2017-09

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BGMは除夜の鐘(←脳内演奏)

今年中に投稿できるはこびになるのかどうかもわからないままに今年の締めの記事を書いておるわけだけれども、なにしろ今年でいちばん面白かった体験は、田所永世さんとの議論であった(ダイジェストはここに掲載されている)。正確には田所さん本人ではなく田所さんの想定するコンサバ寄り群との仮想議論であったわけだがそれでもとても興味深いはなしがいろいろ出来た。
そのなかでも「なるほどなぁ」と思ったのが、PTAはボランティア、といえども、一般の他のボランティアのように「やりたい人がやるもの」とアッサリかたづけてしまってよいものかどうか、という話である。
たしかに、人間の心というものはすべての行動を「やりたい」と「やりたくない」の2種類にパキッと峻別できるわけではなくて、「やりたいわけではないけど、まぁ、やらんとならんだろうなあ」と思いながら取り組むこと、というのは確かにあるわけで、そういう気持ちで自分の時間やお金をシェアした活動に対して、「やりたいからやってるんでしょ」とか、「自分がやるって決めたんだから責任も労働も引き受けろ」って言われたら切ない、という話は良く分かる。
人間はそんな強くないのだろうし、そういう意味では私もまったく強い人間ではない。子どものために自分の意志でつくったご飯でも、やっぱりけなされたら悲しいとともに「せっかくつくったのに」という怒りもわいてしまうのは正直なところだ。

そういう点では、PTAや自治会なんてのは特に、「いやあ、よっぽどそういうのが好きな人以外は誰もが“やりたく”はないんだけども、みんながやってることならと、みんながちょっとずつ踏ん張って支えてるもの」なんだろうなあと思うし、それって「ちょっとしんどい話」ではあっても「強制」とか「無償労働」とか「人権侵害」とか言われたら「そこまで法律持ち出すの…?」といいたくなる気持ちというのも、わかるっちゃあわかるのだ。

私はPTAが任意加入をきちんと説明したとしても、「コンサバが恐れているほどには、そんなに脱会する人は出ないだろう」と考える派だ。それはなにを根拠にしているかというと、たとえばサッカー観戦した後に誰ともなくスタジアムのごみをかたづけて帰ったり、子連れの集まりで、小さい子を複数抱えて大変そうなお母さんがいればなんとはなしに誰かが抱っこしてあげたり荷物を持ってあげたりとか、何かで待たされても騒ぐことなくきちんと並んで待っていたりとか、そういう社会行動面で日本人、日本社会にはあまり絶望したことがないからだ。それらは「やりたいわけではないけれども、まあちょっと辛抱して協力した方がよかろう」というような、良い意味でのムラ社会のなごりではないかと思っている。

それらがわかるし、それらを美点だと思っているし、大切にしたいからこそ、私は言いたい。その性質をいいことにして、圧力をかけることや、人びとを黙らせることや、相互監視をさせることに使ってはならないのだと。それは本当に意識して気をつけないと、日本人、日本社会というのはとてもそういう同調主義に流れやすい性質を持っているのだと。

個人の自由や権利意識が浸透している社会であれば、「保護者は全員会員です」みたいなことをいち団体が言おうが、「なに勝手なことほざいとるんじゃボケ」と相手にされないのかもしれないが、こと日本人の、「育児を批判されやしないか」とびくびくしている保護者社会で、しかも「学校の言うことを聞こう」と多くが懸命になっている入学手続き時において、そういうトリックで団体や学校や教委にとってつごうのいいように人を動かすことを目的とした慣習というのは、これからもきちんと批判されなければならないと思っている。

保護者がどうであろうと子どもたちは同じ学校に行き、いやがおうでも毎日の生活を共有する。そういう意味で保護者ともども一種の「共同体」とならざるを得ないのだし、そこで人間関係のトラブルなどがあるのは重々分かるが、そのコミュニティから「退出」してしまうというのは解決法としては筋が悪いのではないか? という批判があることも知っているし、実は私も「筋が良いとは言えない」と思っている側面もある。こじれて深刻なたたかいになってしまうと、地域社会のなかで子どもを育てていく以上、予後が良いとは言えない。私自身はもう小中学校PTAを退会して5年近くがたつし、みじんも後悔したことはないが、「私の後につづいてじゃんじゃん退会した方が良いよ!」というような奨めかたを人様にしていないのはそういう懸念もある。私が退会しても困ったことになっていないし、友達が離れたりいじめられたりもしていないのは、地元のPTA会員のみなさんが個々に良心的であったことや、上部連合体などの運営がそこまで強迫的ではなかったこと、などの要因もあるに違いない。だから、どんな人に対しても「退会したって何にも問題ありませんよ!」と言えるかどうかはかなり微妙なはなしなのだ。

ただ、それと同時に、「退会してしまうなど筋が悪い」と、恵まれた環境からモノを言い、「こちらの地域はこんなにPTAで交流が出来ているし、どれだけそれで子どもに恩恵が与えられているかわからないのか」などと半ば冷笑するような態度でいる人というのも、これはこれで非常に想像力が足りないのではないかと思ったりもする。
退会までしないと、「本来は任意のもの」という原点がわからない、知らない、あえて無視している、なかったことにしているようなPTAもたくさんあるのだ。
私がこのブログをはじめたころは、そこまで全国の状況を耳にすることはなかった。私はただ自分のところのPTAがいやだったから抜けただけで、社会問題として提起しようなんて大それた考えはなかった(今もないが)。
しかし、PTA問題を発信しはじめてみると、未知のかたからたくさんのコメントをいただくようになった。まるおさんに教わってツイッターをはじめたら、そこにもたくさん自分たちの状況を発信しているかたたちがいて、私に言わせれば「ありえん」と思うようなヒドイ運営のPTAももっともっとあったのだ。
そこにさらされているかたたちが、個々の交渉をしてみてもうまくいかずにやむなく、「退会」という手段でまず「本来は任意の団体」ということを自分の地域・学校でのさばっているPTAにつきつけたとしても、それをなにが「筋が悪い」などと批判できようか。
自動加入をいいことにかんちがい運営を続けるブラックPTAが、退会までされてみないと振り返り立ち止まるきっかけすら得られない、得ようとしない、ということのほうがはるかに問題であろう。そしてこの状態にはイネイブラーとして学校や教委など教育行政の姿勢がある、というのも繰り返しつぶやいていることである。

このブログで以前から述べているように、私個人はPTAが嫌いである。(このばあいに「PTA」で指しているものは、日本でおおむね一般的に行われている、本部があって、なになに委員会があって、学年や学級に委員がおかれて、名前は違えど子ども会や校区班などが側部組織としてあって、活動文書は教師を通して配られて、事前に校長の検閲があって…というイメージの活動団体のことであり、地元の役員のだれだれさんが嫌いだという話ではない。)
だから、ああいう団体がなくなっても、縮小しても、いっこうにかまわないのだが、「こんな活動であればいまよりずいぶん良いのではないか?」と思うすがたも、いちおう持っているには持っている。

本当にやりたい人(10〜20%あたり?)による真のボランティア活動にする、というのも1つの健全なあり方だと思う。だが最初の段落で述べた通り、「やりたいですか?」と正面切って問われると、なかなかそこまで自信を持って「やりたい」と言える人は少数なのが本当のところだろう。そういう「真の有志」でなければ参加する資格なし、とまでなってしまうとそれはそれで先鋭カルト化するリスクもまた増える。
みんなと一緒にちょっと力添えすることに安心感を覚える80〜90%くらいの保護者で、てきとうに前年踏襲プラスマイナスアルファでやる、というのも肩の力が抜けてていいのかもしれないなと思う。「本来任意のもので、強制は出来ない」ということを全員がしっかり理解していれば、それはどちらでもいいのではないかなと思う。後者は、「本来任意」がしっかり理解されていないと、実に簡単に「全員強制」へのトリガーがひかれるので、そこは注意が必要だし、属人的には出来ない(=システムとしての公的介入…というか不介入が必要)と思うけれど。

「任意を徹底」ということは、イコール「本当にやりたい人しか巻き込んじゃいけない」という意味でもなくて、実際の運用面ではあいまいなことが多くても、ちょっとした義務感?責務感?みたいなもので「周りと合わせて」協力するような活動であっても、本旨さえメンバーがしっかり忘れないようにすれば、そうそう極端なやり方には走れないはずだよなあ…というような活動イメージがわいたことも、田所さんと議論をしてみて、よかったことであった。

「自分だってやりたいわけではないけれども、子どもたちに必要だと思うから、できる範囲でやるだけだし、本当に無理なら断るだけ。ほかの保護者で、本当は出来るのに逃げてるなと思う人がいても、ずるいと思うほどの無理は自分もしてない」というあたりの「心の健康さ」をもちながら、やれる人は手を出して参加する、というのが、この国においてのじっさいの「保護者世界平和」にはちかいのかもな、と思ったりもする年の暮れであった。ゴーン。
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全体主義者は隣組がお好き

NHKという国営放送局になにかはらをたてているわけではないし、インネンをつけたいわけでもない。死んだばあちゃんなんかは朝昼晩とNHKのとりこであった。昼下がりだけ、民放の昼メロドラマというのか、エロドラマというのか、ああいうのをたまに見ていることもあったが、まずほぼばあちゃんちの、薄青いセルロイドが画面にかけられたテレビはNHKを放送していたのであった。
セルロイドっつうのはなにかっていうと、あまり詳細に書くと「ぶきゃこさんの年齢ってもしやこんくらいまで行っちゃってるのでは?」とじゃすいをされてしまい読者と筆者の相互理解をたまさげるのであまり書けないのであるが、昭和の戦後からそんなに経ってない時代のしかもド田舎では、「テレビの画面からは放射能が出ている」というのが村人のあいだで常識だったのである。いや待て本当だ。本当ですって。
まあ電気がビビビってなってるわけだからそこから放射能といえば放射能が微量出ているのはあながち間違いではないのだろう。「放射線ではないんですか?」などと愚つっこみをしてはならない。放射線などと、やくにたつレントゲンみたいな生ぬるい表現はしなかったのである昭和のとある昔では。でもってそれから視聴者の目を守るためにセルロイドは掛けられていたのであった。

セルロイドの話はこれくらいにしてようするに言いたかったのは私はNHKに親しんで育っているのであり、これから言うことはけっしてNHKサゲが目的ではないということだ。

で本題に戻るがこないだの朝、NHKでこのニュースをやっていた。
あしたのまち・くらしづくり活動賞に千葉市美浜区の団体など

私の朝というのはだいたいひとり朝食とともにニュースやツイッターをみてちょいちょいつっこみを入れたりしてちょっとだけゆっくりした後は、もう毎朝死亡寸前と言ってもいいくらいいそがしいので、テレビでニュースをやろうがきょうのワンコをやろうがレコード大賞をやろうがろくすっぽ見ても聞いてもいないのであるが、この日だけはNHKのアナウンサーがしゃべる言葉に珍しくひっかかったので記憶に残り、あとで会社に向かいつつニュースサイトでどんな報道であったのか確認したのであった。私の耳が引っかかった箇所は、
「さまざまな問題を行政まかせにせず、自分たちで解決を図っている点が評価されました。」
という部分だ。

「行政まかせ」の類似ワードとして「学校まかせ」「保育園まかせ」などがあるが、ようは「本来の責任者は自分たちであるにもかかわらず、援助目的の行政サービスが存在することをいいことにすべての履行責任を押しつけようとする態度を非難する言葉」が「まかせ」であるといえよう。そういう意味で言えば、私が個人的に考える「学校まかせな態度」というのは、「ハンカチやティッシュを忘れないで持参させるようにするのは、ハンカチやティッシュを持参させることを決めた学校の管理責任」「学校が持ってこさせたいなら当然学校が用意すべきだ」と主張して、保護者側でなんらハンカチもティッシュも用意することなく当然持って行くことの補助指導もしないとか、「宿題は先生が出したもの。忘れないようやらせたいなら先生が各家庭に電話して子どもに注意喚起すれば良い。保護者はなんら関係ない」とするような態度のことではないかと思う。子どもの教育という大仕事は当然ながら家庭と学校が協力しないと実現しない面があり、それを保護者が理解しようとしなければいつのまにか「教育は学校の仕事」になってしまう。そういう態度が(実際まわりを見渡してもそこまでの保護者は相当レアなのであるが)「学校まかせ」と言われるならわかる(しかしこれも程度問題であって、だからといって学校側がきめたことに何でも親は従うべきだと言っているわけではないが)。

で、ニュースの話に立ち戻ると、ではこのニュースにおいて「行政まかせ」と指摘しているものはいったい何なのかというと、受賞団体のひとつ「幸町1丁目コミュニティ委員会」の活動において明文化されている部分だけにかぎっても、
①買い物が不便で困っていることを行政に何とかしろという態度。
②庭木の枝切りができなくて行政に何とかしろという態度。
③ゴミ出しができなくて行政に何とかしろという態度。
であるらしいことがわかる。
ようは、これらのことを自治会の役員OBなどが中心となって委員会でやっているから、行政は対処しなくてよくて助かったね偉いねという話なわけである。

