう」などの都合で決められる筋合いでないのは、当たり前のことではないだろうか。

もっと言えばただ単に、申込書さえ揃えば良いというものでないだろう。
PTAや学校と、入学児童の保護者には当然ながら「PTAという団体の性質や活動内容」についての情報や経験値の格差があり、その格差をいいことにPTAや学校側にのみ有利な契約方法(すなわち、自動加入だ)を採ることをいましめているのが「消費者契約法」である。

つまり、PTAやその説明に加わる学校側は、保護者が各条件を踏まえた上で妥当な判断を下せるだけの情報を提供し、そのうえで加入の意思確認をとらなければならないのだ。
PTAは学校と別団体であり加入非加入は選択可能であること、子どもの扱いに差は出ないこと、会員になるとポイント取得や一人一役など「団体が決めたルール」に従わなければならないことなど、入会契約をするかどうか決めるのに必要な情報を十分に提供した上で入会意思の確認をとるのが、適法でもあり人道的でもあると私は考えている。

誤解のないように書くと、世の中の全ての契約がそういった「正しい」手順を踏まれているわけではない。
たとえば電車に乗るとき切符を買う行為のように、社会的慣行に基づきスキップしたり、あるいは契約内容を必要に応じて確認できれば、契約の都度意思確認をとることを省いたりすることが許容されている種類のものもある。しかし、PTAが任意加入で、入らなくても子どもには何らの影響もない、ということはスキップして良いほど社会通念とはなっていない。というより「PTAは入るもの。というより保護者イコールPTA会員。(特に女性は)全員参加で家庭の事情も仕事も理由になりません。そこのPTAのルールに従っていただきます」という滅茶苦茶な人権侵害がフツーにまかり通っているPTAがまだまだ多数なのである。

秋空の下ひとり思い出し怒りするカナ

「意思決定ロンダリング」という造語をしている人がいて、これはかなり笑えたので記事にしよう。この方はビジネス上のコンサルティング業をなさっているらしいのだが、もっと身近でもよく見かける光景だ。

これこれのテーマで、何とカニを決めるために会議をします。

と明確に告知して招集かけているというのに、まったくの手ぶら、ノーアイデアで、しかも会議開始時間になってから「あー時間か、しょーがねーなー」というかんじで腰を上げて会議室まで移動してきて、「で、何がはじまるの?」みたいにフンフンと聞いている人、というのは別に珍しい存在ではない。私はそういうタイプは意思決定メンバーとしては想定せずに以後、業務を続行することにしている。

どうしてかというと、その手の人だからといって直ちに無能というわけでもないだろうが、人の時間も自分の時間も大切にしないうえに、様子見をしておいてもっともよさげな立ち位置をさがす(立場で意見を決める、という東大話法)、あるいは人に企画をさせておいて自分はダメ出しに徹する、みたいな人を意思決定チームに入れても疲れるだけだからだ。
そしてその手の人は信念みたいなもんはあんまりないため、こちらで一通り進めておいて、「なにか不都合ありましたら伺いますわよ」とじゃっかん目に力を入れてすごんで見せれば「いえ文句などあるはずもございません」とおとなしく黙るのが定石だからだ。すなわち、意見を事前に汲もうとすること自体が誤った手順といえよう。

先日、職場の先輩に「○○(私の上司)さんて、上から来たメールをそのまま私に転送して、本人の文章は1行もなしなんですよ」と愚痴ったところ、「上と同じこと言う人って、存在自体要らないよねアハハ〜」とナイスカバーしていただいたのだが、本当にその通りだなと思ううち、教育委員会とか校長っていう職種の人々はなんかしらないけど「上と同じこと言う人」だらけなんじゃないかと思えてきた。金太郎飴みたいに「社会教育法12条がぁ」と言いやがって、こちらの日本語はさっぱり理解できないようなヤカラがどっさりで、そんな紙にかいてあるパターン読み上げるだけだったら「問い合わせ対応」じゃないだろ!と思うのだが!? 自分で動けないのもええかげんにせんかい!
あれ?頭に来過ぎて話がそれた。この連休中、「石巻市立大川小学校『事故検証委員会』を検証する」という憤死しそうな本を読んでいたため、やたらめったら腹が立つ。