私はこれらの熱心な地域活動が「素敵だね」と賞賛されること自体には特に違和感はない。そこに「行政に頼らなくて偉いね」の評価目線が入ってくることに違和感があるのである。
つまりこの記事で、このコミュニティ委員会がどうのという話をしたいわけではないので、これはこれで素晴らしい取り組みだということを念のため申し上げておきたいが、問題を感じるのは行政側の態度なのだ。
①は、それは市(いち)が定期的に立てば便利は便利だろうけれども、「あーよかったこれで行政はなんもしなくていいや」という話ではないはずだ。市(いち)というのはスポットでひらかれ、提供商品も限られているはず。発想としては市(いち)というのは売り切りメインだから、買えない弱者も出るわけで、ハコモノ商業施設の代替になるわけではない。定期市は「ボランティアのおかげで成り立つちょっといい話」ではあっても、「行政に頼らず自分たちの生活資源調達ルートを確立しよう」というような大それたものではないのではないだろうか。
「地域社会の高齢化が買い物不便につながる」というのは、なにも野菜調達だけの話ではなく、病院にもホームセンターにもクリーニング屋にも駅にも行きづらくなるという話であって、日本全国これからの行政課題であることは間違いないだろう。さっこん国レベルでも気のせいか、「そんなの家族で助け合いなさいね」とお茶を濁される場面を多く見るような気がするのであるが、家族や地域での助け合いは助け合い。行政というのは家族がいなくても地域団体に加入していなくても、基本的人権を保障するのがオシゴトであり、そのために安くない税金を国民からかっぱいでいるのではないのか。なんだかもうまるで「子ども食堂もあるから君たち安心しなさいね」とか平気で言う某国首相のようなのである。

②であるが、庭木の枝切りなんてのはきわめて個人的な問題であって、そもそもそんなサービスがある自治体のほうが少ないであろう。それとも千葉市民は「うちの庭の枝が伸びすぎて困ってる」みたいな話を行政に持ち込む慣習でもあるのだろうか? 「助け合いがあっていいね」という話だけならわかるが、なぜその活動が「行政まかせにしてない、いいね」という話になるのかがちょっとよくわからない。

で、③であるが、うちの自治体は高齢者や障害者などの弱者に対して、ごみ収集の職員が直接居宅に立ち入って収集をする行政サービスがある(それとない見守りも兼ねている)。千葉市の場合、そういう支援をする地域団体に対して支援対象1世帯当たり月1,000円という、けっこうな補助金を出しているようだ。これを見てもわかる通り千葉市というのはもうカラーとして「地域団体主義」「草の根自治主義」みたいな香りがする自治体なのであった。ここの首長は以前、「年寄りの健康度合いに従って介護保険を地区別料率にしたらいい」などというオイオイ発言もしている。
それはそうと、けっきょくのところ千葉市は「ごみが自力で出せません」という問題に直接対応はもともとしておらず、「世話してくれる団体が居ると良いね、居たら補助金出すからね」というだけの話なので、庭の木の枝とあまり変わらない。直接サービスをしている当自治体が「地域の人同士でごみ出し手伝いしてもらえると助かるわぁ、ありがとう」と感謝表彰するならわかるが、もともと「そんなの地域でやってね」と言っている自治体で地域同士でやったからといって「行政に頼らなくて偉いね」という表彰に何故なるのか。このあたりもナゾなのである。つうかもともと頼らせてないじゃんね表彰されてもね?などと思う私は心がゆがんでいるのであろうか。

これらの謎の表彰、謎の目線のカギをにぎっているのが主催団体「公益財団法人あしたの日本を創る協会」である。この協会の事業内容をみれば、この団体がこの表彰をする理由自体は理解できるのであるが、この、雑居ビルの一角でほそぼそと有志活動をしてそうな協会名に似合わず、ディスクロージャーを確認するとたまげるほどの巨額の金が動いており、「これもしかして天下り団体じゃ…」などとうっかりじゃすいをしそうになるのであった。事務所は一等地の西麻布、「一般財団法人日本交通安全教育普及協会」というやはりうっかりじゃすいをしそうな団体と同じビルにある。こういう仕掛けを見て「・・・・・・」と思う私はやはり心がゆがんでいるのでありましょう、というのがこの話のオチでした。お清めお清め。なむなむ。

ようするに国土が狭いのがいかんわけだけども

なになに主義、でむりやり分類すればどちらかというと「個人主義」に入るであろう私がこんな話をすると意外に思われがちなのだが、そしてそういう趣旨のことを案外あっちこっちで言ってたりするのだが、「社会の秩序を尊重したい派」なのである。どういうことかというと、「個人の主義嗜好を通したくなってしまう場合でも、みんなのことを考えて社会のためにそれがいいなら、ちょっとくらい我慢せんかいな派」なのである。
「お前PTAを脱会したどの口がそんなことを言う」といっせいに各方面から責められるかも知れないが笑、現行のPTA会員でいることは社会規範を守ることでも、社会貢献することでもないと自分なりに判断したからこうやって離れ無人島におるわけだ(じょじょに非入会が人気になってきて小島も人口が増えてきたような気がするけども…)。むしろブラックPTAてのはあれ、「主義嗜好を通したくてワガママしてる団体」ですからな。

最近の「いや〜それはもうちっと、何とかならんかったかのう」と感じる「個人の主義嗜好が社会を押しのける」は、このニュースであった。
中学の部活「生徒の声出しうるさい」 住民の苦情に運動部は無言で練習

我が家もけっこう、学校はまぢかにあって、そりゃあうるさい。夏だけだが朝練もやってるし、土日も開放してるからホイッスル音や黄色い声、おっさんのバカ笑い、カキーンとソフトボールを打つ音などにぎやかだ。運動会ほか行事の時は先生もマイクでがなりたてるし。というか子ども自体が近所にウヨウヨしてるから、ピンポンするやら、ボールを蹴ってうちの車にあてるやら、猫を追いかけて狭い庭に侵入するやらなにやらかにやら。小さい子だけでなく、中高生もいるから道路で大声でだべるだべる。うるさい。

私は迷惑をこうむったときは「こらー!」と遠慮なく怒る。昔、近所のガkお子様がたがちょうしにのってウチの壁に泥団子ぶつけパーティーをした揚げ句全速力で逃げやがったときは、親も呼び出して苦情をいい、子供らにバケツとブラシをもってこさせて掃除させた。

だから「私は寛容な人間である」なーんてことは口がさけても決して言わない。そんな事実におもいっきり反することは言えない。うるさいもんはうるさいし、迷惑なもんは迷惑なのだ。

だが、だが。

どんなにバカタレどもを怒っても、決して「もうここで遊んじゃだめ」とか、「二度と来るな」的な意味のことは言わなかった。また来て、また怒られればいい。私がいなければ、しめしめと遊べばいい。そんなふうに思ってた。
相手は子どもなのだ。
確かに、私の家は私の所有ではあるものの、「私有地」なんてもんは大人が勝手に決めたこと。大人が全員、「ここは私有地」と言い出したら、子どもはどこで遊ぶのだろう? 道路もダメだし危ないし。幼児向けの遊具がおかれた公園にしか、子どもは居ちゃいけないのだろうか? 今はもう、土管が放置された空き地のあるドラえもんの時代ではないのだ。

同じような話で、猫のことで夫婦で口論になったことがあった。野良なのか近所の飼い猫なのか分からないが、しょっちゅう入ってきては、庭でうんこをしたり雑草を食べてはオエッオエッとやっている。
「まったく困るわ〜あいつめ」と私が言い、夏みかんの皮を置いてみたりトイレのサワデーを置いてみたり(笑)、猫が来たらライトがつくようにしてみたり、見かけると「こら〜」と怒ったりしているのを見て、夫が「保健所に連絡したらいいだろ」と言い出したのだ。
私が「それじゃあ殺されちゃうじゃん!どこかの飼い猫かも知れないのに」と怒り出すと、「えっ…?」と目を白黒させ、「嫌がっているから根本的な解決を提示しただけなのに」と困惑していた。
迷惑だからぶっ殺せばいい、というわけではなかろう!という私の話はなかなか理解してもらえない。「猫が侵入してきて迷惑なんでしょ? 侵入してくる方が悪いんだから、完全に除去すれば解決すると思うけど」と言う夫に、「猫っていうのは、石とか、草とか、風みたいなもんでしょ!そういうものは、そこにあるもんなの!要らないからってなくせとか、おかしいでしょ!」と怒る私の言ってる意味は、まったく理解されず、ひたすら鳩が豆でっぽくらったような顔になって、その話は「石とか草とか言い出してとりあえず意味は分からないが妻が怒ってるらしいから」ということで終了したのであった。

部活の朝練がうるさいって話も、そりゃあそうだろうし、毎朝、そして永遠に続くと思ったら、精神的にもやられてくるというのはある程度わかる。ただ、そこは学校なのだ。
そんなに毎朝、練習をしているのも異常ではないかという話もあるが、内容が広がりすぎるのでいったん「部活問題」はおいておく。
私は、「学校という場所は一定量、絶対にうるさいものだしそこで子どもは育ってる」ということをここでは言いたい。

うちの小学校の近所にもこの記事に出てくる住民と類似の方がいて、「学校に出入りする車が多くて迷惑」と言う。そのうち、ずっと監視しているかのようになってしまい、フェンスの近くで子どもを降ろしただけで「また送迎してた!」とすかさず苦情が入るようになった。
確かに近所で車の出入りが多いのは決して気持ちの良いものではないだろうが、そこは公道で学校は公共の場所だ。どういう発想で「私の静かな環境を破壊するあなたがた」というところにまで至り、根絶してもらわなきゃ困る的な行動にまでなってしまうのか、人とは分からないものだ。

海辺に家を建てて、「朝から晩までザーザーと、波いいかげんにしろ!」と苦情を言いに行く人はいまい。自己の都合を優先して主張しても良いものだと考えるから、学校に「子供の声うるさい」と苦情を言う発想になるのであろう。「おお今日も元気に声出して朝練やっとるねえ」とほほえましく見守れとは言わないし、迷惑なのも苦痛なのも分かるが、無言で野球の練習させるような結末にいたって、本当にその住民の方は満足だったんだろうかと思ってしまう。「じゃあ、黙らせる以外どうすりゃ良かったんだ!」と言われれば私も個別の状況を知らないから答えられるわけでは無いんだけども、「もうちょっと何とかなりませんでしたか…」という思いは消えないし、「次世代を育てられなくなっても個人の快適生活を守りたいとなったら人間も終わりじゃね…?」と心の中だけではあるがひっそりと過激にdisってみたりするのであった。いえあの、小さい声でね。

モヤらない人のほうが多いからこうなんでしょうけどもねぇ、ええきっと。

次郎の学年でこの秋、移動教室があるので、説明会に行ってきた。夫が。
私はもう4度目なので、だいたいのところはわかっている。行かなくても資料で確認すれば大丈夫かなとも思ったのだが、集金もあることだし、今回は夫が都合が付くので行ってもらったのだ。

そして、案の定というか何というか、モヤって帰ってこられましたとさ。

これ、学校もそうだし、PTAもそうだし、あすくらへん全体の傾向なのだが、平日の日時を指定して人を集める→資料を配る→それを読み上げるということをやるわけね。
日本語を勉強中の外国の方ならなかなか勉強になる話ではあるだろうが、ネイティブ日本人を平日呼び出してやるこっちゃないだろと私は思うわけ。
いやまあ、人間が全員、平日仕事をしとるわけではないだろうが、むつかしい漢字を教養もないのに無理矢理持ち出してくるならば仕事をしとる「蓋然性」が高いわけでしょ。なんでそんな日時をえらんでそういうことをやるかなと。

いやあの、土曜日にやれってんじゃないですよ。先生もお仕事は平日にしたいんだろうし、平日開催なら平日開催でいいと思うんだけども、何十人も都合をつけて集まってるんだから、集まるなりの意味のあることやったらいいんじゃないかと思うんだよね。

たとえば、資料は事前に配っておいて、「これ以外の細かい質問とかに答えて共有したり、改善意見があれば話しあいたいから来てくれや」とかだったらわかるんだよね。「これない人は子どもに質問や確認したい事項持たせておいて」とかね。
先生だって、各保護者からおんなじようなこと何回も何回も質問されたくないだろうし。

それなのに、人をわざわざ集めておいて「読み上げ」をやる。
これにどんな深い意味があるのか分からないが、私は、授業がそういうふうにいつも行われているから、なんか学校周りの「クセ」としてそういう進行がされるんじゃないかと思ってる。
あとはまあ、混乱するようなことは極力したくないというかね。

新入社員に会議の進行役なんかをやらせると、初めはけっこうそういうやり方をするのは何でなんだろうなぁ〜とぼんやり思ってたりしたんだけどこれ、学校教育のたまものなのかなもしかすると。で、読み上げてる途中で先輩社員に「あのさ〜オレ字読めるから」などと言われたりして。

( ´_`) (´・Д・) (´ω`)

そういう「学校文化」に親和性の低い私は、PTAもそうだし、学校の説明会なんかでもそうだし、何度もそういう場でぐったりして帰っていたのだけれども、いつしか「あー、ああいうのはそういうもんだ」と達観してしまって、あまりあらためて口にすることもなくなっていたところであった。

で、特に深く考えずに今回夫に行ってもらったところ、夫もやはりぐったりして帰ってきたという話でした。

そしてエンエンと長くてだるい読み上げ会の最後は、先生が「これで説明会は終了です。何かご質問などありましたら、のちほどいつでも私に御連絡下さい」と言ったとのことで吹き出してしまった。そんな個別対応するくらいだったら最初から質疑応答すれよ人集めてんだから! などと夫はココロの中で思ったらしいのだが、それでもとにかく「1分でも早く帰れる手段をチョイス」つまり、終始だまっていたそうです。

「思ったこと言っても良かったんじゃない?」と私が言ったところ、
「そうしようと思ったけど、あーここんちは母親がああだと思ったら父親もこんなんかーとかおもわれるしさー」
「ぶきゃ山さんちって夫婦してテンテンテン…とかおもわれたらいけないから大人しくしなきゃいけないかなとおもってさー」
などなどブツブツ言っておって、読まなくてもいい空気読んでしまう人は大変ですな。。。あっはっは。

ちなみに説明会に来てた「オヤジ」は、学年全体でウチともう1人だけだったらしいです。
それもすごいね。
オヤジのみなさま、たまには休み取って学校の集まりに当事者として行ってみた方がいいっすよ。PTAしなくてもいいからさ。

中2病ブロガーが有名大学教授に下品に頭突きをくらわせるの巻

私はまごうかたなきいっぱしのド素人のド一般人であるにもかかわらず、百万年経っても購入どころか図書館でも借りないであろう専門系雑誌に掲載された論文のことをわざわざ私に教えてくれる知識人のかたが複数いらっしゃって、いったいこのかたがたはなんだってせっせと六ツ目ザルにしぼりたて生ビールをじゃんじゃか注ぎ込むようなあたらもったいないことをされるのであろうかと不審には思いつつも、せっかくなのでいただいた資料を読み込んでみた感想をここに書こうと思う。さいわいなことに何キロバイト書いても無料なのだ。

今回のは、日本評論社「法学セミナー」2016年7月号というののp.41〜44に載った、
PTAと憲法論――入退会自由の任意団体か
というタイトルの小論文で、筆者は大学教授の大日方信春センセというかたらしい。

ここで勝手にひとさまの出版物を書き起こすワケにもいかないので、概要だけ紹介しつつ私がブツブツ感想をかいていくこととする。元の稿の全文を確認されたい方はすまないが雑誌をみてください。うちの市の図書館にはあったので、そんなにレアな雑誌ではないとおもう。

センセがこれを書いた動機のうちのひとつに、

(自動加入には当然疑問符がつくが、しかし)学校教育におけるある種の公共財(public goods)の提供を担っているPTA活動という義務負担の諾否を自由意思で決められるのであろうか、という点にも疑問
(以下、斜体は上記小論文からの引用)

があるとのことだ。なるほど。
で、その動機を持って書かれた本文の幹部分である「PTAの法的性格と入退会の自由」というタイトルの文章において、センセは団体性格の類別をこころみている。

(1)PTAが会員の自己教育や学習、および、リクリエーションや親睦団体として活動しているときは、社会教育法上の社会教育関係団体。
(2)単位PTAおよびその連合体が教育行政に対し児童・生徒の教育条件等の改善を要求しているときは、教育慣習法上の地域教育団体・教育利益団体。
(3)学校、教師に対して父母集団が教育要求を提示していくときは、学校慣習法上の正式な学校教育組織。

私はいきなりここでつまずいてしまった。
(1)はわかる。(2)もまあ、うーん…とは思うが、いいたいことはわかる。(3)って?
PTAが教師に対して教育要求っていうのは、具体的に何のことなんだろう?
ていうか教育上の要求は教師会員が業務上で実現すればいい話で、PTAが教師に要求というのはロジカリィにも変だ。
学校慣習法。正式な学校教育組織。
いや、日本語として理解は出来るんだけども、そういう実態が本当にPTAにあるの? ときわめて共感できない。
当地のPTAだけなのかもしれないが、あれハッキリ言って、「学校のお手伝い管理組合」ですよ。
私が会員でいた期間中、教育上の要求をPTAがとりまとめているところは見たことがない。よそのPTAでも、ウワサとしてもまあレアである。(ブロガーmoepapaさんが札苗小PTA会長時代に算数検定に乗り出したことはあったかな…あとは沖縄のゼロ校時も近いかもしれないが、厳密に言うと教育上の要求を学校に提示して実現させた…といえるのかは微妙なところがある。しかも違法の疑いが濃い)
この、センセのお話の(3)に共感される方は、ぜひとも(3)の具現をPTAがしている例を、たくさん私に教えて欲しい。知りたい。

そして、PTAの団体性格のカメレオン七変化のうち、まだ重要でリアルな2項目がもれていると思いますセンセは。
それは、
(4)学校や教育行政の要請に応え、資金と労働力を調達し充足させる正式なw学校支援組織。
(5)学校や教育行政の家庭教育要求に応え、会員をしつけて連帯させ一匹残らず明るみに引っ張り出す家庭管理組織。

はっきり言って、(1)から(3)だけなら、任意性の担保の障害にはならないですよセンセ。
慣習法はさておき、ちゃんと結社の自由はたもったうえで活動はぜんぜん可能。
(2)なんて日Pやってるけど彼ら「全員加入組織」じゃ全然ないかんね。
なんで任意加入論が、プログレなんとかと横文字でおこられなきゃいけないのかといえば、最大の要因は(4)でしょう。気ままに入ったり入らなかったりされるといちばん困るのは(4)じゃないの? なぜ、PTA問題において「任意」を簡単に言わせづらい焦眉の「そこ」を抜かす?
まあ、さいきんでは(4)を声高に言うとめっさ叩かれるので、「(4)なんてどうでもいい。それよりネットワークから漏れる家庭があっていいのか。手を差し伸べなくていいのか」という美辞麗句で(5)を「活動意義」として唱える方もいらっしゃいますが。

私なんか(4)さえなければ、保護者が「学校単位」でネットワーク化することにこだわる意味すらよくわかんないんだけどね。
単に、「親もなるべく多種多様ななおつきあいをした方が、子どもの成長にはいいよねー。親もいろいろな体験をして世界を広げよう!」じゃいかんの?
地域にいる、隣接地域の学校の子、私立の子、養護学校の子とかの保護者とはネットワーク化しなくていいの?
学校にふつうに行くだけでも息が詰まりそうになってる子の家庭が、わざわざ学校単位で親まで連帯強化するこたあんめぇーよ。
学校学区なんてのは行政が決めた強制枠なんだから、親のつき合いぐらい自由でいいじゃん自由で。なんで親まで学校単位学年単位クラス単位で管理されなきゃならんわけ。
とかいろいろブツブツ思ったりするのだ。まあこのへんはしょうがないよね中二病だからハハハ。
「子どもが同じ学校に通ってる」という理由だけでそんな唐突な「手を差し伸べ」られるくらいだったら、まだ「オラァ学校で要るんだよ親なら手伝え金出せ」のほうがわかりやすいってもんですわ。

まあ私みたいなきょくたんなヤツはおいておくとしても、このセンセは「任意団体(←センセは任意加入団体、という意味で使ってるようです…)というのはあまりにも現実離れしていて、準学校機関、って言った方がよくね?」と言ってるわけだけども、私ね、それ自体にはそれほど「いや違うだろー!」とはおもわんのですわ。
たしかに、準学校機関、みたいな扱いはされてるね、「保護者たちにとって」は。
入るも入らないも自由、なんて、自分のようなへそ曲がりはさておき、現状の多くの保護者は思ってないでしょ?
どちらかと言うと、「PTAは任意加入の団体です。あれは、学校とは関係ないざんすのよ」と言って保護者をビックリさせてるのは、教委じゃないの?とおもう。

だからさー、準学校機関なら機関でもいいけども、だったらトンデモ運営にならないように保護者任せにしないようにしないといけないよね? PTA内いじめがあったらちゃんと対応すべきだし、校長が自分のつごうのいいように利用しないよう、ちゃんと教委で管理監督しないといけないんじゃないの? 校長が会費流用したら教委が責任とらなきゃいけないんじゃないの? 肝心のところで「いやあれは保護者が勝手にやってるだけですので」って任意団体を称し始めるのはほかならぬ教委よ? 保護者はほとんどが、よくも悪くも「学校の義務だ」と思い込んでやってるわけで、「こんなのどうせ任意団体の活動なんだから」とテキトーたいがいに、校長の意見無視でやるような保護者のほうが少ないよ?

「任意団体なんてプログレッシブにすぎる、実態は準学校機関だろ?」ってのはそのとおりであって、ホンットウに、教委にむかって大声で言ってほしいものだ。

ま、それはそうと、次の
「PTAの活動と構成員の協力義務」
という項目を見てみよう。
まずひとつめ、「団体の性格と構成員の義務に関する一般理論」がごくふつうに紹介されている。
労組の判例などが出されているが、私レベルの頭でもわかるように書くと、

・構成員は基本的に団体に服従して義務を果たさなきゃいけないの。憲法下でなんでそれがOKになるかっていうと、加入するかどうかが任意だからなの。
・たとえそうだとしても、なんでもかんでも義務にしていいってわけじゃないの。団体の活動目的に適していなきゃ、ようは関係ないことまで強要するのはおかしいの。

ということになる。これに反対を唱えるかたはあまりいないだろう。

で、そのあとにつづく文章が、あまりにもわからないのでもう丸ごと書き写しちゃうんだけども、

本稿が注目している単位PTAおよび学級PTAは、前述した「親睦PTA」と「学校PTA」の目的、機能の両方をもち、かつ、構成員も同一である。本来ならこの複合性を団体の目的と機能に応じて二分しておくのが望ましいのかもしれない。しかし、現状、上のPTAは可分の存在ではないと思われる。そこで、その団体と構成員との関係を考える場合にも、当該団体が行う(行おうとしている)活動に応じて、構成員の協力を義務づけ得るか否か、変わりうると思われる。

だそうなのである。

よく、ネット掲示板などであまりにものわかりの悪いヤツ(←私みたいな…)がいると、「100回読んでから出直せ」などと言われるので、私もどうせ誰かに言われることだしと上の文を10回ぐらい(100回はキツいんで…)読んでみたのだがやっぱりわからない。国語力に難あり、である。

・PTAは複合目的機能を持つ団体だ。
・だから、活動に応じて会員に協力を義務付け得るかどうかが変わる。

↑こう言っているとしか読めないのだが。。。いやなんで?^o^;
さっきの「一般理論」にしたがえば、

・まずは、加入するかどうかが任意でなければ、(目的機能活動内容にかかわらず)義務付けは出来ないよね。
・加入が任意だったとしても、目的機能からかけ離れてたら義務付けはできないよね。

じゃないの?
なんだかホントによくわからない…。
「会員はベルマークを100点以上集めてこい」は、学校支援を目的に集まってる保護者会員には強制していいけど、保護者連携を目的に集まってる教師会員には強制しちゃ駄目ってこと? なになに? 何言ってんだ?
ベルマーク委員会で「ベルマークを100点以上集めてこい」は言っていいけど花壇委員会では言っちゃ駄目ってことか? そゆことか?
…やはり、大学教授のアタマとド素人おばちゃんアタマの差なのであろうか。実に残念ながら理解がむずかしい。
残念なまま、次の[2]へすすむ。

[2] まず、PTAの活動が会員の親睦や自己研鍵を目的とするものである場合、当該活動は、構成員が監護教育する児童・生徒が受ける学教教育と直接関係をもつものではない。したがって、PTAは当該活動への協力義務、参加義務を構成員に課すことはできないであろう。なぜなら、現状のPTAは親睦団体としての性質と学校機関としての性質を複合的にもっているので自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていないと考えられるからである。

いやごめん。ちょっと待っていやごめん。
まずね、

Aである(ではない)
したがって、Bであろう。
なぜなら、Cだからだ。

という文において、AとCで全然違うことを言ってたらおかしくないかい?
それはまあ、ひとまずスルーするとしても、
B(=参加義務を課すことは出来ない)は、わかるんだけども、それってさっきの「一般理論」から言うと、何はともあれC(自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていない)が理由になるのではないの?
目的複合とか、そんなのもはや関係なくないですか?

 つぎに、PTAが団体の本来的目的である「準学校機関」としての役割を担っているとき、構成員には当該機関としての活動に協力する一応の義務があると考えざるを得ない、と思われる。なぜなら、「準学校機関」としてのPTAの活動は、それを提供するPTAとそこからの利益を享受、消費する構成員が保護する子女との間に対価関係がないため、この活動を成り立たせるためには、構成員が保護する子女全員を受益者とみなして、そのことを理由とする義務負担を構成員全員に求めざるを得ないと考えられるからである

…お〜い、Cはどこ行っちゃったんだ?
Cはなんで急にない事になっちゃったの?
C(自由意思に基づく加入・脱退が完全には保障されていない)なんだから、団体内の理屈(構成員と子女との間に対価関係がないから構成員全員と子女全員の授受益関係になる)が走る前に、大前提としてまず義務は課せないよね?

で、最終的にこの小論文がなにを着地点にしているかというと、
「PTAが任意団体ではないと言いたいわけではないが、あんまりそう言い切ってしまうのは、それじゃあ毎日のことが成り立たなくなっちゃうと割り当てられた役割を担っている人が気の毒ではないか」(ぶきゃこによる要点まとめです。引用ではありません)という話のようなのだ。

それならそうと、「任意団体なのはそうなんだけども、そう言っちゃうと現状とすぐには合わなくていろいろと困るよ」という話であって、さっきの「全員に義務負担を求めることの肯定」と論拠が合わなくなってしまう。肯定なのか、実際肯定できないことを認めつつもそうは言ってもね、という話なのか、どっちなんだかわからない。

結局のところ、センセの論文に「PTAが保護者に参加義務を課すことの正当性」も、「自動入会の正当性」も、説得力を持って書かれているところはひとつもなかった、ということになるのではないだろうか?