ちょっとおちついて話を戻そう。

ずいぶん昔のことだが私のPTA嫌いをかなり決定的にした、とある委員会活動があった。
その一環でとある「茶話会企画」をしたのであるが、これの事前ミーティングが酷かった。
「働いているので、土日やメール対応でも良ければ」と断った上で、私は委員を引き受けたのであるが、いざ稼働しはじめてから「土日は子供の野球があるから無理」と言い出す人がいて、他の主婦の方々も「そうよね、できれば平日のほうが…」と同調し、結局私が何度も遅刻早退をして合わせる結果となった。
もうそれは仕方がないが、こちらがギリギリの時間でやっていることを、説明してもおもんぱかっていただけず、開始時刻に15〜20分遅れて来るのは普通、「今日は天気が悪いからやめよっか〜」とドタキャンしたり、とにかく何をやるにも「温度差」がきつく、本当に辛かった。

「この日は何と何を1時間半で決めるために集まるので、大まかでいいのでこの件とこの件の素案を各自つくってきて、ぶつけて調整しましょう」と言うと、「了解でーす」と返事は返ってくるものの、当日は全員手ぶら。「どーぅする〜?なにからすればいいんだっけ」と言う人はまだましな方で、こっちが何もしないと家庭の話、子供の病気の話、他のお母さんの噂、とえんえんと続いていく。

しょうがないので私が持参したプランで「これでいいってことで進めていいんですか?」と言うと、「う−−−−−ん、どうしよ−−−−−う」とまじまじとプランを見つめ、ある箇所を指さして「ここはさぁ、ちょっと○○さんにダメって言われるかも…」と突然、委員会メンバーではない人の意向の忖度をし出す。
なんだとー? 意思決定するために集まってるのが委員会だろー? そいつの意向が関係あるんだったら最初からメンバーにしてここに呼べや!! と心の中煮えたぎる。

諮っても諮ってもぐにゅぐにゅと手応えがないため、「じゃあ、このプランで進めますよ? 次回までにAさんはXをやる、BさんはYをやる、私はZを作っておく、でいいですか?」と断行しようとすると、「えーーちょっ、ちょっと待ってよ…。私、もうちょっと考えてみるから。△△さんにも聞いてみたいし」
だーーかーーらーー、△△さんが意思決定に必要なら、最初から呼ぶか、このミーティングやるって告知してんだから事前に聞いてくりゃあいいだろ!? あんたは今日、なにしにここに来たんだぁ〜〜〜〜〜〜!
と脳血管の状態が心配な私をよそに、去年はお菓子がどんなのが出たとかぺちゃくちゃと始まる。
だいたいなんでそんなに二言目には「去年は、去年は」って去年に合わせようとするんだろう? 出席メンバーも完全に入れ替わってるのに、もはや去年関係ないじゃん???
とそのままストレートに口に出して言うと、「そういうわけにも行かないよ、いろいろあって…」と言う。
だから、いろいろあるんならそのいろいろをここで共有しなきゃ集まってる意味ないのに、なんで自分だけでしまってるわけ? 

………などと、「協議しての意思決定」とはほど遠い状態が続き、「ミーティングやりました」という実績だけが残る。

ちなみに、その委員会で結局どのように具体的なことが決定されていったかというと、何をいつまでにみたいな計画に沿ってなにかを決めたり実行していく、ということがまったくなく、集まって「ウーンどうしよう」の繰り返しをし、いくつか提案をしても、YesでもNoでもAnotherでもなく「ウーン」がつづいて時間切れの解散となり、何日かたってから突然Aさんが「私、すっごくいいもの見つけたの!」とか言ってきてとうとうとその良さを陶酔して語るので結局それに決定したりとか、「もう1回○○さんに聞いてみたら、××しなくてもいいんだって!」などとそれまでの前提が全部ひっくり返るような話を持ってきたりとか、などの手法であった。
つまり、ほとんどのコトが「根拠もそろわず死ぬほどウダウダしたあと、疲れはててもういいやと見切り発車的にそれに決まる」か、「誰かが突如後出ししてきた話でそれまでの鉛筆書きプランが一気に塗りつぶされる」みたいな意思決定プロセスを経て決められていったのであった。

そしてこれが「協議しての意思決定」てことになっちゃうんだもんなぁ。
ホントにロンダリングとゆーか、「もーいーよ勝手にしろよ」みたいになったものが、少なくとも参加した私の責任に帰すというトリック。

まーそもそもこの委員会にかぎらず、PTA自体が上下命令系統のない任意団体なわけなのだ。
だからそういう顛末になるのは当たり前。そこに乗り込んで効率的に進めようなんてする私がバカなだけ。世間知らずはこっちであった。

しかしながら侮れないのは会員でいるかぎり、PTAが非常識なことすれば、イコール私がやってるも同然になっちゃうわけなのだ。
委任状だらけの総会でロンダリングされて、一部の人間の決めたことを私の意思って事にされてもたまりません。そんな恐ろしい仕組みから抜けてほっとしてますわ今は。やーほんと。

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ぶきゃこ

Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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