「任意加入団体であるし義務でもないのはそのとおりなんだけど、現状もあるしさ、ソフトランディングしないといろいろ辛くない?」という話でしかないのならば、そのように書けばよいし、書くべきでもあろう。あたかも「義務化」に論理正当性があるかのように書くからこじれるのである。現状が「正しくはない」ことは、実はだれもが分かっているのではないだろうか?

話は少し横に流れるが、最近見受けられる言論「ネットワークから漏れる家庭をとりこぼしていいのか」を見るとき思うことがある。それは、それを言う彼ら、そしてこのセンセもまさにおっしゃっている、「(論理的に、とか、片方の理屈で正しい、とされることを押し通すとき)いま担っている人たちの気持ちはどうなるの?」というウェットな訴えは、まさに任意加入化論者のモチベーションともなっている「(それで救われるという人たちのために)全員に活動を課すことで、苦しくなってる人達はどうサバイブすればいいの?」という訴えと同種のものなのではないかと。

どうしても、全員加入じゃないといろいろと都合が悪いし、それが弱者に手を差し伸べることになる、ということを口にする人は、「言い訳は理由にならない」と強制されることが本当に苦しい人たちはどのように切り抜ければいい、と思っているのだろうか。私は最近、そこが非常に気になっているし、聞いてみたいとも思っているところなのだ。
気のせいかもしれないが、いままでもコンサバ系の人に何度かそういう問いかけはしたんだけれども、たいてい答えは返ってこず、そのかわりに「じゃあ、いま役割だと信じて担っている人たちの気持ちは?」という、質問に質問で返してお茶を濁されるようなかんじで今まできているのである。もしも、今でもそういう答えしか用意されていないのに「全員義務化で人が救える」の話は、単に「あっちの人を見捨ててこっちの人を救いましょう」の話にしか過ぎず、結局は「多勢で無勢を踏みにじる」結果しか招かないのではないかと思う。
どうも、「非加入なんて子どもがどうなってもいいのね」と、「任意化して、声かけしてもらうのを待ってる人たちとか、断れなくて毎年引き受けてしまう人たちがどうなってもいいのね」は、同根の話法のような気もしているのだが…。

ま、そんな受け止め方は私の邪推だきっと。まさかとは思うが、「義務化されて苦しい人はどうサバイブすればいいんですか?」の答えが「役員にネゴって個別対応してもらえばいい」「理由を話してみんなを納得させればいい」「友達ネットワークで代わってもらうなりなんとかすればいい」とか、はては「役員になって中から変えればいい」みたいなプランしかないなんてことはないのだろう。だって「全員加入は弱者救済のため」なんだから、全員加入でべつの弱者を迫害していたら世話はない、そうだよね?

人数勝負を排除したとしても、どこかに、「よりベターな選択」はあるのだろうか? もちろん、ある。

私は今のところ、もっともなるほどと思えるのは、高校PTA会長が震えながら言っていた「手伝えない人もいるのはわかってる、お金だけでいいからお願い!」(意訳)のようなストレートぶっちゃけ系である。それがいちばん「しょうがないな〜」と思わせるし、「全員ネットワークから漏らさないためにどうのこうの」のキレイゴトよりはるかにリアルだ。熊本PTA裁判の原告岡本さんも、最初にそんな話をされていたら、しっかり腹に落ちていたのではないかという気もする(説得されて入会するかどうかはまた別として)。

「正しい正しくないより、目の前の現実に対してより適切な行動を選びたい」という生き方もあろう。「みんなをなるべく全員誘いたい、というより誘わないととても実現できない」願いもあろう。そういうことであればそういうふうに恐れずに表現することが大切で、真摯な態度なのではないかと私は思う。論理武装、という言葉があるように、論理を武器にすれば徹底的に論理で闘うこととなるだろう。論理がちゃちなら訴えたいことまでちゃちに扱われて終わるだけだ。自動加入や、自動加入の上での活動の義務付けは、現行憲法の上ではどうやっても、さかだちしても、100回バック転しても、トリプルアクセルしても4回転サルコウしても論理的に正当化できない。「こういうふうに考えれば正当化できる」などとまやかすべきではないのだ。今後コンサバチームがやりたいことを存続させるためには、かならず別の表現が必要になってくる。と私は思う。熊本裁判の被告PTAがなぜ訴えられているのかわからない、という人にはなかなか腑に落ちない話であるかもしれないが。

手を替え品を替えいろいろと思い付くね


三多摩中学校PTAが私に「心よりお詫び」し、「今後PTA非加入者がPTA会費を納入することがないよう改善を図る」と誓ったのはもう3年も前の話だ。

そして今年度、次女の月子が三多摩中へ入学したのだが、3年前からはPTAの新入生保護者対応はまたがらっと様変わりしており、こんなのがくばられたのであった。

平成28年4月○日
新入生保護者の皆様
郊外市立三多摩中学校PTA
会長 蓮田 舫子
郊外市立三多摩中学校
校長 磯野 波助
「郊外市立三多摩中学校PTA」の御案内

この度は、お子様の御入学を心よりお慶び申し上げます。
さて、「郊外市立三多摩中学校PTA」は本校の教職員と在籍する生徒の保護者によって組織されております。
「郊外市立三多摩中学校PTA」は、保護者と教職員が協力して三多摩中学校地域社会における教育的環境を整え、本校生徒の健全な成長を図ることを目的として、会員の一人一人が自覚を持って声をかけ合い、ともに考えともに行動して行く会としてまた、郊外市公立学校PTA連合会にも加入し、他校との交流も図り、学びながら活動しております。
 お忙しい日々をお過ごしのこととは存じますが、趣旨をご理解の上、皆様お一人お一人のご参加でより良い会に発展して行きますようご協力をお願いいたします。

【活動内容御紹介】
・学校行事への参加、協力。(一人一役ガイド参照)
・・・(以下略) など

趣旨にご賛同頂き、会費(一家庭につき)○,○○○円をお納めくださいますようお願いいたします。
本会の会費は個人情報保護を考慮し学校協力の元、「学校教材費」と合わせての納入となりますことをご了承下さい。
残念ながら、御了承いただけない場合は下記に記入の上、平成28年4月△日までに担任の先生に提出してください。

キリトリセン


【理 由】


上記の理由により、PTA会費を教材費と合わせて納入することを了承できません。

  年  組  番  生徒氏名
           保護者氏名




(プリント引用 以上)


この文面を読んで、読者の皆様は何を感じられたであろうか?
とくに何も、問題を感じられないかたもいらっしゃるだろうし、「だまって抱き合わせ徴収しないできちんと了解をとって、ていねいなPTAね」と感じられる方もいらっしゃるかもしれない。

しかし私には、ひとことで言うと「入会の任意性の説明や、意思確認を巧妙に避け、会費の話にすり替えている」と感じられた。
入会の意思確認をしていないのに、いきなり会費の納入方法の話をするのは、「ピーマンとにんじんどっち食べる論法」(参照)にほかならない。

こういう老獪なプリントにイラッと来ないかたは、私がPTAを退会した理由も永遠に共感することはないのであろう。「ていねいな文面、意思の尊重、なにがいけないの?」という感想になるのでしょうな。

このキリトリセン以下を提出しなければならない義務など私にはないのだろうが、めんどうを避けるため、書いて出した。

【理 由】
     PTA未加入のため。

これしか書きようがなかろうと思う。
入会を申し込んでもいない団体から、「学校経費と一緒に会費引き落としてもいいですか?」と訊かれたら、そりゃダメに決まっている。抱き合わせ云々の前に、入ってないんだもん。

このプリントに悪意を感じない人のほうが多いのだろうが、しょうわるな私にとっては「うまく持って行けばまんまとピーマンかにんじんかを選ばせられるアホかなんかだと思ってんの?」としらけさせるに十分なものであった。PTA役員さんの苦心の作だったのかも知らんけどすまんことです。

それにしても3年前に、「今後PTA非加入者がPTA会費を納入することがないよう改善を図る」と誓ったのではなかったろうか? だれひとり加入届を出していないのに、このプリントの提出さえなければ全員じゃんじゃか引き落とすというのは、なんだか言ってることとやってることが違うような…。
まあな。役員も変わってるし、過去の「今後の改善策」やら「誓います」なんか、知ったこっちゃないわな。HAHAHA。

高校PTA後日譚①

そんなわけで小中に引き続きまたまた非入会となってしまった高校PTAなのであるが、その後の入学式で、なぜか、PTA会費の使途の説明プリントが配られた。
入学式は、式次第だけが普通くばられ、事務手続きの話は入学説明会や保護者会でくばられるのが通常のような気がしていたので、ちょっと唐突な感じであった。

説明プリントの中身は運営費・P連会費・部活支援など特に目新しいものはなかったので省くが、いちばん下の、もう欄外といってもいいような箇所に、「PTAへの加入は任意であるが、皆様のご理解とご協力をお願いしたくよろしく頼む」みたいな文言が書かれているのが注目された。

やはり、唐突である。
これが、入会同意書とともに配布されるのであれば意味はわかるんだけども、入会同意書はすでに2月の時点で配布されてて内容はこんなのだったのだ。しかも、その会費コミコミの学校徴収金の納付期限は入学式の前日である。
自分で「全員加入だ!ぜったい○日までにはらえよ!」と言っておいて、その○日の翌日に「会費はこのようなことに使われています。加入は任意ですがご協力お願いします」とは、何事なのか。どしちゃったの? って感じである。

もしかすると、私が学校長宛てに出した手紙の中で「会計内容などを未確認のまま加入することは適当でない」と書いたことが起因してるのか?と一瞬思ったのであるが、それは違うことが後日すぐに分かった。なぜなら、私が出した手紙の内容はPTAに流されてはいなかったらしいことが判明したからである。だから、私の手紙にPTAが反応したわけではない。

しかし、この不自然で唐突な説明はなんだったのだろうか。何となくではあるが、私以外の保護者でツッコんだかたがいらっしゃったのではないかという気がする。
それならそれで、「加入納付の期限は過ぎておりますので、もし上記ご説明の会費使途に納得行かなかったり、任意なのであれば加入しなかった、というような方がいらっしゃいましたら、手続きを取り消し返金いたしますので012-345-6789までご連絡下さい」とでも書かなきゃ、わざわざいま説明してる意味がわかんないわなぁ。

ま、そんな細かいツッコミはともかく、入学式の後「PTA説明会」もあった。
会長は見た目はごくごく普通の主婦的なかたで、「自分は子供の頃からひっこみ思案で、人前で発表なんてとてもじゃないが出来ないタイプだったが、周りに励まされ今なんとかPTA会長をやれていて、少しお役に立てて嬉しく思ってる」とかそういう話で、なかなか好感のもてる話であった。
そして、「さいきんPTAは任意とさわがれておりますが、確かにそうなんだけども、子供たちみんなに還元するお金なので、皆さんに入会してもらいたい。活動は、無理な人もいると思う。できない人も、いると思うけど、そのことと、入会ということとは、ぜひ、わけて、切り離して考えていただければ」とマイクをもって、声が震えて突っかかりながらも途切れ途切れに、いっしょうけんめい説明したことであった。このようすには、心を動かされた。

まあ、確かに、PTA会費を前提とした学校運営が(善し悪しはひとまず置いて)なされている現状で、都教委の息の掛かったこわもての経営企画室相手に、このかたにPTA改革をやれって言ったってそりゃ無理だろう。このかたの、現時点での精いっぱいの努力が、「おかしいんだけれど、いっしょうけんめい説明して全員入会してもらうよう懇願する」ということなのだろう。
そう思うとその必死なカミカミのしゃべりの様子や、そしてどこの誰かは知らないがおそらくPTAについてしっかり知識の有る保護者からの手厳しい指摘に対応しようと時系列とんちんかんな説明文書を作り、たたかれることも覚悟でこの場に立ったかと思うとこの1か月ほど悩んだ様子も想像できるようで、なんとも申し訳なく思えてくるのであった。

このかたが、自分が会長をしている団体があのような強制的なプリントを配布したことについてどう思っているのかは分からないが、とにかく入学式の時点では、「係や役員はしなくてもいい。最低でもお金さえもらえれば」と考えていることはわかった。

それを公言するだけでも、PTA内ではだいぶ波風の立った話ではないだろうかとも想像するのであるが、とにかく「強制は出来ない」「安易な強制プリントを配布すれば指摘を受ける」ことをPTA会長が(たぶん)自覚しただけでも、一歩前進と言ってもいいと思ったのであった。

非会員だより〜4月

新学期を迎えて1週間以上過ぎ、PTAにめんくらっている新入生のお母さん・お父さん方も多くいらっしゃることと思う。
私もこの業界に長くいるが、これだけメディアなどでそのオカシサが訴えられても、そう簡単にPTA被害というものはあとをたたない。

つい先日も、会社でのチームメイトのAさんが「ぶきゃこさん、実は…」と沈んだ様子で言いに来たところによると、新学期の保護者会に欠席したところ、教師がAさんの代わりに勝手にくじを引き、見事地域委員会?とやらの役員を引き当ててしまって、その事後連絡が来たのだとのこと。
その顔合わせ会があるので、○日に半休を取らざるを得なくなり、その日に予定されていた会社のミーティングには出られないとのこと。
そのミーティングはメンバーの予定を縫うようにしてやっとその日に合わせたものだったが、Aさんがいなければ意味がないものであったので、結局日にちをずらさざるを得なくなり、それに参加する何人もの人の予定も変更になった。
しかも、業務の予定はびっしり詰まっているので、そのミーティングをずらすとそれを前提とした後に続く色々な予定も組み換えなければならない。
準備していた周辺業務も予定が狂い、私が立てていた計画も一瞬にして白紙に戻った。

しかも、その平役員だけでもちょくちょく休まなければならなくなるとのことなのに、顔合わせ会でまたさらにくじ引きがあり、それをひき当ててしまうと学年代表、そこからさらに代表委員会でひき当ててしまうと委員長や副になってしまう可能性もあるという。

Aさんは会社にとっても主戦力であり、これには本当に私も参ったし、本人もとても困っているようであった。
そして、その押し付けられた仕事は「学校の役員」だと信じており、どうにもならない運命だとあきらめているようであるのも痛ましかった。

もちろん、人間がはたらいているのであるから突発的な休みというものはこちらも予定には含んでいる。体調が悪くなることもあるし子供がいる人であるから子供関係の休みもあるのはわかっている。
しかし、このPTA・学校の横暴ぶりはどうだろう? 母親も社会人であるという認識が欠けているのではないだろうか?
自分たち団体だけの都合で役職を決め、人の都合も聞かずに欠席くじ引きをし、当たった人に有無を言わさずその役職を押し付ける。それがまた教師ぐるみときてる。活動日程も一方的に決めたものに何があろうが出席要請。あまりにもおかしいのではないだろうか?
そして、それによって発生した不都合の責任はとらない。被害者に休暇を取らせたり、被害者の同僚に尻拭いや穴埋めをさせたり、いろんな人にマイナス影響を与えても、すみませんもなければご迷惑をおかけしますも無い。なんなんだろうか一体?

以前も、Aさんではない別の人だが、長年準備を重ねてきたプロジェクトの初日の前々日に「急ですがその日は学校の役員会になりました。欠席は許されませんので会社には来られません」と言われて当日欠席されたことがあった。

なぜここまで、PTAは傍若無人なのであろうか?と本当に驚くばかりである。
2人に共通しているのは、「学校で決められたことであるから抵抗は出来ない。だから社会責任を果たせないのは自分の所為ではない」とどこかしら考えているふうである、という点である。
しかし、PTAという団体が、裁判所や警察のように権威・権力のあるものでないのは一般社会では当然のことだし、子供の病気のように「やむを得ないこと」ともみなされるわけではない。「同好会の集まりに出るので会社やすみます」みたいなもんだ。なので、そんなことで業務都合無視でちょいちょい休むような人には、やはり責任あるポジションは任せられないことになってしまう。つまり、本人の評価が被害を受けるのである。

PTAの意義、地域との連携の重要さ、学校のお手伝いをしなければ教師が大変、そのようなポエムを唱えてPTA活動に熱心になるのはその人の自由だと思うが、そのポエムを達成するために傍若無人である必要はないのでないだろうか?
世の中には色々な「いいこと」がある。ジョギングという趣味は健康に良い。貧しい地域の子どもたちのために寄付をするのは善である。仕事をするのは収入が得られ家族が豊かになるという人生にプラスのことだ。
しかし、ジョギングにのめり込むあまりに「走行環境のため、サイクリストや犬の散歩は遠慮してもらおう」などと言い出したら反社会的な趣味でしかないし、「世界には貧しい子供がいるんだぞ。みんな最低1,000円は寄付しろ」と集め始めるのは大きなお世話。仕事だって過剰に依存し帰ってこず家庭をほったらかしになるようでは家族も素直に「働いてくれてありがとう」とは言いがたくもなるだろう。

以上のようなことを書くとコンサバの主要な反論パターンとしてはPTAの有意義性や保護者の教育権の重大さを唱えてくるのだと思うのだけれど、まったくそういう話をしているわけではないことは、難しいかもしれないが理解いただけたらなと思っている。
PTAが善い活動をしているのは事実だろう。しかし自動加入、学校のふりした錯誤させ参加強制、欠席くじ引きやポイント制など、くだらないことは本当にやめてもらいたいものだ。それはそのPTAの品格を下げるだけだと残念に思うし、下品な強制をするくらいなら、不十分や不完全な活動のほうがずっと正常だろうと思う私なのであった。

H28.3 ぶきゃこから学校へ

       平成28年3月吉日
東京都立三多摩高等学校
校長 大湖野 達人様
    保護者 ぶきゃこ


拝啓
先日合格通知を受け取り、来年度入学させていただく予定のぶきゃ山太郎の母親でございます。
このたびは入学をお許しいただき大変ありがとうございました。
親子ともども、貴校にて学ばせていただけることをこの上ない喜びと感じております。
なにぶん教育不十分な息子でございますゆえ、忌憚なくご指導、ご鞭撻いただけましたら大変幸いに存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

さて、今回お手紙を差し上げましたのは、私は大変残念ながら貴校PTA様には入会をいたしかねるため、そのむねをお伝えしようと思った次第でございます。
先日いただきました「PTA入会のご案内とアンケートの依頼」という文書(以下、「入会案内」と略させていただきます)には、入会をするむねを記載して返信をする欄はございました(入会届)が、非入会届がございませんでしたため、加入しないむねをPTA様に対してお伝えするすべがございません。
というよりも、通常であれば、なにかの団体に入会する祭には、入会届(申込書)がなければ「申し込んでいない」状態でございますので、あえて「入会しません」ということをことさらに告げるのもおかしいかと存じまして、PTA様に対しては特段の申し出をしないことと致しました。
ではなにゆえに学校長様に対しては同様のむねをことさらにお伝えするかと申しますと、貴校ご発行の「入学のしおり」8ページを拝見いたしますと、貴校においては学校徴収金としてPTA会費を含めた額を計上されておられるからです。
繰り返しになりますがPTAは本来、学校とは別団体であり、加入は任意であることは、現在では社会的にも広く認知されております。過去に東京都教育委員会および文部科学省に当方より念のため確認いたしました際も、そのとおりの回答でございました。また新聞報道などもございましたので校長先生におかれましては無論ご承知とは存じますが、PTAに加入を強制されたとの訴訟も熊本にて起きている現状でございます。

そのような社会情勢にかんがみまして、PTAの加入が任意であるという前提事実はすでにご周知のこととして話を進めさせていただきますと、貴校においてPTA会費徴収を学校徴収金に含めるという処置につきましては、保護者のPTA加入の意思が確認されているという事実および、保護者が貴校によるPTA会費の代理徴収に同意しているという事実が前提となろうかと存じます。
したがいまして、もし保護者である私がPTA様に加入する意思がないならば、貴校にあらかじめお伝えをしておいたほうが、事務処理がスムーズになるであろうと予測し、このむねをお伝えする次第でございます。
本来であれば、加入の意思が確認された保護者のリストがPTA様から貴校に提供され、それをもとに貴校がPTA会費の収納事務をおこなうのでありましょうから、特段に私のほうから「加入しない」むねをお伝えしなくとも、収支があわないということになろうはずはございませんが、PTA様および貴校の入会収納事務がどのようなものであるかが私には想像がつきませんもので、ただでさえ大量の事務でお忙しい中、あらかじめお伝えすることで混乱がふせげるならばそれにこしたことはないであろうという考えのもとにこのお手紙を書いております。

なお、個人情報(生徒名・年組・保護者名・住所・電話番号その他)につきましても、貴校にお知らせした内容を、私の同意なくPTA様に提供されることは承諾いたしかねますので、このむねをお知らせしておきます。
PTA様に加入しない理由を、貴校宛てにお知らせするのも筋が違うとは存じますが、不審にお思いになることもあるかと存じ、簡潔に3つにわけてご説明いたします。

1.「入会案内」に記載された「全保護者の加入のもとに運営しております」という文言は、保護者の加入非加入の自由を一方的に制限するものであり、不法行為にあたるおそれがあります。もし私が加入するならば、不法行為にあたるおそれのある行為を団体の一員としておこなうこととなりますので、加入し同調することはいたしかねると判断をいたしました。

2.「入会案内」に記載された「イロハ」の選択には、「いずれにも参加できない」の選択肢がなく、事実上、なんらかの活動を強いる内容であると判断いたしました。私は、PTA活動を一般に重要で意義のあるものと考えておりますが、それと同時に、各家庭の事情を問わずにくじ引き等で強いる現状が依然あることも、保護者をPTA活動から背を向けさせ、活動の質を下げるおそれのある運営方法として憂えております。
 私の主義主張とそぐわないため、このような運営方法のPTA様に加入し同調することはいたしかねると判断をいたしました。

3.PTAにかぎらずいかなる団体においても、規約(会則)、活動スケジュールの詳細、会計内容などを未確認のまま、加入することは適当でないと日常より考えております。


以上です。
入学時学校徴収金につきましては、払込取扱票に印字されている○○,○○○円からPTA会費分の△,△△△円を控除した××,×××円をご指定の期日までに振り込ませていただきますので、宜しくご査収のほどお願いいたします。
なお、貴校の教育活動に一保護者として協力することについては、いささかも惜しむ心算はございません。会社員のため活動可能時間には限りがございますが、もし私のような者でもお役に立てることがございましたら、いつでもお声をおかけいただけたら嬉しいかぎりでございます。
また、PTA会費経由で事実上、教育活動上の必要経費としている金額があれば、貴校から直接ご請求をいただければ、納めさせていただきたいと存じます。
年度替わりのお忙しい中たいへん恐れ入りますが、趣旨をご理解いただけましたら大変さいわいに存じますので、何卒ご了解いただきますよう宜しくお願いいたします。
敬具

2月、こんなのが来たのであった。

新入生保護者の皆様へ

平成28年2月
東京都立三多摩高等学校
PTA会長 楽天 ヤフ子


PTA入会のご案内とアンケートの依頼

…挨拶文略…
さて、本校PTAは、家庭と学校とが協力し、生徒が豊かで実りある学校生活を送れることを目的として、全保護者の加入のもとに運営しております。
この度、新入生をお迎えするにあたり、入会のご案内とPTA活動への参加に対するアンケートをお願いしたいと存じます。
本校PTAには、下記の委員会があり活発に活動しております。各クラスからは3名を選出しており、委員選出は入学式終了後行います。下記記載の、委員会の活動内容をご覧いただき、活動に参加していただきますよう、皆さまのご理解とご協力を心よりお願い申し上げます。

(委員会の内容が1行ずつ書いてある)

※下記アンケートに記載の上、入学書類提出日の3月○日に学校へご提出をお願いします。
 必ず、保護者の方が記入し、全員提出をお願いいたします。

キリトリ線

入会届

新1年生 生徒氏名           受験番号          
保護者氏名           印  電話番号          
                   携帯番号          


PTA活動参加についてのアンケート

☆次の該当項目 イ・ロ・ハに○をつけてください。
 PTA委員として参加していただけますか。
イ.はい 参加できます
ロ.どなたも引き受ける方がなければ、委員を受けてもよいです。
ハ.その他、次の行事への協力は出来ます。
 ・文化祭(○月)…PTA出店のお手伝い等
 ・花植え(○月頃)…環境美化に伴う花植え作業
ご協力ありがとうございました。

ただのり論考

PTA問題の論争において、たびたび頭を出してくるフリーライダー論。
先日もツイッターで「ただ乗り保護者に悩んでいる」という方がいらっしゃったので少しそれについて尋ねてみた。
その手のことをおっしゃる方というのは、多くが「吐き捨て」でありまともな話が出来た試しはないのであるが、珍しくきちんとした方で、フリーライダーが享受しているという「便益」の内容を尋ねてみたら考えを述べて下さった。

曰く、「便益とは『体育祭でPTAが受付をすることでスムースな進行が維持される、PTA寄贈のテントやクラブ備品を使う、先生のサポートをすることで学校運営がよりよくなる』といった内容」とのことである。

なるほど…と思ったのでしばらくこれについて考察してみたい。
フリーライダー論はよく聞くのであるが、本当に具体的な解説が聞けたのは久しぶりだなと思ったのである。

たとえば体育祭の受付について考えてみよう。
体育祭というのは無論、PTA非会員が山ほど来場する行事である。
祖父母、きょうだい、他校の先生、地域の人々…
受付をPTAが行っているとして、彼らはそれら非会員に対していちいち「このフリーライダーめ!私らが汗水たらして受付してるのをいいことにフリーライドして体育祭を楽しみやがって!」と思うのか?といえば、思わないに違いない。いやしらんけど。え、思うの?思わないよねまさか。

ではなぜ、「PTA非加入の保護者」にかぎって、「フリーライダー」になってしまうのか。

それでわかる通り、フリーライダーという概念は、先ほどのツイート主が言うように、
「費用的な負担を避け、便益のみを享受しようとする人」
という定義ではないのだ正確には。
「便益のみを享受しようとする人」がフリーライダーなのであれば、費用のやり取りのない便益を受ければ全てフリーライダーとなってしまう。
他市町村へ行って公園で休んだり、公衆トイレに行ったらフリーライダー。市道や町道を通ってもフリーライダー。隣のまちで上がってる花火を見てもフリーライダー。
街頭でティッシュを受け取り、広告もきちんと読まずにハナをかめばフリーライダー。
デパ地下で試食めぐりをし、いっこも買わないおじさんもフリーライダー。
まことにせちがらい話だが。

フリーライダーとはそういうことではない。
フリーライダーという呼称が生まれるかどうかは、その前提に「本来負担をすべき人」というのがなければならない。
つまり、正確なフリーライダーの定義は
「社会(集団)の一員として本来になうべき負担を避け、便益のみを享受しようとする人」
である。
ようするに「集団で利益を生み出すときに貢献せず利益のみを得ようとする人」であるから、その人がその集団の一員であることが前提となるのだ。

PTAがフリーライダーと呼べるのは、呼んでいいのは、会員でありながら体育祭受付当番の義務を果たさず(会員義務ならばの話だ)、「体育祭の受付をほかの会員にやってもらう」という便益のみを享受しようとする人である(これもまた、そんな人がいればの話だが)。
非会員はそもそも「受付をPTAがやってスムーズな体育祭進行をみんなで享受しようね」という合同行為にかかわっていないのであるから、フリーライドもへったくれもない、ただの路傍の石ころ、その他大勢なはずなのである。
そもそも「PTAによる受付がきちんとなされたスムーズな体育祭開催をお願いします!」というリクエストすら出されていないわけで、そんな無関係の石っころをひっつかまえてフリーライダー呼ばわりもずいぶん酷いんではないかと思うのだが。

そもそも合同行為にくみしていない人を、「便益を受けている」という事実だけで「フリーライダー」呼ばわりする人は、キレイになった駅をつかう通行人を怒鳴りつける駅前清掃の宗教団体と変わりないわけであって、それじゃあはた迷惑な暴力団体ではないか。
※そんな宗教団体はフィクションです。参照→

にもかかわらずなぜ「PTA非会員はフリーライダー」と大声で言う人がいるのかというと、その人が保護者のことを「本来PTA会員義務を果たすべき人」とみなしているからなのですね。
黙っていれば「自動加入」。断って非入会にすれば心の中の「みなし会員」。
保護者に対する、PTAの熱い愛は続く…

などとフザけてる場合じゃなくてね。

成田空港でつかまえた「YOU」には熱心に「おもてなし」しても、まさかフリーライダー呼ばわりはしないでしょ日本人。それはね、YOUは外の人だからなんですねー。ヒッチハイカーなんかはそのものズバリのフリーライダーなんだけれども、そんな番組やっても「よその国見に来てガソリン代も払わず」なんて言うコメントはあまり見かけたたことがない。
フリーライダーという概念の根底には「オラたちと同じ義務を果たすべきお前たち」という同胞意識がある、といってもいいかもしれないのだ。
中国人や韓国人に対して異様にキビしい日本人がいるのも、無意識に同胞と見做しているのかもしれないなあと思ったり。

昔、うちの子供と同じ学童クラブの子が2年生くらいになって、それまで疑問を持たずに通っていたものが、成長して色々あったのか「学童なんて行きたくない」と言い始めたことがあった。
もちろんその子のお母さんは仕事があるから学童には行ってもらわないと困るわけで、どのように説得したかというと「お母さんがお仕事もってる子はみんな我慢して行ってるんだよ!お前だけ行かないなんてことが通るわけないでしょ」と言ったというのだ。その説得の仕方にはビックリしたけど、それを聞いて子供がしぶしぶ行くようになった、というのを聞いてまたさらにビックリした。

私が「正当性のないフリーライダー呼ばわり」に敏感なのは、そういう日本人気質のなかに危険が潜在していると思うからである。
こういうのがね、エスカレートするとね。みんなでいいことしよう、という運動があった時に、それに同調しない人はすぐにフリーライダー呼ばわりする脳内ルートが出来ちゃうし、簡単に隣人同士で縛り合うようになると思うのだ。
PTAみたいに母親を「いいことなんだから無理してでも参加しなきゃいけないんだ」と洗脳しようと思えばできるっていう社会土壌というのは、裏を返せば良くないことでも簡単に集団で決行させることができる土壌でもある。
「良くないこと」を「いいこと」と詭弁的に信じ込ませるなんて言うのは、すごく簡単なことだ。
だからこそ「いいことだ」という人と「そうは思わない」という人が一定割合で混在している社会こそが健全で安全だといえる。

戦時中に私が生まれていたわけではないしこれはもう想像でしかないのであるが、日本が戦争に突っ走っていたとき、大本営発表をしんそこ信じて「大東亜共栄圏のために戦ってアジアを平和にするんだ!」と強く思って、信念として戦争に全面賛成していた人がどのくらいいたのか、けっこう疑わしいんではないかと思っている。
多くは、みんなが犠牲を払って国に貢献しているのにフリーライダー呼ばわりされるのがいやだから、まわりに合わせていたのではないのだろうか。
いやもうなんの根拠もないし全くの想像の話なんだけどね。戦時中に成人だった人からひととおり当時の話が聞けたのは、ばあちゃんやら近所のじいちゃんやらのほんの数名でしかないし。

義家文科副大臣は東京新聞のインタビュー記事の中で、近年危険と話題にのぼっている巨大組体操についての意見を求められ、
息子は負荷がかかる位置にいて背中の筋を壊したが、誇らしげだった。全校生徒が羨望(せんぼう)のまなざしで見る中で、「ここまで大きくなった、見事だ」と私自身がうるうるきた。
と語っている。
自分が怪我をしてもまだ組体操という全体目的を遂げたことを「誇らしげ」にさせる教育というのは、嬉々としてわれ先に特攻隊に志願するメンタリティとは無関係なのだろうか? 私は個人的に、そういうのはホントウに恐いのである。
うちの子どもたちには、「え、怪我するなんて嫌だよ、やらない」と自己判断で言えるよう、またはやりたいならやりたいで「自分はやりたいよ、でもやらない友達がいても強制するなんて無理」とも自己判断で言えるような、どうか立派でまともなヘタレに育ってもらいたいものだと思っている。

へそまがりの小さな呟き

うちの子たちがまだ小さい頃、シュタイナー教育というのが一部で流行していた。子供に情報機器を与えず、自然の中で育て、自然の材料で遊ばせ…というたぐいのものである。
い、いや、シュタイナー教育は有名なドイツの博士だかなんだかが考案した、立派でちゃんとした教育体系であり、しっかりした学校もあちこちにあるので、「というたぐいのもの」とか「だかなんだか」で片付けていいようなものではないのであるが、そこはそれ猫に万札というか、犬にマタタビというか、しょせんその価値を理解しない人に評させてもこのような惨状になるということでどうかご理解いただきたい。PTAふうに言うと、ご了承下さい。

で、そのシュタイナー教育を信奉していて、家が羊毛ボールと松ぼっくりだらけだった友人が当時いたのであるが、その人がある日、ある私立保育園の噂を聞きつけてきて私にいっしょに見学に行かないかと誘ってきたことがあった。
「とってもいいらしいよ!」と熱心に言うのである。
「どういいの?」と尋ねると、
「シュタイナーらしいよ」と答える。
「シュタイナーだとどういいの?」とさらに聞くと、
「自然とか哲学とか人智とか…難しくてよくわかんなかったけど、でも、とにかくシュタイナーだって」
とのこと。
うむむ…。

もちろん私は、シュタイナー教育を否定するわけではない。というか、否定するほど知らないし、たとえくわしく知っていたとしても、「子供にどんな教育がいいかなんて出たとこ勝負」「なるたけがんばろう」くらいがせいぜいの身の丈で、「あなたはどんな方針で育児をしてきましたか?」ときかれても、「ハイ、真っ暗闇の中を“きっとこっちだ!”と根拠もなく子供抱えて走ってきてしまって、いまどこに居るのかも正直分かりません!」程度なのがホントのところなのである。
だから、シュタイナーという言葉だけでつられていってしまう友人のことを、まったく笑えるわけではない。

ところで何でいきなりシュタイナー教育のことを思い出したかというと、どうも最近「コミュニティスクール」という言葉が、なにか善いことのようにずんずん独り歩きしているような気がしてならなく、そのもてはやされぶりがなんとなくシュタイナー礼賛のかんじに似ているなぁとふと思ったからなのであった。

学校と地域の連携強化へ「コミュニティースクール」「チーム学校」促進 中教審が答申

コミュニティスクールというのは、文科省の定義によると学校運営協議会制度をカッコよく呼び変えた名称、あるいはその協議会を設置している学校の呼称で、「学校と保護者や地域の皆さんがともに知恵を出し合い、学校運営に意見を反映させることで、一緒に協働しながら子どもたちの豊かな成長を支え『地域とともにある学校づくり』を進める仕組み」であるとのことである。
同省は大変よさげなパンフレットを作成し、「コミュニティ・スクールの取組で広がる魅力」と銘打って、

<子供に とっての魅力>
● 子供たちの学びや体験活動が充実します。
● 自己肯定感や他人を思いやる心が育ちます。
● 地域の担い手としての自覚が高まります。
● 防犯・防災等の対策によって安心・安全な生活ができます。

<教職員に とっての魅力>
● 地域の人々の理解と協力を得た学校運営が実現します。
● 地域人材を活用した教育活動が充実します。
● 地域の協力により子供と向き合う時間が確保できます。

<保護者に とっての魅力>
● 学校や地域に対する理解が深まります。
● 地域の中で子供たちが育てられているという安心感があります。
● 保護者同士や地域の人々との人間関係が構築できます。

<地域の人々に とっての魅力>
● 経験を生かすことで生きがいや自己有用感につながります。
● 学校が社会的つながり、地域のよりどころとなります。
● 学校を中心とした地域ネットワークが形成されます。
● 地域の防犯・防災体制等が構築できます。

とメリットをうたいあげている。
なるほど、いいことづくめではないか。
素晴らしい。というよりこんなに素晴らしいことを、何故いままでやっていなかったのか? 文科省はこれまでの怠慢の責任を取りなさい! というのは冗談だが、ものごとには必ず、「現状そうなっていない理由」というものがあるわけで、何かというとすぐそこを置き去りにしてキレイゴトばかり並べる「役人話法」と根本的に相性が悪い私は、こういう政府刊行物は必要以上に注意深く読むことにしているのである。

事例集を読んでみても、これらはまさにPTAが目指してきた「社会教育」「教育環境の充実」「学校との連携」なのではないかと感じさせられる。しかし、
「子どもの学びや体験活動を充実させ」「自己肯定感や思いやる心を育て」「防犯・防災対策をし」「地域と連携して子育てに当たる」ことを目標としてきたPTAが「強制参加」「不参加批判」の泥沼にはまり、必要以上に攻撃的なレジスタンスを生むことになった(お前が言うなって…)現状を見るにつけ、文科省は同様なことを「コミュニティ・スクール」として制度化することで、もっとハッピーに自主的に強制なくできるようになると考えているのだろうか? という点が不思議である。
単にパンフで語られているように「連携しよう、それが子どもの環境を良くする」ならいいのだが、実際の事例集を見ると案の定、「学校業務がオーバーフローしてしまうから私達で責任もたなくちゃ」という、従来の強制PTAとなんら変わらない文脈でコミュニティスクールが語られているようすが散見されるのだ。

福岡県春日市のコミュニティスクール紹介文の中に「以前から積極的に保護者・地域住民を人材として活用していた○○小学校」という記述があるが、「人材として活用」といううつくしい書き方の裏側には「動員」があるんじゃないか? と疑り深い私は思うのである。
というより、動員なしに「人材として活用」が成り立っていたんなら、横文字の制度化などする前に、PTAが本来の意味で十分機能するはず、していたはずではないか?と思うのだ。

これまでPTA問題事例集、みたいなのをたくさん見聞きしてきたが、最初の出発点は「学校に保護者も地域も関わることで、より良い教育を」目指したものの、ボランティア精神とはほど遠い現場の運用で、有無を言わさぬ動員とか、参加できない人を非協力的と批判するとか、意見が合わず離れた人の子どもを排除するとか、そしてそれを「協力しないんだから当然」と正当化する(理解のない保護者のみならまだ笑えるが教員や学校管理職までも!)とか、さまざまな目も当てられない惨状に至っている事例が本当にたくさんある。

コミュニティスクールもすごくいい取り組みだとは思う。それと同じように、私はそもそもPTAという発想そのものを否定したことはないし、いい取り組みには違いない。
しかし、結局は「任意」のもので学校制度の貧困を補完しようとするとき、それが「任意」にて取り組まれない学校があった場合  たとえて言えば、月1,500円で協議員なんか引き受けていられない保護者ばかりになったとき  質の良い教育をたちまち提供できなくなってしまう学校教育というものは、なんなんだろうか?と考えざるを得ないのである。
結局それは、「スクール」の体質改善ではないのでは? 任意の取り組みに責任を分散してしまおうとする目論見  なにかこうPTAが思うように発展しなかったため別の切り口から制度化して本質的には同じことをやろうとしているくさい  に感じてしまう。

再三になるが、否定しているわけではない。しかし、コミュニティスクールが本当に素晴らしいのはそれが動員にはじまる「PTA類似問題」をクリアできたときだと思う。そして、「学校のオーバーフローを地域や保護者でまかなう」という発想から自由にならないかぎり、PTAもコミュニティスクールもこの同調社会の日本においては、いずれ同じ色と材質の壁にぶつからざるを得ないのではないかと思う。

念のため貼っておくが、根拠法はいたってシンプルなのだ。


地方教育行政の組織及び運営に関する法律
第三節 学校運営協議会

第四十七条の五  教育委員会は、教育委員会規則で定めるところにより、その所管に属する学校のうちその指定する学校(以下この条において「指定学校」という。)の運営に関して協議する機関として、当該指定学校ごとに、学校運営協議会を置くことができる。
2  学校運営協議会の委員は、当該指定学校の所在する地域の住民、当該指定学校に在籍する生徒、児童又は幼児の保護者その他教育委員会が必要と認める者について、教育委員会が任命する。
3  指定学校の校長は、当該指定学校の運営に関して、教育課程の編成その他教育委員会規則で定める事項について基本的な方針を作成し、当該指定学校の学校運営協議会の承認を得なければならない。
4  学校運営協議会は、当該指定学校の運営に関する事項(次項に規定する事項を除く。)について、教育委員会又は校長に対して、意見を述べることができる。
5  学校運営協議会は、当該指定学校の職員の採用その他の任用に関する事項について、当該職員の任命権者に対して意見を述べることができる。この場合において、当該職員が県費負担教職員(第五十五条第一項、第五十八条第一項又は第六十一条第一項の規定により市町村委員会がその任用に関する事務を行う職員を除く。)であるときは、市町村委員会を経由するものとする。
6  指定学校の職員の任命権者は、当該職員の任用に当たつては、前項の規定により述べられた意見を尊重するものとする。
7  教育委員会は、学校運営協議会の運営が著しく適正を欠くことにより、当該指定学校の運営に現に著しい支障が生じ、又は生ずるおそれがあると認められる場合においては、その指定を取り消さなければならない。
8  指定学校の指定及び指定の取消しの手続、指定の期間、学校運営協議会の委員の任免の手続及び任期、学校運営協議会の議事の手続その他学校運営協議会の運営に関し必要な事項については、教育委員会規則で定める。



根拠法を踏まえて思考すれば、「学校のオーバーフローを地域や保護者でまかなうのがコミュニティスクールだ」という発想が完全に逸脱気味、逸脱と言って悪ければ拡大解釈であることがわかる。

最初に引用したニュースを、国民の皆様はどういうふうに読んだのだろうか。
努力義務…「チーム学校」がいじめや不登校に対応する…地域連携担当教職員…学校を核とした地域作り…
いいことなんだよなぁ。絶対に、いいことにちがいない。
なんかかすかに背筋が寒くなるような気がするのは、私がひねくれているからなのだろう。

周年行事とPTAの実は深ぁ〜い関係。

どこの学校も周年行事というのはやるもんなんだろうなあと思うのだけれど、行政側ではあまり「どこの学校も周年行事というのはやるもんなんだ」と思っていないらしく、校長がやりたい  あるいはやらないわけにはいかない  と思っている規模の行事をやるのに十分な予算が設定されていないということらしい。

なんでそう思うかっていうと、周年行事準備積立金(とかそういう名称・目的のもの)が毎年積み立てられていないPTAというものを、ごくわずかを除いて私が知らないからである。

ヤフーちえぶくろに「PTAが無ければ、学校は困る?」というタイトルの質問が投稿されていて、投稿者の学校の校長は「PTAの入退会自由などを周知して、PTAが崩壊したら困る」と言っているとのことである。
「困る点」として7つの項目が挙げられており、その最後に
<7>周年行事に向けて、お金の積み立ても必要
とズバリ、校長が「金をくれ」と言っているわけである。
かなりマズくないか?と思うわけなのだが、私がPTAを退会するとき、うちの小学校の校長はさすがに良識があったのか「お金の積み立てが必要なんです!」とは言わなかったな。

全国PTA問題研究会でも、
⑲「周年行事」をPTAは どう考えたらよいのでしょうか?
というQ&Aを提供しており、
PTA本来の目的や活動を考えると、それらの活動や費用の負担はPTAがすべきことではありません。
と明言され、その代わりに、PTA自体の周年行事をおこなったらどうか、という至極まともな提言もなされている。

しかし実態としては、うちの小学校PTAでも会費のかなりのパーセンテージが「周年行事準備積立金」に使われており、実際の行事の際には150万ほどの予算がPTA会費から支出されているであろうという計算となる。
いやあ、すごいマネービルドだよね。150万かせぐって大変よ?
小学校は6年間しかないから当然、周年行事の(PTAの大好きな言葉で言えば)“恩恵”にあずかれない家庭も多数あるわけで、そこからも10年間まんべんなくかすめ取ったお金で150万。これはすごい。
家事育児しながらパートで1年間働いてもそんなに稼いだら扶養超えちゃうわよ、みたいな金額を、自動加入を続けるだけでラクラクとっぱらいで集められるわけだからPTAはやめられない。

かすめ取った、にムカッとくるコンサバの方もいらっしゃるかもしれないが、PTAが学校経費ではなく、本来任意の寄付である周年行事準備積立金が会費に含まれていることもきちんと説明した上で入会意思の確認をとらない限り、私は「かすめ取った」という表現を撤回するつもりはない。

では、“恩恵”にあたった家庭はどんなラッキーなのか?
というわけでこの記事では、周年行事の実態に少しでもちかづいてみたいと思った。
私は小学校の周年行事に2回あたっているので体験をもとに書こう。

まず目に見える“恩恵”としては、記念誌がもらえる。
内容としては沿革、校歌や行事、教育活動の紹介などだろうか。
(ただしこの記念誌だけは当地の場合、市からの贈呈となっている)
あと記念品。といっても推測で単価100円しないであろう文具。
お菓子。これもたぶん単価100円程度。

あとは、よくある「航空写真」。これが恩恵と言えるのかどうかはわからないが、子どもも撮影したからには「ほしい〜」となり、購入させられるが高いんですこれが。。。
そして子どもも、ほしいほしいと言った割には、購入したら「フーン」で終わり、あとは見向きもしない。整理しなければならない写真がまた増えただけ。
恩恵つうか罰ゲームか?
しかも、後日記念誌が手元に来たら、そこにしっかり大判写真はあったのであった。
その旨、写真購入の時にひとこと説明してもらえたら助かったなぁ〜みたいな?

はっ……汗 いつのまにか悪口になってる
いかんいかん。

あとはですね、イベントがあるわけです。
式典と祝賀会。実行委員会とPTAから学校への記念品授与。
ちなみにPTAからの記念品は、ベルマーク財源(預金)とのこと。
実行委員会からの記念品というのは、財源がどこなのかはよくわからない。

式典の内容は、学校長式辞、来賓祝辞、記念品授与。
児童(高学年のみ)の出し物。
歴代写真の展示。
とまあフォーマット通り。

つぎに祝賀会は、地元団体のおはやし、舞、PTAのOBや歴代校長が出てきての挨拶、スライド、民謡アトラクションなどがあり、酒や料理が出る。
メンバーは式典出席者のうち成人と、市長・副市長・市議会議長・副議長・国会議員・都議会議員・教育長・教育委員等々…。

体育館で宴会やるわけだから当然スタッフが必要で、それは、PTAからお手伝い募集のプリントが配られてましたのよ。
きちんとした服装で、子供は置いてこいとか何とか…。

そしてこの式典と祝賀会ですがもちろん、一般保護者は参加お断りなわけです。

いったい、誰のための宴会なんだ…?
飲みたきゃ勝手に居酒屋で同窓会してワリカンで飲めよ!

あっ、しまった。
明らかに悪口になってるぞ。
いかんいかん。

なんだって人が苦労して働いた金を説明もなくかすめ取ってこのようなパーティーが行われなきゃならんのかさっぱりわからないのであるが、校長のほうからも「式典が盛大に行われました」みたいな報告はあれど、「祝賀会楽しかったです、お料理もお酒も美味しかったです、ごちそうさまでした、黙って会費を払って下さったPTA会員の皆様ありがとうございました」みたいな御礼は一切ない。というよりも、どちらかというとその手のことが行われていることは「あまり表ざたにならないように」している印象がある。

学校施設を使用しながら子どもと保護者を排除し、保護者の一部をスタッフにしての、政治家・教育関係者・OB(PTA含む)の懇親宴。
そりゃまあ、あまり大声で言いたくはないかもね。

それに私は退会してから以降は、「周年行事準備積立金」は払っていなしベルマーク活動もやっていないので、現役会員の皆様ほどは文句を言う筋合いも実はないのであった。
ゴメンナサイ。

(記念誌代は税金だから私払ってると思うんだけどね)

PTA組織準備委員会を「保護者の総意」をとりまとめる組織だと思っている方がいて困っているのですがこれはどうすれば

ツイッターでの会話の中で、「PTAが自動加入であっても小さな社会の総意であれば問題ない」と言っている人がいた。
小さな社会とは、学校関係者、つまり「児童生徒保護者・教員(管理職含む)・その他の学校職員・これから子どもを入学させる保護者」を指すのだとか。
このへん
とか
このへん
が関連ツイート。

それらの人々で構成する集団イメージのことを「社会」(便宜的にこの後、「学校社会」とする)とよぶこと自体には別に異論はないが、そこでの「総意」とはどうやって決定されるものなのだろうか。
私が、
「その社会でPTA自動加入容認決議をしていると言えるところなど、PTA加入を入学要件としている私立校を除けばひとつもない」
と述べたところ、
「全国しらみつぶしに学校を調べて回ったわけでもないのに短絡的で危険な断言だ」
と非難されたのであった。
そして、「学校社会に内規は存在する」という趣旨の反証として
「PTA組織準備委員会の存在とその決議内容」を挙げてきた。

彼の理論によれば、組織準備委員会で決定された初期の規約は、その後に社会の構成員が入れ替わろうとも、(改定が入ることは前提としても)有効であり続け、入れ替わった構成員にもその規約で定められた権利と義務は継承され続けるという主張らしい。

さてそれでは、PTA組織準備委員会とはなんなのかをあらためて洗い出してみたい。
たしかに、PTAがない段階で結成されるものであろうから、PTAの内部組織でないことは事実だろう。では、だからといってそれは学校社会の総意を決定できる権限と責任を持つものなのか? 学校社会の構成員はそこで決定された権利と義務を継承する、あるいはしなければならないのか? ここが大きな疑問が発生するところである。

インターネットで検索ヒットするうちの上位何件かを調べてみよう。

<A校>
学校統合に伴い、「統合準備委員会」が設置され、協議事項のうち一つに「新校のPTA組織の運営に関すること」があって教委への報告事項となっている。
委員は、統合校の校長・副校長・保護者代表・地域住民代表・公募市民から教委が任命する。

となっている。
「ん?教委の任命した委員がPTA組織準備すんの?社教法12条違反じゃね?」
と思ったあなた。ピンポ〜ン。
私も実はそう思ったのであるが、まーそれはとりあえず飛ばして次に行こう。

<B校>
学校統合に伴い、「統合準備委員会」が設置され、その下部組織に「PTA組織部会」がある。
この委員会の設置要項を確認すると、「所掌事務」のうちのひとつに
・統合後の学校支援組織のあり方に関する事項
というのが定められている。
学校支援組織って、まさかPTAのことじゃないよなぁ…。ハハハ。

委員は、地域学校委員・学校関係職員・小学校及び保育園保護者代表者・そのほか教委が必要と認める者
となっていて、これまた教委が委嘱することになっている。

えっ? 保育園保護者代表は委員会に入れて、幼稚園保護者とか、どこにも行かせてない保護者とかは入れないんだ、へー。
地域学校委員ってなんだ? と思って検索してみると、ここの地域特有のもので、
「自治公民館・地区公民館・関係機関・青少年団体等の代表者や関係者、保護者、民生児童委員、 地域コーディネーター、保護司、社会教育委員、学識経験者など」
で構成されて、役割としては
・校長の説明する事項について、意見を述べることができる。(ちょっとよくわからない…)
・地域の次世代育成や教育力の活性化など地域づくりのための要望を行う。
・学校の支援体制の整備 募集・集約・活動
・学習・生活支援活動
・環境整備
・登下校安全確保
・合同行事の開催
その他となっており、ようはPTAの構成員の範囲を非保護者まで広げたような組織のようだ。

<C校>
ここもB校と同じく、学校統合に伴い、「統合準備委員会」が設置され、その中で「PTA組織部会」がある。
PTA組織部会の検討事項は
1 PTA の組織運営(規約・組織編制・役員の選出、運営計画、予算等)に関 すること
2 PTA の交流活動等、その他 PTA 組織部会に属する事項
となっていて、構成員は
・保護者代表者(といっても旧3校のそれぞれPTA会長)
・学校職員
・地域代表者
・必要と認める者(主語がないけど…)
となっている。

このほかにも何校かの公開情報を見てみたが、統合校においては大同小異のようだ。
つまり、ほぼ例外なく教委主導でPTA組織準備委員会ないし部会(を含む学校設立準備委員会)が結成されており、PTAの規約が決められているということだ。

これらを調べていくうちに「はて?」と思ったのだが、そういえば総会も無ければ採決の履歴もない。
ものごとが決まるのは、たとえばこの議事録みたいに、
委員「いいですね〜」
委員「素晴らしいですね〜」
部会長「じゃあこれでよろしいでしょうか」
全員「了承〜」
みたいな、いっちゃあ悪いが相当イイカゲンな、「あんたら酒呑みながらやってんじゃネェの?」的な経緯で決められているんである。
意思決定ロンダリングとはよく言ったもので、こんなんで「統合準備委員会にて正式に承認され決定されました!」みたいなハナシになっちゃうわけなんである。

考えてみれば当たり前である。委員会は議決機能を持つ団体ではないのだから、総会もルールに沿った採決もあるわきゃないのであった。飲み屋の会話と大して変わらない。
こんなんで、こっち(保護者)が委任したわけでもない、教委が指定したどこぞの誰かが寄り集まって、どどーんと、さも重厚な「決定事項!」のように、頭からどどーんと、勝手なハナシを決めつけてくる、それが「統合準備委員会=PTA組織準備委員会」の正体であるわけですな。まさにロンダリングマジック。
百歩譲って新設校のことを教委の委嘱委員会が決めるのはまだ行きがかり上しょうがないとしても、PTAのことを勝手に決められてもな。自由意思で任意で結成する団体じゃなかったんかい。

えーと、誰かが、PTA組織準備委員会が決めた規約は学校社会の内規だなんて言ってたのは、いったい何だったんでしょうか。いつどこで、「学校社会の構成員の総意」なんかが諮られてんの?
そもそも規約自体がPTA内部のことに過ぎないじゃん、という根本的なツッコミはおいとくとしても、その決定が当時の学校社会の構成員の総意であったなんていうのも単なる幻想、何の根拠もない話であった、ということが、ほんの10分ほどのインターネット検索であっという間に明らかになってしまったのであった。

もういっかい言うが、ちょっと考えてみれば当たり前なのである。
議決効力を持つ団体は、法律によって設立されたもの以外は、法人かどうかを問わずぜ〜んぶ「任意参加」なのだ。
「保護者」や「学校関係者」という強制的な集団において、「総意」なんてぇものがそうそう「何分の何なら可決〜」みたいに決められるわけないの。「本人の意思による加入」というプロセスは、どの段階かで、絶対に踏まないと、「個人個人の意思をロンダリングして“総意”ってことにする」なんてことは不可能なんですよ。ほんっとに当たり前の話だ。って3回目か。

所属してるんだからちょっとくらいは担ってね、は何がダメなの?(ツイッターの続き)

ツイッターでPTAさんという方といくつかのテーマでやりとりをしていたのだが、なんにしろ文字数制限があり、ブツ切り投稿も大変になってきたため、こちらでまとめることにした。

一連のツイートの流れ「意思に関わらず属性によりグループとみなされ(自動入会)、そこに半強制的な労働が紐づくってどうなの?」という話からつづけてみたい。

あ、あの、申し訳ないことに、ツイートって返信で枝分かれしたり時系列が変わったりしていて、記事にして平たく完全に一連にして書くことが難しいんですね。
なので、PTAさんの意図は下記の抜粋で受け止められる内容とはズレがあるかもしれないし、もれているツイートもあるかもしれない。
私がツイートをひっぱってきたのは「だいたいの経緯」を示すためであって、これを材料にどうこうしようというものではない。
ただ、「これまでの経緯」を示すなにかがないと、どっから出発していいか判らないのでもってきたのである。
よって、この転載記事を元に、PTAさんを論評することはブログ読者の皆様にはひかえていただき、過去の発言は彼の過去ツイートの現物をきちんと追って読んでいただきたいと思います。すいません。
このブログにしか参加されていない皆様はあくまで、この記事に今後書き込まれ(ていくかな?)るコメントなどによって、議論をしていただければ助かります。

↓こっから転載

PTA@bkk858 @tomate_heijou 1年1組男子は廊下掃除、となった時に、まずその括りを勝手に決められている状況と、その括りと労働の内容がリンクしていますよね。これに異議を唱えることももちろん権利だと思うのですが、まぁこれくらいならいいかというのもある気がするのです。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou ということは、括られることが半強制であったとしても、そこに許容できる程度の労働が紐付いていても、まぁこれくらいならいいか、というのがあるんではないかと思ったんですよね。厳密に詰めていけばそれは強制労働になるわけなんですが。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou 保護者です。教職員です。この学校に関わってます。だからPTA会員です。という半強制の括りと、会員はこれくらいの協力をしてください、会費も下さいというのが、これくらいならまぁいいかという範囲なら、まぁいいかなような気がしたんです。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou これくらいならまぁいかは人によっても違います。それを配慮して、まぁいいかの範囲に収まるように調整すれば、厳密につきつめたら確かに強制だとしても、それは問題ないのかなぁと。良い具合に調整するのが組織経営ということになると思うんですが。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou なんでうちの子は寒い廊下掃除なの?女の子は温かい教室なのに。となると、その通りなんですけど、めんどくさいから平等にくじ引きにしましたーとか出てきて、そこまでする必要ないという人も出てきて、なんだかなぁという感じです。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou まぁこれくらいならいいか、は、これくらいでないですか?と考えるのが経営者の仕事で、それをちゃんと全会員に伝え、協議の場を設け、調整をし、総意として承認していくことができるのが、組織化されたPTAだと思います。

ぶきぶき ‏@bkk858 10月10日
@nomalizepta @tomate_heijou
これくらいならまぁいいか(強制しても問題とされないだろう)となる範囲に、他者が「収まるように良い具合に、経営者の仕事として調整」可能であると考えていらっしゃる点が、決定的に共感できない部分です。

PTA @nomalizepta
バーチャルですが、1年1組男子もこれくらいならまぁいいかとならない強制労働の被害者でしょうか。。。

PTA ‏@nomalizepta 10月10日
@bkk858 @tomate_heijou 強制加入について1つお伺いしたいのですが、自分がその立場であれば自動的にその括り(グループ)の一員とみなされるっていうことあると思うんです。例えば1年1組男子とか。それとPTAの強制性ってどこが違うと思いますか?

(中略…ログがどっかいっちゃいました)

ぶきぶき ‏@bkk858
児童の清掃は根拠法がある教育活動でしょう。
PTAへの強制加入に正当性の根拠ないでしょ?
もしかしてその違いがわかりませんて話なのかな?

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 児童の掃除の例えがわかりにくくしましたね。児童の掃除じゃなくてもいいんです。半強制的な括りとそれに労働の内容がリンクする場合なら。トランペットパートは薪割りね、でもいいんです。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 いやトランペットパートは意志が働いてるからダメだ。辰年生まれの人買い出し行って、です。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
誰が「買い出し行って」って命令するんですか?
なんの関係もない、ただ居合わせた人?
どういう状況での「買い出し行って」を想定しているのかよくわかりません

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 例えば学校。文化祭。クラスの中で役割分担。指示を出してるのは文化祭委員。クラスという半強制の括りの中の辰年生れという半強制の括り、クラスだと同じ干支だらけだから蟹座でもいいです。自分は特に文化祭に対して盛り上がってない。で、この状況。悪いけど行ってきてって感じで。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
それ先ほどの掃除の話と同じですよね。
買い出し自体は、教育活動に伴う作業だから強制性がある。
半強制の括り自体は、教師の指示に異論があるなら「先生、血液型Aの人にして下さい」と抗議してもいいし、ネゴがうまくいかなかったら最終的に教師に決定権がある。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
ですから、そういう話が強制加入PTAの「これくらいならまぁいいか」の役割り当ての正当化につながるんですか?
正直、なんでこんな話をしているのか分からない。まったく関係ない話。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 なるほど。こう考えてみると、大人になると自分の意志が入らず所属しているグループがほぼ無いのではないかと思います。居住地(これも厳密に言えば意志が入る場合もあります)や自分の子供が通学している学校によるグループというのは特殊であることがわかります。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 最初にお伺いした時には、もし偶然性によるグループに何かの義務が伴った時に、これを突き詰めていくと確かに強制なのですが、まぁいいかで済む程度の義務ならば、それは個々で吸収できるのではないかと考えてみたわけです。まぁいいかと思える義務の極限は全く義務がない状態です。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 間違えた。義務の極小が義務が全く無い状態です。義務の極小をとったときに、そのグループに所属することを良しとできるならば、悪しとする原因は明らかに伴う義務ということになります。義務の極小をとっても良しとできないならば、他に原因があることになります。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 僕は保護者の総意が必要になる場面があると思っているので、それを取り仕切るグループも必要と考えています。保護者であるならば、自動的に構成員となるグループです。PTAはいろいろな原因で自動的に構成員になるのに賛否があるグループですのでその原因を探りたいと思っています。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
そういうグループが必要と考えるのも自由だし、逆も自由ってことです。
ただし、ものすごく絶対に必要、と考える人がいたとしても、他人に強制することの迷惑度(社会的有害さ)はまったく減殺されないってことです。

ぶきぶき ‏@bkk858
@nomalizepta
会長になると団体維持へのモチベーションが高くなりがちなのは理解できますが、極小であっても他者侵害の理由にはなり得ないことは相互に確認したいところですね。

PTA ‏@nomalizepta
@bkk858 極小、つまり義務がまったくない場合の、他者侵害とは、例えばどのようなものがあるとお考えですか?

↑転載終わり


で、この最終ツイートのあとから返信を続けさせてもらうと、PTAさんの疑問としては、「労働の押しつけがまったくないんなら自動加入させてもいいんじゃない?何が問題なの?」ということになるだろうか。違ってたらごめんなさい。

ひとことで回答するなら、「無断で合同行為に組み入れられるのは人権侵害」ということになるだろう。
ま、それ以前に、会費の問題があるけど。
識名小PTAじゃないんだから会費ありますよね? PTAさんの学校は、(誤解してたら申し訳ないが)学校側がPTA会費収納事務を代行しており、その代行への同意書を保護者からとっているようだ。だが言うまでもなくこれは入会承諾ではないし、事実上、「保護者が平易に断れる」運用なのかどうかもわからない。
“会費の支払い”自体に承諾した証拠がないのに、いきなり収納代行に同意を求めるというのもおかしなすり替えだろう。

「正面から宣言するより、前提にしたほうが疑われにくい」
という昔からある心理コントロール法がある。
子どもに「野菜食べなさい!」ではなく、「ピーマンとにんじんどっち食べる?」と言うあれである。
「PTA会費収納事務を学校が代行することに同意いただけますか?」と聞かれれば、「そもそも会費って収納されなきゃならんものなの? 入会するとも言ってないのに」とはなかなか気づきにくい。
それを利用しているわけである。

労役義務を課さない団体の自動加入の、いったいなにが他者侵害になるのかという答えとしては、ひらたい言葉で言えば、
「会員になるかどうかくらい聞きなさいよ金とる話なんだから」となるだろう。

活動をゆるくすればいいという話でもない。「お仕事のある方は1ポイント取得でいいですよ」ならオッケーという話でもない。
会費を取り、会員としての責任を負わせる行為なのだ入会契約とは。

「割り振り仕事がゼロなら問題ないのか。会費無料なら問題ないのか。」
となるかもしれないが、それも違う。
任意団体なのであるから、PTAがやらかした行為には各会員が責任を負わねばならないのだ。
少なくとも私はうちの中学校PTAが次々に繰り出してくるような「バカバカしい議決」に加わったと絶対に思われたくない。
愚の骨頂である“ポイント制”(あ、もちろん狭義です)を採用していないだけまだマシなのだろうが。

委任状だらけの会議で、いつなんどき議決ならぬ愚決をしかねない団体に加入を決めるのは自分であって、PTA側の「不公平」や「存続できなくなってしまう」などの都合で決められる筋合いでないのは、当たり前のことではないだろうか。

もっと言えばただ単に、申込書さえ揃えば良いというものでないだろう。
PTAや学校と、入学児童の保護者には当然ながら「PTAという団体の性質や活動内容」についての情報や経験値の格差があり、その格差をいいことにPTAや学校側にのみ有利な契約方法(すなわち、自動加入だ)を採ることをいましめているのが「消費者契約法」である。

つまり、PTAやその説明に加わる学校側は、保護者が各条件を踏まえた上で妥当な判断を下せるだけの情報を提供し、そのうえで加入の意思確認をとらなければならないのだ。
PTAは学校と別団体であり加入非加入は選択可能であること、子どもの扱いに差は出ないこと、会員になるとポイント取得や一人一役など「団体が決めたルール」に従わなければならないことなど、入会契約をするかどうか決めるのに必要な情報を十分に提供した上で入会意思の確認をとるのが、適法でもあり人道的でもあると私は考えている。

誤解のないように書くと、世の中の全ての契約がそういった「正しい」手順を踏まれているわけではない。
たとえば電車に乗るとき切符を買う行為のように、社会的慣行に基づきスキップしたり、あるいは契約内容を必要に応じて確認できれば、契約の都度意思確認をとることを省いたりすることが許容されている種類のものもある。しかし、PTAが任意加入で、入らなくても子どもには何らの影響もない、ということはスキップして良いほど社会通念とはなっていない。というより「PTAは入るもの。というより保護者イコールPTA会員。(特に女性は)全員参加で家庭の事情も仕事も理由になりません。そこのPTAのルールに従っていただきます」という滅茶苦茶な人権侵害がフツーにまかり通っているPTAがまだまだ多数なのである。

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Author:ぶきゃこ
東京多摩地区。
会社員しながら4匹にエサやり中。
母親としてはもう相当数無理あり。
中2以来、ずっと重度の中二病。
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